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ON日記
2001.12.1〜2001.12.31
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2001年 12月30日(日) キー
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ここに一冊の絵本がある。
M.B.ゴフスタインという方の描いた「作家」という題名の絵本だ。谷川俊太郎さんが日本語に訳している。
今年の春先、春先とは言っても今とおなじくらい寒かった頃、本屋さんで見つけた絵本だ。
言葉は柔らかいのに、それの意味するものは、ずっしりとわたしの中に入ってきた。
そういう絵本だった。
とっても静かで、とっても確かな出会いだった。
あのときのわたしは、それを、単なるひとつの、楽しい出会いだと思っていた。
今思えば、この本は、鍵だった。
今年のわたしの鍵だった。
わたしはこの本のことを、忘れていた。
さっき、部屋の片づけをしていて手に取るまでずっと、忘れていた。
だけど、この本に書いてあることを、わたしは今年一年中、ずっと意識していたんだ。
それが普通になってしまうくらい、心に溶け込んでしまうくらい、そのことを思っていた。
あの絵本がわたしの胸に蒔いた種は、ちゃんと、育っていってる。わたしはわたしがあげられる栄養分を、水分を、たっぷりと注ごう。これからもずっと。
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2001年 12月29日(土)
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寝っころがっていたんだ。もう眠ろうと思ってた。だけどあたまの中、いっぱい浮かんできた。わたしの2001年が。次から次へと浮かんできたんだ。何度も、起き上がって、浮かんでくるもの全部、真っ白い紙に描きだしてやろうかと思った。
でもなんか違うんだ。浮かんでくるのは、今年あったあんなことこんなこと、の具体的な思い出じゃない。なんかもっとこう、今年あったあんなふうなこんなふうな感情が、ひたすら浮かび上がってくるのだ。
布団の中に丸まりながら、わたしは笑いたくなった。いまのいままで、完璧に忘れていたようないろんな感情やその感情を抱くに至るまでの思いっていうのは、機会さえあれば、流れ出るように思い出せるんだなと。
きれいな思い出を作って、きれいにしまっとくことに興味はない。だけど、これからも、たくさんのことをちゃんと感じたい。ちゃんと感じれば感じるほど、こんな夜に流れ出す記憶は瑞々しくて気持ちいい。
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2001年 12月28日(金) おとなの時間
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すっかりと年の瀬だ。今年分の挨拶がしたくて、前にアルバイトしていた場所へ行った。みんな元気で、嬉しかった。長い間たくさんお世話になった人たちで、とても良くしてくれた人たちで、会ったのはとっても久しぶりなんだけど、そんなの忘れちゃうくらい今日もわたしをやわらかく迎えてくれてほんとうに嬉しかった。初めて会った人も元気で、嬉しかった。
好きだなあと思う大人が身近にいるのっていい。そういう感覚を思い出す。全部じゃない。まるごとじゃない。ほんの一要素でもいい。この人のこういうとこ、かっこいいし、憧れだ、なんて思うのって、いい。自分の中にもそういうとこが欲しいって思えば、思った分だけ、また新しい探索が始まるのだ。そして、わたしはわたしが伸びていくことに貪欲になる。
そんなふうに思った。
あのひとたちに挨拶ができてよかった。
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2001年 12月27日(木) うたおう!
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たぶん彼女とはこれが今年最後の逢瀬だろうから、ちょっと早いけど、話は今年の総括みたいになっていった。アイスココアを啜りながら。彼女はストロベリーなんとかっていうクレープを食べながら。
普段からとっても好きな人と一対一でじっくり話をするのって、すごくいい。自分の中のいろんなものがぱちぱち弾かれるように言葉というカタチに生まれ変わっていく。
あー。
わたしは思うの。彼女とお話していて、再確認したわ。今年は、自分を信じ直せる機会にたくさん恵まれた。わたしは間違えなく自分が、いとおしいし、大好きだし、それゆえ、苛付いてもいるし、もっとなんとかしなくちゃと思ってる。だからこそ、来年は、人に自分を、いっぱい伝えていきたい。こころの中で、あたまの中で、きらきらと感動してるだけじゃダメなんだ。自己完結で終わらせてちゃ、なんにも生まれない。来年は、いっぱい自分を、外に出していきたい。出して出して、たくさんの人と繋がりたい。くすぐりたい。
だって今年は、ほんとうにたくさんの人たちから、たくさんのものから、くすぐられたんだ。
もっと確かにこの世界と繋がってみたい、この世界と自分との繋がりを、もっと意識したい。
だから来年は、進む。負けないで、進む。
今から言っておけば、いいよね。
言ってやればいいんだ。
そんなこんなで、彼女と、もうひとりの仲良しさんと、年が明けたら、新年会やろうと決めて別れた。高校のときみたいに、三人で、いっぱい笑おう。そしてわたしたちの2002年を、元気よく始めるのだ。
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2001年 12月26日(水)
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日がすっかり落ちてから、待ち合わせ場所に行くと、人がいっぱいいて、さすが新宿だ、と思った。友だちが見付からず、人の波の中でうろたえていたら、友だちが私をみつけてくれて、すごくほっとしたし嬉しかった。みんなもう先にそこにいて、笑っていて、私はみんなの笑い顔が、なんともいえないいいものに思えて、今日はいい日になりそうだ、と思った。
そして本当に今日はいい日になった。
バイバイ、また来年ね。
そういって駅で別れたあとも、気持ちのいいものが残って、気持ちが良かった。
とってもいいことだ。
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2001年 12月26日(水) ユメ
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ハイロウズのヒロトがユメに出てきた。
それだけでもう、目が覚めたあとわたしは、どきどきしちゃって、我ながら、思春期の少女のようだなあこれじゃあ、とか思った。
それでも夜になって、「バームクーヘン」なんか聴いちゃって、ぼんやりしてると、ほんとうに幸せなんだよね。もう、困っちゃうくらいに。
おばちゃんになっても、おばあちゃんになっても、何かに対してどきどきしてたいな。楽しいから。
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2001年 12月25日(火) ハテナ
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いっそ、感覚そのものになってしまいたいと思うことがある。わたしが、まるごと、感覚になってしまっちゃえば、と思うことがある。
この世界と、もっと、無心に向き合えそうな気がする。
でも、なんでわたしは、無心になりたい、だなんて思うんだろう。
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2001年 12月23日(日)
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初めて見た生・ハイロウズは、すごかった。
いっつもCDで聴いていた。
大好きな歌を作って歌ってる人たちが、今この瞬間、そこで生きて動いて歌ってる、と思うと、もうジャンプを繰り返すしかなかった。
会場全体が、「ハイロウズ」に満ちていた。
ハイロウズを愛して止まないひとたちがいっぱいいた。楽しくて楽しくて、最高だ!と思った。
かっこいいひとは、かっこいい。
はっきりと思う。
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2001年 12月22日(土) 初めての
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今夜は、ハイロウズのライブを観に行くんだ。
クリスマスよりも楽しみにしていた。
「HOTEL TIKI−POTO」ツアー。
今からどきどきする。
もうなんにも考えられない。
あとは、行くだけだ。
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2001年 12月21日(金) スイッチ
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今夜は、居酒屋じゃなくて、同じクラスで仲良しの友だちのお家に行った。春の頃からずっと、いつか一緒にのんびりお茶でも飲んでおしゃべりしたいね、と言い合っていた友だちを誘って行った。
まずは三人で、美味しさと量が自慢の定食屋さんで早めの夕飯をとった。それだけでもうわくわくした。
雪が降っていたくらいの、寒さ募る冬の夜。
私たちは、おなかいっぱいのくせに、お菓子をひろげてケーキなんか食べちゃって、炬燵に突っ込んだ足が心地良い。
お互いに全然似てない友だちふたりを、私はおなじくらいとっても好きだ。
前からそうだった気もするけど、前よりもそう思う。
自分のことを知っていけばいくほど、人を好きになることに弾みがつくような気がする。理屈じゃない。自分のことを知っていくと、自分にとって一番自然な状態がどんなふうなのかわかってくる。すると、感覚が研ぎ澄まされ、裸のままの「好き」が出てくる。だからいいんだと思う。そうやって湧き上がった感情は、「好き」に限らずみんな、手ごたえばっちりなんだもん。
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2001年 12月20日(木) ねー
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今年最後の授業だった。
ゼミのみんなが、より好きになったのは何故だろう。週にたった一度だけど、先生を含めてみんなと会うたびに、話を聞くたびに、楽しかった。知らないひとをどんどん知っていくという感じ、どんどん好きと思い始めていくという感じ、それは私自身を明るく押し広げていくことでもある。
もっとこのひとたちと仲良くなりたいと素直に思える。
今夜は、渋めの居酒屋に入った。
友だちと三人で飲んだ。
おでんの玉子と大根を仲良くわけて、まぐろの頬肉てんぷらを食べた。オーソドックスにフライドポテトも頼んだ。あつあつだった。
いろんなことを話した。
私は風邪のせいで、ときどきろれつが回らなくなったけど、それでもいろんなことを話した。
ふたりに何かを話すこと、ふたりから何かを聞くこと。どちらも、とってもいい。
ふたりのことがまた好きになった。
昨日の他人が今日は友だち。
今日の友だちが明日は他人。
そういうことだってさんざんありえるでしょう。
でも私が、今日の友だちと過ごした楽しかった今日は間違えなくこの世に存在していました。
そう思うと、何も怖くないなって。
寒いけどあったかい夜だった。
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2001年 12月19日(水) シック
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月曜日にむせび泣いたせいか、ひきかけだった風邪が激しく花開いた。
なんにもしない。ずっと布団の中にいた。夢を見たり見なかったり。浅く長い時間が私を癒してくれた。
楽しい夢も見た。こういうのもわるくない。
だけど、心身ともに健やかであることが、何よりも大事だ。自由のきく健やかさ。
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2001年 12月17日(月) 美しい人
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NHKで、ジョン・レノンスーパーライブを観た。
ニューヨークからの中継で、オノヨーコさんが「I LOVE YOU」とみんなに向かって言ったとき、なんて思えばいいのかわからなくなった。胸じゅうに広がった何かが私から涙を押し出して、私は知らない間に、泣きじゃくっていた。
War is over, if you want it.
ここにも、希望に詰まった若者がひとりいるんだよ。私は私に思った。
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2001年 12月17日(月)
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そろそろ、かっこつけるのは止めたい。もっと堂々と、自分がしあわせであることに誇りを持とうと思う。かといって、不恰好な優越感に浸りろうというんじゃない。私はただの私、自然と湧き上がる感情を自分で歪めて難しい顔してるなんてもう勘弁だ。今この手で掴めるだけの、この手で触れられるだけの、身近なしあわせを、素直に受け入れよう。なんにも怖いことなんてない。
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2001年 12月16日(日)
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ほんとうは全て破り捨てたい。消去したい。どこかへやってしまいたい。だけど今の私にとって、それらを人前に晒したまま放置しておくことは、ひとつの重大な試練でもあるからとっておくようにしている。さんざん考えた結果、そうしている。
小さい頃、私は絵を描く事が好きだった。
好きというよりは、絵を描く事が楽しくて仕方がなかったんだと思う。いつしか私にとってそれは、文章を書く、ということに変ってしまったのだけど。
両親は、幼い私に、いつもらくがき帳と鉛筆を与えてくれた。どこにいても、いつも与えてくれた。たぶん、それを与えさえすれば、しばらくの間、彼らの幼い娘は、部屋の隅に座り込んで絵を描き続けていたのだ。
台湾のおばあちゃんのお家や、親戚のお家に行ったときでも、両親は私に、らくがき帳と鉛筆のセットを与えてくれた。おとなたちがゆっくりおしゃべりしたり団欒している最中、私はいつも退屈をしなかった。
あれは私が7歳か8歳の冬休みだったと思う。家族でいつものように台湾へ行った。おばあちゃんのお家に行ったとき、たぶん、いつものように私はらくがき帳に絵を描き始めたんだと思う。それを見たおばあちゃんが、自分の部屋の引出しから、大事そうに古めのらくがき帳を持ってきた。
表紙をめくると、幼い子どものらくがきが出てきた。次から次へと出てきた。7歳か8歳になっていた私の目に映ったその絵は、どうしようもないほど下手くそだった。恥ずかしくなるくらい気に入らなかった。その絵は、ほんの2、3年前に私が描いたものだったのだ。
私の周りで、大人たちは嬉しそうにその下手くそな絵を眺めていた。母親が、あらすごいね、と言っているのが聞えた。おばあちゃんもにこにこしていた。父親だって、楽しそうだった。
私はみんなが見守る中、自分の描いた絵を破った。次から次へと破った。
こんなのいらない。こんな下手くそなものいらない。今のあたしはもっと上手なの。
そう思っていた。全部破ってしまうまでにどのくらい時間が経ったのだろう。大人たち、おばあちゃんはどんな気持ちだったのだろう。考えると、ちくりとする。でもあのときの私は、ひどく純粋な思いで過去の自分を破り去って捨てたのだ。懐かしむことなんて私には重要じゃなかった。現在の自分の力量を、過去の自分のそれと比べて、「成長したじゃない、私」だなんて。そんなこと出来なかった。7歳か8歳だった私の胸のうちははっきりしていた。現在の自分の力量。それが全てだった。成長前の自分なんて、いないも同然だった。恥ずかしい存在だった。
21歳になった私の中には、らくがき帳の一枚一枚を破って捨てたあの女の子が生きている。ときどき、自分が書いた小説を、全部捨てたくなるときがある。ましてや、このホームページでは何篇もの過去の私の断片がある。私自身が見ることの耐えられないものが人前に晒されたままになっている。消そうと思えばいつだって消すことが出来る。結構、迷った。ほんとうに消そうかと思った。
でも私は考え直す。
これは試練なのだ。
私にとって、間違えない。
私は今よりもうんと高いところを目指している。
恥ずかしさと気まずさ、切なさをまとめて引き受けなくてはいけない。
そして私は同時に思っている。
今までの自分は今までの自分の中の最大限の力や愛情や真剣さで、自分にできることをやり尽くしたはずだ。全体的な力は確かにまだまだ未熟だけど、私は決して、ひとつひとつのことを適当にあしらいながらこなしてきたわけじゃない。
だから今、それらの結果であるものを、恥ずかしく思う気持ちの中にはあたたかいものすらこもっている。
今、これからしようとしていくことの結果を、これからの私は、今の私が過去の自分の作ったものに対して思うように思ってくれるはずだ。
それを信じている。今の自分に出来ることを今やる。
私はもう、過去と未来と仲良くできる。
そういう自信が芽生えている。
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2001年 12月15日(土) おやすみなさい
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西に住んでいるあの娘は元気だった。
いろんな顔した空をいっぱい見た。
そういう2日間だった。
さすがにくたびれた。今夜の眠りに期待しよう。
いい夢もおまけに期待しよう。
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2001年 12月12日(水) でかけていく私
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西のほうに住んでいる友達のところへ行くのだ。 私は明日からほんの三日間、西へと旅に出ます。西のほうの空はどうなっているのでしょう。
西のほうの暮れはどうなっているのでしょう。
私の好きなあの娘に会えるのが楽しみだ。
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2001年 12月11日(火) ララヤ・ララ・ヤヤ
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木曜日に行ったっきり、学校はお休みだったから今日は久々に行った学校は楽しかった。相変わらず寒さは強靭で寒がりの私にはあと一歩で耐えられなくなりそうな勢いなんだけど、やっぱり、いろんな知ってる人の顔が見れたり会えるのは学校のいいところだと思う。ちょっと挨拶交わすだけで、景色が動いてるのだと実感できるから。
つるりんとした高く青い空も今日は元気で、私は昨夜、久しぶりに聞きなおしたTHE BOOMが想像以上に今の気分にぴったり来て、思わずごきげんになる一日なのです。
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2001年 12月10日(月) サンタクロース
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ほんとうに寒い。
布団にしっかりとくるまって、「34丁目の奇蹟」を観ていた。白黒の画面が私の部屋を照らす。それはほんとうに、冬にぴったりの映画だった。
そしてほんとうに、ミラクルだった。
1947年のニューヨークだった。
サンタクロース最高。
あのお髭を見ただけで、何もかもを信じたくなる。奇蹟なんてほんのたまに、ほんのすこししか信じないように努めているんだけど、今夜ばっかりは、心を自然に任せようかなと思った。
とにかく茶目ッ気たっぷりで、ラブリーなサンタクロース。
楽しかった。
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2001年 12月9日(日)
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乾いている。空気がとっても乾いている。空は高くて青い。ほんとうに今日も寒かった。
マフラーに顔を半分うずめて、やっと歩いている。こんな季節は、目がとっても乾きやすいから気をつけなくちゃいけない。すこしでいいから、どこかで涙ぐむくらいじゃなくちゃいけないような気がする。それほどに。
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2001年 12月8日(土) ジャニス
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私の心を打ち抜いてくれるものを、常日頃、歓迎している。意識して待っている。どかんと来ないかなと気にしてる。思いも寄らないときに、それが起きたら、涙が出るんだろうなと思う。
私の心をあっというまに射抜いてくれるものを。 両手広げている。
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2001年 12月7日(金)
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今日、歩いていたらまんまるい太陽が見えた。まっしろだった。満月みたいだった。満月かと思った。ありえない時間とありえない場所にぽっかりと。なんで月があるんだろうと思った。
近くにあった雲の色は、私にむかって、やさしく挑戦してくるかのようないろんな種類の白だった。
いちばん眩しい白のなかに、ほんとうの太陽が隠れてるんじゃないかなと思ったけど、けっきょく、月だと疑ったまんまるい白い天体が太陽だった。
反対側のほうの空を見ると、ただの美しい空なのに、太陽があるほうとくらべて、いくらか暗くみえた。
私の生きてるところはこういうところなんだなと思った。
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2001年 12月4日(火)
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雨は久しぶりだ。
お昼前には上がっていたけど。
私はマフラーがうまく巻けなくて、手袋はどこかにやってしまって、寒い中、ビニール傘を片手にしっかりと歩こうと思った。曇り空が冬っぽかった。
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2001年 12月3日(月) ミズ・マイセルフ
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通っていた高校の最寄駅で、待ち合わせをした。仲良しだった友だちと会った。久々だったけど、今日もまた私はみんなと仲良しだった。
自分を持ってる、なんてわざわざ口に出すと馬鹿みたいだ。誰だって自分であるに決まっている。だから持つも何もないんだ。
それでも敢えて言いたくなってしまう。
昔、好きだったみんなのこと。おなじ教室で一緒に授業を受けてたときから随分時間が経った今でも、なかなか会えずにご無沙汰になりがちな今でも、再会した途端、感じるんだ。
その子から溢れ出すその子独特のオーラー。
ひとりひとり、とても違う。
私はそれが嬉しくて、それと同時に、私も、私をきちんと信じようと思う。
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2001年 12月2日(日) ほどいたら
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「ひまわり」というイタリア映画が胸にずっしりと響いた。
喜びと悲しみに対する描き方が、おなじように深くておなじように重い。
この映画の主人公たちと私は、住んでる場所も時代も目の色も何もかも違う。
それでも私は真っ直ぐと感じる。
この映画はとってもリアルだ。
人間の感情に絡み付いているいろんなものをすべてほどいてしまったら、きっと浮き彫りになる。
何が浮かんでくるかは、まだはっきりとは言えないけど、絶対に、浮き彫りになる。そういうものがある。
そう思った。
世界中のたくさんの人たちとおなじように、昨夜私も「ひまわり」という映画がとても好きになった
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2001年 12月2日(日) 決心
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今私がいるところには、今の私にとって必要なものすべてが詰まっているんだと、静かに思う。
私さえ意識して集中して、この手を伸ばしたら、今の私にとって価値あるものが掴めるんだと思う。目をつぶっちゃいけないんだ。
必ず良くなる。私さえちゃんとしていれば。
だから私は今を、しっぽまで味わう。
必ず良くなろう。
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