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ON日記

2002.1.1〜1.31

2002年 1月31日(木) 人をみる

 「UnizonA」の上演が明日(&明後日)に迫っている。
 劇とは言っても客席はカフェなんだ。
 お客さんにいろんな飲み物を飲んでもらいながらカフェ内で繰り広げられる物語を見てもらうんだ。
 今日は大道具を作ったり照明道具を設置したりと、そういう仕事をみんながしていた。
 時間もあんまりないし、作業の一個一個がかなり大変そうなのに、マジでひとりひとりがかっこいい。
 みんな、心底やりたいことやってんだなあと。
 漂う空気が強く知らしめてくれるのだ。
 ちょっと言葉にするのは照れくさいけど、やっぱ、心底やりたいことを知っていてしかもそれを実践してる人はかっこいい。そういう人を今日は間近で何人も見た。いいもん見たなあと思った。
 本番は明日明後日なのに。
 いいもんはこれから二日、味を増す。楽しみだ。
 
 わたしは小説だ。誰にも見られない時間場所で、実践してやるよ。そういうかっこいいこと。色々ひきかえにしたっていい。やりたい。
  
 お客さん、楽しむといいなあ。

2002年 1月29日(火) 月をみる

 寒空に満月が浮かんでいる。電車の窓から見ていた。きのうも同じ場所から見た。満月とほぼ満月の違いは何か考えていた。きのうわたしの目に映った月も、おなじくらいまるかったのに。きょうのほうがほんとうにまるいらしい。
 いつか満月かそうじゃないかを完璧に見分けられる力がついたりするのだろうか。 

2002年 1月28日(月)  土曜日

 雪に変りそうで変らない雨が降っている。ちいさなオレンジ色の明かりがうっすら照らす部屋の底で、わたしはかれと横たわっていた。お仕事の疲れが溜まってすっかり眠ってしまった彼のとなりで、わたしは思っていた。思っていた? ちがう、染み入っていた。それも違う。じんわりと拡がっていた。そうだ。気持ちがじんわりと拡がっていくのを感じていた。
 自分を、丸ごと全部引き受けてしまうということの意味がわかってきた。そういう気持ちがからだの真ん中から湧き上がって、からだじゅうにゆっくりと拡がっていったのだ。
 実はわたしは、死なせたいものがいくつかあった。いくつかの過去。記憶。その端っこには結び目があって、繋がっているのは自分。まぎれもない自分。ただし、とっても最低な。
 忘れたくて見ないふりをしてた。
 「最低な」わたしを、誰よりも強烈に記憶してるのは、わたしなのだ。そして誰よりも強烈に忘れたがってるのも間違えなくわたし。
 いままでのわたしは、自分を片寄ったやりかたでしか好きと思えなかった。盲目的なやりかた。
 死なせたいものを抱えたまま、きれいなとこだけを可愛がった。わたしを甘やかしてたものは、家族じゃない、恋人じゃない、友だちじゃない、世間じゃない。わたし自身に他なかった。
 21歳、真冬。今やっとわかり始めている。
 なんにも死なない。
 わたしがここにある限り、ここでやろうとしてる限り、わたしは続いてきたとおり、全部、生きている。甘えないよ、もう。
 そしてはっきりしてるのはこれだ。
 ここがゴールなんかじゃない。
 ここは、ほんのスタート地点にしか過ぎない。
 わたしは「最低」の恐ろしさ、取り返しのつかなさだけはちゃんと知っている。知ったつもりだ。
 でもだからといって、ここは「最高」じゃない。
 「最高」は、ずっと遠くだ。ゆらゆら揺れながら、ずっと遠くだ。
 そういう地点にいるのだ。 

2002年 1月24日(木)  咲きたい

 なんかすごく拓かれていくんだ。
 日々の中、わたしの気持ちは。
 種がいっぱい。土は柔らかい。澄んだ水だってある。お日様も元気だ。ときどき顔を隠すけど。すぐにまた帰ってくるし、そう深刻な話じゃない。
 でもわたしはもっと、種が欲しいから、もっと探す。外からも中からも。その作業は慣れると癖になる。だってどうやらまだまだ尽きない。
 欲を言えば、栄養になるものがもっと欲しかった。欲しいなと思ってた。
 そしたら、ごほうびのようにそれがわたしの目の前に現れたんだ。
 日々の中、わたしは感じている。
 すべてが繋がっている、繋がっていく。
 今はそうとしか思えない。

2002年 1月23日(水) 迷子になる 

 「デリカテッセン」という映画を観た。
 そのあとで、わたしはわたしの世界の色彩感を意識した。ほんとうは今回ばかりじゃない。毎回、借りて来たビデオを観終わるたびに感じていた。真夜中のわたしの部屋で、何かの物語のエンドロールが流れていくのを見ながらいつも思っていた。わたしがいるこの世界の成り立ちとか、色合いとか、漂っている音とか。わたしがいる場所はどんなふうなんだろうと。
 誰かに話したくなるような映画を観たあと、いつも思う。そういう気分のときって、行動のひとつひとつを丁寧にしたくなる。瞬間瞬間を大事に過ごしたくなる。自分がいるこの世界ってこんなにも味わい深いんだ、というのを思い出す。…世界というよりは、日常が、かな。
 「デリカテッセン」はそんな映画だった。
 残酷なおとぎ話。滑稽にポジティブ。
 ジャン=ピエール・ジュネ監督。

2002年 1月22日(火)  

 昨日は学校の図書館の窓際の席にいた。雨が激しかった。稲妻が光るたびに身構えた。雨のせいかどうか。昨日は寒くはなかった。今日はよく晴れた。昨日よりも寒かった。空には月があった。白っぽい昼間の月。今日はまっすぐ学校に行かず、違う駅で降りて散歩をした。ぐるぐる歩いてるうちに、自分がどこにいるのかわからなくなる。いつものことだ。陽射しの中はあたたかかった。そのうち、区立図書館を発見した。嬉しかった。学校の図書館と違って、中にはいろんな年代の人がいっぱいいた。
 そんなこんなで、また行きたいと思う図書館を発見したので、ごきげんである。

2002年 1月20日(日) 一周年 

 上海のことを思う。
 ちょうど一年前、わたしはみんなと、上海から帰ってきた。四ヵ月半の留学生活。終わった。
 ここぞとばかりに過ぎ去った一年のことを懐かしんだり惜しんだりすることをいけないことだとは思わない。だけど、あんまりにも度が過ぎると、その思いそのものが泣き言に似てしまう。気をつけなくちゃ。
 そんな今日、「上海から帰国一周年記念飲み会」をみんなでやった。
 「帰国一周年記念日」の宴で、再確認した。わたしたちはちゃんとみんな、前へ進んでいる。進もうとしている。集まったときに生じる、あの明るいパワー、バカさ加減、笑っちゃう感じ。それは上海にいたときとか帰ってきたあとのこの一年間を通してみんなで過ごした多くの時間の中にあったものと、全然変らず元気に生きている。
 でもただそれだけじゃない。ひとりひとりが次を見ているのだ。とにかくひとりひとりが、うしろじゃなくて、前を見ている。その先が、明るそうだとか明るくなさそうだとか、そういうことをすっ飛ばしてる。きれいごとじゃない。大学三年生。どっちにしろ、誰もが、先のことを考えなくちゃいけないからというのもある。
 楽しくてしょうがない場の真ん中で、心地が良かったのは、みんなが前を向いていたからだ。少なくともわたしは、みんなからそういうものを感じた。嬉しかった。たぶん、これから先、簡単には行かないこともいっぱいあるだろう。一筋縄じゃ行かないこともある。誰の上にもきっと降りかかる。せつなくなることだってある。
 でもね、今日みたいな場の中で生きてる、あの元気な感じ、あれがわたしたちひとりひとりの中にちゃんとあるっていうことを忘れないようにしたい、んじゃなくて、信じたい。
 今日来れなかった人の中にもある。
 今日、混乱した気持ちがパンクしそうだったのを懸命に耐えていたあの子の中にも。 
 わたしたちの基本形は、エネルギーに満ちた元気いっぱいの状態だ。

2002年 1月19日(土) 「ユニゾナ」のこと 

 わたしは見ていた。
 自分の書いた小説が立体化されていくところ。
 それは思うよりもずっと、わくわくする体験だった。真冬の公園。晴れてはいるけど、寒さはきつい。
 ゼミの友だちの言葉がきっかけで、去年の秋の終わりごろから、あるグループの活動に参加している。グループ名は「UnizonA」。
 グループの言い出しっぺは大学生だ。それどころか参加メンバーも、ほとんど全員が大学生。そしてほとんどみんな、何かしら得意分野というか専門分野を持っている(たとえば舞台芸術に関する技術・知識。たとえば役者としての情熱、演技力。たとえばイラスト)。
 早い話が、いろんな「武器」を持った者同士で集まってひとつの「舞台(演劇)」を完成させよう、という動きをするグループだ。
 初めて「UnizonA」というグループの話を聞いたとき、とっても興味が湧いた。しかし、取り得らしい取り得のなく、気も小さいわたしは、自分自身がそこに参加するということに対して及び腰だった。わたしにあるのは、小説が書きたい、という気持ちだけだ。そう言ったら、ゼミの友だちは言った。いいんだよ、それで。小説を書けばいいんだよ。
 そしてわたしは「原作部」の一員として参加した。もうふたりのメンバーとともに演劇のもとになる小説を書いた。かなりやり甲斐のある作業だった。求められていることに答えていく作業。ただ答えるだけじゃない。ああだこうだ言いながら解釈に解釈を重ね、自分の内面と結びつけて仕上げていく。
 作業を通して、原作部のメンバーであるふたりの友だちと仲良くなった。無理もない。作業をするのにはお互いを語らないといけなかった。
 そして、ついにわたしたちの作った小説は脚本化され、役者グループによる稽古も始まっている。
 今日は劇中に流す映像の撮影だったのだ。野外撮影。わたしは見ていた。
 役者さんも、演出さんも、寒さの中、頑張っていた。
 わたしは演劇に関して、まったく知識がない。ずぶの素人だ。だから単純に、嬉しかった。ただの活字だった小説が、生身の人間を通して生きている。自分と全然、縁がないと思っていたようなことをやっている人たちの真剣さが心地よく響いてくる。良いものが出来上がるといいなあ。他人事のようだけど、そう思う。
 上演日は2月中旬。
 楽しみだ。

2002年 1月18日(金)  

 ひとつの音楽の中に体ごと飛び込んで浸るのは気持ち良い。特に、こんなふうに外が寒くてたまらないような冬の夜。
 想像力はやっぱり宝だ。なんだってかなえてくれる。ちっちゃい頃からずっとそうだ。

2002年 1月17日(水)  夜が息をする

 わたしが知っているのは、いつもどこかで何かが音をたてているような夜だ。夜の夜がどこにいるのかなんて知らない。
 わたしには土踏まずがない。
 花で冠も作れない。
 なつかしいのは、むせるような木々の匂いだよ、と笑ってみたかった。でもわたしは、記憶にそんな風景をたくさん携えていない。
 あったかもしれなかった。
 でもない。
 ないことを嘆いてるんじゃない。
 わたしは土踏まずのない自分が、生きてるこの世界を冷静に好きだ。
 夜の夜は恐ろしく、しかし勇気を振り絞ってその息遣いに向き合うと思いのほか親しみ深く、異様なやすらぎを与えてくれる場所だという。
 わたしにはせつないほど遠い場所。想像しながら遊んでる。

2002年 1月15日(火)  

 ときどき、これは誰の日記なんだろう、と思う。わたしは何に向かって、ここを書き留めているんだろう。毎日、何かを思ったり感じたり、21歳なんていのは、若いし、自分が熟しつつあることとか熟さねばならないんだ、とか切実なほど自覚している年齢だと思う。わたしの場合。自分に忠実であろうとすればするほど、毎日とまることなく繰り返される、感じたり思ったりすることを、この両手ではうまくすくいきれないなあと思う。
 でも、このすくいきれなさが、また気持ちよかったりする。全部、つかめちゃうことなんて望んでない。いちばん、いいとこ、つかめればいい。
 そんな気持ちを、今日は記しておこう。

2002年 1月14日(月)  

 身近にあるもの、うんと遠くにあるものの差はなんだろう。どんなに近くにあっても、今目の前にはなくて触れることができなければ、うんと遠くにあるものと一緒だ。わたしのあたまの中かこころの中に存在している。そういうとこが一緒だ。
 10年前の平凡な月曜日にあったことと、今朝見た鮮やかな夢。どちらも、リアルだった。どちらも、もうこの世にはない。

2002年 1月11日(金)  こころの要素

 お昼御飯をみんなで食べた。
 何気ないけど、みんなと、だらだら笑ってるのは、なんてハッピーなことなんだろうと思う。
 周りにいるみんなのことを好きだなあと思うときの心、透かしてみれば行き着く。
 わたしは間違っていない。自分にとって、いとおしいものは何なのか、こんなにもちゃんとわかっている。
 晩御飯をおまけにつけながら、お酒を飲んだ。
 昼間とおんなじ気持ち。
 幸せだと感じることと、幸せになろうと思うこと、バランスよく配合して、これからも行きたい。 

2002年 1月10日(木)  ミナトゼミのこと。

 今年最後のゼミだった。
 いちねんじゅうホトケ顔の担当教授・川村湊先生は、今日もホトケ顔だった。
 今年最後のゼミとはいえど、みんなで会うのは冬休み前以来なので、ちょっとした「新学期的空気」が流れていてはしゃいじゃった。
 それぞれの創作作品についてみんなで真剣に語り合ったこの一年は、とっても良かった。一年前にはほとんど他人だったみんなと、今では心のぽっこりとしたある部分で密やかに繋がっているような気がするんだよね。来年も一年間、真剣にみんなに向き合いたい。
 ホトケ顔のミナト教授のもとでね。

2002年 1月9日(水) アカデミックガール 

 アカデミックガールが再来した。
 別にあたらしいメガネを作ったわけじゃない。
 チェックのプリーツスカートを手に入れたわけじゃない。可愛いブックバンドをもらったわけでもない。
 誰かがわたしの片隅で囁いているのだ。
 どう? 勉強するのって楽しいでしょ?
 今更になって、はっきりした。
 知らなかったことを知っていくときの喜び。
 覚えた新しい何かが、自分の奥底の何かとしっくり結びついたときの感動。
 21歳になって、大学三年も終わろうとしている今、やっとわかった。
 何かを学ぶことは、自分を知ることだ。
 学ぶことを通して、押されていない自分のスイッチを押していくのだ。
 わたしはまだまだ、いっぱいスイッチを持っているんだ。未来がわたしをやさしく、くすぐる。
 アカデミックガール、ついに生まれなおす。

2002年 1月7日(月) 新学期気分 

 冬休みもお仕舞だ。
 外では雨が降ってきたみたい。
 私は読みたい本がいっぱいあって、うれしい。
 明日は久々の早起きだ。
 みんな元気かな。
 忘れ物のないように出掛けよう。  

2002年 1月6日(日)  ほっ

 明後日提出締め切りのレポートを、やっと書き終えた。レポートを書くのは緊張する。いつも自分を試されてるんだと思っている。ひとつのレポートを書き終えたときに、何かを掴んだ、という実感をしなくちゃいけないんだと思っている。
 今回も、そんな緊張感を乗り越え、ちょっとほっとしてる。これからも頑張ろう。  

 

2002年 1月5日(土)  この冬のうちに

 今朝はみぞれだったという。
 西のほうの町は雪に満ちているとニュースで見た。寒さはこれから一ヵ月半、めっきり厳しくなるという。ほんとうに冬なのだ。
 わたしは部屋で、新しい加湿器のスイッチを入れる。部屋の空気は濡れていって、わたしはその中で深呼吸する。
 年賀状の返事は、葉書じゃなくて手紙で書こう。この冬のうちに。年賀状をくれた人たちはみんな、普段あんまり会えないけど機会さえあればたくさん何かを伝えたい人たちだ。 

 

2002年 1月3日(木)  骨の中には

 家族みんなで一緒に過ごした。
 今年のお正月は、まるまるとした幸せに満ちているなあと思う。
 別に何かあったわけじゃない。
 21歳になったわたしは、自覚したのだ。
 自分を包む両親の思い。
 ただ自覚しただけ。
 中国の古い言い伝えにこんな言葉がある。
 親の愛は子どもの骨の中にある。
 別に骨をくり抜いて見たわけじゃない。
 たぶん、わたしは年をとったのだ。前よりも。
 そして自分以外の視線で、自分を見つめる能力をすこしずつ身につけていってる最中なんだと思う。そして一番目が、親の視線なのかもしれない。
 お正月は終わる。
 今年も、大好きな人たちが、健やかでありますように。

 

2002年 1月1日(火) 球体の奏でる気持ち

 ジョンとヨーコのポスターを貼った。
 不思議なことに、わたしの部屋は一瞬のうちに引き締まった。そしてわたしは、ここにいる自分の居心地よさを静かに意識した。
 地球儀をくるくるまわしながら思う。

 ここが真ん中。
 ここも真ん中。
 みんな真ん中。
 まるいっていい。