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11月28日(木)
間に合わない。
それが近頃の、わたしの感想だ。
わたし、間に合わない。
何を書いていても、もどかしい。
「ことば」ってなんて鈍足なのだろう。まどろっこしくなるくらい、やさしい。
「初めに言葉ありきなの、お父さん」
きょう観た映画の中で、小さな子供がつぶやいていた。
初めにことばありきなんかじゃない。世界はことばなんてなくったって、限りなく広がっている。
世界中の言語を用いても、説明しようのないものがたくさんある。手付かずのままたくさんある。
ああ。たった今見たばかりの夢の内容、記録したいのに。記憶したいのに。
ことばを用いてるうちに、あっというまに散っていく。
間に合わない。
ことばが印象に間に合わない。
なんてもどかしいのだろう。
だからこそ、語り得ることに対しては、誠実でいたいの。
近頃、強く思う。
ことばをないがしろにしちゃ駄目。
あれは、そう。とても繊細なものなんだから。
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11月27日(水)
空っぽ。
べたべたと貼られてたビラがほとんどはがされて、学校中の壁が裸に戻った。
学園祭が終わったのだ。
そこで久しぶり。
友だちの顔を見ると、嬉しくなる。
ついついはしゃいじゃう。
いつものごとく、はしゃぎすぎて、舌がもつれそう。
卒業まで、あとすこしか?
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11月26日(火)
気持ちの良い日だったね。
木々を眺めてるだけで、空をときどき見上げるだけで、心はどんどん栄養分いただいてゆく。
終わりなき日常の中に、小さく潜む浮遊感。
誰もいない小さな公園の小さなブランコを漕ぎながら、それを楽しむ。
何も、安定していることだけが大事なわけじゃないさ。
揺れる、揺れる。
日の光はこんなに気持ちいい。
ここが世界の真ん中だろうと、片隅だろうと。
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11月25日(月)
世界は、何十層、下手したら何百層にも重なってできてる。
たいしたもんだよ。
すべてを知り尽くすには、人生、短すぎる。
だからって嘆かない。
ときどきすごくもどかしくなるけど、嘆かない。
わたしの目的はすべてを知り尽くすことじゃないんだから。
それを忘れなければ、世界と付き合うことがただひたすら面白い。
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11月24日(日)
「赤い砂漠」という映画を観た。
なんとなく惹きつけられて、なんとなく借りてきたのだけど、そしてなんとなく期待もせずに観たのだけど、まんまと二時間惹きつけられっぱなしだった。
ひとりの女の内におさまりきらない不穏と不安がしずかにしずかに、だけども確かに迫ってくる。そういう映画だった。
絶えず揺れ動いているということは状態として、ある種の色気を放つ。じっとしていて動かないという状態よりも、外側からやって来るものを受け容れやすそうに思わせるから。
「赤い砂漠」のヒロインを見ているとき、そう思った。思ってしまった。
多かれ少なかれ、誰もがみんな、彼女と同じだと思う。
いっそ、「おまえは病気だ」といってもらいたがってる。そういう人は多いと思う。
たったひとりでいい。人間は、自分以外の人間に、それこそ自分が自分自身にしている以上の理解をしてもらうことで、ずいぶん救われるものなのかもしれない。
でなければ、セックス。
存在における根本的な不安を和らげるもののひとつは、間違いなくセックスだ。他人と繋がっていることを五感で受け入れることができるから。どっかの神話が正しければ、男女はもともとひとつだった。つまりセックスの最中にだけ、人間は「本来の姿」であった頃の夢を感じることができるのかもしれない。そして、つきまとう不安がそのときばかりは消えるのかもしれない。
愛こそはすべてってやつか?
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11月23日(土)
我が身が大切なの。
見えたり、聞こえたり、味わえたり、笑えたり、いろいろできるこの身体が。
素っ裸になったときにこそ実感するな。
あいするひとたちを思うように、この身体をあいさなくっちゃな。
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11月22日(金)
図書館がおやすみなもので、きょうの午後は、家の近くのお茶屋さんで手紙を書いていた。
外で手紙を書くのは好きだ。
周囲のざわめき、誰かが吸っている憎たらしい煙草の煙、持って帰りたくなる洒落たコップ。ストローの入っていた長細い袋は昔からの癖でくしゃくしゃにしてしまった。
椅子の座り心地は良いほうがいいに越したことないんだけど、特別わるくなければ、普通でいい。
からだの外側では、世界はすこしもとどまることなくじわじわ動いていく。
それを横目で確かめながら、特定のあの人に伝えたい気持ちをなんとか言葉にしようとしている。
真夜中にひとりきり自分の底に沈みこみながら揺れてるのとはまたちがう楽しさがここにあるの。
帰り道がてら、ポストにも寄れるしね。
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11月21日(木)
毛糸の帽子を買った。
一目惚れだった。
赤と白の格子模様。
てっぺんだけ眺めると、まるであれ。紙風船みたい。妙にいじらしい帽子だ。
どうやら手編みらしい。
しかも、ネパール製。
さっきからこの帽子を撫でてはわたし、この帽子を編んだ人の手を想像している。
おばあさん? おじいさん? 女の子? 男の子? おなかの中に赤ちゃんのいるご婦人かもしれない。
きっと、わたしが今いるこの場所よりも、うんと空に近い場所でこの帽子は生まれた。
そう思うと、なんかね。
よりいっそう、いとおしくなるのよ。
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11月19日(火)
黒澤明監督の「醜聞(スキャンダル)」を観た。
なんてかなしい映画なのだろう。
かなしみが爆発しそうだ。
やさしくて、やさしくて、やさしくて、それに強さがあればいい。強さがないと。やさしくて、やさしくて、やさしくて、弱い人は、とてもかなしい。
子供のこころは残酷だけど濁っちゃいない。でも、一滴も汚れることなく大人になれる人なんて、本当、稀有なんだわ。
大体みんな、「大人」になるんだもの。
強さが足りなければ、狡さにすがってでも、なんとか大人になるんだもの。そうでなくちゃ、到底生きていけない。そういう世界なんだものここは。
かといっていったい誰が、きれいなまま死なずに生き続けているすべての人たちを責めることができるのでしょう。責めようと思った時点で自分もきれいなまま死ぬことができなかったうちの一人だと気づいてしまうはずだから。
しかたない。生きるってことは大事なことだから。
無垢なものをまるごと引き換えにしてでもいいくらい、生きるってことは大事なことなのだ。
世界は濁っている。でも世界を洗おうとなんか思わない。それ自体に美しさを見出せるような、せめて、そういう大人になりたいなと思う。
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11月18日(月)
きょうは、代々木公園で、お日さまの光をたっぷり浴びた。
からだが嬉しがってる。
赤や黄色や赤茶色の葉っぱが舞う、舞う、舞う。
噴水、水しぶき、カラスの鳴き声。家族連れに、寄り添う恋人たち、おしゃべりしてる若者。
その中でわたしと彼女は、はしゃいでいた。
風景に溶け込むことを望みながら風景と遊んでた。
「ねえ、きいて。わたしね、いよいよ××くんと付き合うことになったの」
数ヶ月前、彼女はわたしにそう告げた。××くん。それは、彼女がもう一年半以上も、思いを寄せていた男の子。
受話器越しにきこえてくる彼女の声には、幸せとしかいいようのないものがしっとりと滲んでいて、こちらがすこし泣けたくらいだ。
わたしは知っている。
××くんを思うことで、彼女は、半端じゃなく切ない気分を何百篇も味わってきた。
もちろん、切なさなんてものは本気で誰かを好きになった途端(相手が一筋縄じゃいかないような人であればあるほど)、避けては通れない気分なのだけど。っていうか避けて通ろうなんざお前人生ナメてるんじゃないかという勢いなんだけど。
でもやっぱ、際限なく切なさが続いていくだなんて、やってられないじゃない。耐え抜いた分はせめて、笑いたいもんじゃない。
落ち葉を拾う彼女にわたしはいった。
「今夜、空ではたくさんのお星さんが流れていくらしいよ。
懲りないねえ、11月」
すると彼女の顔がぱっと明るくなった。
「ほんとう? 知らなかった。見にいかなくちゃ…教えてくれてありがとう」
いい終わるまでには、頬が、ほんのり赤らんだ。
わたしたちの頭上にはうっすら飛行機雲。
今夜、いとおしい人とお星さんを見る彼女に幸あれ。
ついでにわたしにも幸あれ!
なあんてね。
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11月17日(日) 神様 その3
ああだこうだいってみたりしたけど、今夜はすごい気分。
なんていうのかな。
お恥ずかしながらわたし、ベートーヴェンの「第九」を、今夜生まれて初めて、ゆっくりじっくり聴いてみたんです。
そうしたらなんていうのかな、力が、みなぎる力が、おなかの底から溢れ出てくるのを体感してしまいました。
神さまの実在うんぬんは実はどうでもいい話なのかもしれない。
ましてやサンタクロースなんて。
自分を、自分という存在を、あますところなく感じ抜いてる感じ抜こうとしている、そういうときの、力がからだじゅうに満ちてくるという感じは、なんて素晴らしいのだろう。
人によっては神様だとかイエス様だとか、を信じる自分自身の気持ちに導かれ、こんなふうにからだじゅうに力がみなぎるのだろう。いいえ、これよりももっと。
そういうことなんだろうね、とりあえず。
だとすれば、人様の神様について下手に干渉することは、そうとう残酷な仕打ちなんだわ。
気をつけなくちゃ。
祝・初ベートーヴェン。
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11月16日(土) 神様 その2
つまりあれだ。
町の真ん中で、
「神さまなんていない!」と叫ぶのと、「サンタクロースなんていない!」と叫ぶのと。
どっちなんだろう。
より罪深いのは。
そんなの場所によるに決まってる。
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11月15日(金) 神様 その1
駅前を歩いていたら、
「聖しこの夜」が聞こえて来た。
賛美歌だとか、クリスマスツリーだとか、十字架だとかね。
そろそろそういう季節なのか。
イエスをたたえる歌を歌う聖歌隊が、駅前にやってくる季節なのか。
白いシャツ、紺色のリボン。
重なり合う美しい歌声。
やめてくれ、窒息しそう。
あんたはいったい誰なんだ。
つまりわたし、イエスのことを考えると胸がパンパンになるんだ。
神様についてちゃんと教わってこなかったツケなのかしら。
ちっくしょう。
でもいいや。
サンタクロースのことでも考えよう。コーラでも飲みながら赤の似合うキュートな太っちょさんのことを考えよう。あのひとについてなら顔も形もなんとなくわかるし、何より親しみがある。
でもなんだってあのひとはわざわざみんなに贈り物をあげるのだろう。
今夜は眠れないかもしれない。
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11月14日(木)
自分の中には、まだまだ全然遣ってない部分というか領域が、際限なく残っている。
そう思うと、なんかちょっと、どんどん潜っていきたくなっちゃうんだよね。
そう思うようになってからは、夢ひとつ見るのも、どうしようもなく楽しくなった。
わたしという海を冒険してるみたいで。
潜りすぎて、お日さまの照らすこの世界のことを忘れたりしないようにしなくちゃね。
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11月13日(水)
チャイナーズ飲み会。
きょうは、一緒に上海に留学していたみんなで集まった。
みんなっていっても来れなかった子もいるから、全部じゃないけれど。
みんなでいると、ラクチンだし、うっとりしっとり楽しいの。
心はすっかり素っ裸に近い状態だというのにだからといってみんなとは甘いばかりの関係じゃないなとも思う。
ひとりひとりがとても濃密なのだ。
下手すれば溶け込んでなくなっちゃいそうになるほど、みんな、強烈なものを持っている。それは「魅力」ということばひとつでは片付けられないような、イチバンあてはまることばを敢えて捜すならば「波動」といったようなもの。
だからこそ、ラクチンではあるけれど、ラクチンとはいえども、ひとりひとりからわたし、いつもあらゆることを感じてしまう。
みんなで過ごしたあとは、からだじゅうをふくよかな感情がぐるぐるとめぐる。
今夜ばっかりは無責任な願い事をとなえたい。
わたしのともだちがみんな、幸せ心地でいる瞬間たくさん持てますように。
もうみんな、じゅうぶん現実と闘っているのだから。
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11月12日(火)
さむいさむい、とばかり思い込んでちゃまだまだ甘いよ。
空気がそういっているような一日だった。
すっかり厚着を決め込んだというのに。でもまあいい。とおい国のとおい季節のように湿やかなこの空気きらいじゃないし。
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11月11日(月)
自分はまだまだ若いと思っていたけど、そう思い過ぎるのは止めにした。かといって自分が年老いていると思い始めたわけじゃない。
これからは、22歳という地点に自分はいるんだということ、なるべく忠実に意識したいと思うのだ。
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11月10日(日)
先日、「カッコーの巣の上で」を観た。
以来、ジャック・ニコルソンの顔の虜だ。
あの顔面には空恐ろしい野性味を感じる。そしてこれまた空恐ろしい色気を感じる。つまりジャック・ニコルソンの顔面を見てると確かだと思っていた足場が揺さぶられる。自分自身の精神が知らぬ間に濡れていくの感じる。
制御できない。この制御のできなさがまた怖い。知らずに濡れてしまうという怖さったらない。
おとといは「シャイニング」を観た。「カッコー」よりも少々年はとっていたが、それでもジャック・ニコルソンは恐ろしいほど色っぽかった。
(しかしあんなに怖い映画ははじめてだ。最初から最後まで不気味で不穏で不吉で一瞬たりとも緊張しないではいられなかった。
キューブリックはなんて恐ろしい人なんだろうといまさらながら思った)
実をいうとわたし、「カッコー」も「シャイニング」もうんと大昔から何度も何度も「観といたほうがいいよ」と言われていた。そのたび、それなら、と思うには思うのだけど、どうしても観るまでには踏み切れなかった。
なぜか?
ジャック・ニコルソンの顔が怖かったから。ビデオのジャケットにあるジャック・ニコルソンの顔写真を直視できなかったからだ。
それが今回、「カッコー」のミロス・ファマン監督が「アマデウス」を撮った監督であることを知って、それなら、と踏み切ったのだ。
結果、自分が長い間ジャック・ニコルソンを直視できなかったことは決して意味がなかったわけじゃないのだと知ったのだ。
わたしは薄々感じていたのに間違いない。自分は絶対にこの顔からただならぬ感情を引き出されてしまう。そうだ。きっとそう思っていた。危険を予知していたのだ。
明日あたり、「愛と追憶の日々」を観ようと思う。
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11月9日(土)
刹那に永遠を感じる才能、誰しもが持ってるはずだ。
わたしも持ってるはずだ。
いや、確かに持っていた。
椎名林檎が「明日くたばるかもしれない」と歌っていた頃までには、間違いなく。
どうして忘れていたのだろう。
本当に、「明日くたばるかもしれない」というのに。
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11月8日(金)
迷ったことはないけど、惑うことならしょっちゅうだ。
わたしが書く意味ってなんだろうって。そもそも、意味なんてあるのかって。
パソコンの画面に羅列した文字を眺め、だからなんなんだ、と。
だからわたしの書いたものを「見た」人が、わたしの書いたものによって、(ほんの雫一滴分でもいいから)心を潤した、という話を聞くと、わたし自身が泣いちゃう。照れくさい話だけど、毎回実に毎回、泣いちゃう。
書くことは、そうだ、とっくのとうにわたしの一部なんだなと思いなおす。そして、書き続けていくための覚悟が更新される。
いつまでも、おばあちゃんになっても、この気持ち忘れたくない。いつまでも泣いてたい。こういうとき。
*ベルリンにいるもっちゃんありがとうね!
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11月7日(木)
体調と機嫌がどうしてもすぐれないとき、隣のテーブルにカップルが座ったらひそかに思ってしまう。このふたりが、相当険悪な状態だったらいいのになあ。
だけどそういうときに限って、わたしの隣で恋人たちはたまらなく幸せそうだ。ちっ。
こんなふうに意地悪で残酷な自分もまた、実はそんなにキライじゃなかったりする。
困ったもんだ。
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11月6日(水)
ろうそくの炎、ゆらり。
右から、
愛、幸福、才能。
順番に象徴してる。
わたしにとってはすべて同じくらい大事なの。
これらを守るためなら、何をしたってかまわないわ。
そしてこれらのうち、どれかひとつでも燃え尽きそうになったら、いっそまとめて、全部。
この手で消してやる。
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11月5日(火)
きょうは、友達(♀)のお誕生日会だった。
知り合ってまだ一年ちょっとと日は浅いけど、お互いにあんなこともこんなことも恥らうことなく語りつくせる大事な友達だ。
そんな彼がお付き合いしているのは、
わたしにはまぶしすぎるってくらいの、あかるくて、やさしくって、もしも心(ハート)が目に見えるのだとしたら彼女のそれは間違いなくピカピカなんだろうなとか思う。
そういう女の子。
そんな彼女の呼びかけで、きょうは彼の誕生日会をやった。
とある町のとあるカフェで。
彼女は手作りのチーズケーキ、そしてシュークリームまで持参して。
彼の、中学時代の友達や高校時代の友達も一緒だ(もちろんわたしは彼らとは初対面)。
クラッカーを片手に、何にも知らない彼がやってくるのを待つ。
そう、彼は何にも知らなかった。
実はこれ、彼女の企てた秘密の計画だった。
一ヶ月前、彼女はいった。
「彼にとって大事なひとたちがぽっこりと集まる居心地の良い空間を彼のお誕生日にあげたいなって思うの」
きょう、クラッカーを鳴らしたわたしたちを呆然と眺めながら彼はいった。
「何が起きてるのかよくわかんないや。とりあえず、俺の人間関係の濃密な部分がすべてここに集結してるみたいだ」
彼女の、彼に対する極上の愛情表現の場に、自分も立ち会えたことが嬉しくて寒い夜なのにからだの内側がじんわりと温かい。
そしてわたしは、わたしにとっての極上の愛情表現について思いを馳せる。今夜彼女が彼にしたようなことなんてわたしには到底できない。でもわたしは彼女の彼に対する思いにも引けをとらない深い思いを自分が持っていないだなんて思わない。
それぞれの表現方法があるからね。
現在深夜一時少し過ぎ。
みんなと別れたあと、散歩に行くよ、といって笑っていたふたり。今頃、仲良くふわふわくっついているかなあ。そうだといいなあ。
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11月4日(月)
うちの大学のチャイムは、学生をなだめすかすかのような音色をしていると思った。
なんにも汚さずに生きていくのって、不可能なのね。どうしたってゴミは出るんだもの。参ったな。
(抽象的な意味なんかでは決してなく)人間はキレイじゃない。でも、キタナクもないはず。
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11月1日(金)
暦は霜月。
吐く息はとっくに白い。
おお、冬だな。
冬がまちがいなくここにいるな、と思う。
緩みきった心が、きゅっきゅっと引き締まっていく。
引き締めれば引き締めるほど、あったかいものにくるまってしあわせをかみ締めるあのしあわせが味える季節。
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