ON日記 12月
 

 

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12月31日(火)


成長したい。
成長したい、すくすくしたい。
いまといういまが、すっかり、こっ恥ずかしくなってしまうほどに。

この気持ちを胸に、いざ、2003年へ!

 

12月30日(月)


このごろ、目が曇ってきて、あせっている。
寒さに縮こまってるのは体だけじゃない、心もだ。

世界はどうせ広いんだ。
両手をのばしてまだ届かないからって、何であせってしまうのでしょう。

届かないから、いいのに。

もう一度夢を見ることから始めなくっちゃねえ。

 

12月29日(日)


あしたのことばかり考えていて、きょうが手に付かなかった。
いけないな、こんなんじゃ。
きょうを濃密に生きなくては。
ちゃんとしたあしたは永遠にやってこないのだ。

 

12月27日(金)


いい人たちといい時間をたっぷり味わったあとは、ポカポカするのです。ステキなオトナたちとたくさんしゃべったあとは、個人的な希望が湧くのです。

だから今夜はいい感じ。

でも今年はなんだか妙にあわただしくって(上海なんかに行っちゃうから)、会いたかった人たちとなかなか会えなくて寂しいな。
でも会えなくて寂しいな、と本気で思えるほど、すごく好きな友達が、けっこう増えてきたな。昔と比べれば、そりゃあもう、だいぶ。

そう思うと嬉しくもあるな。
わたしって、「隠れ人見知り」なもので…15歳までほとんど友達がいなかったんだもの。

 

12月26日(木)


わたしにもわからなかったわたしの遣い方を、いろんな人たちと関わってゆく中で、見つけてゆく。
いまは本当にそんな気分。
ひとりぼっちだったら、わからないようなことって絶対たくさんある。

この世には確かに、愛すべきひとがいて、愛すべき自分もいる。

知ってしまったんだもん。
どうしようもないね。
行くしかないね。

 

12月24日(火)

 

どっかおかしいんだ、わたし。
なんだかね、コブができてるみたい。しかも大きく膨らんじゃって、パンパンだ。

どうしてもっと上手に成長できないんだろうってかなしくもなるよ。
おなじところばかりが巨大化してゆく。ほんとうに大きくなって欲しいとこは、へこんだままなのに。

わたし、目をつぶってたのね。
見たくないとこ、見ないようにしてたのね。
自分でも気づかないくらい普通に。

ツケがまわってきたんだ。
そろそろパンパンなんだ。
針で刺されたらおしまいっぽいんだ。

いけない、いけない、こんなんじゃ。
こんなんじゃ大事なものを作ることはおろか、守ることも、ままならないったらありゃしない。

組み立てなおそう。
入れたり抜いたり、ちゃんとしてみよう。

少なくとも、成長することはできたんだもの。やれば絶対、できるはず。
願えば絶対、はじまるはず。


12/14〜12/21@上海

 

12月13日(金)

 

今年、たくさん一緒にいてたくさん分かち合ってたくさん仲良くなったトモダチがいる。
きょうは彼女とふたりで、おいしいおいしいものを食べた。
ちょっとお値段ははったけど、それはそれはとてもおいしくて、ほんとうに幸せだった。
好きなひとと、あたたかい部屋、それからおいしいゴハン。この3つがそろえば、幸せ度は無敵だ。

ジェイソンも、わたしたちの幸せには入り込めない。イエイ!

 

 

12月12日(木)

 

酷く寒い冬の日の昼下がり、空の水色に見惚れてる。その真っ只中にいたとき、どうしようかと思った。

ぶわあって、水が溢れてしまったような、からだじゅうでそんな気分がした。

浮かんでる雲、つやつやの空、葉っぱを少しだけ残した冬の木、足元の落ち葉。
歩いてゆく人たちはもちろん。
心無い人が道端に捨てていった吸殻や空き缶にすら、短い物語を感じてしまった。

なにもかもが、あるべき場所にあるんだというような気分。
その気分はわたしを励ます。
いま自分のいる場所が、いまの自分にとって必要な場所なんだよ。
そうだよね?

それからまた歩き続けてゆくと目に映る。
ぼろぼろに擦り切れたきのうかおとといのスポーツ新聞、身にまといながらベンチに寝転がる色の黒いおじさん。真夏からずっとそこにいた。
吹きさらしのベンチ、ほんとうにそこはあのおじさんのいまいるべき場所なの?


でも、おじさんを見ていると、どうしてだか、やさしい気持ちになるの。

あんな暮らしだというのにいつもひとりのあのおじさんは、何かを決定的にあきらめた、という強さを感じさせるの。

別にわたし、ヒッピー願望があるわけじゃないよ。だってわたしは大金持ちになることを、けがらわしいこととも思っていないし、願い過ぎてもいないはず。
ただ、何でもいいの。からだのなかに決定的な強さを秘めてる人から滲み出てくるものにはどうしても…感嘆してしまう。

 

きょうみたいな空に思わず見入ったときとおなじような気持ちになってしまう。


危ないことかもしれないけど、でもやさしい。

 

12月11日(水)

 

わたしは、わたしに幸せを感じさせようとすることに、余念がないみたいだ。

そのせいで不幸せだと感じるときの生のままのあの感情、しぶとくねばってなかなか受け入れない。

だからといって、
「わたしってなんて前向きなんだ」と驕るのは絶対いけない。

「前向き」ってことばに逃げ込み、闘うことを止したとき、「敵」はそこを狙ってくる。

いい?
終わらない日常なんてうそっぱち。
みんないつかはくたばるんだ。

 

 

12月10日(火)

 

夢うつつ、あたたかい部屋のなか。
ほんとうに寒くなったな。
冬だ。

冬ったら冬だ。

きのうは雪に足跡をつけて歩くのが楽しかった。さくさくっと靴の裏が埋まる感じがあいらしい。

でも手袋が濡れちゃうとあとあと大変だから両手はずっとダウンコートのポッケのなかだった。

冬だ。
冬を、すみずみまで味うのなら、もっと雪と遊ばなくちゃいけないかな。でもやっぱダメ。


こんだけ寒いと、やっぱ、お布団が気持ちよくてたまらない。
こうしてわたしは、冬の一角で満足しちゃうのです。

 

 

12月9日(月)

 

さむいと思っていたら、雪なんて降ってるんだもの。
今年は、季節のものの訪れが、いつもよりもはやいみたい。
桜が咲くのも早かった。

ともあれきょうは、あったかくして出かけなくちゃ。

 

 

12月7日(土)

 

最近、気持ちは「上海ベイベ」。
卒業アルバムを作るために、上海に行ったときのことを色んな人と思い出したり、考えたりしているからかしら。
あの、「みんなと一緒にした上海留学」については、思い出そのものの厚みがかなりのものだからか、いくら話していても飽きないみたいだ。

それにしても上海のことに限らず、思い出ってやつは、いま現在の自分の状態によって、いくらでも味や色が変わるように思えるのだけど。
不思議だな。
起きたことの中身は確固として変わらないっていうのに。

過去は決して動かない、だなんて思い込みすぎないほうがいいのかも。それこそ、ちっとも動けなくなっちゃう。

 

 

12月6日(金)

 

きょうは、頭のてっぺんから足の先まで、まるまるとっても楽しい一日だった。
よくわかったよ。
大声で笑うのって大切だ。

こういう日の夜って、からだはぐったりしてるのに、心はつやつやハリがある。
こういう日の夜って、眠たいのに寝たくない。

ああ。
きょうわたしを、たっぷり笑わせてくれたトモダチみんなのもとに、今夜、いい夢が訪れますように。

素直にそう思うの。

 

 

12月5日(木)

 

きょうみたいに暖かいと、安心する。安心して、ふらふら、さまよえる。
電車に乗り遅れないように。

車に轢かれないように。
おまわりさんに叱られないように。
おかずは残さないように。

トモダチをたのしませて、コイビトにやさしくして、家族に感謝して、朝起きたら窓を開けましょう。お布団はときどきお日様に当てましょう。

 

そうすればきっと、日々はほほ笑みかけてくれる。

 

 

12月4日(水)

 

わるい夢をみて、すこし混乱をした。この世界を、疑ってしまいそうになった。

正しいことって何かは、いまもってまだ、よくわからない。
ただ、もしかしたら自分は自分以外のだれの幸福も本気で願ったことがないのかな、と思うときほど、自分自身をもてあますときってない。

 

12月3日(火)

 

女性である、ということの果てしなさに目が眩みそう。

そして誇らしくなる。わたしは、自分を形作る重大な要素のうちのひとつ、女性であるということを、非常にあいしている。


きのうきょう、自覚したことではない。昔からしょっちゅう、これに似たおぼえは、あった。おぼろげだったけど、浮きつ沈みつ、この胸の水を漂っていた。

 

大きくなって、自分を知ってくればくるほど、それは明確になっていく。

 

いいなあ、わたし。わたしでよかったなあ。

 

 

12月2日(月)

 

ぎゅうっとつまってる。
日々の中にはいろいろなものが。
一週間前のことでも大昔みたい。
こういうのを待ってた。
この感覚を欲していた。
明日は、やってくる。
そのことの素晴らしさと痛ましさを、この両手できっちり握っていられる。

 

 

12月1日(日)

 

胃袋が求めたから、真夜中にバナナを食べた。
バナナは齧らなくちゃ甘くない。

でもいったい誰なの?
一番最初にバナナを齧ったのは?

そのときわたしは、初めてバナナを見たような気持ちになる。
初めてここにいるような気持ちになる。

生きてるってことの不思議さにクラクラすることがある。
このクラクラこそが生命力のしっぽなんだなと思ったりもする。