ON日記 1月

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1月31日(金) 

午前1時半。
「ハローグッバイ」(BYザ・ビートルズ)をヘッドフォンで聴いている。


人生はハローグッバイの繰り返し。……それとも人生全体がハローグッバイなの?

 

しょっぱいのに、あかるい。
今の気持ちは。

 


1月30日(木) 

目先のことに対し、少々、鈍感かもな、最近は。
いやあね、不感症は。
ちょっとのことでも、くすぐったがっていたことだってかつてはあったのに。

ふと気づいたけど、
ものすごーく大きな、あるだけでそりゃあもう大きな、そういう状態に、やんごとなく焦がれてる自分がいる。
ちっちゃなことが積み重なってこそ、そこへ到達するってこと、忘れかけてるわ、わたし。

ちっちゃいけどひとつひとつ大切なこと。


いちいち、しっかり抱きしめようと思う。


1月29日(水) 

からだとこころってやっぱりつながってる。
からだを泣かしながら心は笑っていたのにとうとう嗚咽を漏らしてる。

いかん、いかん。
なんとかせにゃあな。


1月28日(火) 

際限なくなってゆく。
欲深になってゆく。
まだまだ欲する。
これはいったいどこから?
わたしはいったい、どこまで?

ただでさえ、いらないものが多すぎる。ゴミをなくすのは無理だけど、ゴミみたいなものは、なるべく出さないようにしないと。いいえ、絶対的に出したくないの。

切実に思う。


1月26日(日) 

夕方のテレビニュース。
台北から飛んだ飛行機が上海に着いたっていうニュース。
見てたら、つい、じんとしちゃった。

台湾と中国のあいだを結ぶ直行便って政治上の関係で実はないのだ。

今回は春節(中国文化におけるお正月)が近いから特別らしい。

はやく台湾と中国のあいだを自由に行き来できるようになるといいな。



1月24日(金) タレ目は常識

夜明けのブルースばっかり聴いていたわたしだけど、きのうからビートルズのYou Know  My nameばっかり聴いてます。
これ、大好き。
いま世界中でかかっているどの歌よりも大好きかもしんない。
この歌をはじめて聴いたのは高校生のころで、そのときから大好きだった。
しかし、そのころのわたし、ビートルズの顔の区別もつかなかった。ビートルズ大好き少女のあだっちゃんにことあるごとに「ぬきうち試験」をされていた。

「はい、これは?」
「…リンゴ?」
「ちがう!」
「じゃあ、…ジョン?」
「よくみてよ、タレ目でしょう??」
「ジョ、ジョージ?」
「何度言えばわかるの? タレ目といったらポールでしょ!」
「そ、そうだった」

こんなわたしが、いまじゃ、部屋に、ジョンのポスターをはってあるんだから、わからないわね。

そうだ、あだっちゃんに手紙を書こう。


ちなみにあだっちゃんは昨年11月のポール来日公演のライブを見て感涙にむせっていました。


1月23日(木)

まじめなのよ、わたし。
なるたけ精一杯、心を込めて日々を過ごしてきました。
そのおかげで、自分のこと心から好きだと思えるようになった。
しょうもないなって思うってことは多いけど。そのたびくよくよするけど。

でもね、はっきりわかった。
基本ラインが引かれてる。
そこに戻れば、わたしは、わたしにやさしい。好きなのよ。

心から欲せば、望めば、願えば、それゆえ苦労もあるけど、得るものは大きい。

昔のひとはいったものね。
いまやっとその感覚が、わかりかけてきた。

遠くのほうにいてかすんでいた自分が輪郭を見せはじめてる。

まだまだひよっこのわたし、これからの日々もまじめに心を込めていこう、これを貫こうと決めました。

たくさんの些細なできごとひとつひとつに感謝しながら。

 


1月22日(水)

わたしも、自分は90パーセント劣等感でできてると思う。小さい頃はなんとか自分を周囲に認めてもらいたくて、わざと目立とうとしたりおかしなことをしようとしてた。そのわりには誰にも見られないですむ何もないところにじっととどまっていられたら、なんて素晴らしいのだろうと思ってた。

あれなのね。
自分で自分を強く肯定できる部分は周囲にもおなじように肯定して欲しくてしょうがなかった。だけど自分でも目をつぶりたくなるほど自分の中のどうしようもない否定的な部分はこの世のほかの誰にも見られたくなかった。隠したかった。
ちいさい頃にくらべ、いまのほうがずっと楽なのは、いまのわたしにはわたしを自覚する能力がそこそこ備わってきたからだ。

すみずみにまで劣等感が行き渡っていたからこそ、わたしは人生のいろんなことをはやい段階であきらめることができた。
そしてそのおかげで、ほんのわずかではあるけど、自分でも自分をスゴイって思える部分を、暗闇の中でたったひとつのろうそくの炎を守るように大切にしていけるなあって思う。

いまはもう、わざと大きな声でふざけないよ。そして穴倉の中にも隠れたりしない。

ときどきは、やるかもしれないけど。

 

 

1月16〜21日まで休業させていただいてました。

 

1月14日(火) 


こてんぱんにはまだ遠い。
わたしの世界は必ずわたしの味方だ。
そう思うと、なんだって起こるべくして起きたように思えるからふしぎ。
夢みるように、人生を行こう。

 

1月12日(日) 


きょうは母に、おばあちゃんやおじいちゃんの若い頃の話を聞かせてもらった。
時代が時代だけに、いろいろ、苦労した彼らの世代を思うと、敬意の念がじんわりと湧き上がる。
また場所が場所だけに(台湾)、歴史の流れに翻弄されてきた彼らを思うと、とてもじゃないけど、何かで確実に敵わないなとも思う。
母がわたしに話してくれるようなことは、それでも、おばあちゃんやおじいちゃんにとっては「生」のほんの一部分のとこでしかないだろう。

ああ、彼らの行い、営み、つづいてつづいて、「わたし」という点が打たれた。彼らにとって遠い未来だった時間に、はるかなる世界だった空間に、存在するわたし。

わたしはわたしひとりのからだを生きてるだけじゃないんだというような気持ちになる。
誰だってそうだ。
えいえんを含み、ここにいるのだ。

自分、大切にしなくちゃね。

 

1月11日(土) 


いい天気の中、歩いてると、それだけで気持ちいいや。
男の人が、ひなたばかりを選んで歩き続けるCMを最近見かけたけど、あの気持ちだね。
ひかりって、ただ浴びていたいときがあるんだよね。

そしてまた夜がくる。
今夜もがんばりましょう。

 

1月10日(金) 


わけもなくブルーになるときって、あるものだ。
わたしもいっちょ前のオトナみたいなこと思うようになったな。
でもさ、これって、オトナのブルーというよりも、思春期のブルーなの。

全否定と全肯定の繰り返し。
わたしみたいのが社会で生きてくのって、すごいワルイことのような気がしちゃう。
反面、社会を飛び越えることくらいわたしには簡単なような気も。
どっちもそうとうな被害妄想(誇大妄想)なんだけどね。

ブルーになるのには十分な理由なんだ。

いままでもしょっちゅうあった。

わたしってもしかして、いつまでもいつまでも、思春期から抜けきれないんじゃって思うこともある。


だけど世界はくるくる動くし、朝ごはんは美味しかったし、他人はいちいちわたしを気にせずそのひとの世界を生きていく。

たまにはブルーにもなっとかないとね。
ちゃんと笑うのには、そうあるべきなんだと知っているあたり、ホンモノの思春期時代と比べればすこしはオトナに近づいたような気がする。
と自分をほめておこうと思う。

 

1月9日(木) 


昼夜はまっさかさま。
このごろのわたしときたら、夜じゅう起きていて、昼まで寝てる。
夜のほうがあたまが冴えて、いろいろいいのよね。
といっても街に繰り出して遊ぶとか、そういうしゃれたことに精を出してるわけじゃないんだけど。
夜、カチャカチャとキーボード打って、気づくといつのまにか朝なの。
今年入ってから、もう、7回分くらいは、白々と明けてゆく空を見てしまったものね。
さて、夕べも、そんなふうに朝を迎えてしまい、そろそろ眠ろうとした。
そしたらいい匂いが漂うの。家の中を。
時計は七時過ぎ。
高校生の妹が起きだして、学校へ行く時間だったのだ。
いい匂いは彼女の朝ごはんの匂い。
思わず母に頼んで、わたしの分も作ってもらっちゃった。
スクランブルエッグに、こんがり焼けたトースト。
美味しかった。
朝の光が、家に注ぎ込み、やわらかくてまぶしかった。
寝ぼけた頭でわたし、スクランブルエッグの味に感動してしまった。
ただ、美味しいんじゃないの。
なんか強烈に幸福だなあって思ってしまったの。

そして、幸福を実感している瞬間の自分こそが、本来の自分なんだ、みたいな気持ちになった。
うんと小さな頃はこういう状態が当たり前だったのだ、きっと。

うわーお。目に映るすべてのものに敬愛の情を示したい!
とすら思った。

おなかいっぱいになって布団にもぐりこんであと数秒で眠りに落ちる前に、今朝の朝ごはんのことを絶対に忘れないようにしようって決めた。

 

1月8日(水) 


きょうは学校。
友だちに会った。
うれしくて楽しかった。

みんな、その子だけのスゴイところを持っていて、わたしはいつも、さんざん楽しんだあげく、いろんなひとのスゴイところ、ちょっとずつ感じて、すごく元気になっている。

卒業がすぐそこに迫ってるだなんて、殺生やなあ、と思ったりもする。
だからこそ、春までの一回一回、大切にしたいなあ、とも思うのよ。

なんだか高校生(もしかして中学生?)の言うことみたいだけど、心底思うのよ。22歳。

 

1月6日(月) 


わたしは、俯瞰するということを覚えたての、ぎこちないひとりのひと。
わたしは、わたしの中に、いろいろいれたい。
でもその前に、
いれてもいれても、いっぱいにならないくらいの大きなわたしがほしい。

満ち足りてしまうことを、恐れるのは哀しいから。
満ち足らないことを、もどかしがるほうが、きっと、いいのだ。

大きくしなきゃ。
大きく。

 

1月5日(日) 


明るんできた空ってなんかいい。

暗いところがあかるくなってゆくのを見ていると、うれしくなるの。
いまはそういう心境だ。
夜のなかでじっとしていたいときもあるけれど。

動いてゆくのって、いいな。

あれこれ考えることに精を出すのも大事だけど、あれこれ感じることを忘れちゃダメなのねえ、きっと。

 

1月2日(木) 


やっぱり、こうして生きてると、
褒められたいし、認められたいし、
愛されたいと思う。
でも、
褒めたいし、認めたいし、愛したいとも強く強く思うきょうこのごろ。

満たされることは満たすことなくしては成り立たないんだって、実感したのだ。

シンプル。
今年はシンプルがいい。

 

1月1日(水) 


たくさん笑いたいね、今年も。
たくさん食べて、たくさん眠って、たくさん愛したい。
ムツカシイこともいいけど、ごくごく基本的なことを大切にしていたい。

心をこめて感じたい。
あたたかい風が吹いたら、にっこりしたい。