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5月31日(土)
きょうはなんという雨なのだろう。
水槽がひっくりかえっちゃったみたいだ。すごく大きな水槽がいくつもいくつも。
まるで、
泣きたい気持ちをこらえつづけていたひとみたい。
そして五月も終わりだ。
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5月30日(金)
彼女は、ひまわりに似ている。
彼女と会うのはものすごく久しぶりだったけど、
わたしも、いちにちじゅう
ひまわりになったみたいだった。
腹の底から笑ったり、お皿のケーキを最後のかけらまで「おいしい!」って味わったり、目に映るもの、耳に届くもの、手で触れられるもの、すべてがいちいち、いとおしいような、
そういう感じの気分。
16歳のとき、こんな夢があるの、って言い合って、高校を卒業してから5年が経った。
彼女は、彼女の夢を膨らませつづけてる。
好きなだけじゃダメなんだということを知ってしまったあとも、
あかるいほうを見つめることをやめない。
やめられない?
ほんとうにひまわりだ。
夢も、愛も、絆も、人間も、
愛でれば笑うよ。
そういうこと、思い出した。
彼女が思い出させてくれた。
そういう一日だった。
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5月29日(木)
きのう、
一家心中をはかってそれに失敗した男の人の裁判のニュースを見た。
一家といっても、彼と、彼のふたりの幼い娘ふたり。彼の奥さんは病気で既に亡くなっていた。
奥さんが亡くなってから、彼は、とてもたくさん働いたという。娘ふたりを食べさせるために、とてもたくさん働いたという。
だけど体重が減った。寝る時間も減った。
きっとくたびれ果ててたのだろう。
そして思い出した。
生前の奥さんとの会話。
「わたしが死んだらどうする?」
奥さんが尋ねる。
「俺も一緒に行くよ」
そう応えた。
すると、奥さんは、病床で嬉しそうな顔をした。
それを思い出したのだ。
彼は、奥さんのいるところへ、奥さんが笑っているところへ、いっしょに、行こうと決めた。
もちろんわたしは詳しいことを知らない。
でもわたしは無責任に想像する。
彼は、彼にとって、そちらに行くことは、えいえんの楽土へと辿りつくことと重なったんじゃないかなって思う。
そして無責任ついでに想像をつづけてみれば、
わたしは、彼は、娘たちを、心から愛していたのだと思わずにいられない。
そうでなかったら、彼は、ひとりだけ楽になろうとしたんじゃないかな。ひとりだけで愛する妻の待つえいえんの楽土へ行こうとしたんじゃないかな。
…どうしてだろう、思わずにいられない。
だけど、彼は、生き残った。ひとりの娘も生き残った。
こんなことってあるのだろうか。
こんな、まじりけのない哀しみ。
彼は生き残った。
彼は生きている。
その「限りなさ」ったらない。
彼について考えていたら、
生きるということの偶然性が身に沁みて沁みて狂おしくなった。
それとも偶然に見せかけた必然なのだろうか。
いずれにしろ、狂おしくてしょうがない。
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5月28日(水)
ふたりきりになった。
そのときわたしは、目の前にいるそのひとみたいになる。
もちろん、全部が全部というわけじゃない。
わたしの中の一部が、じんわりと、そのひとのようになる。
そういうときは、
わたしひとり分のものじゃないような奥行きを自分の中に感じて嬉しくなる。
わたしは、だれかのように優しいけれど、だれかのようにとても意地悪で残酷だ。
そう思うと、自分にも、自分以外のすべてのひとにも、
もっとやさしくしたくなる。
ふたりきりじゃないときも、なるべく、わたしはわたしでないひとの中にあるわたしを見つめたいと思う。
世の中は、ひとりだけのものではなく、みんなのものだからね。
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5月27日(火)
きょうの授業で発表するときにつかう原稿を仕上げたとき、外はもう明るかった。
このごろ夜の明けるのが早くなって気づくといつも空が白々としている。
「明けない夜はない」なんていうひとは今でもいるのかな。
朝のほうが素晴らしいというような言い分、いつもいつも通用するわけじゃない。
いつまでもいつまでも夜の底に身をひそめていたいときだってあるんだから。
屈めていたからだを起こし朝を受け入れなくてはならない。
その感覚、もう何回、重ねてきた?
完成した原稿を保存して、コンピューターの電源を切ったあと、朝にまじって雨の音が聞こえた。
そういえば、空はあかるく、白い。垂れる雨の音はやわらかい。
その音を聞いていたら、なんとなく安らいで、なんとなく心やさしく、朝を受け入れることができた。
ふしぎだな。
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5月26日(月)
ことしは、もうこんなに5月なのに、涼しい日がつづくね。
寝不足だからかな。
きょうはあたまの中が曇りがちだった。
明日は晴れるといいなあ。
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5月24日(土)
孫さんは、沖縄と中国の問題に取り組んでいる中国人女性だ。大学でも教えている。
いまから十年以上前、孫さんは、派遣留学生として日本にやってきた。派遣先は沖縄だった。
こちらに来たばかりのあるとき、孫さんは、沖縄生まれ沖縄育ちの学生たちに、『中国人である先生から見てわたしたちは何人なの?』と聞かれた。日本に来たばかりの孫さんは彼女たちにむかって、こう応えるしかなかったという。
『わたしは日本に来るつもりでこの沖縄に来た。だからわたしにとってあなたたちはまぎれもなく日本人よ』
すると孫さんの学生たちはすごく嬉しそうな安心したような顔をした。
また別のあるとき、別の沖縄生まれ沖縄育ちの学生におなじことを訊かれておなじように応えたら、今度は激しく抗議されたという。
『先生、わたしたちはヤマトンチュになんてなりたくないの。一緒にされたくないの。わたしたちはウチナンチュなの』
この揺れはなんなのだろう。
孫さんは思ったという。
この、アイデンティティーに対する振幅はなんだろう、と。
孫さんの話を聞いていたわたしは、思わず、泣き出しそうになってしまった。
孫さんの話の中に出てくる沖縄の子たち。日本人といわれて安堵する側、日本人といわれて憤慨する側。そのどちらの心境も、わたしには、痛々しいほど、よくわかった。
彼女たちは真っ向から違っているようで、実はひとつだ。
どちらであろうとなかろうと、彼女たちは、彼女たちだ。
なのに彼女たちは、いつのまにか、選択肢を与えられている。
選ばないでいることだってほんとうはできるはずなのに、何者かによって選ばなくてはいけないような気持ちにさせられる。
そして、選べる、ということを強みに置換させられるときが来るまで、極端としかいいようのない反応を繰り返してしまうのだ。
わたしは自分がいまも辿っている真っ最中のその過程を、孫さんの話の中に出てくる沖縄の女の子たちに見て、感情移入してしまったのにちがいない。
でなければ、泣けたりなどしない。
やさしく、たおやかな日本語で語る孫さんの口調からは、沖縄への愛情のようなものを感じ取れた。
孫さんは、沖縄に触れることによって、自分自身の中国人としてのアイデンティティーも見つけられたという。
あたたかみを帯びた孫さんの笑顔はとてもきれいだった。
揺れてる「場所」が教えてくれることは、きっと、とても多いんだろう。わたしは揺れてる自分の中に潜ることをこのまま続けたいなぁ、なんて。
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5月23日(金)
このごろ、沖縄のユタと呼ばれる巫女さんのところには、
「自分はどのような先祖につながるのか。そしてそのひとと会わせてほしい」
という内容の相談をしに行くひとが多いらしい。
相談するひとたちのほとんどが沖縄の離島に暮らすひとびとだという。そしてそのひとたちの暮らしている島というのは過疎化がすすみ伝統的な祭 がほぼ行われなくなっているところなのである。
昔昔、その島は、海からの神様を迎えるために村中ひとつになってお祭りをした。そして島中の老若男女が自分たちは先祖代々おなじ神様に守られおなじふうに生まれ死んでゆくのだと信じていた。
だから、
だれもが村のほかの仲間との横のつながり、そしてご先祖さまとの縦のつながりを、感じることができたのだ。
それはそのまんま、自分はひとりぽっちじゃないという実感が持てた
わたしは、ユタに自分のご先祖さまのことをたずねるひとたちの気持ちがとってもよくわかる。
こんなこと書くとごく深刻そうだけれど、生きる意味だとか自分がこの世にいるための理由だとかを真剣に考えて考えてけっきょくいつも堂々巡りになってしまう…そういう時期をわたしも何度か過ごしてきたのだ。
まるで自分がなにもかもから切り離されてるような、孤独感に見舞われることも16、7歳の頃はしょっちゅうだった。
わたしは東京で育ったのだけど、東京っていうのはそっけないように見えて実はひどくやさしく寛容な町なんだと思う。
あらゆるものが淡々と寝そべっていて、そのうちの、どれに触れてもいいようにできている。どれを選んでも捨ててもまた選んでも、東京は、わたしを咎めない。わたしに関わらない。
しかも、
ビルの窓ガラスに映し出された夕焼けの色はきれいだし。
だけども、この東京では、ときどき、足元がおぼつかなくなる。
自分が「ここ」に「いる」ということ、それを自分で選んだのか、それとも選ばされたのかわからなくなる。
東京はなんにもいってこない。
あの島だったら。
島ごと語りかけてくるのだろう。わたしが誰か、とか、何か、とか、そこに何故いるのか、とか。
自分が何とつながっているのか、迷うすきなどないのだろう。
かつてのあの島だったら。
でもわたしはそこにいない。
永遠にそこにはいないわたしが今確かに言えることといえば、
自分が誰だ、とか、何か、とかに対する答えなんて、そんなもの、そう簡単に、ひとつに絞れないのだということ。
そんなことできるわけがない。
自分を持っていないのとはちがう。
おなじ自分でも、見る位置や語る位置によって、アイデンティティーは、いくらでも揺らぐ。
だけども、自分という存在が大昔から連綿とつづいてきた先祖代々のもっとも先っぽにあるってことだけは「揺るぎのない」事実なのかもしれない。
おかあさんおとうさんおばあちゃんおじいちゃんひいおばあちゃんひいおじいちゃん…連綿とつづくずっとずっと先にはわたしのわたしたちのほんとうの「ふるさと」があるのかもなあ。
そう思ったら、なんだか、自分は、ぜったいに「ひとりぽっち」なんかではないんだと気づく。
具体的な形をとっているわけではないけれど、想像することでしか感じられないけれど、わたしたちは皆、「ふるさと」とつながっているのだ。そうでなくちゃ、こうして立っていることもできない。息をすることも。
そう思ったとき、わたしは悟ったの。これからもわたし、揺れ続けるだろう。でももう自分の中には確実に揺れないものも存在しているんだということを覚えてしまったんだ。
東京で、だって。
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5月22日(木)
最近のわたしときたら、まるで逃げ場がなくなっちゃったひとみたいに、うんとせせこましい。
最近の傾向としてわたしは、あらゆるものが自分を消そうとしてるんじゃないかと思い込みビクビクしてる。だから、先回りして、自分はここにいるよ、ってことを大声でわめいてる。
消されてたまるかってわめいてる。
みっともないわ、みっともない。
ちっちゃな子が注目を浴びたくて叫んでるのと変わらない。
もう大きいのに、おんなじことをしてるだなんて、みっともないわ。
わたしも、わたしも、って主張するのやめて、そうだ、わたしを失くしちゃいたい。
今すぐ、無我の境地へ。涅槃の域に達したい!
というのは言いすぎですが(ちょっと本気だけど)、…もっと風景にそのまんま溶け込めたらなあ。植物みたいに。しずかに呼吸するの。
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5月21日(水)
こっこの「がじゅまるの樹」をヘッドフォンで聴きながら、
また泣きそうになったら心地よかった。
おかあさんのおなかの中で、生まれるまでの十ヶ月間、だれもがみんな、幸福な浮遊感を味わっていた。
そういうことを考えさせてしまうメロディーね。
おやすみなさい。
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5月20日(火)
あのお医者さんはたまたまだったのだ。
軽はずみだったとは思うけど。
台湾のひとびとには、お年寄りから若者まで、日本好きなひとが多い。
わたしの去年亡くなったばかりの大おじいちゃんも日本に来るのが大好きだった。日本にいると、懐かしい気持ちになるんだという。大柄な大おじいちゃんは日本の我が家に滞在するたび、杖をついて下駄で、そこらじゅうを散歩していた。
頑固で、へヴィースモーカーで、口の悪い大おじいちゃんは、親戚のあいだではちょっと困ったひとだったけど、日本に遊びにくることが何よりの楽しみだったそうで、うちに来るたび、いつも機嫌がよくて、「日本育ち」のわたしや妹を可愛がってくれた。
台湾のいとこたちも、日本で、特に東京・原宿が好きだ。
今、台湾の若いひとたちの間では、日本のテレビドラマやマンガなどが大人気で(わたしの七歳の従弟までがスマップの木村拓哉を知っているというのだから驚きだ)、「可愛い」という日本語まで「カワイイ」といって流行語になったくらいである。
もちろん全部が全部そうではないと思うけれど、一般的にいって、台湾のひとびとにとって日本は「憧れの土地」なのだ。
日本に遊びに来ることが、台湾の多くのひとにとっては、ものすごく楽しみで特別な休暇の過ごし方だったりするのだ。
あのお医者さんもそのひとりだったのだろう。
仕事に追われて、やっとお休みになって、日本で楽しい休暇を過ごしにきたのだ。
だからといって彼の行動が全面的に肯定したいわけじゃない。お医者さんのくせに、といったらあれかもしれないが、お医者さんなのに、あのびょうきのことに関して無頓着すぎたのはまちがいない。
いくら日本にいるあいだはあのびょうきであったことを知らなかった、気づかなかった、といっても、ちょっと呑気すぎた。
台湾、という単語が連日テレビや新聞で聞こえてくる。
幸い、あのお医者さんによってあのびょうきに感染したひとはいないようだけど、
わたしも母も、このごろ、ニュースを見るのがいきぐるしい。
台湾人旅行者の受け入れを規制するとか、台湾に対して日本政府が抗議の意向だとか、そんなのは、当然のことだと思う。当たり前のことだと思う。
とりかえしのつかないことになっていたかもしれないのだ。
ただね、テレビやニュースからこんなにもたくさん「台湾」っていう単語が聞こえてくるなんて、すこし前からするとまったく不思議で、そしてその理由がこんなことだなんて、とっても皮肉だなあって思う。
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5月19日(月)
きのうは眠らなかった。
眠れなかったわけではないけれど、明日の授業の準備をしているうちに、どんどん時間が過ぎ、夜が明け、眠る気がなくなったのだ。
ちょうど1限から授業だったし、寝ないでそのまま行くことにしたのだ。完徹で一日を過ごすのは実はきょうがはじめてのようなものだった。
くたびれた脳みそが感知するこの世界はふだんよりも全体的に淡い色をしていると思った。
小雨にうっすら濡らされた町を歩いていると、水気を帯びた木々の緑色が目に沁みた。
色々考えなくてはならないことだとか、不安なことが、あるような気がするのに、くたびれた脳みそはやわらかくそしてはっきりと、それを拒否する。
おかげできょうは、罪深いほど、気楽だった。
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5月18日(日)
叔母が母に言ったそうだ。
「お姉ちゃん、あなた周りのひとに自分が台湾人だってこと言わないようにしなさいよ」
先日、日本にきていた台湾のお医者さんが例の肺炎にかかっているということが発覚して以来、この国もずいぶんとぴりぴりしてる。
母が嘆く。
「そのひと、お医者さんなのに、ずいぶんと軽はずみね」
わたしもそれには同感する。
ほんとうに軽はずみだ。
彼がしてしまったことは、
肺炎をこちらに持ってきてしまったかもしれない…ということのみではないのだ。
わたしは2歳の頃から日本にいる。21年間、台湾人だからといってヘンなふうに見られた経験はないに等しい。
小学校5年生のときに、クラスの男の子ふたりとケンカして泣いていたら、その子たちが「台湾人ってすげえ怒りっぽいんだな」と話しているのが聞こえてきて、強烈に傷ついたことがある。担任の先生の真剣なはからいで彼らとはすぐ仲直りしたけど。
それくらいだ。
肺炎は怖い。
でも、もっと、怖いのは、
差別と偏見だ。
ある人物のある属性が、他の人物の恐怖に裏付けられた敵意を促し得るという可能性。
わたしはそれを心底恐れている。
今回ばかりの話ではない。
わたしはひとを見た目で判断することは悪いことではないと思う。
大体において、見た目は多くを語るからだ。
だけど、
…なんといったらいいのか。
正直に白状すれば、わたしは、21年間、この国で暮らしてきて、自分はとても恵まれてきたと思う。
出会うひと、出会うひと皆、わたしをわたしとして見てくれたから。
好いてくれるときも、呆れられるときも、どんなときも、わたしの周囲にいたひとたちは大人も同年代のひとも含め、わたしをわたしとして見たうえで、好いたり呆れたり腹を立てたりしてきた。
とわたしに感じさせた。
長いこと、わたしはそれを当たり前のことだと思ってきた。
だけど、
…そうでないこともある。
わたしはこの不安と、この恐ろしさを忘れないようにしたい。今回のパターンに限った話じゃない。
このような不安と恐ろしさを絶えず抱いて生きているひとびとは世界中にいる。そしてそのようなひとびとは大体において大多数から見て小数である立場なのだ。
自分が大多数であるとき、わたしたちは少数である立場にあるもののことを忘れがちになる。
鈍感になる。
ああ。今日もまたうまく書けなかった。
わたしが今思っていることは、要約すればこうだ。
理不尽なことで傷つきたくないし、無意識にひとを傷つけたくない。
こんなの所詮、奇麗事なのだろうか。
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5月17日(土) みんなでランチ
働き始めた何人かの友だちから名刺をもらう。
見慣れた名前が厳かに刷られているのを見ると、なんだかこそばゆい。
かっこいいぞ、新社会人!
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5月16日(金) ぴゃん子
昨日、
知らない番号からかかってきた電話に出てみると、聞こえてきた。
「ぴゃん子!」
すっとんきょうなこの呼び名は、わたしの小学生の頃のあだ名だ。
「うわーー!! ××ちゃん!!」
懐かしい友だちからの電話だった。
「すこし遅れたけどお誕生日おめでとう!」
彼女がいう。
まじかよ、と思ってるうちに、涙ぐむ(わたしはほんとうにこういうとき涙もろい)。
ずいぶんと久しぶりのはずなのに、一言話した段階で、わたしも彼女も弾けるように笑っていた。
「なんだか、久しぶりなのに久しぶりな感じがしないねえ」
「そうだねえ、ずいぶんむかーしから知ってるもんねえ」
彼女とは小学校・中学校のみならず、幼稚園も一緒だった。
五歳のときの彼女のこと、覚えてる。すごく活発でいつもにこにこしながらあちこち駆け回っていた。対するわたしは、昔からトロくって運動が苦手だったから、みんなが幼稚園の庭を駆け回るあいだクレヨンで絵を描いてばっかりいた(それしかできなかったので)。彼女はそんなわたしの描く絵をなぜかとても気に入ってくれてときどきすごいねえって話しかけてくれたと思う。
小学校にあがっても、彼女はやっぱり明るくて活発だった。だけど幼稚園のときに比べて、うんとオシャレさんになった。気が強くって男の子たちにも一目置かれていた(恐れられていた)彼女は、根は優しくて、誰かと誰かがケンカして泣き出すと真っ先に慰めていた。
小学校低学年の頃のわたしは体育も苦手だったし給食も好き嫌いが多くて残してばかりだったし、男の子と喋るのも怖かったし、とにかく劣等感のかたまりのような状態で、自分も彼女みたいな女の子だったらなあ、なんて思うことがしょっちゅうあった。彼女以外のいろんな子にもいちいちあこがれていたような気がする。
(「ぴゃん子」というすっとんきょうなあだ名はこの頃、仲良しだった女の子がつけてくれた)。
高学年になると、林間学校でお互いの好きな男の子を言い合ったり、お約束どおり恋に恋する時期をともに過ごした記憶がある。
中学校にあがっても、お互い、つかず離れずで仲良くやっていた。今思い出してみても、中学校のときのわたしは、神経症的なほど、自分の中に自分のみの問題を抱え込んでいて、ひとを思いやるような余裕なんてまったくなくて、中学時代なんてみんなそんなもんさ、と言ってくれるひともあるけれど、わたしはやっぱりそこのとこ思い出すだけで恥ずかしい。
そんな精神的引きこもりだったわたしは、今でも、彼女やほかのあのころそばにいてくれた友だちのことを思うと胸が痛くなる。あのころ、わたしはたったひとりの友人にも、心からの思いやりとやさしさで接することができなかったと思っている。
わたしは、だれのことも「友だち」と呼べないと思ってた。それはきっとだれもわたしを心から「友だち」と思ってくれてはいないだろうって、そう思っていたから。
それでも卒業式の日、式が終わったあと彼女と顔を見合わせたとたん、わたしたちは、長い間ありがとうね、と泣いてたんだ。
「ぴゃん子、どんな小説書くの?」
卒業後だったのかな。彼女とゴハン食べるときにたずねられた。
「うーん。恋愛小説かな?」
というと、そうなんだ、といって、なんだか照れくさいからわたしのほうから吹き出してしまった。
15歳で別の道に別れ、今年で8年。
8年のあいだも、そう頻繁ではないけれど、何度か彼女と一緒に遊んだ。疎遠になっていったけど、それでも年に一回は連絡を取り合った。
わたしがわたしに対し最低限の自信をつけるまでの数年間、わたしはやっぱり、どこかで、彼女のことをはっきりと「友だち」と呼ぶことをためらうところがあった。
自分は彼女に何をしてあげられるの?って。
彼女に限らず、わたしはある期間、誰にたいしてもそういうことを思っていた。友だちというのは自分が身も心も捧げられるようなひとでなくてはならないと思い込んでいた。そして誰にたいしてもそういう勇気がもてない自分がいやだった。
目が覚めたのは、他の誰でもないわたし自身が「友だち」に対し、そんなことちっとも望んでいないと気がついてからだった。
それは、わたし自身が欠陥だらけの自分をまるごと肯定できるようになった時期とうっすら重なり合う。
わたしは「友情」に関してばかみたいに完璧を求めてた。だれも、そんなこと望んでないの。一緒にいることに宿命的な意味を求め合うような関係なんて稀なんだ。
なんとなく、好いてる。
なんとなく、好いていてくれてる。
それさえあれば、誰とだって、「友だち」になれるんだ。
今では、欠陥だらけのわたしをなぜかなんとなく好いてくれるすべてのひとがわたしの大事な大事な「友だち」たちなんだと思える。
「あたしは相変わらずパッパラパアだよー」
と昔懐かしいハリのある明るい声でいう彼女に、わたしは冗談めかしながら本音を伝えた。
「何いってんの、××ちゃんはぜったい今も光り輝いてるって」
もちろん彼女にもいろいろあるだろう。あかるい日差しだけでは花は咲けないのだ。
それでもわたしは受話器口から伝わる、古い「友だち」の弾けた笑い声に秘められた力強さ、何があっても最終的にはハッピーを掴み取るだろう力強さ、のようなものを感じて、わくわくした。
彼女にわたしの電話番号を伝えた子と他のあのころよく一緒に遊んでいた何人かの子も含めたみんなで、近いうちにまた遊ぼうね、
なんていいながら電話は終わった。
わたしの中の「ぴゃん子」が蘇ってきて、くすぐったくなった。
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5月15日(木)
きょうは母方の祖母の誕生日だ。祖母の誕生日は旧暦でお祝いする。だから毎年、新暦だとちがう日になる。
台湾ではお祝い事を早めに祝うのが多いらしく、昨夜、母と一緒に祖母に電話した。
祖母は相変わらずでわたしは自分にとってそれがどんなに幸福なことか改めて実感した。
いつまでグズグズしてるんだろうわたしは。早くおばあちゃんに会いに行かなくちゃ。そのために今を生きなくちゃ。
おばあちゃんがいることと、赤ん坊の頃の記憶を喚起させてくれる台湾・台北市に吹く湿っぽい風、夕暮れの感じ。今思い出せる限りの台湾の風景。
わたしにとって台湾はやっぱりどうしようもないほど大切な、あほうみたいに大切なところなのだ。
だからこそ、
あのびょうきのことを思うと、しょっちゅう、息苦しくなるし、どうしようもない。
わたしはだから、
いちばん怖いのはあのびょうきそのものじゃなくて、あのびょうきを理由にそれぞれの土地のあいだにある境界線がいままで以上に濃厚になってゆくことだと思う。
あのせんそうがあって、この国の街にも盲目的としか思えないようなひとびとが多く現れた。
わたしは最後までというか今の今まで、実はまだ、あのせんそうについて何を具体的に思えばいいのかまったくわからないんだ。情けないことに、わからない。
でも、ああいう大きなあらそいが起こるたびに、どこかの境界線がぶれたり濃くなったりするんだと思うと、泣けてくるよ。
突如現れたあのびょうきが証明しかけてるじゃない。空も空気も境目なんてない。全部繋がっているってさ。
その証明を今必死で阻止してるんじゃん。
なんか、わたしたちはやっぱ、バチが当たったのかなあ。
なんて思えばいいの。
わたしも所詮、盲目的なのかな。
何が正しいかって、どうして、個人ではなかなか信じぬくことができないんだろう。
ひとってそんなに弱いものなの?
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5月15日(木)
台湾に留学していたともだちが、もうすぐ帰ってくる。ほんとうは、夏になってから帰国する予定だったけれど、あのびょうきの影響で、大学側に帰国勧告されてしまったのだ。
「どうして日本にとっては台湾=台北という図式なんだろうね。台北だけが台湾じゃないんだよ。台湾は確かに小さいけれど、すごく多様で、密度が濃いんだよ。日本のひとは台湾を知らなすぎるよ」
台湾の南部にある港町・高雄に在住している彼はそういう。
「日本ではどんな報道されてるのか知らないけれど…こっちの言うことも大学側に耳を傾けて欲しかった…あと二ヶ月というところで帰国しろなんて無念でしょうがないよ」
彼の台湾への思いが胸に応える。
台湾を生活者としてからだで実感してきた彼だからこそ、そのことばは、ぐっとしみこんでくる。
羨ましいくらいだ。
でも、そんな情況じゃないんだよね。あのびょうきを思えばいったいどうしてこうなったのか運命の悪戯としか思えない。
上海に留学中だったともだちも帰ってきた。
大切なひとたちがいっぱいいる台湾や中国・上海が、いつか行きたい北京や、香港や…。
なんであんなびょうきに見舞われたのかなあ。
悔しい。
でもこの世界のどこにいっても、誰かにとっての大切な誰かがいるんだと思うと、
やっぱりせんそうのほうが罪深いね。
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5月14日(水) 2
さっきは、あんなん書いちゃったけど、本当は、お誕生日であることをヒタ隠ししていたいとこもある。
いろいろなひとたちからの「おめでとう」、のことばは、いちいち幸せ感じるし、ほんとうに嬉しくてしょうがない。
でも、自分から、いろいろなひとたちにそういわせるように仕向けることが、わたしには、どきどきしてできない。
そうだ。わたしは誕生日に無頓着なわけじゃない。ほんとうは自分の誕生日に関しては「あ、そうだっけ?」と忘れてしまえるほど無我の境地でありたい。
でもやっぱ、覚えてるんだから、困る。
ハタチ越えちゃえば、もう意識しなくなるだろう、と思ったけど、今年もまた覚えてたんだから、困る。
「いえーい、わたし、誕生日!!!!」
っていって回れるくらいの大胆さと勇気があれば、かっこいいのになあ。そういう子って好きなんだよなあ。
しかし自分、こんな中途半端な誕生日意識を抱くぐらいなら、
いっそうるう年に生まれたかった気もする。
ま、いいや。
「一緒に素敵なトシの重ね方しようね」
っていってくれたともだちのことを思って、けっきょく、涙ぐんでしまった今日でした。
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5月14日(水)
わたくし・温又柔、
本日をもって、この世に生を受けて23年目へと突入致しました。
昨日をも含む22歳だった日々が、既に遠い遠い昔のことに思えるくらい。
わたしは今、23歳になりました。
ありがたや、ありがたや。
こうしてまた一年、生きてこられただけで大いなる幸に恵まれてきた証拠だなと。
冗談抜きで心底思います。
ここ1,2年のうちに何度も直面した己の中のろくでもない部分(行過ぎる劣等感、世間体への過剰な意識、空回りを促すことしか能のない焦燥感、保身のための排他性etc…)は、ここで一挙に闇の中に葬り去り、新たにあかるいほうへあかるいほうへ歩いてゆこうと決意した次第であります。
だがしかし、人というものは光に惹かれるのと同等に闇にも惹かれる生き物なんだということは、ぬぐえない事実なもので、
今どれだけ晴れ晴れとした気持ちで、これからはあかるいものしか選ばないと決めたって、
おそらく今後もあえて闇のそばに寄ってメソメソすることがあるでしょう。
それはまあそのときに!
要は、自分自身をまるごとあいするというスタンスを崩さなければなんだっていいんだわ。
そんな自分の望みを叶えてあげる。
これからはそのためにもっといろいろしていきたい、いきましょうじゃないか。
という気持ちでいる次第です。
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5月12日(月)
この一年というもの、
わたしは自分自身を金属のようなものだと思い込んでいたんだ。
カチコチに固まっていて、ちょっとやそっとじゃ乱れることがないようなものだと。
だからすこしでも乱れると、自分が自分じゃなくなってしまうような怖さがいつもあった。
間違ってたわ。
ほんとうはわたし、基本的に、金属が金属になる前のどろどろした柔らかいもののほうに似てるんだよ。
液体なんだから乱れたってかまわない。そう簡単にわたしは崩れない。
さすがに気づいたよ。
乱れてなんぼよ、この世に生を受けたからにはね。
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5月11日(日)
わたしが、父や母をだいじにしたいと思うのは、彼らを愛する気持ちがあるのはもちろん、彼らが愛してくれていると感じる気持ちがあるのももちろん、忘れちゃならないのは、彼らがわたしを養い育ててくれていることに対する感謝…ある種のうしろめたさをも含む…感謝がまずあるからなのだ。
わたしはいまでも養われているという身だし、そういう意味では世の中に対してえらそうなことはいっちゃいけないと自慢できるくらいいつもいつも自粛している。
(ほんとはもっと大口叩きたいのだ)。
はやく経済的に自立して自分で自分を養えるようになりたい気持ちにせっつかれてクラクラすることがこのごろじゃ増えてきて、
そのいっぽうで、わたしはこんなふうにお金にたいして何の心配もない状態の中で夢や霞を喰ってその味に酔いしれたり死に掛けたりする中で、他人と共有できる夢を再生産させつつ生きてゆくというのがいちばん似合うような気もしてくる。
もちろん、とてつもないうしろめたさを背負い込んだまま。
最近はそんなことばかり思っていて目が冴えてしまって夜はきらいじゃないのに夜が長くてしょうがない。
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5月11日(日)
おととい京都にいる妹から母へ赤いカーネーションが届いた。ひとあしおくれてきのうは、わたしが大塚の花屋さんから注文した花束の入ったバスケットが届いた。きょうは去年から東京に住み始めた従妹(母にとっては姪)がピンク色のカーネーションを持ってやってきた。
玄関先に三つ並べられた花たちを眺めながら、
「なんだか舞台女優になったみたい」
母がはしゃいでいた。
母がうれしそうだと家じゅうがうれしそうになる。
父はそれを知っていて、わたしたちもいつのまにかそれを知っていた。
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5月10日(土)
大勢のひとの中にいると、
必要以上に緊張してしまって、楽しいことには楽しいのだけれど、
ぽつりと不安。
まるで、かつて手痛い目に遭ったことのあるひとのように、
他人から十分な愛情を注がれたことのない(と自分で思い込んでいる)ひとのように、
その場にいるすべてのひとびとのうちのほんのひとりにでも、
自分のどこかしらが気に障られるようなことがあったらどうしよう、
などと余計なことを思ってしまう。
生まれもって染み付いている八方美人魂なのかしら。
わたしは、すべてのひとに気に入られたい。
阿呆らしいけど、本音よ。
友だちはできるだけたくさん欲しいし、いつもたくさんのひとと仲良く楽しく過ごしたい。
だけど大勢で楽しむ場にゆくと、とつぜん、逃げ出したくなる。いちばん楽しい瞬間に、いちばん心地よい瞬間に、さっと逃げたくなる。いちばんいいところで消えてしまえば、幸せから滑り落ちてゆくことを免れるんじゃないかって。
だからわたし、誰かと、
目が合ったしゅんかんに微笑みあったときや、
ほんのひとことでも和やかに言葉を交わしたあとは、
とっても幸せで、ほんとうに幸せで、同時に、とっても不幸せだったりするのだ。
こんな調子でずっと生きてきたわたしでも、自分を心底好いてくれる、といってくれる友人に出会えたのだからほんとうに奇跡だなと。
奇跡って何回も遣ってるなあ最近。でも、そうとしかいえないなあと思うことが、もうじき23になる今、しょっちゅう現れるんだから参ってしまう。
ともあれ、キトク(?)なわたしを好いてくれるすべてのひとびととの優しい関係を、大事にしてゆかなくちゃ。
「奇跡」を維持するための必須条件ですわ。
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5月10日(土)
飾られたお花のにおいにむせた。
うっ、とからだを屈めたくなった。
なんだかとても不吉な感じのにおい。
胡蝶蘭に薔薇、それから名前は知らないけど、派手な色の花びらがおおぶりに開いた花。
台の上に飾られていて、ほら、式典のときにはお決まりなことでしょう。
講演会のさいちゅう、わたしは台の上に飾られたそのお花のにおいを意識するたびにくるしくなった。
お花はきらいじゃない。
でも特別な日に特別に飾られる美しく華やかなお花を、
これほど不気味に思ってしまうのは、きっとあの濃厚な香りの所為だ。
どこかの国の、えらいひとの周りには胡蝶蘭や薔薇の花のような美しいひとがいっぱいいる。
と思ったら、いっそう、罪のないそのかおりが、いきぐるしく思えてくる。
いやなこと思ってしまってる自分が痛い。
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5月9日(金)
下腹のほうからもぞもぞ不安になる。
あのびょうき、わたしにとっては今回のあのせんそうよりも、ずっとずっと怖いし、にくったらしい。
わたしたちがぜんぶでひとつの全体として存在しているのだとしたら、膨張しすぎたらしすぎた分だけ縮小せねばならんのか。
そういうことなのか。
みとめたくないし、しにたくないし、奪われたくない。
忘れること以外でどうしたら気が落ち着くのだろう。
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5月9日(金)
わたし、
高校のあの校舎のまわりには色っぽい思い出が何もない。
そういったら、
わたしもよ、
とともだちが心地よさそうに笑った。それから、ふっと何かを思い出したようでパスタを食べる手をとめると、いった。
「なんかの劇をみんなで見たあと、あだっちゃんと3人で河川敷をずーっと歩いたよね」
そう。わたしもよく覚えている。
あのときわたしたちは揃って「スタンド・バイミー」が好きだったのだ。
学校が主催する芸術鑑賞教室で演劇を観た日の、解散の声がかかったあと、わたしたちは駅には向かわず、曲がり角をひとつ多く曲がって、知らない町を歩いた。
しばらくすると河川敷が目の前にひらき、うれしくなって、
スタンド・バイ・ミーみたいだねえ、なんていいながら線路沿いの変わりに河川敷に沿ってずーっと歩いていたのだ。
「歩いたあとの記憶がぜんぜんないんだけど」
彼女が笑いながらいう。
「途中で見た大きなビルや、お寺の裏側の墓地、それからトラックが真横を走り抜けてったときにすごく怖かったこととかはよく覚えてるのに」
彼女がひとこというたびに、わたしの中には、彼女のいってることがおぼろげな絵、だけど確かな記憶としてふんわり浮かび上がってくる。
そういえば、あのあと、どうしたっけ。
「あんな楽しさはもう味わえないのかなあ」
といった。もう若くない、みたいな言い方。でも目の前の彼女はわたしから見ればあのときから寸分もたがわず、いや、むしろあの頃よりもずっと、あかるくやさしく佇んでいる。
ああ。だからわたし、今も昔もこの娘のこと好きなんだなあと思う。
彼女と喋って、どっぷり日が暮れて、手を振って別れた。
歩きながら、きょうの楽しさっていうのは、思い切って密封してとっておきたい、そういう類の楽しさだなあと思った。
もうあんな時間は過ごせないのかなあなんていいながらもわたしたちはそれをいってるまさにその瞬間をこんなにも楽しんでしまった。
甘い疲労感、これからが楽しみだ。
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5月8日(木)
大学院の同級生には、大学を卒業してすぐに進学せず、働いたり、何か別の経験を経てからやってきた年上のひとが多い。
院で行われる授業そのものからはもちろん、パワアに溢れた年上の「友だち」から学ぶことも本当に多い。
別に彼らは、あえてわたしや年下の同級生に何かを教えようとしているわけではないと思う。
彼らはただ楽しく過ごしている。過ごそうとしている。
それだけなのだ。
年齢相応あるいはそれ以上のあらゆる経験をしてきて、それでもまだまだ、楽しむことを続けている、続けずにはいられない。
そんなふうなひとたちと接していると、
この世が限りなく深く広いこと、そしてそれゆえこの世は魅力的なのだということを、思わずにはいられない。
自分を高めるため、だとか、もっとよく生きるため、だとか、そういうのって実はほんのとっかかりに過ぎない。
ほんとうに強い光りを放っているのは、「勉強」と「遊び」の境界線があいまいになってしまっているようなひとたちなんだと思う。
その一方で、
知識の多さのみで自分を他人よりも優位におきたがる類のひとたちも少なからずいるんだから、
面白いものよね。
そしてそういう方々ほど、人生訓のようなものを垂れようとしたり威張ろうとするんだから、なんと皮肉なんだろう、と思う。
そういうふうになんないように気をつけなくっちゃ…
と思ったが、
基礎知識から身につけていかんと授業にもついていけないようなわたしは、
威張ろうにも威張りようがないから安心だ。
くぅ、複雑。
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5月7日(水)
通りを行く人々を見るともなく見ていると、
いろんな顔があるなあと思う。
いろんな服装とか、いろんな雰囲気。
人の数だけ個人の意識なるものが存在しているのだとすると、その数、なんとおびただしいんだ、と思う。
そして、たくさんの人をながめたあとは、
わたしがわたしでしかありえないということに対する甘いあきらめと柔らかい覚悟が、いっしょになって現れてくる。
このからだを生きようと決めたあの気持ちを再確認する。
ところで、
「ナンバーワンよりもオンリーワン」なんて風潮がここんとこ勢いづいているようだけれど、
この国のこのあたりの歴史の雰囲気が、
そんなことをいまさら確認しなおさなくてはならないほどの状況だったのかと思うと、いたたまれなさにも似たせつなさを感じずにはいられないのだ。
それにしても、
オンリーワンが大事だと照れずにまっこうから謳えることができるのはいかなる状態にせよナンバーワンであるということを経験したことがある者だけなんじゃないかなあとか思う。
ナンバーワンを十分に満喫したことのないほとんどのひとびとは、たぶんみんな、ちょっと照れながらあかるいあきらめのもとに、
ほんとうはナンバーワンにもなってみたいけど無理だから、オンリーワンになることに集中してみようかなぁ。
なんて思ってるのではないのかしら。
わたし自身、そういうとこがあるからって、言いすぎかもしれないや。
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5月6日(火)
おもった以上にわたしは、季節の影響をうけているのだと思う。
なんにもなかったような一日でも、かならずその日の空気のことは思い出せるんだもの。
東京とはいえど、四季のうつりかわりの、その裂け目が、みんな死んでしまってるわけじゃないね。
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5月5日(月)
きょうは、友だちとお喋り、お喋り。
いろいろなこと、口にすると、
自分の抱えている問題はじつは大したものじゃないんだってことに気づく、どころか、自分はそもそもなんにも抱えていなかったんじゃないかとすら思えるから、
身も心もすかっと軽やかになれる。
やっぱり、友だちは大事ね。
できればたくさんいてほしいけど、贅沢は言わない。
いっしょにお茶したり、ゴハン食べたりするだけで、
いつのまにか和んでしまう。
そういう友だちが、何人か。
いるってだけでもう十分なのかもしれない。
わたしは、わたしの大事なひとたちに何ができるんだろう。
今夜も思いながら眠りにつくだろう。
ひとりよがりなわたしの描く夢がこれ以上、歪んでしまわぬように。
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5月4日(日)
たまに、自分はひとぎらいなんじゃないかって思ってしまうしゅんかんがある。
そういうときって、わたしは、ただ寂しいだけなのだ。拗ねているだけ。
まるで、世の中にまるで相手にされていないような気持ち。
この世をかたどる大きな輪から自分だけがはじき出されてひざを抱えているような気持ち。
被害妄想が、膨らむのだ。
でもすぐにまた、ほんの些細なことで、わたしは自分がこの世をまるごとあいしているのに気づき、自分は自分以外のすべてのひとたちに限りない敬愛の情を抱いていると、も気がつくのだ。
いけないね。
まっぷたつに割れそうなわたしをしっかり束ねておける確固たる紐はどうしてこうして逃げやすい。
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5月2日(金)
「いっそ、ギャングに撃たれてみたい」
夜中の電話で彼がいうから、わたしは眉をひそめる。
「そんなこというの、よしてよ」
どうして、などと、ほんとうに不思議そうに訊くから、わたしは苛立たしくなって彼に訊き返す。
「だって、わたしが、ギャングに撃たれたいなんていったらどう思う?」
彼は、ちょっと間をおくと、まずは冷静な声でいう。
「そんなことはまずあり得ないから想像できないね。だからなんとも思わない」
それから悲しそうな声で続けた。
「温は、おれの言葉の表層だけをとらえて、おれが何を言おうとしているのか理解しようとしてないよ」
そういわれて、正直、腹立たしかったが、たしかに、わたしと彼は、この瞬間、まったくもって、ズレていた。
彼は真夜中の電話で、ずっと嘆いていたのだ。
―なにか、とても、不毛な気がする。
本当に、何をやったって、不毛な気がする。
まるで、宇宙空間に向かって、小石を投げているようだ。小石は吸い込まれてしまい、音と手ごたえ、なんにもないんだ。
大きな物語なき今日という「日々」とここという「空間」で生まれ育った「わたしたち」特有の、「すっから感」に、彼は昔からとり憑かれていたのだという。
誰しも時代の子なのだし、意識するしないに関わらず、「わたしたち」にはすこしずつそういうところがあると思う。
彼の場合、わたしが知る限り、そういうことに対して非常に自覚的なのだ。
そして、ときおり、その「感」はいよいよ強烈に自分を襲い、何もかもが無意味に思えるときがあるというのだ。
つまり、厭世的な気分というやつね。
この夜も、電話でずっとそんなことを話していた。
そしてその流れで、
いっそギャングに撃たれてみたい、などと彼は言ったのだ。もちろん、あたまの中ではそういうことはまったく起こり得ないと思いながら。
そりゃ、そうだ。
まず、ギャングはいないね、この近所には。
でも彼がそういったとき、わたしのあたまの中では、彼がぱちーんと流れ弾に撃たれた映像がばあっと広がり、そこでわたしは怖ろしくなって、腹を立てたのだ。
わたしは「こういうこと」を怖れる。
わたしは、今自分が生きているこの現実世界を、ひとつの、大きな大きな湖に思っているようなところがある。
だからなのだろうか。
ごくごく普通に考えてみれば起こり得ないような怖ろしいことでも、一度、言葉にしたり声に出して言ってしまうと、
現実世界のほんの一部がしずかに震えはじめ、その震えが広がってゆき、
あり得なかったはずの怖ろしいことが現実化してしまうんじゃないか、と。
自分でも非論理的なのはわかっている。子供じみた想像だとも。
それでもわたしは、今自分がいるということは、奇跡的なことだと思う。この気持ちだけは、なぜか、ぬぐえない。ほんとうは、ここにこうしていられるかどうか、というのは、ものすごく危ういことなのだ。危ういけど、なんとか調和を保っているから、こうしていられるのだ。
そう思っている。
だから、
この大きな湖に、悪戯に、小石を投げ込めない。
水面がいつ荒れるかわからないから、怖いのだ。ほんのわずかでもネガティブなきっかけを与えたくないのだ。
ギャングに撃たれたい。
彼の言葉は、わたしにとって、石だった。だからイヤだったのだ。
しかし、このときのわたしたちがお互いのあたまの中に思い描いていたものは全然違っていた。
ズレていた。
お互いの「問題」(宇宙に小石を投げているような不毛感と湖の水面を悪戯に小石を投げ込むことへの恐怖感)はなんにも解決できなかったけど。
面白いものだ。
わたしも、彼も、やっぱりまったく違う人間なんだ。
だからこそ、わたしたちは、「わたし」と「あなた」でいられる。
すべてを理解し合おうとするなんて、理想論だ。まずは、理解しようとすることを習慣づける。
その重要さを改めて思い知った夜だった。
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5月1日(木) 私の好きなひとたち
ひだまりの明るさがいとおしい。
大口で笑ってるのが楽しい。
氷だけになったアイスレモンティーの入っていたグラスの中を、ストローでカチャカチャっとかき混ぜてるのが楽しい。
何か理由があるわけでもないのに、そうしていることそのものがとっても幸せなことみたいに思える。
どこにいたって、誰といたって、自分は自分だなんて、きっと間違ってたんだ。
わたしを心地よくさせる空間と、わたしをうんと嬉しくさせる人間は、
わたしを、自分も捨てたもんじゃない、と思わせてくれる。
そういうときのわたしは、大口で笑うことが、人生でもっとも大切なことなんだと信じている。
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