ON日記6月

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6月30日(月) 

きょう習った沖縄の唄は、
昇ってくるお日様を、
「明けもどろの花」
とあらわしていた。

朝焼けのことを、
空に、花のような赤みがひろがってゆく
とたとえていた。

ああ。揺れてしまう。
わたしの中にある水という水が。
朝焼けのことをそんなふうに謡ったひとの感性が、
時と海を越えて、
わたしを揺らすのです。

梅雨がそろそろ通り過ぎてゆく。
白っぽい光りが目にまばゆい。


6月29日(日) 

こないだ偶然夜中のテレビで見た。
若い頃の、レッド・ツェッペリン。

音楽の素養がないわたしにもびしばしっと伝わってくる。
80年生まれのわたしはまたしても思うの。
60年代、70年代って、ずるい。

すべてが、カッコよすぎる。
破滅的で、花火みたいで、火傷しそうなの、いつ見ても。

だからってわたしは、いま、自分のいる場所を否定したいわけじゃないんだけれどね。

カレの部屋にあったレッド・ツェッペリンのファースト・アルバム、ヘッドフォンで聴きながら、
ひとりこの部屋で、パソコンのキーボードを打っている。

インターネットにのっけて発信するための日記の文章を打っている。

健やかな生活。
わたしが望んだのよ、きっと。


6月27日(金) 

近所を散歩中、思わず立止まった。
わたしの目の先には、
皮製の肩掛け鞄。
その佇まいといったら、ショルダーバッグなんかじゃない。
絶対に肩掛け鞄。

見入っていたら、お店のお兄さんやってきた。
良かったら店内も見ていってください、
と。笑った顔がステキです。

だからというわけじゃないけれど、オープンしてまだ間もないというこのお店でわたしは肩賭け革鞄、購入致しました。
いくつになってもステキな異性(笑顔までプラスされちゃうとなおさら)には敵わないものですね。
なんてオバちゃんみたいなこと言うけれど。

それにしてもふつうサイズの文庫本ならば、3冊は軽々と入るこの鞄。
肩から提げて町をあちこちお散歩するのって、わたし的には、なかなか乙女チックだわ。

お散歩ライフ、向上まちがいナシです。


6月26日(木) 

今晩は、仲良しのともだち何人かと、おいしいパスタを食しました。

卒業以来、やっと再会できた子もいて、ほんとうに嬉しかった。

あいかわらずお喋りのし過ぎで頬がくたびれちゃったよ。

みんなから元気をおすそ分けしてもらった今日のような夜は、カラダはほんわり酔い心地(お酒を飲んでいないのに)だけれど、心はみずみずしく潤ってしまう。

大学時代に、そんな気持ちにさせてくれるともだちと出会えたことが、今、改めて幸せだと思った。

そういえば、昨夜、大学院のともだちにメールをした。
つらつらっと書き連ねた最後の部分に、半ば冗談半ば本気で、
「意味もなくあいを込めて」
と書いたら、こんな返信。

「やっぱり人間関係にはほんのちょっぴりあいがあったほうが皆幸せになれるよね」

わたしはこのひとと、もっと仲良くなれる、なるだろうな、と思った。嬉しくなった。

大学時代に関わらず昔のともだちも、ともだちになったばかりのひとも、これから会うひととも、
ひとつひとつの出会いを大切にしたいなあ。出来うる限り。


6月26日(木) 

きょうは、冷たい。
雨に、風に、冷たい。
駅から家まで、走ればすぐだ。
傘を忘れたわたしはすこしくらいなら濡れてもいいと思った。
なのに、甘かった。
雨粒が思ったよりも大きく強かった。
びしょびしょだよ、肩も胸も。
前髪がしなり、額に貼りつく。
弱るなあ。こんなもう。

熱いお湯に肩まで浸かったら、眠たくなるほど、心地がよい。
ああ。このお湯も、もともとは、雨だったのよね。


6月25日(水) 

小説とともに、ゆこう。
このままゆけば、
おばあちゃんになったときは、
間違いなく笑っている。
小説とともにゆこうと決めたときから、わたしは、きっとずっと、幸せだった。
なんだかんだいって、幸せだった。
だから、本腰入れて、小説とともにゆこうと、今、思うのです。


6月24日(火) 夢日記

布団にくるまって、ながい夢を見ていた。

夢だということも忘れてわたしは、夢の中でやっと出会えた昔なつかしいともだちとお喋りしていた。

わたしたちのいる教室には、淡い日の光りが射していて、わたしは、ひとときひとときがいとおしくてしょうがなかった。

「もう卒業だなんて、いやだなあ。
もうすこしだけ、できれば、これからもずうっと、こうしていたいなあ」

わたしがそういうと、昔なつかしいそのともだちが、光りの中でにっこりと笑う。

わたしは、
この子を失っちゃいけない、と思った。
もう、失ってしまったんだ。
どうしてまた一度、失っていいのだろうか。

ところがわたしは席を立ち、長い廊下を駆け出したのだ。

もう一度教室に戻ろうとしても、教室はみつからなかった。ともだちにも会えなかった。

目も、覚めてしまった。

わたしはわたしの中にある、なつかしい風景が、いま、恋しくてたまらないよ。


6月23日(月) 夢日記


気球にのって、きれいな海をみおろしている夢を見た。

海は、どのくらいきれいなのかというと、
こないだ沖縄で見た海のように青だった。

とてもやさしく、とても不安そうな青が、ずっとうねっていた。


6月22日(日) 


Qカードに出会う。

自分が見えてくる。
夢占いに似ている。
いつまででもカードに触ってしまう。

とっても面白い。


6月21日(土) 


わたしとしたことが、
人ごみのなかで湿気と熱気にあてられてしまい、
うずくまってしまった。
からだよりも、こころをもたげる。
とぼとぼと歩く。
夏は、きらいじゃない。
雨も、きらいじゃない。
人も、きらいじゃない。
ただときには、怖いな、と思うことがある。
だれも、わたしを、とって喰おうとなど考えていないはずなのに。


6月20日(金) 


台湾人のおともだちのところで、
中国茶をご馳走になった。
彼女は親切で、
日本語がとてもじょうずで、
もしもオンさんが望むなら中国語を教えてあげるよ、と言ってくれた。

白状しちゃえば、わたしはずーっと中国語のおさらいをサボっている。

だからわたしの中国語のレベルを知ったとたん、この親切なともだちは、呆れるだろうな、なんて…密かにどきどきしていた。そこで、

わたしの中国語の水準ときたらマジ、やばいんですが、どうか呆れないでくださいね、

などと情けない念を押し、彼女がにっこりうなずくのを確認してから、教えてもらうことになったのだけれど、

やっぱりわたしのレベルは低かった。

ちっくしょう。

でも久々に中国語を喋ってみてわかったの。
なんだか楽しい。
日本語以外の言語をあたまのなかで組み立てて音を発するのって(たとえ間違いだらけでも)、脳みそにとってとても新鮮なのだ。

中国茶に、中国語。
すてきな昼下がり。

忘れちゃいけない。
わたしはこれから沖縄ばかりじゃない、台湾にもいっぱい行こうとしている身なのだ。

中国語、やらなくっちゃ。


6月19日(木) 


とろりと眠たくなる。水分をたっぷり含んだ風が重たい。

ああ。
このまま、ばかになりそう。
もともと、ばかっちゃ、ばかだったけど、
もっともっとばかになりそう。

すこしずつ、すこしずつ、
わたしは年をとっていってるんだ。

時間は流れ、流れるの。
どこにも、しがみつけない。


6月17日(火) 


雨は上がった。
風はかわらず湿り気を帯びている。
向こうから歩いてくるそのひとと目が合った。
思わず、微笑んでしまう。
すると、そのひとが、おそるおそるわたしに近寄り向こう側を指差して疑問形でいう。
××station?
わたしはおなじところを指差し、
××station!
応える。

きょう、そんなふうにして知り合った、小柄で小太りのあたらしい友だち。
わたしたちは近くの公園でしばらくお喋りをすることになった。

わたしが、
Where are you from?
 とたずねると、
ちょっとためらって、トルコやギリシャや色々だよ、と応える。しずかな笑顔だ。

色々ということばが沁みた。
ああ、このひとも、自分のふるさとがどこかって、はっきり言えないんだなあって。
帰る場所がひとつ以上あるということは、そのどちらにも帰れるかもしれない豊かさと、そのどちらにも帰れないかもしれないせつなさを、同時に抱えていることになるのかもしれない。

わたしの英語はひどいもので、そのひとの日本語もそんなに上手ではなかったから、すこし話をするだけでもうんと時間がかかる。

だからかもしれない。
おっとりと時間は流れた。
雨でしっとり濡れた木々の葉っぱが眩い。

「じゃあ、君と、君のボーイフレンドと、ぼくの3人で今度、珈琲でも飲みに行こう。君たちさえ時間があれば」

そうは言ってくれるのに彼は最後までわたしの連絡先を知ろうとしなかった。わたしに、自分の名刺を渡したっきり、何も聞こうとしなかった。わたしは無理に鞄の中にあった切れ端をひっぱりだして自分のメールアドレスと名前を書こうとした。すると彼が驚いたふうに、もう一枚自分の名刺を引き出し、ここに書けばいいよ、という。

わたしは書いた。このひとに、また会いたい、と思ったのだ。ところが彼はいう。

 

「ぼくは、もうこれで十分なんだ。きょう、ここで会えて、お喋りができた、これで十分なんだよ。メモリーがある。それでいい。きみに、連絡をくれるように望んだりはしないから安心して。

もちろん、きみが連絡してくれるのなら、いつでもしてよ。
でも、ほんとうに気にしないで、ぼくのことは。忘れてくれてもかまわないんだよ」

そういう彼に、わたしの胸はぎゅうっとなる。彼は、こんなふうに、この国やおそらく他の国でもいろんなひとびとと出会いいろんなひとと短い時間を過ごしたのだろう。

彼に「友だちだよ」と言って、それっきり会えなくなったひとも少なくないのだろう。

もう期待していないのだ。
ただ、今、この瞬間に、出会えた人間とにっこり笑い合う。
それがあればいいと、そう思っているのだ。

でも、どこか哀しいのは、ほんとうは、彼は、望んでいるからだと思う。

ほんとうは、こんなふうな出会いでも、一度きりで終わらせたくない気持ち、あるんだと思う。

そうじゃなくちゃ、わたしが聞いていて、こんなに、せつなくなったりしない。

「また、会いましょう」

わたしは言った。彼は、

「ありがとう」

と言った。

手を振りながら、わたしは授業に間に合うように急ぎながら、
自分のことばが嘘にならないように、
と願い彼と過ごした短い時間を反芻した。


6月16日(月) 


雨が降ったり止んだりするたびに、傘を開いたり閉じたりしている。

このごろは本当に、
雲が揺れる。風が鳴らす。空がとおい。

うつろうのが目に見えてわかるのって、いまのわたしには、ちょうどいい刺激だ。


6月15日(日) 


おじいちゃんに会いたかったな。
もう、ずっと前に、おじいちゃんはいなくなってしまったけれど。

わたしの作文をいつも喜んでくれたおじいちゃん。
それだけじゃなく、こうして書くともっとよくなるよって日本に遊びに来るたび教えてくれたおじいちゃん。
自分も昔は作家になりたかったというおじいちゃん。
でも、時勢や生活がそれを叶えてくれなかった。

わたしの本を、見てほしかった。ほんとうに。

だけれど、おじいちゃんはいなくなっても、おじいちゃんの何かがわたしの中にはあって、わたしはきっとこの先、それにも突き動かされ、生きてゆくのかもしれない。


6月14日(土) 


きょうは、
「沖縄戦を今に伝える学生有志」が主催する「沖縄戦シンポジウム」にいってきた。

シンポジウムで沖縄についてリポートをした学生たちは皆、
沖縄について、沖縄戦という問題について、とても真摯な態度で取り組んでいたのはもちろん、問題を自分の身体で捉えようとしているように思えた。

研究対象だとか、素材だとか。
彼らにとって「沖縄戦」やそれにまつわる様々な問題は、そんなふうに乾いたものではないようなのだ。

シンポジウムが終わる間際になってある学生がこんなふうに話していたのがとても印象的だった。
彼女はこんなふうに話していた。


わたし(彼女)は沖縄生まれ沖縄育ちというわけではなくヤマトの人間だけれど、たとえばヤマトであることと同じようにひとりの女であるし、この女であるという視点から沖縄というものを感じようと思っている。
そんなふうにして自分自身の問題として沖縄を考えたいと思う。問題をいかに自分のこととして結び付けられるか。それを考えてきたし、考えていきたいと思う。


ひとつひとつのことばを丁寧に選びとって喋る彼女の姿に胸を打たれた。
彼女の「沖縄」への思いは、とうぜん研究対象だとか素材だとかそういったものとしておさまりきれていないように思った。彼女にとって「沖縄」は「他人事」じゃないのかもしれない。自分と深く関わっているのかもしれない。
だからこそ、彼女は、沖縄のきれいな海や青い空にあこがれて悲しい過去に目もむけないひとたちに対して思うのとおなじように、
修学旅行で沖縄に行った高校生が戦争があった沖縄って怖い、怖いから嫌い、というのがひどく悲しいのだと言う。

彼女の実感が身に迫った。

きょうのシンポジウムで、沖縄戦や沖縄の問題に取り組む学生たちの報告書や発表内容が、聞いているこちらにしっかりと響いてきたのは、彼らが問題に対して理知的であるのみならず問題を自分たちのものとして身体の底から取り組んでいるゆえの情感をもたたえていたからなんじゃないかなあと思う。

よのなかは思う以上に大きい。
すべてのことを知り尽くそうとするなんて無謀だ。
かといって知ることを全部止めるのは自分から身を縮めていることになる。
じゃあ、何を重視し、何をほうっといていていいの?
洪水のように次から次へと溢れている情報を、どのように取捨選択するの?

だからわたしは、わたしを知るために、よのなかに触れてゆきたいと思っている。
自分という核があって、そこから、拡げてゆきたいと思っている。
それがわたしの何かを知りたいと思うことの原動力なのかもしれない。

きょうのシンポジウムを主催した学生たちから、そのことの大切さを、改めて教わった。

沖縄に限らない、そこにある「問題」に自分自身を結びつけて取り組む、そのことの大切さを。


6月13日(金) 


きょうは、空気がしっとり重たい。
でも雨は降らなかった。

久しぶりに再会したともだちと5時間近くも話しこんでしまった。
どうりでのどが渇くわけだ。

彼女は中学校のときの同級生で、ほんとうに、長いこと会っていなかった。
高校を出てすぐに北京大学に留学した彼女は、いま、卒業を間近に控えている。
人づてに彼女が北京でがんばっていることは知っていた。

今、きょう見てきたばかりの彼女のあかるい笑顔をくっきり思い浮かべることをできるのがうれしい。

彼女のあかるい笑顔は、彼女の過ごした日々がとてもよいものであるということを物語っていた。

ひとは顔じゃない、なんてきっと間違ってる。いろんなことを顔はあっというまに表現しちゃうんだもの。

彼女とたっぷり過ごしたあと、
わたしはわたしの顔をこれからもきちんと育んでゆこうと思った。


6月12日(木) 夜


永いこと、わたしは誰とも似てないと思っていた。
とても乾いた意味で。

ところが最近、初めて会ったひとや、これまで親しかったひとたちの中に、「自分」をみつけることができるようになったの。

わたしはいろいろなひとによく似ているなと思うようになったの。

そう思うことがわたしを潤してることも感じるわ。

「世界」にあてた手のひらが霧状の水を浴びてしゅわしゅわ濡れてゆく。

とても落ち着くの。


6月12日(木) 朝


気持ちいい。
雨がふっているの。
ついさっきまで暗かった空が白々と明けてゆく。
明るみといっしょに朝を濡らしてゆく雨の鳴らす音を聞いていると、
なぜかとても心が落ち着くの。

わたしは朝に降る雨にどことなく偏狭的な思い入れがあるのかもしれない。


6月11日(水) 


学校にある券売機では、紙パックのアップルジュースやお茶が100円で売られていてお得だ。
きょうはいちごオレを買った。

ストローをつたう冷えたいちごオレの甘みを味わっていたらなんか幸せな午後。

わたしは苺もミルクも単独ではそんなに好きじゃない。なのに一緒になると、とたん、こんなにも好きになる。

そんなこと感じていたら、
何かと何かをまぜあわせて遊ぶということ、どんどんしたくなってきた。


6月10日(火) 


沖縄のちいさな本屋さんで買った、『木登り豚』という小説を読み続けた。
一文一文に肌触りがあって、読んでゆくごとに、よくわからないところに引きずりこまれそうになる。

もしも沖縄に行く前にこれを読んでいたら、わたしはまた、沖縄へ行くことに怖気づいてしまったろう。ためらってしまったろう。

わたしなどが、沖縄に踏み込んでしまってもいいのかしらって。

そのくらい、さりげなく、だけども強烈に、「ここではない」土地の、風土の、光りや肌触りが凝縮された文体だと思う。

『木登り豚』の作者は又吉栄喜さんというひとで、『豚の報い』の作者でもある。

沖縄では、「うるま」という沖縄雑誌を2冊と台湾関係の本を数冊、それからこの「木登り豚」を買ったのだけど、どれもこれも、こちら(東京)ではほとんど見かけることのないもので、今、それを全部目に見えるところに並べたわたしは、ほくほく気分でご機嫌なのだ。

ところで東京は明日から梅雨入りだそう。沖縄はきのう、梅雨が明けたのだと思うと、その「遠さ」がまた、ぎゅっと来る。


6月9日(月) 


沖縄に、
本格的に、
魅了されてしまったのです。

やわらかい、いとおしさを感じるのです。
くるおしくなるくらい、響いてきそうなのです。

わたしは、かならず、また、沖縄に行くでしょう。

沖縄に居たい。

ただ、居たいのです。


6月7日(土) 


いよいよ、沖縄の土地を踏む。
いよいよと思うと震えそうだ。
次、このパソコンのモニターを眺めながらこのキーボードを叩くとき、わたしはどんなことばを搾り出すのか。
こわいくらいだよ。


6月6日(金) 


きょうは、しらふでいられない一日だった。

午前中はといえば、

東京都写真美術館:
アラーキーの写真展「花人生」

に行ってきた。壁三面にびっしり並んだ何百枚(もしかしたら千枚いってる?)ものポロライド写真・「曼荼羅華」に目が眩んだ。

生と死の匂いがぷんぷんする。

美術館を出るとき、
わたしもわたしの「曼荼羅」を描こう、と思った。思うしかなかった。でないと、このまま、自分は流れ去っていつか消えてゆくしかない。
それもよいかもしれない。
むしろ、いつしか消えゆくということをただ受け入れることのほうが、高級なのかもしれない。
でもやはりわたしはあがきたいのだ、ずっとそうしてきたのだ。今更やめられるっていうの?
曼荼羅。描かなくちゃ。

夜は、

東京厚生年金会館大ホール:
美輪明宏チャリティリサイタル

に行ってきた。
「ヨイトマケの唄」で、あっさりと、泣いた。「花」でも泣いた。「愛の賛歌」にいたってはリサイタルというよりは演劇だった。
その歌声を聴いてると、その姿を見ていると、
「人間じゅう」の感情をすべて体感したような心地になってしまった。

美輪明宏は、そこにいるだけで、
この世らしかぬ光りを放つのだ。こんなひと、いていいのかしら? というひとなのだ。

きっと美輪明宏自身が、この世にあるもののみを相手に生きてるわけじゃないからなのかもしれない。目に見えるもののみを相手にしているわけじゃないからなのかもしれない。

そうでなければ、彼(彼女?)の歌声は、姿は、わたしたちをこんなにも圧倒しないだろう。


つまり、自分自身であること、あろうとすること、ありつづけることは、強く厳しく傍から見ていて非常に美しいのだということ。

教えられた。
いや、そんなこと、わたしは前々から知ってたはずだ。
だけどきょうは何故だろう?

ほんとうの意味で自分自身でありつづけてるひとってものすごく少ないんだと気づいたのだ。
だから、ほんとうに自分自身でありつづけてるひとたちがこんなにも強烈に響いてきたのだ。


まだ、クラクラするね。


6月5日(木) 


あたらしい。

おなじ春物の服でも、かぎりなく、冬に近い頃の、冬をひきずっていた頃の春物はもう、さようならだ。

夏物というにはまだ早すぎるけれど、どちらかといえば、夏寄りな春服の出番だ。

ああ、それだけで、あたらしい気分。

春・夏・秋・冬が、循環しているこの土地の風土が、馴染み深い風土が、
やっぱり好き。


6月4日(水) 


きょうも、いちにちじゅう、
傘をささなくちゃいけなかった。
雨じたいは嫌いじゃない。
雨の匂いとか湿気。
とくに暖かい日の雨は、とおくてやさしい記憶をくすぐる。

でもべちょべちょと汚れた地面や、つるつる滑りやすい地面、歩くのっていいもんじゃない。
ましてや傘一本分不機嫌な顔をしたひとびとの中を行くのはくたびれる。そんなわたしも不機嫌な顔になってる。

物知りの友人のいっていたことを思い出す。
彼はほんとうに物知りで、わたしが「今日は雨だね」と何の気なしに書いたメールの一文から、こう教えてくれた。

日本のおおかたの都市は雨の日用には設計されていない。
たとえば京都の昔ながらの町並みは雨の日でもとてもいいのだよ。

そういえば、そうかも。

明治時代以来だかなんだかわからないけれど、とりあえず、「近代化」してゆく過程で、わたしたちはほとんど盲目的に「晴れた日」を中心としたものの考え方をしてきたのかもしれない。

「雨」をあまりにもないがしろにしてきたのかも。

なんてことを考えながら、こんな雨の夜に家の中にいられることに安堵する。


6月3日(火) 


文学の授業で昭和22年だかそのくらいの時代に書かれた小説を読んだ。

それは占領軍が支配する東京の片隅の、娼婦たちの話だった。
そのころは「春を売る」ことが今のように違法ではなく、合法だった。
戦争で家や家族を失いほとんど野生化した少女たちが自分自身のからだを売って生きてゆく…
といったことが書かれていた。

読んでいると、昭和20年代の「息吹」が、じわあっと滲んでくるような気がして、物語というよりも、何か別の力に引っ張られて、わたしはその小説に夢中になった。

もちろん私は昭和20年代のずっとずっとあとに生まれた。

ところが小説に書かれていることを追ってゆくと、「昭和20年代」がわたしの前に「見えない」姿を現す。

今ここにないものに触れている。
その感覚にきょうも酔ってしまった。

たとえば、モンゴルの大草原やギリシャの神殿なんかを思うとき、遠さを感じる。遠すぎてまるで夢の中の風景のように感じる。

その感じによく似ている。

ここじゃないところ、いまじゃないじかんに思いを馳せるときの情緒っていつもロマンティックだ。

まるで旅でもしているような気分で。


6月3日(火) 


きょうの自分の顔がきらいだった。

締りのない顔。
それも、幸福の情が抑えきれないゆえの締りのなさではない。

ただ、だらしないというか、鈍く間延びした顔。

何度も自分で頬をパンパンと叩いた。

それくらい、なんかきらいだった。
きょうの自分の顔。

たぶん、いっぱいいろんなものが溜まってきたのに、ひとつひとつ、とても良いものなのに、わたしが溜めとくだけで何にもしないからだ。
何もしようとしてないからだ。

いや。こんな、停滞した、澱んだ顔。

突き破ることを怖れてる顔。


6月2日(月) 


きょうは気持ちのいい一日だった。

沖縄文芸誌の授業で「おもろさうし」を読んでいる。
「おもろそうし」とは沖縄版万葉集だそうだ。

先生が「おもろさうし」の中の詩を読み上げてひとつひとつのことばを噛み砕いて説明してくれる。

あかるい空、深い海に森、何百年も前の沖縄のひとびとの息吹が、ぎゅうっと凝縮されてる。

「万葉集」だって何だってそうだけど、世紀をへだてて読み継がれるものって、タイムマシーンの代わりなのだ。
あらためて、しんと響く。

高校の頃の自分に教えてあげたい。
古典や日本史の時間にはいつも、
死ぬ前には全部燃やしたいような恥ずかしい「恋愛小説」ばっか書いていた自分に。
聞く耳持たないだろうけどね。

ともあれこの「沖縄文芸誌」、
クラスは少人数だし、先生の民俗学的観点から出てくる余談話は面白いし、何よりわたしは今、沖縄のトリコみたいなものだし、ほんとうに充実した時間だ。

このごろ、こんなふうに、いろんな先生の話を聞いたり、本を読んだり、そういったことを存分にできることをほんとうに幸福に思う。

あらためて、今、こうして大学に籍をおき、好きにさせてもらっていることを、両親をはじめ、いろんなひとに、ありがとうの気持ちでいっぱいだ。

しかし。
(あらゆる意味で)たらふく喰わせてもらってるだけじゃ、やっぱ情けない。
ただ喰うだけじゃなく、いつかは(あらゆる意味で)旨いものを作る側にまわるってこと、忘れないようにしなくっちゃ。

というわけで、腕を磨くわよ!


6月1日(日) 


沖縄に行くことにした。
次の週末、沖縄本島の
恩納村に行く。

沖縄には、ほんとうは、うんと昔から、行きたいと思っていた。

 

ただ、不安だった。
「沖縄」は軽い気持ちで行っちゃいけない。そう思っていた。

もうずっと前から。

朝になってゆく、明るんでゆく空の色によく似た海の色。
思い浮かべて不安になる。
わたしは、そこに、沖縄に、溶け込むことができるのかしら。

わたしには恐ろしい。
自分の存在が、ある土地の異物感になってしまうかもしれない、ということが。

わたしは乾いてる。
太陽や海や木々や砂の一粒一粒との付き合い方を、ちゃんと教わってこなかったせいだ。

わたしの本能は求めている。
それらのものにどうしようもなく触れたがっている。
同時に、それらが自分を受け入れなかったら、と怖がっている。

わたしにとって沖縄は、こうした個人的な恐怖感とそれから沖縄の歩んできた歴史の重みがあるからこそ、考えれば考えるほど行きたいのに行けない行きたいのに行っちゃいけない、そういうところだった。

そんな気がずっと、ずっと、していた。

そしてやっと、行くことを決めた。

行くと決めて、手続きとって、あとは当日、荷物を持ってでかけるだけになった。

恩納村はリゾート地だという。
リゾートなんか行っても「ほんとうの沖縄」なんて何も分かんないよ、というこというひともいるだろうけれど、
それでもわたしは、沖縄を初めて肌で感じられるということに対し、
緊張やら覚悟やら興奮やらしている。