ON日記7月

「come.come.on」のトップに戻る

ON日記2001へ

ON日記2002へ

ON日記2003へ

ON日記日記現在へ

 

7月28日〜31日までオンは、
千代田区の“ラブ&ピース兵士(いわゆる平和使節団団員)”としてオキナワに派遣されたため、
ON日記は、しばし、夏休みにさせていただいてました!


7月26日(土) 

ひっくり返りそう。
いろいろな夢が膨らんで。
キスしましょう、

いろいろな夢に向かって。

わが道こそ、わたしを生かす道なのだ。


7月25日(金) 

髪の毛を切って、切って、
ちょっぴりちんちくりんなのだ。

満足。

わたしはちんちくりんなんだもの。

眉毛の色も、髪に合わせました。
もともと薄すぎて、ないも同然の、眉なのですが、それでも、わたしには眉なんだもの。

鞄の中には、いつもの手帳と、胸をつくようなことばかり書かれている本。

えへらえへらと歩くわたし。

雨もまだ降っていない頃のお話。

信号待ちのあいだに呼び止められ顔をあげると、

S教授でした。
チェック模様の傘を手にしたS教授は、さながらフランスの紳士のよう。いつものように、やさしい微笑をたたえている。

学生思いのこの教授、わたしにも何かと親切で、世話を焼いてくれるのです。ありがたい。

きょうも、
「最近、研究のほうはいかがなの?」と、
お茶に誘ってくれた。

アイスショコラータを呑みながら、せんせいとお喋り。


手帳に書き留めたいような、たいせつなことをたくさん、話してくれました。
(実際に、書き留めましたわ)

アイスショコラータを呑みながら、せんせいのお喋り。

わたしの色々がきゅきゅっと引き締まってく。

おかげで今は、
ちんちくりんなりに、凛々しい気持ちの、そんな夜です。


7月24日(木) 

きょうも例のごとく、
願をかけてしまう。

わたしが思うこと、考えること、言うこと、伝えたいことが、
ただの綺麗ごと、
なのではありませんように、と。

願わずにいられないのは、ときどき自分がとんでもないマヌケのように思えてならないわたしに染み付いた癖なのかもしれません。


7月23日(水) 

深夜、妹が持ち帰った生八橋を喰らう。

あくまでも、和菓子づいてるきょうこの頃。

テレビでは、ハイデガーについてやってた。
ハンナ・アーレントとハイデガーが、深い絆で生涯結ばれていたとはまるで知らなかった。

かつて敬愛していた人のことがあったから、アーレントの哲学は、あんなだったのね。

などと思う。

自分を問うこと、自分について応えてくれそうなこと、それを たぐりよせて、個人の哲学が、できあがってゆくのだわ。

などと思う。
生八橋を飲み込みながら。


7月23日(水) 

日本文化の授業で、
水ようかんを喰らう。
せんせいの手土産だ。

木の箱に入ったようかん、
みんなでひときれずつ掬うの。

せんせいの用意した紙のお皿にぺたっと置かれたようかんは、
ようかんらしく、みずみずしく、
わたしの口に運ばれたそれは、
ほんのり甘くて涼しい味。

思わず、
シアワセ、
呟いてしまった。

まじで和菓子に恋してしまいそうな、きょうこのごろ。


7月22日(火) 2

ひんやり、涼風。
今期最後の授業のあと、
アイスココアをともだちと。

わたしの、拙い、わかりづらい、支離滅裂なおはなしを、
ほほえんで聞いてくれた。

ともだちの顔を思い出す。

面と向かっては言えなかった。
この春、出会えてよかった。
これからきっと、わたしたち、仲良しでいられる。
仲良くしたいね。

こんなふうに思えるひとと、出会ってゆける。

人生って進むごとに、わたしを満たしてゆくの、今もまだ。


7月22日(火) 1

夕方、きびだんごを齧った。
もっちりしていて甘い、しあわせ。

サルやイヌやキジがこれにつられて鬼が島にいっしょに行った気持ち、わかるようなわからないような。

このきびだんご、ともだちがくれた。
その子とは、一年くらいご無沙汰してて、きょう久しぶりに会った。

案の定、お茶屋さんで、ぶっとおしお喋り。
彼女の授業が始まるまでの約4時間。


別れるとき、またね、と笑う。またお喋りしようね。
もちろん、あ、そうだ、きびだんごをありがとう。

目に力のあるひとが好き。

きびだんごのともだちが言っていたのを夜思い出す。
彼女の目にこそ、力が宿っている。

わたしも自分の目で自分を見せたい。

そう思うのです。
恋しいけどきびだんご、夜も更けてきたからガマンしつつ。


7月21日(月) 

きょうは、大丈夫。
きょうは、きのうくらい、何もなかったけれど、
でもちょっとは触れられた。
手ごたえあった。
もっちりした甘い日々にも芯はあるのだって、また信じられた。


7月20日(日) 

気がくるいそうだ。

呟いてみた。
恥ずかいひとこと。
わたしから出たことばじゃないみたい。
いや、わたしすぎてる?

淡々としあわせを積み重ねてゆくの。
羽毛みたいに、やわらかくって、軽やかで、あたたかい。
しあわせな日々なの。

なのに、何?

赤ん坊のほっぺたみたいに、おいしそうなくせに、ひどくおいしそうなくせに、
食べちゃいけないものを、絶対に食べちゃいけないものを、
目の前にしているみたいな気分。

なんで?

“罰当たりだ。”
遠くで思ってる。

でもここそこのわたしは、へんになりそう。

こんなしずかな夜中に。


7月20日(日) 

きょうは、ゆっくりだった。
母と、妹と、ゆっくり過ごした。

いい日曜日だった。

明日からまた、
きゅきゅっとネジを締めて、
がんばろうって思ってる。


7月19日(土) 

今夜は、チャイナ(いっしょに上海に留学した友だち)のみんなとプチ同窓会。

ユキちゃんの働く、渋谷の居酒屋サンで。

あのときは就職活動が終わるか終わらぬころだったみんなも、一年経った今は、“お仕事びと”になっていた。

しかし。なんといってもきょうの主役は、この春、留学から帰ってきたふたり。
ふたりに「おかえりなさい」を言うための会だったんだ。


そう。中国と、台湾に留学するふたりを見送ったのも、夏だった。
夏も夏で、飲んだあと、線香花火をしたのだ。

きょうは、線香花火はしなかったけど、
久しぶりにみんなに会えたことそのこと自体に、
はしゃがずにはいられなかった。

おとなだね、おとなだね、ってみんなのこと。
へんに褒めてしまった。

わたしはどうしてこんなにも、このひとたちに懐いている?

自分のほとんど全部を見られてるし、それだけじゃない。もともと、みんなとは何か通じるものがあるって信じてるからなのかもね。

ほんとうに。


7月18日(金) 

きのう京都から帰還した妹は、
きょうがカレと付き合ってちょうど一周年だったらしく、
はやくからデエトに出かけてしまった。

だからわたしと母は、
近所のパスタ屋さんで母娘デエト。

お気に入り歴8年目のパスタ屋さん。
辛口パスタはもちろん、紅茶が美味しい

いろんなひとと来たな。みんな、好きなひとたちだ。

でも、やっぱり、母とがイチバン、たくさん来ている。

きょうは、妹がどんなデエトしてるのか、母は母で、わたしはわたしで、好き好きに喋りながら、パスタとリゾットそれぞれ味わいました。

母とって、いいんだ。やっぱり。

もっと大きくなって、ちゃんと自分でお金稼ぐようになって。

そしたら、いろんなところに行こう。
母と行こう。
きょうみたいな気分になりに行こう。


7月17日(木) 

わたしは、わたしを全部、引き受けないと。
そうしないうちには、
いつまでも浮き足立ったままだ。

もっと、お腹の底から、ぎゅうっと。
今ここを、

踏みしめたい。

だから、どんな些細な自分をも、ちゃんと掬いとって、何度だって煮込みたいの。


7月16日(水) 

きょうなんて、グァバジュースで、
ほろほろ酔ってしまった。

またひとつ、幸せな思い出ができあがった。
噛み締めて電車に揺れる。

瞼の裏にやさしい残像。

人が好き。
ほんとうにわたしは人が好き。


7月15日(火) 祭りの夜

缶ビール一本未満で、すこやかに酔えるわたしは安上がりだ。
今夜はチリリと背中が痛んで、
何よりなんだかまどろんでいるの。

まるで吸い取られるように、さながら集約してゆくように、
からだが眠りに向かってゆく、
そんなふうな感じがします。

おやすみなさい。


7月14日(月) 

夏到来、かと思えば、またこの雨。この肌寒さ。
ふあんていな感じね、困っちゃうわ。
ひとのこといえないけどね。

ほんとにもう。
きょうは咽喉の渇きやすい一日だった。
原因はきっと、咽喉の痛み止めのための薬を飲んだせい。
それに、「マリリン・モンロー」の読みすぎで昨夜は夜更かししてしまったし。読みながらちょっと泣いちゃったし。

ふしぎな夏の日の気分です。


7月13日(日) 

きのうきょうは、とびきりよい子でいられた。

ながい間、こころの底に沈殿していた黒い石が、きのうかおとといあたり、ぱッ、と姿を消したんじゃないかしら?

わたしは軽やか、本当に軽やか。
 


7月12日(土) 

きょうは、母親とふたりで、
台湾茶の聞き茶会に行ったのです。
いつもわたしに中国語を教えてくれる、台湾人のおともだちが主催する会なのです。

シアワセな、美味しい午後でした。

お茶に、甘味処、親しい人たちとのつらつらお喋り。

きょうもまたさりげなくこれらがわたしを満たしてゆくの。


7月11日(金) 

きょうは、
カレの仕事が終わるのを待って、
ふたりで都電に乗ってもんじゃ焼き、食べにゆきました。

暖簾くぐって、お店の中は夏の海の家みたいで、
靴は脱いで畳みに坐る。

壁掛けの扇風機、ぐるぐるまわってた。

冷やしラムネ飲みながら、
ほんとうに夏の海の家にいるみたい。
 
ねえ、なんかシアワセだ。

折り曲げた脚、自分でさすって。
ぶた天、たこ天、焼いてるカレと。

開いた窓から夜が見える。
観葉植物、つやつや青くて、
よりいっそう夏を協調するの。

昨夜は朝の4時まで仕事してた、カレの目はとろりと重たげ。

ヒゲづらめ、

といってみれば、

まるづらめ、

と返ってくる。

あいとは何かと問われれば、
こんな夜をこのひととえいえんに積み重ねてゆきたいと
(決して気負わずに)やわらかく思う気持ちなのかもしれない。
わたしにとっては。


7月10日(木) 

木曜の午後は、
仲良しの友だちと定食屋さんでゴハン。
お喋りしながら、
おひつに入ったほかほかゴハン、ぱくぱく食べるの。

いくつになっても、こんな時間は、たっぷり楽しい。
わたしのこころの栄養分、今週もまた補給させていただいたわ。

好きよ、マイライフ。

しあわせ気分。紫色の空、横目にながめて帰路につくの。


7月9日(水) 

ただでさえ小さい器だというのに、
わたしはその表面を、
ガリガリと傷つけてるみたい。

深爪のくせして。

ダメだ。ダメだ。
世界と自分がズレてるのは、
まったくもって、気のせいさ。
そう、過剰なる自意識のせいさ。

とっとと認めましょうよ、お嬢さん。


7月8日(火) 2

わたしは、全部のこと、全部自分のどこかに結びつけたり、ときには巻きつけたりしないと、
なんにも本気には考えられないの。
だから本気で考えたいときは、知らない自分に遭遇しまくりで、
深く重く沈んでゆく。

ホントは、もっとよこに拡げたいんです。


7月8日(火) 1

渋谷はすごい。
次から次へと、ひとが動く、動く。

できうる限り避けて通りたい道ではあるけれど、
これが恐くて、東京で生きてゆけるかってんだ。

と煙草の煙が目にしみる。

ちっくしょう。
歩き煙草なんて大キライだ。

煙草がキライなわけでも、
煙草を吸ってるひとがキライなわけではない。

歩き煙草が大キライなのだ。

やつら、ぷんぷんと、所かまわずドクを撒き散らしてんだぜ?

勘弁してくれよ。
っていうか、ときおり、マジメに蹴飛ばしたくなる。

歩き煙草をしてるひとのお尻。

それとも
ジョウロにお水をいれて、火消しにまわろうか。

なんて思いながら原宿までの道、とことこゆくの。

こんなんだけど、きょうのわたし、案外、元気はいっぱいで、人波の中でだって、片時も自分を失ったりしなかった。

ふいに思い出したともだちの名前。思い出しついでにメールしてみたら、そのひとも丁度わたしのこと思い出していたという。

ちっちゃいのに巨大な不思議。
うれしくなるの。
煙にはまみれても、とりあえず、人波には、わたしの何ひとつ、奪われたりしないんだ。


7月7日(月) 

うしろめたいの。
ただもう、ありとあらゆることに対して。

わたしに欠けているものは、
努力だけだ。

ふにゃふにゃのぐにゃぐにゃだ。

なのに、動けない。

動きたくないのかなぁ。

昔からずっと、
確信できるのは、自分は自分である、ということだけだった。

ちょっとやそっとじゃ、侵されない。

そういう輪郭を自分は持っているのだと信じられた。

今はどうよ?

いつもなにかに呑みこまれそう。

いっそ、呑みこまれたら、うしろめたさは消えるのだろうか。

でもやっぱりね、
わたしはわたしを放棄することが怖い。
今はただ、努力がしたいの。
呼吸するように努力に馴れたい。

七夕のお願いはこれに尽きるわ。
情けないけれど。


7月6日(日) 

あたまがガンガンする。

はやく寝よう。

あたまがガンガンするから今日ははやく寝ようと思っていた。

が、わたしはついつい、
手塚治虫の、
「アドルフに告ぐ」を読みつづけてしまった。

とまらなかった。
とめたら、怖い夢を見るかもしれない。

読み終わった今、
あたまが痛い。

甘ったれのわたしでも、
ここに印刷された絵と文字を通して、
おそろしい記憶の感触、
感じられるのだ。

たとえ断片的なことだとしても。

甘ったれのわたしだからこそ、
感覚を総動員して、わからなくてはならないことがあるのだ。

わかろうとしなくてはならないことが、
断片に刻み込まれているのだ。

凄かったな。
久々に、凄かった。

もうやってられない。

こんな日記でゴメンなさい。


7月4日(金) 

金曜日は授業がおやすみ。
というわけで、
いよいよきょうは、
皮製肩掛け鞄(6月27日参照)デビュー。

わたしの場合、
授業のある日や、
大学の図書館に行く日は、
あれもしたい、これもしたいと、ノートや本、さらには筆記具に辞書と、
いつのまにか大荷物になってしまうから、
リュックが一番ラクなんです。

ぱんぱんに膨らんだリュックをしょって両手は手ぶらでいってきまーす、なんていうと、うちのおかあさんはいつも苦笑する。

年頃の娘がそんな亀みたいな格好で。

確かに、リュックを背負ったわたしの姿は亀みたいなのです。

たまにはオシャレなバッグを持とうとか思わないの?

思います。
だからきょうは、肩掛け鞄。
かぐわしい革の香りがまだ新鮮。
ここ連日続いてきた咳もおさまってきたし、
きょうは散歩のための散歩を楽しもうと思う午後3時。


それではまた来週!


7月3日(木) 

「今度いっしょに、ゴハン食べに行こう」

って、いい。

もともと仲良しのひとに、
そう言われるときはもちろん、こちらから言うときも、
その瞬間から、“たのしみ”が胸の中に喰い込み、ワクワクする。

これから仲良くなりそうなひとや、もっと仲良くしたいなと思うひとに言われたらすごくうれしくなる。

「お食事に行きませんか」
もいいけど、やっぱ、「いっしょにゴハン」っていう響きのほうがざっくばらんで、

胸がきゅんと弾むのです。


7月2日(水) 

咳こそ出るものの、
素敵な一日ではありました。

お昼は、昔、アルバイトしていた会社の社長さんの、奥さまのお買い物にお付き合い。

この奥様が、「奥さま」とはいえど、すましてたり、とっつきにくかったりしない、明るく溌剌とした人で、いつ会っても全身からパワーが溢れてるような人。

よのなかって、うまい具合に成り立ってる。
社長と奥さまはぴったりだもの。
ホントいつも仲良しですてきですね、と思わず漏らすと、奥さまはすこしも気負わずにさらりと応える。

「そうね。仲良しだよ、わたしたち。いつもわたしたちは世界一仲良しの夫婦だもんねえ、って言ってるの」

まわりに、自分もいつかあんなふうになりたい、と思わせてくれるようなおとながいるのって、すごく気持ちにいいから嬉しい。

それでもって今日はその奥様に、
なんと、ランチを、
ご馳走してもらったのです。
マダムたちで込み合う店内の隅っこの席で、
焼きたてパンに平打ち麺のカルボナーラ、牛肉ソテーを、
ほくほく味わいました。

おいしいものを口にしたときの、あの一瞬に凝縮された幸せってない。

もう何百回目の実感だ。

死ぬまであと何万回。

ああ、でもダメやねん。
まだ咳が出るねん。
はよ、寝るねん。

というわけでおやすみなさいです。


7月1日(火) 2

秋からひとりだちするために、

つまり一人暮らしを始めるために、
アルバイトに精を出しているともだちは、
ここ最近はほとんど毎日働きっぱなし。にも関わらず、すがすがしくって明るかった。

彼女は、わたしと、もうひとりのともだちに向かって、

「ふたりとも、引越ししたら、遊びにおいでよ」

笑顔でいう。

そうだな。
秋になったら、彼女のあたらしいおうちへ遊びに行こう。
缶ビールと、ポテトチップスでも持って。

女の子ばんざいだ。

まじめにね、
つい数ヶ月前であったばかりの、
このふたりのともだちのこと、
わたしはどんどん好きになってゆく。

自分が自分として息ができるの。

目を開いていて良かった。

大切にしたいものが、見えるようになる。


7月1日(火) 1

喉がちくちく痛んで、
咳がつづくの。
こないだ、大雨の中を傘もなしに駆けたせいだと思う。

きょうも、おともだちのところで、中国語の練習をした。
きょうも、お茶と、お菓子が美味しくて、しあわせなひとときだった。

咳をするわたしをともだちは気遣ってくれたけれど、
喉のほかは皆元気いっぱいのわたし、
わたしのお喋りを制限するこの痛みが、
もどかしくてしかたがない。

雨の中なんか、駆けるものじゃないね。
いや、それよりも、雨が降りそうなときは傘を忘れないようにしなくっちゃあかんねん。