ON日記8月

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ほんとうの8月31日(日)

夜の、
涼しいのに、
とろりとやさしい空気の中で、

じぶんがここにいて、
両方の足でぎゅうっと地面を踏みしめていることが、
どうしようもないほどいとおしくなった。

くるおしさと、いとおしさの、どちらも、
生きてゆくことを堪能するのには、
なくてはならないのね。

 

8月31日(日)

あしたの日記をつけることにした。

現在、2003年8月30日午前5時45分。

ほんとは、
2003年8月30日を、わたしはまだ、充分生きてない。
だから、8月30日、という日付が、実質的にはあしたのことで。
8月31日なんて、あさって、と呼んだほうが正しいくらいで。

あしたや、あさってが、どんな日であろうとかまわない。

きょうまでで、いい。
わたしは、8月を、満喫いたしました。

それにしても、
じぶんは何が何でも幸福なんだと、
うそぶくことの哀しみって、

じぶんは誰よりも不幸なんだと、
思いこんで動けないくだらなさと、

おなじくらい、
厄介ね。


どっちも体験済みのわたしが言うんだから、
まちがいない。

今でも、
すんでのとこで、
どっちかになっちゃいそうだし。

いずれにせよ、
ぱんぱんに膨らんだ風船は、
針があれば、
いつでも、

壊せる。

わたしは、針をもっている。

危険?
なもんか!

 

8月30日(土)

ずっと知りたかった。
フィッシュマンズがうたってる歌の名前。

ネットで検索したら、あっけなく、みつかった。

「IN THE FLIGHT」

この歌を、こんな、夏の夜明けに聞くもんじゃない。

狂おしくて、

たまらない。

 

8月29日(金)

わたしは、

そうだ。

なんにもできない。

ひとりでは、
なんにもできない。

生活力、というものが、まるでない。

今のわたしにあるのは、
この日々を一日ずつ一日ずつと、できうる限り丁寧に感じてゆこうとしている意志。

我ながら、呑気なことをいってる。

でも、わたしにとっては、今、一瞬一瞬をいかに深く味わうかが大問題なの。

今後、
生活力を獲得してゆくためには、
これを怠ったら終わりだって薄々感じてるの。

こっけいなほど。

 

8月28日(木)

バカだ。

きょうみたいな、のっぺりした一日を過ごしてしまった夜は、

じぶんがバカだ。

あわ立てたまま、ほうっときぱなし。
ボウルの中身はひなびしまった。

そういう気分なの。

書きかけの小説が、
かわいそすぎる。

 

 

8月27日(水)

きょうはすごく、
夏休み、って感じだ。

今朝までは雨の鎌倉もいいかななんて覚悟をしていたのに、
空には赤いクレヨンの似合う大きなお日様。

八幡宮でおまいり、五円玉がきらりと舞う。ぎこちなく礼をして、手を合わせて、
ともだちには、思わずつまらない願い事をしてしまいそう、なんて言っていたのに、けっこう、心から願っている。
「はしゃがずにはいられないほど嬉しいこの感じ、この感じを、これからもたくさん味わえますように」

それから甘味処にふらっと入り、畳敷きの椅子に腰掛けて、白玉きな粉だんごを喰らう。
一個一個が、からだの中に、埋まってゆくんだ。

「交通費大変だったでしょ、ここはわたしにまかせて」
という彼女のおうちは鎌倉から3駅となり。

小町通りをぶらぶらと。
とちゅうで、醤油せんべえなんか、齧ったし。

人通りが少ないと、どちらからともなく鼻歌がもれて、けらけら笑いながら、汗をぬぐって、この日差しは宇宙からの光線だよ危ない気をつけろ、などとふざけた。

銭洗い弁天までの坂道では、日ごろの怠惰がたたり、はあはあ息が荒くなる。
(中学のとき遠足でおなじ坂をゆくときは思い切り駆け出していたはずなのに)。

銭洗い弁天でお金を洗う。
「洗ったこの千円札、有意義に使わなくちゃね。でも何に?」

けっきょく、わたし、
弁天様のすぐご近所に、ほんわかと佇むお茶屋さんで、
洗った千円札を使いました。

そのお茶屋さんときたら、
森の小屋、みたい。
木々や花々との一体感がたまらないナチュラル志向。
暖炉まであるんだ。
でも入り口でいちばん目をひくのは、
白くて毛並みのきれいなイヌ。
イヌくんに誘われるように、わたしたちは、そのお店に入ったのだ。

そのときお店にはお客さんがわたしたちしかいなくて、
ひとつしかないテラス席に坐らせてもらった。
風がそよそよ、空調いらず。

おじさんのいれた紅茶はよく冷えていて
葉っぱの味がそのまんま生かされていて、
ガムシロップいらずだ。

「おいしい、おいしい」「しあわせ、しあわせ」と、
連発していたら、
こっそり喜んでもらえたのか、
手作りケーキをご馳走してくれたおじさん。

白くてきれいなイヌは、しんのすけくん、という。
わたしのともだちの名前とおなじで、
なんか笑っちゃった。

やばいなあ、鎌倉、好きになっちゃったなあ。
なんて思いながら、おじさんに、また来ます、という。
今度は暖炉にあたたまりたいな、なんて。

いつになるかわかんないけど、
とりあえず修士論文書き上げたら、とか?
そんなに先なの!
などと言い合って今度は道なりにまっすぐ歩く。

海を目指してるのだ。

空がまだ水色のうちに、わたしたちは、
由比ガ浜の海にたどり着いた。

ゴミが浮かんでたゆたう決してきれいとはいえない海だけれど、
海はやっぱ海だから、
汚されてしまった痛々しさをみじんも感じさせない。
(すごいな)。

なんて感心してる場合じゃない、ゴミはきちんと持ち帰ろうと、
少なくともそう思うことは決して忘れないようにしようと、
そう決意する。

そんなことまで思わせてくれた海を眺めながら、
日が暮れるまで、
わたしたちは肩を並べておしゃべり。
いつもは学校の近くの定食屋さんで向かい合ってやっていること。

そういえば、出会ってから、初めて、学校の外で遊んだ。
それが、こんな、夏の日の鎌倉で、だなんて、
ほんとうに味わい深いことだねえ。

ほんとに、ほんとにねえ。
きょうはわたしたちにとって、
たまらなく、夏休み、って感じがする。

 

 

8月26日(火)

人と、ひと。

きのうも、きょうも、

わたしと遊んでくれた人たちは、
みんな、くしゃくしゃっと、笑っていた。

ここにいるのが、楽しくって、しかたがないよ、っていう顔で。


そう思わせてくれるような顔で。

きのうのことも、きょうのことも、
いいえ、きのうや、きょうに限った話じゃないんだ。

人と、そんなふうに、過ごしたじかんの記憶って、
掬い取って愛でるには、ちょうどいい。
ちょうどいいから、

今宵もまた、
眠たいのに、眠ってしまうのが名残惜しくて、
眠れないふりをしてしまう。

 

8月24日(日)

今宵も、幸福を、まる齧り。

ああ。
美味しい。

美味しいからね。

泣けてくるんだよ。

いつまでたっても、
この甘みには馴れない。

幸福には馴れない。

そういうじぶんを保ちたいの。

 

8月23日(土)

今頃になって、
東京地方は“夏らしさ”を剥き出しにする。

あわただしさが、なんだか、可愛いかもしれない。


と思ってるわたしは、
この国の季節の繊細さに
振り回されることを、

ほのかに楽しんでいる。

 

8月22日(金)

いちにち、いちにちが、
水気を帯びてたっぷりだ。

わたし。

きょうは、きのうよりも、素晴らしき日であるようにと。
そればっかり考えてた。

“今”に手がいっぱいで、
過去をないがしろにしてた。

いやあね。
きのうだって、きのうがきょうのうちは、
じゅうじゅう素晴らしかったはずよ。

自分のあゆんできた道筋に敬意を払わないのは、
いまの自分を三分の一しか誇っていないことと一緒だ。

きのう、きょう、あした、
全部をおなじくらい、大事に思わなくちゃ。

特記・
っていうか、
「ジョンの魂」、よすぎる。
すごすぎる。
ついに知ってしまった。いやだな。
こんなにすごいものに、触れてしまうと、
あとがなくなってゆくみたいだ。

 

8月21日(木)

不安になりやすくて、
いじけることが得意なわたしは、
じぶんのことを他人にわかってほしい、と思うくらい、
じぶんのことを他人にわかられてたまるか、って気持ちがある。

厄介な生き物なのです。

とばっちりを受けるのは、
いつだって。

ごめんね。
でもわたし、
1の次はすぐさま2っていう世界では息苦しいんだ。
1.01だとか0.99をさまよってばかり、
時間のかかる生き方に慣れちゃってるの。

 

8月20日(水)

今夜は、
久しぶりに会ったともだちと、
近所のパスタ屋さんで、おなかいっぱい食べた。

そういえば、わたしを初めてこのパスタ屋さんに連れてきてくれたのは、
このともだちのお母さんだった。
中学生だったわたしと彼女に、おばちゃんは、トマト味のちょっと辛味の効いた大皿パスタを頼んでくれて、みんなで食べたのだ。

今夜わたしが食べたのは、あのときと、おなじパスタ。

なつかしくなんか、ない。
だって、足掛け7年。
わたしはおなじ味のパスタを、何度も何度も食べてきた。
お気に入りなのです。

この春から働きはじめたともだちは、白いワイシャツにグレーのタイトスカート。
仕事がひけてからの、
わたしとの(実に数ヶ月ぶりの)デエトだった。

わたしたちは久々なのに、昨日も会っていたような調子で、お互いにむかって、おどけたり、からかったり、笑わせたり、けらけらと笑い合いながら、おなかいっぱい食べた。

○○ちゃんも呼ぼう、
とちゅうで彼女はそういうと、いきなり○○ちゃんに電話した。

しばらくすると、
美容室でのお仕事を終えたばかりの○○ちゃんも、駆けつけてきてくれた。

わたしと、○○ちゃんは、実に数年ぶりの再会で、会ったとたん、抱擁をかわしてしまった。
「かわってないねー」
「おまえもなー」

なんていいながら、わたしは、○○ちゃんが今自分の目の前にいることを思って、大真面目にジンとしてしまった。

わたしときたら、
たいせつなものをたいせつにすることを、
そういう基本的なことを、
ちっともできない子供だったからね。

小・中学校の頃の自分を思い出すと、
恥ずかしくって情けなくって、
いつでも両手で目を覆ってしゃがみこんでしまいたくなるんだ。

なのに、どうして、こんなにも、
あったかくてやさしいんだろう。
小・中学校の頃の自分を覚えていてくれる幼友達といっしょの空間。

年齢をとればとるほど、
こそばゆさや、意固地な感じが消えていって、
ただただやさしい。
なつかしいんじゃないの、やさしいの。

「きみらみたいな友だちがいるってことがうれしいよ」
帰り道、並んで歩いてるときに○○ちゃんがぽっと呟いた。
ながいこと連絡をとってなかったというのに、
一晩の再会は、
わたしたちが“ともだち”であることを、疑いようもなく、信じさせてくれた。

そう思ったら、今、ここにいる自分を、いとおしくとすら思えた。

わたし、もう、ないがしろにしたくないよ。
恥ずかしいくらい、
たいせつなものをたいせつにしていきたいよ。

などと思う夜。

 

8月19日(火)

ふるさとでは、
おっとりとしてるように見える。

ふるさとのおとうさんおかあさんのそばにいる彼氏は、わたしが知っている彼よりも、
おっとりとしているように見える。

「つかれたでしょ、こんな息子に付き合わなくていいから、休みたかったら上で休んでてね」

彼氏のおかあさんがいった。

彼氏は彼氏で、たずねてきた幼友達にうれしそうにビールをすすめている。そのお友だちのおうちは、彼のおうちから、つまり、今わたしもいるこの場所から、40歩ほど歩いたところだという。なのに滅多に里帰りしない彼氏と、彼が会うのは随分久しぶりだという。
積もる話もあるだろうし、
わたしはおかあさんの言葉に甘えて先にお風呂をいただくことにした。

そのお風呂ときたら、
銀色の浴槽の中にはお茶っ葉を絞っていれた袋が垂らしてあって、その袋を、ぎゅうっと握ると、お湯からますますいい匂いがたちのぼって、肩まで浸かったわたしのからだは心地よさにくらくらした。
お風呂からあがったあとも、パジャマの襟元から、あのお茶の葉のお湯の匂いがほんのりと漂ってくるような気がして嬉しかった。

それから思い浮かべる。

彼氏のおかあさんのからっとした明るい笑顔に、おとうさんのちょっと照れくさそうなやさしい笑顔。
それだけじゃない。
近くに住む彼氏のおばあちゃまと、伯父さん夫婦、従姉妹たち。

このおうちって、あかるい愛に満ちている。はしばしに滲み出ている。

体のみならず頭までもが温められてしまったわたしは、ぼうっとしながら、これだけはまちがいがない、という実感をしている。

大切なものが、倍に膨らんだ。

わたしはきっと、
じぶんの両親をおもうように、このひとのお父さんとお母さんをおもえる。

じぶんのまわりにいる大切なひとたちを愛さずにはいられなくなるように、このひとのまわりにあるものも、うんと大事にしたくなる。

そう思ったら、
そう思えるってことは、
じぶんは、このおうちに、ちゃんと受けいられたんだな、

少なくともみんなからそう感じさせてもらえたんだな、
と。
オレンジ色の電球が照らす部屋のまんなかでタオル生地の毛布にくるまりながら、
ほんのすこしだけ、
泣きそうになった。

 

8月16日(土) 


明日から、
ちょっとのあいだ旅に出る。

東京からそう遠くはないところ。
 
だけれど、
川に、海に、山もあると聞いたわ。

ボストンバッグに、何日分かの着替えをつめながら、心ときめかしているの。

遠足の前の日のこどもみたいだ。
ほんとうに、たのしみなの。

こどもついでに、

終わりのほうでいい。

いつまでも、“夏休み”のどこかに、ひっかかっていたい。

そんな気持ちまで思い出してしまう夜。

 

8月15日(金) 花火なきあと


ざあざあと、雨の降り注ぐ音を聞きながら、目を覚ます。
雨の音って、心地よいんだもん。

きょうも、寝坊してしまった。

ああ、それにしても。
夏じゃないよ、この肌寒さ。
神宮では花火大会だったというのに、中止になってしまった。

ちいさな生まれたての恋が、どのくらい、がっかりしているのやら。
袖が通されなかった浴衣はどのくらいあるのやら。

それでも夕方には、蝉の鳴く声が申し訳程度に聞こえてきた。

じーんじんじんじん。

夏は、まだ、死んでなどないのだ。
夏は、こんな雨では、死なない。

ちいさな物語の破綻にがっかりしちゃいけない。

夏は、まだ、生きているのだ。

 

8月14日(木) 


きのうとはうってかわっての、
雨まみれな空。

わたしのあたまも緩んでる。
なんだか、なんにも考えられないの、真剣には。

暑中見舞い、書く手も動かないの。困ったな。

きっと今朝、いやあな夢を見たせいだ。
夢の中でわたしは、お財布を誰かにスラれてしまうのだ。
 
悲しかったなあ。
その悲しみときたら、すがすがしさがまったくない。世を拗ねてながめる、といった感じのもので。

あの汚れた悲しみを、わたしはきょう一日中、引きずっていたんだわ。だからなんとなく、どことなく、具合わるいんだわ。


今夜はよい夢見れますように!

 

8月13日(水) 


ナオちゃんが、
空の写真集をくれた。
だいぶ遅くなってしまったけれどお誕生日おめでとうって。

わたしは、くすぐったいときみたいに笑いながら、ありがとうって応えた。
木々の葉っぱのあいだをくぐって届くお日様の光りはやさしくて、
わたしたちはなんとなく眠たくなってしまいそうなしあわせな気分で、お喋りしていた。
高校生のときからいっしょにいることが多かったわたしたちは、卒業して離れ離れになったあともずっと、順調に、絆を深めていってる。

空の写真を一枚一枚、眺めながら思うの。
わたしがこういうものに惹かれるってこと、わかりすぎるほどわかっているのね。
わたしも、実をいうと、ナオちゃんにあげたいものがあるんだよ。
来月のお誕生日までのお楽しみ。

そのひとへあげたいものがぱっと思い浮かぶ。
そういうひとのこと、わたしは、自信をもって、“ともだち”ですって、言えるのかもしれない。

 

8月12日(火) 2


この夏出会った、あたらしい友だち。
年齢も、職業も、みんなばらばら。

わたしたちを結びつけたのは、
沖縄だった。
沖縄と、沖縄にまつわるいろんなこと。
それを教わりたい気持ちで結びついた。

わたしたちは7月の終わりから、3泊4日間、
千代田区平和使節団として沖縄に滞在した。
羽田空港で別れて以来、10日ぶりの再会。


南国・沖縄の空のしたで会ったときと、みんなおんなじ、明るいやさしい笑顔がうれしい。
あかるい区の会議室の蛍光灯のもとでも。

ああ。
ずっとずっと、沖縄には惹かれてたのよわたし。
でも。
ずっとずっと、覚悟が決まらなかった。

それが、こんな機会に恵まれ、こんなにたくさんのことを吸い込めて、
わたしは沖縄にこれ以上はないというほど初めにしては真剣に向き合うことができて、
本当に良かった。

もちろんまだまだ沖縄のすべてを知った気にはなれないけれど。

でもきちんとスタートを切ることができたんだ。

きょう、新しい友だちみんなと、ころころ心地よく笑っていたら、
おおきな流れのなかの、正しい位置に、じぶんはいるなと思えて、

すごくすごく嬉しかったんだ。

 

8月12日(火) 1


18歳のとき、ジョン・レノンの歌に撃ち抜かれた。
わたしの魂はカタカタ鳴った。

「戦争は終わる、君が望めば」

ラブ&ピース。
傍から見たら、冗談みたいだったかも。
わたしは呪文のように、ことあるごとに、それを呟きつづけて、今23歳。

戦争は終わってない。

わたしたちが望んでないとでもいうの? 平和を?

いいえ。

平和を望んでいる人はいる。
確実にいる。
大勢いる。

この目で見てきたじゃない。
この目で、あの沖縄で。

地上戦を潜り抜け、
多くの友人を失い、
じぶんだけ生き残ってしまったことに気が狂いそうにもなりながら、
じぶんたちのような思いをするものがこれ以上増えないようにと。

そのご婦人は、
小柄な身体で、はりのある声で、58年前のことを、ご自身が18、9歳の少女だったときのことを、
語り続けた。

―わたしの話を聞いてくださってありがとう―

何度も何度も、そうおっしゃいながら。

ハンパじゃない。
渾身の力で平和を望んだ小さな身体。わたしの手を握ってくれた、皺だらけの手。
血が通ってる。あたたかい。

ラブ&ピース。
わたしも、ふざけていたわけじゃなかったんだよ。

ジョンと同じ。

愛する人たちとともに、他の誰でもない自分自身を生きてゆきたい。

それだけなんだよ。
それだけって。
これってさ、
あたりまえのことじゃない。
こんなあたりまえのことが、
贅沢とされてしまう世の中が、
“戦争”なんだよ。
爆弾や、銃弾が、なくたって、
“戦争”なんだよ。


“平和”を望んでないひとなんているの?

戦争は終わってない。
終わらせるのは誰なの?

いまも、わたしの魂は、カタカタ鳴っている。

 

8月11日(月)


いっぺん、射精ってしてみたい。

いとしいひとの真ん中に、
杭を打ち込むの。
掻き回して、乱して、狂わして、
気持ちよくさせることが、

自分自身の快楽にまっすぐ繋がる、という…

わたしってば、
世にたいして思うのがこんな具合の感情で。

身の程知らずなほど傲慢な野望持ちなのかもしれません。

 

8月11日(月)


じぶんがじぶんであるということの、とりかえの効かなさに、
きゅうっと締め付けられる。

これが行き過ぎて、
“死にたい”と思い至るひともいるのね。

わかる。
わかるけれど。

その感覚はきっと 若すぎる。

 

8月10日(日)


雨がさらったあとの空は、
恥ずかしげがない。
あけっぴろげだ。
月は月で、ここぞとばかりに顔を出す。

夏が、夏がまた、傾いてゆく。
欲情を促しておいて、消えてゆく。

 

8月8日(金)


おまねきにあずかり、
大学時代お世話になった恩師のゼミコンパに飛び入り参加しちゃいました。

円いテーブルを囲んで、先生と、仲良しの友だちと、後輩と。

しじゅう、笑いっぱなし。

先生、ありがとう。
みんな、ありがとう。
とても、好きです、きょうはじぶんのことも。

身体の中で、ドンドコドン、
リズミカルな幸福が鳴る。

こんな夜のじぶんなら、永遠に持続してしまっても、
まあいいかなと思う。

一生、笑ってても、いいのなら。

 

8月7日(木)


“したくなってきちゃった…”

 

彼女の囁きは、甘く、とろりと、吐息まじり。
それから、重なり合った。

結び合わされた部分から、
楽園の気配が漂ってくる。


きょう見た夢の記録。
…幸せそうなあの女の子は誰だったの?

 

8月6日(水)


極楽鳥を住まわせるなら、
あたまじゃない、
おなかの中だ。

おなかは、からだの中でタマシイに一番近い感じがするから。

踊ろう。歌おう。

わたしの使命は、
わたしを、
これ以上はないっていうほど、
喜ばせることなんだ。

 

8月5日(火)


真夏の夜に、
目が冴えて眠れなくなってまうのは危険だ。

自分のなかの、
“わるいもの”の、全部が全部、
噴き出てくる。

ベッドの上で、
わたしはおどろおどろしい。

みにくい、みにくい。
わたしはみにくい。

呪文が絡みつくの。

自分は、生涯、誰の幸せも、心から祝福したことのないような気がする。

洗いたい、洗いたい。
じぶんを洗いたい。

きれいでなくていいの。
ふつうのひとになりたい。

 

8月5日(火)


東京地方に、突然の大雨が降った。

箱詰めだったわたしは、顔をちょっとだけ上げて、窓ガラスを打つ、大粒の雨粒を見た。

目が。
目が疲れたなあ。ショワショワするよ。
でも、心は、充たされてる。
大切なのは、書けば書くほど、自分と世界の関係がよく見えてくるってことだ。

 

8月4日(月)


区に提出する、沖縄体験報告レポートを書いている。

さっきから、書いては消去、書いては消去、もう何十回。

 

このままじゃ、夜を徹してしまいそう。そんな予感で満ちているわ。
久々に、あの、白々とあけてゆく空を見ることになるのだろう。

それもまたよし。
そのときのわたしが、
充たされていれば。

充たされていなかったら…退廃的な夏の一日の始まりとなるでしょう。

冗談じゃないの。
おいそれとね、書き進められないの。
そのぐらい、沖縄の意味って、

強烈だったみたい。


思い知らされてしまう。
ほんとうに…。

たすけて、キジムナー!

 

8月3日(日)

 

埃が入り、朝おきたら、目が真っ赤になっていた。

ちくちくとした痒みが、
おきぬけの頭を哀しみで満たす。

油断してるとこうなんだから、参ってしまうよ。

アレルギー。
体質だから治らないんだってさ。

まったくもう。

そうこうしてるまに、左腕を蚊に刺されてしまった。

夏に目が眩む前に、
いじけてる。

 

8月2日(土)

 

ビルの陰から、ちらっとだけ花火が見えた。

花火を見るのは好き。
色や音やかたちが目の奥まで響くあの感じが大好き。
色や音に、あたまんなかが掻き乱され、ぐちゃぐちゃになって、
なのに花火が終わるころには、最初の自分しかいない。

あの感覚が好き。

露店でアメリカンドッグを頼んだら、フランクフルトだった。
ケチャップはおなじ。
公園のベンチに腰掛けて、
煙も届かない夜空を見ているの。

 

8月1日(金)

 

昼下がり、散らかった部屋の真ん中で、ボブ・マーリーの歌を聞いていた。

レゲエはかつて「壁に向かってうたう歌」だったんだと、

いつかともだちが教えてくれたのを思い出す。

彼は高校生のころヘッドフォンでレゲエを聴いてはしょっちゅう涙ぐんでいたそうだ。
「恥ずかしいくらい、感受性がびんびんになってたんや」

ひとりひとりの胸の中に愛が満ちればいいね、と思う。
だれの中にも愛が流れている。
だけど、銃も、あるんだ。
引き金があるんだ。
人間って…。
かわいいくらい、愛を欲する乱暴モノなのだ。なのか?


けったいね。

 

8月1日

いっそ、五感を五感とも、閉じてしまえ、と思ったりもした。

オキナワにいるあいだじゅう、何度かそう思った。

 

だって、ほうっといたら、破裂しそうだ。
オキナワには感じてしまうことが多すぎる。

まばゆい、痛いくらいのお日様の光り。照らされた海の色。空。緑。赤や黄色の花々。蝶々。

かなしい戦争の記憶。
傷い、傷い、記憶。

米軍基地を取り囲む、柵。その中の、ひろい、ひろい、整備された緑の芝生に飛行機、倉庫。

 

白い帽子をかぶったわたしは、そんな土地の風を浴びた。
帽子といっしょに、吹っ飛んでしまいそうだった。

五感を開ききって、対峙するのには、オキナワは、ちょっときつすぎるよ。

ごめんなさい。きついよ。

でも、こうして、東京の夜。
わたしの瞼の裏には、あの、まばゆい美しい海。
あの村のひとびとの笑顔。
自分たちの土地を誇りに思い、
その土地で生きてゆく、その土地を生かしてゆく、その歴史を背負ってゆく、その未来を創ってゆこうとしている。
あの村のひとびとの芯のとおった笑顔。

出会えたことが、

ありがたくてしょうがない。

わたしは吹っ飛んでなんてない。
わたしは、わたしの生きる、このばしょを、あんなふうに、大切にしたい。
心底思った。
このばしょ。
それは、もう、ぜんぶのことなのかもしれない。

わたしには、わたしの、やり方があるのだ。
わたしには、わたしに、できることがある。

おわるな。はじまれ。