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12月31日(水)
風が吹き込む。
わたしの目に触れるぶぶんは、
わずかなわずかな一部分。
そのことを忘れずに、
タイペイを感じてる。
きょうは、
大晦日。
いちねんぶんの、色々が、
わっと思い出されるはずの日。
でも色々ったって、
色々の中にも、
おおきいことやちいさいことや
その瞬間は強烈だったけどいまは薄れてしまったこと、
いまのほうが強烈に思い出せること、
いっぱいある。
大切なのは、
いまこの瞬間もわたしが、
現実を織り込み続けているということ。
いとおしさとくるおしさで、
わたしはまだまだ織り込んでゆくんだわ。
また、明日からも。
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12月30日(火)
ああ、この旅ときたら。
家族で、
ずっと一緒にいるんだ。
両親と、妹と…。
過ごすことだけにかまけてるんだ。
もううんと昔から、
あちこちを飛び回って留守しがちな父に、
この春にトウキョウの家を出てキョウトで暮らし始めた妹と。
母に、わたし。
本当に何年ぶりなんだろう。
こんなに長い時間、
4人で揃って、ずっとずっと、一緒に過ごすなんて。
なんか、こういうのが、
ほんとうのバカンスなのかもしれないや。
今、思い知っている。
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12月29日(月)
ゆるやかな輪のふちに、
おそるおそる手をかけて、
半身を浸してみたら、
思ったよりもすっぽりと、
わたしの形に窪むのだ。
タイペイ。
従妹たちの、きらきらした笑い声。
伯母さんのつくった中華風パスタがたてる湯気。
おとうさんが叔父さんと交わす会話。叔母さんたちがおばあちゃんに話しかける声。
中国語と、
台湾語が、
ごった煮になって弾んでる。
わたしの耳は、
そのかんじを、
よく覚えてて、
なつかしい歌を、
あたらしい気分で聴いてるような、
そういう気分。
この歌に身を浸しているうちに、
わたしは、
わたしが日本語で記憶していることの “向こう側”にあふれ出してるものを、
つかめそうで、つかめないようで。
もしかしたら、
つかまなくても、
きっといいのかもしれない…
意味のあるような、ないようなことを、とりとめもなく感じ続けてる。
そのくせ、
生きてることがいとおしいような。
いまこそ
あいするってことを、
おさらいしているんだな自分は…
などと確信していたりもする。
タイペイ。
トウキョウにいるときよりも、
ほんわり夢うつつなのは、
このあたたかな、
気候のせいなのかしら。
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12月28日(日)
つい最近、
トウキョウで、
おばあちゃんのことを思って、
涙ぐんだ。
昨夜、
ここタイペイで、
やっとおばあちゃんに会えて、
微笑んだ。
おばあちゃんの手をにぎって、
ほそいからだを抱きしめて、
日本語で、
会いたかったよ、って言った。
おばあちゃんが涙ぐんだ。
わたしがうれしかった。
これがお父さんのほうのおばあちゃん。
きょうはお母さんのほうのおばあちゃんに会いにいった。
こちらのおばあちゃんは、
家の前で、
ちいさなからだをちょこんとのばして、
わたしたちを待っていた。
会ったとたん、
右手で妹を、
左手でわたしを、
きゅっと握りしめた。
目をちっちゃく細めて笑いながら、
ゆうゆちゃん、いくちゃん、
わたしたちの名前を呼んだ。
わたしは突然おもったの。
トウキョウだろうと、タイペイだろうと、シャンハイだろうと、キョウトだろうと、
どこでだっておなじだ。
路地にいるすべてのおじいちゃんやおばあちゃんたちが、
なるべくたくさんの時間、
こんなふうに笑ってるといいなって。
笑ってますようにって。
おもったんじゃない。
叫びたくなったの。
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12月27日(土)
いつもいるところよりも、
うんとうんと南の町。
タイペイは、
皮膚にくすぐったい。
3年ぶりだ。
いま、この身体が、感じることを、
ひとつだって逃したくないよ。
それにしても、
どこにいたって、
空はおなじ広がり方をしてる。
四方が見当たらない。
だけど雲の携え方は、
やっぱりちがうもんだね。
それとも、
それを映すわたしの目が、
興奮しているだけなのかしら。
とりあえず、今夜は、月を探そう。
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12月26日(金)
“喜びを力に”
しかっと決意した。
今年が過ぎてゆく。
来年もいっぱい笑おう。
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12月24日(水)
きょうの夕方、
北海道の“おともだち”・タカハシさんから、
クリスマスの贈り物が届いた。
ながいこと、
ご無沙汰にしていたのに、
かわらぬ気遣いが温かくて、
おもわずじんとしながら、
封をひらいた。
やさしいクリスマスソングのつまったアルバムが二枚、
それから思ったとおり気遣いに充ちたあたたかいお手紙。
タカハシさんが贈ってくれる歌は、
いつもあたたかくやさしい。
おおきくなってからはどうも、
クリスマスっていうと、
そらぞらしいし、
けたたましいし、
どうも好きになれないのだけど、
ちっちゃい頃家族で過ごしたこと、プレゼントのリボンをひもといたことを思い出すと、
やっぱりすてきだなあって思う。
いつかおとなになって、
妻になって、お母さんになって、
そしたらわたしは、
こどもたちに贈り物を選ぶだろう。
料理はいまのところ、自信ないから、手作りのケーキはないかもしれないけど。もしかしたら作るのかな。
そしたら、夫となるひとに、サンタクロースの格好くらい、してもらわなくっちゃね。
だからわたしは、
“ママがサンタにキスをした”
が大好き。
ああ。
よのなかのすべてのひとびとにとって、
あいするひとと作る、
あいする場所が、
むやみに踏みにじられないように。
そういう世の中になるように。
ジョンとヨーコの歌を思い出しながら、
今年はやけにくっきりそう思う。
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12月24日(水)
“私”の物語を、
徹底的にうたいながら、
“世界”との接続を、
自動的に果たしている。
そういうひとたちの
“表現”に、
わたしは、
すこぶる弱くて、
すこぶる励まされている。
ってことに、
ここにきてようやく自覚した。
子供の頃からずうっと、ずうっと、
そういうものを、
そういうものにさわるってことを、
わたしときたら、
切実に求めてきたんだ。
大それたことに、
いつしか自分もまた、
そういう“歌”がうたいたいと。
思うようになっちゃったんだ。
ああ。
うたえるのかな。
わたしには?
ああいう歌がうたえるのでしょうか。
でもうたいたいのです。
心底、繋がりたいのです。
私から世界へ。
試しつづけるんです。
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12月23日(火)
わたしは、
甘ったれ。
どうしようもない、
甘ったれ。
傷ついたことなんか、
全然ない。
人に物語れるほどの、
傷なんか。
わたしにはない。
傷じゃなくて、穴。
わたしにあるのは穴だけだ。
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12月22日(月)
わたしが、
突然、南国にあるような極彩色の花を咲かせても、
どうか笑わないでね。
わたしが、
唐突に、むやみに大きな花びらのついた花を咲かせても、
どうか、驚かないでね。
ぜんぶ、ぜんぶ、
丹精を込めて、
育て上げた花たちだから。
あなたが蒔いたんじゃなくとも、
あなたという根がなければ、
この世にあらわれなかった花たちよ。
あいしてやって。
ねえ、
こうとも言えるわ。
わたしに起きてることは、
ぜんぶ、
わたしに必要なことなの。
わたしに必要なことは、
わたしたちの愛に、
必要なことなの。
わたしは、
生涯かけて、
わたしたちの愛を死守することを選んでゆく。
念頭にあるのは、
いつもそれ。
こんな女を、
どうか笑わないでね。
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12月22日(月)
きのうは、
久しぶりに、
もらい泣きした。
ある女の子が
招待してくれた
彼女自身が出演する
お芝居。
きのうわたしは、
それを観に行った。
電車と電車、それからバスを乗り継いで、
辿り着いた先にあったのは、
某芸術高校。
熱気こもる体育館で、
2時間とすこし、
わたしは彼女や、
彼女の仲間たちを、
観ていた。
お芝居のことは、
わたしには、
よくわからない。
だけど、
すべてが終わったあとに、
あることに打ち込んで、
打ち込んで、
打ち込んで、その果てで、
ぶわっと湧いた涙たちが、
宙で光ってた。
おおきな輪の輪郭を濡らしてた。
きれいだったな。
さわれないくらいよ。
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12月21日(日)
おもうの。
自分って、
色々なことに対して、
深刻すぎるのかもしれない。
来年は、
この緊張しやすいのを、
なんとかしたいな。
ほぐすのが上手になりたい。
ひとりで、じゆうに。
笑みを、かたわらに。
ほぐしてほぐして、
適度なやわらかさを保つのだ。
いまなら。
いま、決意してしまえば。
きっと、
できそうな気がする。
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12月20日(土)
久々に、朝寝坊。
とろける日の光りに、
長々と
まみれていました。
昨夜おそく帰ってきた母と、
今夜はおそくまで、
長々と
お喋りしてました。
母の顔は、
台湾に帰る前のそれよりも、
ずっと、
晴れ晴れしている。
母は母で、
その胸の中で、
あの伯父の物語を、
完結させたのだ。
はやく父の顔も見たい。
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12月19日(金)
コロナビールの、
瓶が好き。
心の中のサボテンの色だ。
わたしは、
わたしの代わりに
ライムを搾るナオちゃんの、
右手の指を見ている。
細くて、ながくて、
わたしのとはぜんぜんちがう。
ともだちになってから、
何年たつの?
(まだ十年もたってなんかないけど)。
わたしはナオちゃんに、
ぜんぶを喋る。
なるべく、ぜんぶを。
ナオちゃんと(そしてあだっちゃんと)、
河原を歩いて歩いて、
ださい制服のスカート、
ひらひらっとさせて、
あの日の曇り空のかんじとか、
コロナの味とはまったくかけ離れてて、
なんか、ちょっと、そっと、
笑っちゃったりして。
とにかく今夜は、
あけすけのわたし。
あけすけのナオちゃん。
心の中のサボテンが、
咲かせた花は、赤。
砂漠に棘刺す、赤。
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12月18日(木)
だれもいない、
だれも知らない、
隠れ家で漏らす息は、
しっとり花やぐ。
朝がくるのを
せき止めたくなるよな、
夜に濡れてる。
夢に揺れてる。
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12月17日(水)
今夜が、
この心を、
きゅっと、
つかむ。
どうして、
こんなにいとおしいの。
ひとが、
わたしを、
好きと思ってくれるのなら、
わたしは、
簡単にしあわせになれる。
こどもみたいに、
簡単に。
あ、でも。
わたしがそのひとたちを、
好きだからっていうのも、
あるんだろうね。
ずっとずっと。
これで生きてゆくんだろうね。
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12月16日(火)
伯父さんの祭壇のまえで、
両手を合わせた。
はやすぎる死だと思ったけど、
伯父さん。
いままで私が知らなかった伯父さんの話を、
たくさん聞いて、
伯父さんがどれほど、
伯父さんの人生を、
濃密に生きていたのか、
なんかわかったような気がして。
伯父さんのことを昔から知るひとたちが、
どれだけ伯父さんを慕い、
伯父さんとの縁を大切に育んできたのかということを、知り、
いつのまにか、
ほんとうにいつのまにか、
涙の意味が変わってた。
伯父さん、
わたしね誤解してた。
家族のために、兄弟のために、
伯父さんには犠牲にしたものがたくさんあったのかと思ってた。
全然そんなことない。
犠牲だったら、
こんなに、
たくさんの愛が、
伯父さんを見送らない。
そうでしょ。
そうなんだ。
祭壇に、
レモン味のダイエットコーラのペットボトルが並んでるのを見て、
ちょっとくすぐったくなった。
伯父さんがダイエットコーラを飲んでるところ、
いっぱい覚えてる。
伯父さんがいて、
お父さんがいて、
お父さんの兄弟たちや、
そのお嫁さん、
従兄姉のお兄ちゃんやお姉ちゃんに、
うんと小さな女の子だったわたし。
そしておばあちゃん。
ここよりずっと南にある熱い島の、とある家の風景。
伯父さんが逝ってしまってから昨夜まで、
寝ようとすると、
そんな風景が渦巻いて渦巻いて、
泣けちゃってしょうがなかったけど。
きょう、
伯父さんに会って、
お花を捧げて、
両手を合わせて、
今また、
あの家族の映像が、
淡い幸福感に充ちてきた。
わたしのなかで、
伯父さんの物語は、
やっとハッピーエンドだ。
わたしの勝手だけど、
ハッピーエンドだと思った。
時は、
こんなふうに容赦なく、
あたらしい瞬間を
突き突けて
わたしたちを試すんだ。
でも、
わたしたちは、
笑ってる。
泣きながら、笑ってる。
記憶を湛えて、物語は続く。
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12月15日(月)
毎日は、
一回ずつしか来ないっていうのに、
なんかいっぱいあるような気になってる。
麻痺してるんだ。
こうしてるうちにも。
ことばさえじょうずに扱えたら、
この毎日をもっときちんと描けるかもしれない。
そしたら、
目が覚める?
のかなあ?
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12月13日(土)
よわいくせに、
たくさんお酒を飲んだのわたし。
だって、だって、
ひとが好きなんだ。
ひとと、
そうしていると、
笑っちゃうの。
そして、
不意に泣きたくなるの。
わたしが、
いつかは戻れるかなと
夢見ていた“場所”は、
とっくのとうに、
この世にない。
だから、
すこしずつ、すこしずつ、
新しい“場所”を。
この世にも、
築いてゆきたいんだろうね。
わたしは。
いつもより、
ずっと多い星々を見上げながら、
他人事のように、
思ってた。
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12月12日(金)
知らないひとたちと、
知り合うという一瞬を想像するとき、
からだじゅうで怯んでしまう。
だめなの。
逃げ出したくなる。
追い払われるくらいなら、
わたしから先に消えとくからって。
そう思ってしまう癖が、
わたしにはある。
なのに、
それでも、
だからこそ、
わたしは、
知らないひとたちと、
あたらしいひとたちと、
出会うのを、
とても欲している。
わたしが、
ここにいてもいいんだよと。
思わせてくれるような、
ひとたちと出会うのを、
いまだに、
子供っぽく、
欲している。
からだじゅうで求めてる。
きょうのわたしは、
夕方までずっと、
怯みっぱなしだった。
今は夜。
深い夜。
わたしに、
手招きしてくれて、
今夜のあの
心地よい場のなかに、
導いてくれた
すべての人々や、
出来事、
そして偶然と必然に、
感謝が溢れてくる。
いじけがちの、
単純な、
愛されたがりの、
子供っぽい自分が、
今は、なんだか、
かわいく思える。
しあわせな夜。
おやすみ。
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12月11日(木)
うってかわって、
白く重たい空。
冷たそうな音を鳴らしながら、
雨が降り注いでいる。
きょうは、
あたたかくしなくちゃ。
袂から隙間風、
なんて事態は
いやだもの。
あれに、
耐えられるほど、
わたし我慢強くない。
我慢なんて。
しあわせでいたいの。
そして、
しあわせは、
そこそこの温度さえあれば、
得られるもの。
そう思ってるの。
なんて、
さむがり屋の言い分かしら。
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12月10日(水)
冬だな、
冬がきた。
冷たい空、月は依然まるいのです。
それでもお日様を浴びれば、
すこしはあたたかくて。
きょうの昼下がりは、
公園の木のベンチで、
カフェモカ
を啜った。
甘くて、熱い。
モカの味がひろがるのとおなじ速度で、
幸福感がわたしに充ちる。
ひととき、ひとときを
積み重ねている気がとてもする。
人生の遥かさを噛み締めている気が、
とてもする。
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12月9日(火)
今夜は月がいい。
まんまるだ。
さむさに耐えるのもたのしいような、
気がしてしまう。
でもやっぱりさむいから、
急ぎ足で、
月のしたを行くの。
明日は明日でどうなるのかな。
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12月8日(月) 2
ひと眠りしたあと、
ほど丸い月のした、
ふらふらしながら、
図書館にむかった。
本棚と本棚のあいまにいると、
ブンガクにほだされて、
現実感が麻痺しかけてしまう。
いつものこと。
そうしたら、
会えるとは思っていなかったひとと
偶然会ったの。
うれしかった。
夢の続きをみつけたみたいに、
うれしかった。
そろそろ、
夢とうつつのあいだに、
線を引くのはやめようかな。
どちらもぜんぶ、
わたしには本物なんだもの。
行きよりも大分まとまな足取りで、
月のしたを歩きながら、
そっと思ったのです。
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12月8日(月)
わたしは、
おんなというものになりたいのだ。
おんなが持ち得る性質を、
ぜんぶ、欲しがっているのだ。
少女みたいに上の空であり続けたいし、
幼女みたいに泣き喚きたいし、
老女みたいにくたびれてみたい。
母のように抱きしめたいし、
娘のように抱きしめられたい。
★
ここ数日、
父のことばかり考えている。
父にとって、
“おんなの子ども”である自分と、
ここにきて、
初めて向き合ってるような気がする。
娘たちを無償で守り抜こうとする、父という“おとこ”がいたから、
わたしは、
自分が、
おんなであるということ、
素直に求めてこられたんだ。
わたしがここにいるというだけで、
溢れてくる。
父がわたしたちに注いできたものは、
こんなところにも溢れている。
父があるから、生きているのだ。
父は何があるから、生きているんだろう。
わたしたちは、父に、何をしてあげられるんだろう。
★
きのう、伯父が、逝ってしまった。
わたしは今、
なにでもない。
なにでもないまま、
ただ、ここにいる。
ただのわたしが、
ここにいる。
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12月6日(土)
父のことを思う。
伯父が倒れて、
あとは祈るしかない。
そうなった今、
わたしにできることはもう、
他に何もないと。
諦めて、祈ってる。
母が飛行機のチケットをとった。
“パパのそばに、いようと思うの”
母の言葉を聞いてわたしは、
みんなの“大きいお兄ちゃん”である伯父のことで、
みんながうろたえたり、
揺れてたり、
どうしようもなかったり、
している今、
“次に大きいお兄ちゃん”である父が、
今、
精神的にも肉体的にも、
とっても大変なんだろうということを、
ほとんど想像していなかった自分を、
激しく嘆いた。
祈りは必要だ。
そして、
より強く祈ってる人の、
気持ちを和らげるためにそれぞれの立場でできることを考えるのも必要だ。
いまさらになって、
気づくのだ。
明日父のそばに飛んでいく母に、
“うちのことは心配しないで”
というので精一杯だったけど。
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12月5日(金) 2
きょうのわたしたちは、
ひょんなことから、
いつもは絶対行くはずのない場所で、
ひょっこり落ち合って、
あたたかい飲み物を啜ったのです。
あんなふうにしてるときほど、
日常がさらさら鳴って、
耳にやさしいときはない。
日常をいとおしむということ、
慣れないままでいたい、
などと思うのです。
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12月5日(金) 1
きょうは、
さむかった。
あんなにあっけからんとしていた空が、
きょうは、
遠くてかなわない。
伯父さんのことを、
みんなで待つことになった。
それでいいと思う。
それがいいと思う。
慣れちゃわないように、
祈り続けるのだ。
それしかできようのないことを、
するしかないときの、
ひたすらするしかないときの、
厳粛な諦めが、
このさむさによく似合ってる。
やさしいくらい、よく似合う。
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12月4日(木)
伯父が、
倒れたという。
夜遅く帰ってきたら、
母が潤んだ目をしていた。
大変なの。
そういって、わたしに言う。
アペエ(台湾語で父方の伯父の意)が、
大変なの。
倒れちゃったんだって。
意識が戻らないんだって。
わたしは、
父よりももっとふくよかで大きな体をしているアペエのことを、
思い浮かべて、
わたしが、
アペエと、
最後に会ったのはいつだった?
考えた。
もうずいぶんとながいこと、
会っていない。
アペエ。
小さいころは、
会うたびに、
頬にキスさせた。
アペエにはわたしよりも年上の息子がふたりいるけど、
娘がいなかったから。
姪っ子であるわたしには、
古き良きアメリカのお父さんみたいに、
接したかったのかもしれない。
胸元に抱き寄せて、
かがんで、
わたしの唇を待つのだ。
照れくさくて、
くすぐったくて、
それでも、
小さな女の子だったわたしは、
伯父さんのふくよかな胸に抱きしめられることと、
頬にチン(北京語でキスの意)することが、
うれしかったんだと思う。
だって、
よく覚えてる。
照れくさくて、
くすぐったくて、
愛に充ちてたよ。
愛に。
あんなにいいひとが…
潤んだ母の声で我にかえる。
今、
わたしの伯父さんは、
どこか深いところを、
さまよってるんだって。
どこか深いところを。
ねえ。
みんな、待ってるから。
待ってるから、
どうか戻ってきて。
また、アペエと呼ばせて。
お風呂場で肩まで浸かりながら、
声に出して呟いた。
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12月3日(水)
依然わたしは、
“束ねる”ということが、
とても不得意で、
唇からこぼれる歌を、
みすみす無駄にしがちなのです。
だからって、
もう、
嘆いたりしない。
ずっとずっと、
こぼせばいいんだ。
留まるということを、
わたしはどうせ知らない。
どんどんこぼし続ければいいんだ。
恥ずかしさを抱きしめてでも、
この世にキスするからね。
宣言しちゃうよ。
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12月2日(火)
大学四年間、
ずっとお世話になっていた先生の研究室を久しぶりに訪ねた。
甘いライチの香りがするお茶を淹れてもらって、
ホワイトチョコレートもつまませてもらって、
この一年のこと、
これからのこと、
いろいろなこと、
先生と話した。
先生はあいかわらず、
とても親身で、
わたしを自由に喋らせてくれる。
思えば、
高校を出てすぐの、
今よりもずーっと幼く、
何にも、
それこそ何にも、
わかっちゃいなかった頃のわたしを、
先生は知っているんだものね。
なかなかどうして、
こそばゆいもんだ。
それにしても、
あまりにもうららかなので、
今日もまた、
冬にいないような気分だった。
空は、
夜になってもあけっぴろげで、
月が目に沁みた。
己の未熟さも身に沁みる。
でも、
心地はわるくないな。
がんばろう。
すなおに思う。
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12月1日(月)
一夜を徹して、
起きてようと決めたから、
きょうは、
久しぶりに昼寝をした。
厚い雲に覆われた空は、
暗いし、
雨は降り続けてるし、
昼寝には躊躇のいらない天気模様。
わたしをくるむ毛布に、
わたしの体温がうつって、
雨の音も聞えてくる。
じぶんはいま、
夢とうつつの狭間で、
漂っているんだわ。
ふかぶかと感じる。
ところで、
そのときのわたしは、
いったい起きてたの、眠ってたの?
わかんないもんだね。
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