on日記 3月

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3月31日(水)

はげしい雨にも、桜の花は意外と散らぬものだ。
今宵は、おぼろ月。
少々冷たい風が、上気した頬に快い。
知らなかったひとたちと、おおいに、笑い合い、はしゃぎすぎて、足がもつれそうになる。

今日に限らず、わたしには、はしゃいだあとで、ひとりになった途端、とつぜん、不安になることが、よくある。

いまだにわたしは、自分が好くほど、ひとは自分を好いていないと感じるのが怖くてたまらない。
だからってわたしは、ひとを好きになるということが抑制できない。


はしゃぎすぎたな、と振り返るときは特にそれが、いったり、きたり、ひどくなる。

ところで、月占いによれば、今宵はラブレターを書くのに適しているという。

だからわたしも日記を早々と切り上げ、届いたメールの返信も忘れて、ラブレターを書こうと思う。

もう遅いから、書きあがるのは、きっと、朝方だ。

エイプリル・フールの朝に舞い込んできた愛のてがみは、ぜんぶ、嘘かと思われるかもしれない。

嘘つき、嘘つき。


今夜じゅうに書きあがったとしても、ラブレター、一日おいてから、出そう。

 


3月30日(火)

濡れ桜のした、青い傘を差して歩く。わたしの体には少々大きすぎる傘だ。

いかにも雨が降り出しそうな曇り空だったけれど、傘を持たずに、家を出た。もともと、すこしくらいの雨なら気にならない。タカをくくっていた。

夕方から雨粒は増え始め、日が暮れたら月も見えない。


首をすくめて早歩きすれば、しのげるほどの雨量では、到底、なかった。

参ったな、と思っていると、ともだちが言うのだ。ちょっと待ってて。

数秒後、彼の手には、その青い傘があった。大学の、忘れ物保管所にあったものだという。

ありがとう、
わたしは言った。

あなたを介してこの傘は返せばいいんだよね。

すると、ともだちは、おどけながら言うのだ。

どうせ、忘れ去られたものだし。気にしなくていいぞ。

ともだちとのやりとりを思い返し、濡れ桜、青い傘を傾けて、みあげた。空気がやわらかい。湿り気が好きだ。

夜もふけてきた。雨の音がつづく。桜は、おおかた、散ってしまうだろう。でもまた、咲くんだろう。そんな歌があった。

 


3月29日(月)

午前中いっぱい、苛々として落ち着かず、眉間に皺を寄せながら、麦チョコをつかんで口の中に放り込んだりしていた。

そして、この落ち着かなさ、は、2日間も日記を書いていないせいだということに気がついた。

わたしはほとんど、日記中毒、なのである。

経験を、それも、滑り落ちて、流れ去ろうとしている経験の数々を、言葉でもって引き留め、押さえ付け、標本にしようだなんて、なんと乱暴なことなのだろう。

だから今日は、昨日や一昨日起きたことについて、書くのはやめてみよう、などと思ったりもするのだけれど、やっぱりやめられなかった。


ところで、放っておけば日毎に薄まってゆく記憶は、所詮、取るに足らないものなのかもしれない。

反芻によって濃さが保たれる記憶もあるが、反芻をやめたとたん忘れてしまったらそれは、最初から、取るに足りなかった?

現実として、軽かった?

もしも、現実に、重いだとか軽いだとかがあるとすれば。

むかし、「忘れられないが、足りない」というキャッチコピーのついたお芝居の脚本の原作を書かせてもらったことがある。

「忘れられない」が不足すると、むなしさでいっぱいになる。

「忘れられない」が有り余るのは、重たくってしょうがない。

ちょうどいいようにするのが、おとなの、たしなみ?

だとしたら、いつまでも、ガキのままだな。

思い出した。

あの、お芝居のための一連の作業は、面白かった。

またしてみたいな。


3月28日(日)

「よく言われてることだけどさ」
右手で作ったこぶしを、左手の掌に押し当てながら、男は言った。
「棒は、広い範囲に衝撃を与えるだろ」
頬杖のわたしがうなずくと、男は今度は、握りこぶしのまま右の人差し指を突き出し、これは針ね、と言う。
「針が衝撃を与えうる範囲は、棒の場合と比べてずいぶん狭まる、ほら」
わたしは、男の右の人差し指が、彼自身の左手の平を突くのを、みた。
だけどさ、一息おき、男は言った。
「おなじ力だったら、棒よりも、針のほうが、鋭く深く、突き刺すんだよ」

わたしは頬杖をといた。男が言う。

「温は針になりなよ」





わたしが小説家になろうとしているのではない。小説が、あるいは、語られたがっている<断片>たちが、わたしをとおして、この世にあらわれようとしているのだ、と。

傍からきく限り、わたしのこの感覚は、聞き捨てならぬ、傲慢な思い込みかもしれない。

そうかもしれないが、わたしの場合、こんなふうに思い込むようになってから、いろいろなことが、しっくりくる。


いつからか、次から次へと、書くべきこと(書きたいこと、ではない)が、溢れてくるのである。

それらを、拾い、集め、ひとつの<物語>に仕上げてゆく技量が、どうにもこうにも、追いつかない。もどかしくて、たまらない。

このもどかしさが、わたしを、不安にさせるあらゆることのうち、もっとも、おおきな原因だ。


どこかに、もがく若い自分を、見守る老婆の視線を感じる。
老婆は、わたしだ。
書きたいことを、書き続け、書き貫き、年齢を重ねていったわたしだ。

この<老婆の視線>が、わたしを、落ち着かせる安定剤のうちのひとつだ。

わたしは、<わたし>に向かって書こうと、繰り返し、思う。

その真っ只中で、ときどき、わたしは、自分が自分(自身の問題)についてのみ、考え過ぎてしまっているのではないかと、立止まってしまう。

今までの、わたしの書いてきたものといったら、この日記を含め、わたし自身を慰める以外に何をし得たのか。

すこしは、誰かを、ラクにしているのか?

この、語られたがっている<物語>たちは、どういうつもりで、この世にあらわれたがっているのだろうか。

すこしは、誰かに、刺激を与え得るのか?

たった一人の、わたしのためにだけ、なのであれば、わたしが書くということの意義は、あるのか?

わたしが棲む、この世界で?





針になりなよ、という男の言葉が、針のように突き刺さる。深くて、鋭い。
針のような男にむかってまっしぐらな恋に堕ちたのはとおい昔の話ではなかった、と思い出す。
ずいぶん昔からわたしは針に焦がれ、針になりたかったのだ、と思い出す。


3月27日(土)

頬が赤らんで、赤らんで、おなじ勢いで気持ちも弾んで、弾んで、しまいにゃ弾け飛ぶんじゃないかと、思った。

ともだちからの電話、お花見するからおいでよ、と。

校門の前あたりにいるから、とメール。

冷や風を肌に感じながら、膝をおりまげ、身をちぢめて、ぬるいビールをすすったり、冷えた唐揚げや、ソーセージなどなどをつまんで、ときどき降ってくる花びらを手でのけてって、尿意をもよおすものならさあ大変、
そういうイメージのあるお花見だけども、

電話をくれたともだちや、彼と一緒にいるというもうふたりのともだちへの会いたさが唐突に募り、大急ぎで電車に乗り、電車を降り、駅のコンビニで、缶ビールを買った。

思いのほか、さむかったから、日も傾きかけていたから、結局、いつものテーブル席で、飲んで、つまみをつまんだ。


いいかもしれない、あの、天井まで吹き抜けのガラス窓から、ひらひら、花びら、桜が見えるのがいい。きれいなお手洗いが、すぐそこにあるってのも、いい。

何より、好き放題喋っていても、許容される(諦められている)、友人たちとの関係が、わたしにやさしい。

ところで、4月付けで、この大学に学籍を置くのは、わたしだけになる。

わたしは、わたしの領分で、がんばらなくてはな、と、真面目に思った、赤ら顔だけれど。


3月26日(金)

わたしは浮遊している。着地からは程遠い。ときおり、足元の覚束なさに眩暈がしそうになる。

と思えばわたしはうずくまっている。足の裏を地面にぴたりと貼り付け、うつむいて、穴を掘り続けている。
ところが穴を掘っていると思っていた手はいつのまにかわたし自身の中に入り込み、わたしはわたし自身を夢中で掻き乱している。

指に、何かがまとわりついた。きらきら、ぬめりながら、光っている。

夢の話ではない。

きょうの夕方、成績通知書をとりに、大学の事務室まで行った。

いよいよ、大学院生活も、二年目に入る。

この一年間日本文学を専攻していたのだけれど、四月からは、国際文化学を専攻する。

“国際文化”はいい言葉だと思う。

<くに>の、<きわ>を、<ぶん>と、<か>するのだ。

国の際を、文と、化するのだ。

国の中央ではなく、その国とその国とは別の国のすれすれのところ、その部分について、文にする、書くのだ。

まさにわたしは、それが、したくて、たまらないのだ。

それで、それでというのは正しくないのかもしれないけれど、わたしには、折に触れて、思い出さずにはいられない男の人がいる。

会ったこともない上に、もうずっと前に死んでしまった人だ。

格好わるい死に方だったのかもしれない。

その人の弟はその人を失ったことによって、麻雀狂いになって家庭をないがしろにし、それでその人の妻が苦労した。彼らには、七人も、養うべき子どもがいたのだ。

その子どものうちのひとりが、わたしの父親だ。

「濃い密度で生きようと思うのなら、まずは、己のルーツを探ること」

<政治犯>として処刑されてしまった人間が、自分をつくってきた流れの一部に、確実に存在していた。

わたしは、そのことに、どのくらいの距離をとって執着していけばよいのだろう、と考えている。

もしもわたしが、こんなふうに日本語でものを考えるという運命のもとになかったのなら、こんな思いも薄かったのだろうか。

いずれにしろ、大学院での生活は、さらに、わたしを駆り立ててゆくに違いない。


3月25日(木) きのうのこと

だれかが言ったんだろう。
校歌を、歌うことになった。
会場が、どよめく。

「みなさん、さあ、
肩を組みましょう」


優しい顔の司会者が言った。
会場が、さらにどよめく。

大皿の料理がいくつも載ったテーブルを取り囲んで、肩と肩を組んだ人の輪ができていった。

受付にいたわたしとともだちは、ふざけ半分で、坐ったまま、肩を組み合って、笑った。そのときまではよかった。

コードレスマイクを握った司会者が近づいてきて、わたしたちに言った。

「さあ、あなた方も、輪になってください」

くらっと、した。のろのろと、ともだちのうしろをついていった。

ともだちの隣に、知らないひとがいて、知らないひとのむこうに、知らないひとがいて、さらにむこうにもまた、誰かいて、ぐるっと一周、肩と肩が組まれていって、それは、確かに、輪だった。

歌が始まった。

こんなに簡単に、出来上がってしまう輪の中に、こんなに簡単に加えられてしまった。ひとつ(・・・)()()のために、加えられてしまった。

しかしわたしはその歌を、サビしか、サビですら、いいかげんにしか歌えない。

にくい人なんて、いない。あの司会者、両隣のともだち、目に見える範囲の人々の楽しげな表情、歌を正確にかたどる口元、にくいものなんて、ひとつだって、ない。

なのに、口を、パクパク動かしながら、わたしは、唾を吐きたくなった。

一昨年の、サッカーのワールドカップを思い出した。
ふだんスポーツ観戦なんてほとんどしないのに、あのときわたしは、青いユニフォームをまとった選手達を、ずっと応援していた。わくわくした。彼らを応援することで、彼らを応援するすべての人々と繋がっているような気がした。試合うんぬんよりも、たぶん、そっちの感覚のほうが、うんと強くて、白状すれば、わたしはうれしかった。
自分も、この共同体の一部なんだ、と。恍惚とした。

あれとおなじようなことを、わたしは今、してるはずなのに。どうして恍惚になれない?

右のこめかみに、さっきから鈍い痛みが続く。きっと、不安なのだ。たったひとつの歌のために、輪が、こんなにも簡単にできるのだ。たまたまここにいたわたしが、輪に、こんなにも簡単に、加えられてしまうのだ。

いつ弾き出されるのか、おそらく、それも、こんなにも簡単だ。

だから不安だ、いつ弾き出されるのか、不安だ。不安は、不信となって、わたしを、恍惚に導いてくれない。前みたいに。


わかってる、わかってない、安易にはいえない。矛盾だらけだ。今、ワールドカップを観たら、どうなるんだろう、とか。わかんない。

ただ、わたしは、この数ヶ月で、すっかり知ってしまった気がする。
わたしをたまらなく恍惚とさせるものと、どうしようもないほど不愉快にさせるものとが、実は、おなじひとつの根で繋がっているということを。

そして、いつか、どこかに着地するのか、あてもなく、ただ、うろたえている。

普段はなんともないのに、ときとして(それこそ今回みたいなことによって)、自分はうろたえている真っ最中なんだということが、剥き出しにさせられる。

あと何回、繰り返せば、先が見通せるようになるのだろう。

 

受けてたってやる。



3月24日(水)

信号待ちしていたとき、夕食後のお茶屋さんで飲んだチャイが唇に貼り付いたまままだ香っている、と思った。
折り畳み傘を開くのが面倒くさくて、その程度で済む小ぶりの雨だった。
小脇に抱えるドーナッツの箱が雨に濡れることだけが、心配で、
夕方から続く右のこめかみの鈍い痛みだけが、憂鬱だった。

お風呂からあがって、すぐに、バファリンを2錠、口の中に放り込んだ。水が必要だ。水を出す。コップに注ぐ。飲み込む。バファリンが溶けるのを待つ。
冷蔵庫は開けたまま、風呂上りの肌は火照り、冷気をはねかえす。

みんな、寝静まっている。

頭が痛い。
いつのまにか、チャイは、香らない。唇が嘆いている。


3月23日(火)

花冷えの夜。わざと大きな声を出したくなる。

妹の頬があかく火照っている。泣き腫らしたまぶたが、重たい、という。

姉のわたしは明日着るスーツを試着する。クローゼットの一番隅に吊るされていたスーツ、着たのは、きっかり一年ぶりである。問題ない、腰のあたりに手を当てる。前以上に丸みを帯びたような気が、する、鏡をとおして目で見るよりも。

TVの、天気予報が伝える。明日も、冬並みの寒さだという。


黒いタイツを、スーツのズボンの下に穿く計画が、自動的に立ちあがる。母がスーツに合わせられる冬物のコートを貸してくれた。黒い、コート。

羽織るのは、明日の朝でいい。スーツも脱いで、ハンガーに集めて吊るす。

ともだちの言ったことが、わたしを、ひらひら、揺らす。

好きなひとが、いるんだ。
したことがないことを、したくなってしまう。
罪なこと、罪なこと。
わたしにはわからない。


花冷えの夜。きょうはコーヒーを飲み足りない。でも、金と銀の折り紙に触った。金と銀の折り紙に触るとき、指は遠慮がちになる。

この髪がながくなったら、今よりも、ずっとながくなったら、そんな指つきで、して。絡めて。

もう眠たい。

きっと、きょうは、必要なだけのカフェインが、体に、ない。


3月22日(月)

春休みも、間際だ。

数週間かけて、何冊かの本を同時並行で精読してきた。
そのうちの、いちばん、薄いやつを、きょう、読み終えた。

なんか、うれしい。

頭に入ってるか否かとか身に付いているか否かとかそういうの、とりあえず抜きにして、なんか、うれしい。

分厚いのが何冊か、どんと控えているけれど、今は忘れといて、なんか、うれしい。

読み終えるつもりでいた本はこれだけじゃなかったはずだ、というのは、言いっこなしで、なんかうれしい。

たぶん、こんな本、とっくに読んでおかなくちゃならなかったんだろうけど、それがどうした、なんかうれしい。

 

これ以上やると、うれしくなくなってくるから、もうやめよう。


3月22日(月)

きょうのように空はあかるいのに雨の降る日は実はきらいじゃない、むしろ好きだ。
とくに、木々の葉が濡れてるのを、眼球の全体で感じていたくなる。

むかし、家族や親戚で、マレーシアに行ったことがある。
伯父さん一家が、マレーシアに滞在していた時期だった。
わたしは十一歳とか、たぶん、そこらで、今よりずっと、憂鬱だった。
マレーシアの、湿り気と、曇り空ゆえの気怠いあかるさ、しっとりした緑色が、憂鬱なわたしの肌や目に染み込んだ。
今思えば、あのときマレーシアは、大胆なほど、わたしのなかに、入り込んできたんだと思う。
今でも、台風の前の生温い風や、きょうのような明るい曇り空の下にいると、憂鬱な子どものような気持ちになる。

そういう気分で、きょうは、本を読んでいた。あとすこしで読みおえるというとき、わざと、席をたち、トイレに行った。終えることをもったいぶったのだ。用を済ませ、手を洗っていたら鏡にうつった顔が自分のものでないような気がした。かといって人のものでもない。めったに見たことのないもののよう思えた。とくに、唇。唇が熱帯に咲く花のように思えた。花にしては肉感すぎるかもしれない。花という存在そのものが生殖器なんだからいいのかもしれない。
こう思うのは、

<異化作用>とは日常見慣れたものを非日常的な形で提示することである

という文章を書き写したばかりだったのと、記憶のなかのマレーシアが疼いているのとが、タイミングよく結びついたからなのかもしれない。

席について、ふたたび、MDウォークマンのイヤホンを耳に差し込む。気がつけば一月以上も、毎日のように、おなじ人の歌う歌を、こんなふうにして、聞き続けている。いや、気がつけば、なんて嘘だ。ちゃんと、自覚的に、選んで、この人の歌う歌ばかりを聞いていた。

指で確かめたら、ほんとうに、あとわずか数ページで、本は終わる。

あかるい空からの雨はまだ止まない。

 


3月20日(土)

受話器のむこうの、父の声が昂ぶっている。きのう、演説中に撃たれた政治家が、僅差で、当選した。

わたしは、このごろ、むくみがちなふくらはぎをさすりながら、母が父と電話で話しているのを聞くともなく聞いている。

きのう撃たれた政治家が打ち出した政策のひとつに、台湾の公用語を台湾語にする、というものがある。そうすることで、<台湾人>の誇りとアイデンティティーを形成せねばならない、と。とりあえず、わたしが理解している限り、そういうことを、言っている。

<日本人>ではないわたしは、自分が日本人ではないことと自分が台湾人であることをイコールで結ぶことのむつかしさを、特に大学院生になってからは思い知らされ続けている。
わたしは、<台湾人>ではあるけれど、台湾在住の<台湾人>とはちがう。

その位置から、眺めてみて、わたしは、あの政治家を、支持できない、と感じていて、その理由は、まだ感覚的でしかなく、混沌としていて、論理立てて説明できない状況にあるのだけれど、とにかく、<言語政策>、ということばそのものに、アレルギーを感じずにはいられない。

それから、一年前に始まったせんそうのことを、思い、せんそうのことを思うのには、やっぱり、現実感を伴う痛みが、足りない。

日本にいる。

この夜のことは、契機だった、と。

いつかのわたしは、振り返るのだろうか。

 


3月20日(土)

どこかで卒業式があったらしく、袴姿の女の子達がひらひら舞っている。

雨だからか、町は、水のイメージと水槽のイメージに浸され、女の子達は、余計に金魚のようだ。

昨年の今頃、わたしもまた、卒業式に出た。袴は着なかった。その代わり滅多に穿かないスカートを穿いた。それで充分、わたしにはハレだった。
その日の夜は、きょうのように、小ぶりの雨がぱらついていた。知らないおじさんが、横断歩道の手前で、ビニール傘をくれた。
救われた気持ちになった。
その数十分前に、ともだちがともだちを傷つけるという決定的瞬間に、わたしは、たちあっていた。

かなしかった。

思い出は、重荷になりかけて、足を引き摺る。みしっと音がして、均衡が崩れる。好きだった場が失われた。はやく気づけばよかった。いや、気づかなかったわけじゃない。認めればよかった。みしっと音がした瞬間に、覚悟を決めればよかった。遅すぎた。

いやな、終わり方だった。

知らないおじさんのビニール傘は、小ぶりの雨から、わたしを守ってくれた。柄の部分が温もっていて、笑いを誘った。

誘われるがままに、笑うことにした。

一年たつ。

紫色の傘を差す、紫色の袴を身につけた女の子が歩いている。偶然にしては洒落ている。他の、ほとんどの女の子はみんな、雨が計算違いになったハレ姿だった。

こんな春の雨の日は、誰かが笑いを誘ってくれたら、いいのに、と、他力本願になる。

 


3月19日(金)

高い梯子がある。銀色の脚の、丈夫そうな梯子だ。梯子の真上の天井はぱっくり開いていて、暗がりのなかに、ごちゃごちゃした管やら線やら詰っている。

梯子のそばには机があって、わたしはその机に向かっている。今月末に発行される予定の冊子の、最終原稿に、誤字や脱字があるかどうか、確かめている。
右手はシャープペンを軽く握り、左手の人差し指は赤のボールペンの表面を弄ぶように撫でている。
集中しなくてはならないのに、文字を追えば追うほど、文字の連鎖が言い表そうとしている意味内容はどんどん遠のく。
隙をつかれて、好きな人からくるメールは着信ではなく、着床と呼ぼう、などと不埒なことを思いついてしまう。
いけない、いけない、と顔をあげれば、梯子に乗っかった工事のひとの、胸から下が見える。深緑色の、つなぎを着ている。その首は、完全に、ぱっくり開いた天井の中にある。線やら管やらを、つけたり、外したり、しているのだ。


あのひとの手はきっと、わたしの手には知りようもない動き方をするだろう。わたしの手はシャーペンを動かしたり、箸だって実はまともに扱えない、貧弱な動きしか知らない。恥ずかしくなる。

原稿の文字が、揺れて、おぼろげだ。

シャーペンの芯が短くなりすぎた。本体から出てこない、出ても、つるっとすべって引っ込んで、文字が書ける状態じゃない。あの、感じで。眠気がわたしに襲いかかる。恥ずかしげがない。
しのびもない。
わたしの名前は、編集部員から削除するべきだと、ほんとうに思う。そもそも、おまけのように編集部員のひとりになってしまったのが、いけない。わたしに唯一できそうな仕事ですら、こんなにもままならない。

こんなわたしが「編集者」に憧れている、といったら嘘のようかもしれない。

でも、ほんとうなのだ。
なりたい、という意味ではなく、わたしは「編集者」に憧れている。

ぱっと見では、てんでばらばらのものを(傍から見れば)ちょっちょいとひとつの「作品」に仕上げてしまう才能を持ったすべての人々に憧れている。
あたかも、子だくさんの母親のようで。たとえ(・・・)がすこし、いや、だいぶズレている。だけど別のたとえが思いつかない。しかも、「子だくさんの母親」、という言葉が、思いのほか、いとおしい。

缶コーヒーがからっぽになる、へんに喉が渇く。あたらしい缶コーヒーが欲しくなる。MDウォークマンのイヤホンで両耳をふさぎたい。今この瞬間、メールが着床(・・)、しないかな。

あしたがこわくなる。
力も業もないこの身だもの、あなたがこわい。
わたしに余計なことばかり考えさせる。


3月19日(金)

中国語の教科書を閉じた。今年度、最後の授業だった。

クラスメイトたちと、お昼ごはんを食べにゆく。
クラスメイトとはいっても、みんな、しきりに言う。わたしのことを若い、若いと。

たしかに、わたしといちばん歳の近い人が、小学3年生と幼稚園の子どものいるママなのだ。夫の転勤で上海に2年間住んでいたひとの発音する中国語は驚くほどきれいで本人はむこうにいたとき発音の基礎を徹底してやらされたから…と照れくさそうにいう。数年前まで大手出版社でバリバリ働いていたおじさまは月に2回はかならず温泉にいくという引退生活を満喫しながら勉強している。

半年前から、週1で、わたしは、彼らに会う。彼らとおなじ教室で、彼らとおなじ教科書で、中国語の教科書を精読する。

「わたしもね、台湾、ぜひ行ってみたいの」

焼き魚定食と、さばの味噌煮定食が運ばれてくる。玄米茶を一口啜って、先生は言った。

昼の込み合った時間なので、みんな一緒に座れず、たまたまわたしと先生がふたりきりで向かい合った。

わたしよりも5、6歳年長の娘が先生にはいて、だからというわけではないけれど、“おかあさん”と呼びたくなるような雰囲気のひとだ。実際、おおらかで、やさしいひとだった。
そして北京のひとである。

「わたし、天壇公園、大好きです」

言ったとたん、あの、白い地面と青い屋根の建物があたまのなかに浮かび上がる。あの年の秋、わたしや、ともだちは、万里の長城で、北京市のオリンピック開催誘致運動にたちあった。おおきな横断幕に、ほとんど何も考えずに名前を書いてきた。

「そうね、あそこはいいところね」

北京の話をしばらくして、話はまた台湾に戻った。

「故宮博物館に行きたいんだけどねえ。行けないのよ」

わたしは玄米茶を啜る。熱い。

「個人では、まだ、中国から台湾には自由に入れないんですか?」

おかあさんのような先生は複雑な表情で頷いた。


「ツアーで行くのなら大丈夫なんだけれど、わたしは、行くなら個人で行きたいのよね」

それから先生は焼き魚定食を、わたしはさばの味噌煮定食をもくもくと食べる。

「この、お米、とても美味しいですね」

先生がいう。笑って頷く。

店内があたたかいから、おっとりと眠たくなる。玄米茶の熱さで目を覚ます。


わたしと先生の会話は日本語と中国語まじりだった。

もっと、なめらかに。舌がなめらかに動いて、中国語をかたどれば、いいのに、と思う。

わたしにとって、第一言語だったかもしれなかった中国語は、今もまだ、まだまだ、外国語だ。

先生は、母なる表情で笑って、言ってくれる。
「大丈夫よ。若いから、すぐよ」

クラスメイトたちも、いう。
「若いから、すぐよ」

若さは、いつまで、有効なのか。わたしは、先生や、クラスメイトたちの眼にうつる、わたしの年齢的なことから生じる、まばゆさを、認める。そして、わたしの眼にうつる、先生や、彼らも、充分に、まばゆく、かつ、しなやかだと思う。

すこしも、留まったりなんか、しようとしていないところが。

次に彼らに会うのは、たぶん、3週間後だ。わたしの舌は、しばらく、集中的には中国語を扱わない。母との与太話に二言三言、挟み込む以外にはきっと。

不十分だろう、中国語を本格的に身につけたいと思えば、この調子では。それでも、まずわたしには、日本語で、考えたいことが、たくさんある。困ったことに、ありすぎる。答えがみつかろうと、みつからまいと、きっと、考え続ける。中国語は、この調子で、ほそぼそ続けよう、死に絶やさぬよう気を遣う程度で。

今のわたしにはたぶんそれがいい。

わたしがそんなこと考えていたころ、台湾は国家だ、と主張しつづけている政治家が、狙撃された。あしたには総統選挙を控えていた。


血が騒ぐ。

騒ぐこの血は、さかのぼって、どこから流れてきたのか。
どこだっていいはずだ。
血の出所にこだわるのは、他にこだわれる要素がないから、という気がする。

台湾が、国家であろうと、あるまいと、わたしは、天壇公園に好きなときに行きたいし、先生は好きなときに故宮博物館に行けるような、状況をのぞむ。

わたしに、選挙権はない。
あるとしたら、それは、パラレルワールドで、浮遊している。

幻の選挙権を、だれにも、渡したくないような、気がする。


3月18日(木)

夏に、平和使節団の一員として沖縄に行った。

きょうはその団員たちの集まりに顔を出す。
雨がそぼ降るヤスクニ神社の境内をすごい勢いで駆け抜け、雨で濡れてしなった地図を頼りに、集合場所まで向かう。

こぎれいなビルの五階の、会議室に入ったとたん、冷えきっていた指が一気にぬくもって、とくとく、血の巡る音が聞えてきそうなくらいだった。

何かしらの団体に所属し、何かしらの運動や活動をするのは、はっきりいって、苦手だ。お尻がもぞもぞする。

だからって、ひとりじゃ、ただ喚いてるだけでしかない。

この、矛盾を、いかにして、解決すればいいのか。

などとたいそうなことは実はあまり考えず、夏に会った人たちとまた会いたいからという理由だけで、羽毛のように気軽に、ヤスクニの境内を駆け抜けてきたのだ。


だというのに、おとなたちの前で、まくし立て過ぎて、最後のほうは、余計なことを言わないよう、気をつけた。

熱だけで、熱だけでは、どうにもならないことがある。よくわかっている。でも、熱が、熱があるなら、それに、おもねったほうが、いいときもあるのだろう。

わたしは、わたしが抱いた違和感を、ぜんぶ、見過ごさない。

この隙間から、言えることが、ある。
それだけで、充分、言う意義がある、と思う。


3月17日(水)

千石の三百人劇場で、ともだちが勤めている劇団の芝居を観る。

劇が終わったあとは、西巣鴨でお好み焼きを食べる。空腹でビールを飲んだせいか、酔いのまわりが早かった。赤ら顔になっていることを自覚しながらキャベツのたっぷり入った好み焼きを突付く。カウンター席だったので、ちょっと耳を澄ませば、隣人の会話がよく聞える。右隣にいた女はスペイン帰りらしく、スペインに行ったことにより価値観ががらっと変わったという。女の連れの男は女の恋人ではないらしく虎視眈々と女を口説きにかかっている、とわたしには聞える。

ナオミも、いま、スペインにいる。
今から飛行機に乗ります、とメールが来たのが、テロの起きた日の昼だった。

「桜が咲くころ帰ります、なんてね、かっこつけてみました(^.^)」

東京は唐突に寒さがぶり返した。桜の花は咲きかけたまま、何を思うのか。ナオミも、いま、何を思っているのか。会いたい。

「カレシは大丈夫?」

右隣の男のいうのが聞えてくる。スペイン帰りの女は、テーブルに置いてあった携帯電話に触れ、うん、まだ仕事中、と応える。けだるい声だ。


わたしは、フンパツして、サイコロステーキも食べている。食べ終わるのが惜しいくらい、美味しい。カウンターのむこう、左上の棚には、昔懐かしい雰囲気の形のテレビがある。
美輪明宏が、映し出されたしゅんかん、おもわず、見入る。
美輪明宏も、このごろは、くたびれた顔をしてる。彼の歌う「愛の賛歌」を聴き泣いたのは去年の六月だった。それにしてもわたしは、きれいなおんなのようなおとこに、気がつくと惹き付けられがちだ。

きっと、
おとこにもなりたいし、おんなでもいたいし、なにより、きれいな人になってみたいからね。

海外旅行くらいで変わるような価値観は阿呆らしいと思っていたけれど、もしかしたら、価値観が変わりようもない海外旅行は海外旅行ではないのかもしれない。

恋に堕ちたくらいで変わるような価値観など薄っぺらい紙のようなものだと思うこともあるけれど、価値観も変えられないような恋はそもそも恋などではなく、そんなものには、たぶん、堕ちようがない。

わたしは酔っ払っているのかもしれない。脈絡がない。案外それはいつものことかもしれない。

焼きおにぎりはお皿にのせたまま箸で押し付けてちぎって食べる。付け合せの沢庵が口の中であかるい。ともあれ、気分は、わるくない。ただ、やたらと、浮ついてしょうがないだけだ。


3月16日(火)

我に返ったときにはもう、口中にべったりと広がった甘味に辟易していた。
急いでそれを、歯磨き粉をたっぷりのせた歯ブラシで洗い落とそうと試みたけれど、甘味は喉の奥まで侵食していて、どうにもとまらない。
たとえたった一切れだとしても、午前一時にチョコレートなんか齧るものではないと思った。
空腹だったわけじゃない、なにか、なにかこう、口寂しくなっただけだ。カタカタとキーボードを叩き続けている深夜にはよくあることだ。
とつぜん、口とか、歯とか、舌とかが、噛んだり、くわえたり、舐めたり、したくなって、そわそわしてしまう。
むかし、そうなるたびに、こんにゃく畑のぶどう味を口のなかに放り込んだことがあった。こんにゃく畑なら健康を害さないと思った。思ったとおり、新陳代謝がよくなった。よくなりすぎて困り果てた。
以来、一口もこんにゃく畑を口にしていない。
しかし、こういう夜は、やはり、来る。
煙草がたぶんちょうどいいのだろうけど、いかんせん、吸ったことがないし、吸う気が起こらない。
チョコレートはお肌にわるいし、適当なものが、なかなか見つからない。
おしゃぶりでも買おうかしら、と、ときたま思う。


3月15日(月)

砂のうえを歩く。
スニーカーを履いた足でずぶずぶ歩く。

普段ほどきやすいこのスニーカーの紐がきょうは一度もほどけなかった。
母と、妹が、すぐそばではしゃいでいた。
空はよく晴れていて端っこのほうが白くぼやけていた。
海は空とくらべて少し濃い色をしていた。
母娘3人で鎌倉に来たのに理由はなかった。

わたし以外のふたりは、和菓子の特集をテレビでやっているのを、先週の半ばくらいに見ていた。
鎌倉にあるお店の和菓子なんだってねえ、食べてみたいねえ、
ふたりがにこにこそんなことを喋ってるから、思わず言ってしまった。
じゃあみんなで行こうか。
横須賀線に揺られ、鎌倉駅でおりて、小町通をゆく。

母も妹もしじゅう楽しそうだった。
女の子が好きそうな雑貨屋でいちいち立止まり、かわいいかわいい、と連呼する。
気候がよく、さむくもなくあつくもないことが、救いだった。
わたしはときおり、瞬間的に、退屈で潰れそうになった。何故そうなってしまうのか自分でもわからないし、楽しくないわけではない、だけれど、母と妹といて、きっと気楽すぎるのだ。そのせいで、わたしは、退屈を感じることにも遠慮がない。
鎌倉の街並み、木々のかんじ、店店の構え、住宅地の家々のつくり、
すべてがとても良かったのに。
江ノ電に乗り、由比ガ浜で降りて、人気のない道をまっすぐと、海にむかってゆく。

横浜ナンバーの車が連続で数台通り過ぎて、そういえば、あの小町通で“恋みくじ”をやろうと言い出したのはわたしだった。
おみくじといった類がわたしは好きで、ましてや、“恋”がつくなんて。
やっと海がみえた。砂のうえを歩き始める、思いのほか、深い。ずぶずぶ進んでゆく。その、足元の覚束なさに、この心境はよく似合う。

先々のことを知らない。
知らないまま、歩んでゆく、この感触。

海が見える、海が。
濡れながらひろがってゆく。

 


3月14日(日)

夜更けに、ぼわっとオレンジ色に照っている半月を見た。
わたしはこのごろ、ずっと、もぞもぞ落ち着かない、特に夜。
むかしはあんまり感動しなかったくせに、先週聴いて以来夢中になった、おおきなバナナの絵のついたアルバムに夢中になっている。
やさしくて、艶がある、声に痺れてる。
いとしいひとよ。
どうか浮つくこの両脚を、太腿のあたりを、しっかり、押えてください。
でないと、どっか、わかんないところに、飛び立ってしまいそうで、こわいのです。


3月13日(土)

よくもわるくも、まいにち、日記を書きすぎてしまう。

ベッドにもぐりこんで、うつぶせになってもまだ、広げたノートに、つらつら、なにやら綴っている。
文字が、踊り狂う。
しかも平仮名の比率が高い。
よくもわるくも、書くことがいちいち、多すぎる。
そのくせそのうちのどれひとつとして、まともな状態で、つまり人様に見せられるような状態で、仕上がることはほとんどない。
きりきり舞いが自己完結しているのだ。
週末くらいは穏やかな気持ちで夜を閉じようと思いノートを開かないと一日過ぎたあと不安になる。
わたしは、どう考えても、日記にしがみつき過ぎている。
これしかない、みたいな、気になっている。
どうしよう。


3月12日(金)

缶の、冷たいほうのコーヒーを、昼下がりから夕方にかけてやすみなく飲み続けている。
外は曇天。太陽はどこへやら。
きのうの生暖かさもどこへやら。
春は、これ。乱れ、乱れて気まぐれだ。
それにしても眠たくって仕方がない。瞼がおもたい。カフェインが効かない。

分厚い本は、まだ第2章目。

3月も半ばだというのに。
それよりも、終わってない<物語>がてんこもり。続きが打ち込まれるのをハードディスクのなかで待っている。
始まるのを待ち構えたまま固まってしまった<物語>は脳みそのなかで埃をかぶり始めてる。

これら可哀相な<物語>たちの<作者>は、何してるんだろう。

とろりんと鈍った頭、持ち上げるのでやっとなのだ。
カフェイン中毒に半分なりかけてるのだ。アルコールでないだけ純真そうではないか。

コーヒーのために、
どんどん消えてゆく、100円硬貨。
どんどん溜まってゆく、10円硬貨(※1)。

それでも分厚い本は分厚いだけでなくいちいち刺激的である。そうでなくちゃ、まいにち、時間をかけて精読してる甲斐はない。

「言語の実践とは、世界を解釈することにほかならない。言語が現実を構築するのだ。」

その一文に黄色い蛍光ペンを引いたとき、隣のテーブルの会話が聞えてきた。

「わたしは、ことばで正直な気持ちを伝えるということ、いつも大切にしたいと思う」
言ったのは、
ほのぼのとした雰囲気のわたしよりおそらく何歳か若い女の子だった。
「ん? それって、あまりにも時と場合によらない? たとえば、××ちゃんは、“太ったね”って言われたらうれしいの?」
言っていたのは、みるからにインテリ風情のおそらくわたしとおなじ年かひとつかふたつ下の男だった。
わたしはその男の、女の子を理詰めで追い詰めようとするような雰囲気がなんとなく腹立たしくなって、あえて会話に耳を澄ましてみた。
「それは…ちょっとちがうよ」
「え? なんでちがうの?さっきいつも大切にしたい、って言ったじゃん。いつもって言うからには俺が今言った例も含まれるべきだよね?」 
「うーん、そうじゃなくて…わたしが言いたいのは、わたしはいつも相手が言ってもらってうれしい言葉を探して伝えてあげたいってことなの」
「それは、お世辞ってこと?」
「うん…そうじゃなくて」

「しかも相手の言ってもらいたことって限定してるんだよね?それじゃあ、正直な気持ちじゃないよね? 最初に言ったことと矛盾してない?」
その後も会話はつづき、女の子がなにかを言うたびに、男は、で?で?ん?ん?と繰り返し、その口調にはまるで可愛げがなく、よしゃあいいのに思わず聞き入ってるわたしは、むかむかむかむかしてくる。

気がつくとわたしは、彼らの会話をメモにとっていた。以下、メモを参照に。

わたしは、自分がありがとうっていったとき、その気持ちが伝わったかどうかひどく不安になるの」
女の子は観念したように、そういって、

「自分のことばが伝わってるのか、いつも、不安で」
すると男は

「ん? だれが不安になるんだっけ?」
「え? ありがとうってう言った自分…」

女の子は応える。男がつづける。
「それって結局、レスポンスの話だよね。つまり××ちゃんは、ありがとうって言われたら、きちんとどういたしましてって言ってもらいたいんだ」
「…うーん」
「だってそうでしょ、ありがとうって言って、なんにも返ってこないのが不安なんでしょ」
「でも…ただ言われるだけじゃ、やっぱし、不安だよ」
「ん? じゃあ、何? ××ちゃんにとっての理想の“どういたしまして”って何? ちょっと言ってみてよ」
「それは…」
すると男はここぞとばかりに言うのだ。
「ね、言葉は必要だけど、それだけじゃない、言葉のみならずっていうじゃん。言葉より大切なものがあるんだよ。わかる?」
女の子はちょっと考えてから、
「気持ちを言葉で言おうとする姿勢…ってことだよね?」
と言う。
そこで男はおもむろにそれを否定し、誇らしげに言い放ったのだ。
「いや、そんなもんではない。言葉より大切なものは行動なんだよ

ここまで引っ張ってきてその結論はないだろう、と。読んでいた分厚い本をその男に投げつけたくなるのをこらえながら(こらえなかったらそれこそ、彼がいうところの言葉よりたいせつな感情表現を彼にしてしまうとこだった)わたしは、コーヒーを一気に飲み終えると、つめたい風を浴びに建物の外に出ることにした。

もしかしたら、男の言ってる意味内容は、何一つ間違っていないのかもしれない。
しかし、しかし。
何が悪いかって、その男の立ち居振る舞いがことごとくエラそうで尊大ぶった調子であったのがいけない。

願わくばあの女の子が男を基準にして今後歩んでいかないように。たぶん、あなたのほうが、みんなに愛される。

しかし、わたしもまた、こんなことで憤っている場合じゃないのだけれど。

※1大学の自販機は、缶コーヒーひとつにつき90円なのだ。
 


3月11日(木)

染めたてのこげ茶色の髪の毛がうれしくて、何度も何度も鏡をのぞいた。
この髪の色ときたら、ここ3年以来、もっとも、暗い。

風のつよい一日だった。乱れる髪に手をやるたび、なにか楽しくなった。
指で触っただけで、変えたての髪の色を思い出してしまった。

これだけで、そう、これだけで、ふわふわと心が弾む。わたしも、まだまだ、そう、まだまだ、アオイね、女の子だね。

もっともっと、やらなくちゃいけないことがあるでしょう。
だけどだけど、
このあたたかくて、つよい風に、吹き飛ばされないようにするだけでも、
なんだか精一杯だ。

呆けてるのかな?

髪の色をかえられるように、国籍を選ぶのも自由だったら。
わたしは何人になろう?

と父親にいったら、笑ってた。
2年前のことだ。

もうすぐわたしたち家族は日本での永住権を申請する。


3月10日(水)

からだのなかで、真っ赤な毛糸玉がしじゅう弾んでるみたいだ。

今にも口から飛び出しそう。

腰の辺り、太ももの付け根辺りから、力がなくなってゆく。

怖くて、わっと顔をあげて、自分のお尻がきちんと椅子にくっついているということ、不思議でしょうがなくなる。

ときが流れている。
水のようだ。水のようだ。

つかめない。

終わってゆくの、始まってゆくの、よくわからない、
春は苦手だ。


3月9日(火)

背中じゅうに草の切れ端がくっついているのを笑われ、パタパタはたいても全然とれなくて、仕方がないから、笑い続けてた。

梅の木の満開の下で。

空は、どこまでも、青かった。

春休みだから遠出しよう、夏休みのときにしたみたいに、鎌倉に行ったときみたいに、どこかに行こう。

それで、わたしと彼女は、そんなとこにいた。


まずはフレッシュネスバーガーでハンバーガーとバナナケーキをテイクアウト、温かいお茶は自販機でモノにして、
われわれながら、良い場所を選んだものだ。

お日様は温かいし、梅の花はきれいだし、蜂がやってきて、彼女の食べかけのハンバーガーを襲うなんていうハプニングもあったけど、でもこうして、芝生のうえに寝そべってる。

草のにおいの、花のにおいの、鳥の声の、風の、空の、光りの、ハンバーガーの味、一緒にいる彼女とのお喋り、全部が全部、わたしをしあわせにした。

こんな目にときおりでもあえるのなら、わたしはこのまま、埋もれていってもいい…一時的に思いかけて、すぐに、いいえそんなわけには行かない、行くわけがない、と思う。

笑いながら、思う。


3月8日(月)

いつものように4、5人掛け用テーブルを独占して、昼過ぎから、ノートを広げていた。
そのうち分厚い本の精読に飽きてきて、小休止しようと、購買で買った麦チョコを開封する。麦チョコを口のなかに放り込む。

軽い気持ちだったのだ。軽い気持ちで、わたしは、李良枝の『かずきめ』を読みはじめた。

最後の一ページが終わったあたりで、全身のちからが抜けた。が数秒後、すぐに、熱が、かっかっと、からだじゅうをめぐりはじめた。

いまにも自分は叫び出すんじゃないかと思うような、興奮と衝撃。

小説でこんなふうになったのは、去年の秋に中上健次の『岬』を読んだとき以来だった。


本を閉じて、息を深く吸い込む。代わり映えのない景色だ。
おおきな窓のむこうには晴れすぎた空がある。わたしのいるところからみっつほどむこうのテーブルではサークル活動か何かなのだろう、6、7人の男女が、英文を順番に音読しあっていた。けっこう、きれいな発音だ。

『かずきめ』によって、わたしは半ば熱に浮かされていた。そしてぼんやりと、過ぎたばかりの金曜日のことを、思い出し始めた。




あの日、わたしは映画館に居た。
最初から違和感がつきまとっていた。
そのせいでお尻が落ち着かず、そのうち、腹をつたって熱いものが肺のあたりまで込み上げてきて、わたしはポップコーンの入ってる紙の容器をぐしゃりと握りつぶしてしまった。

おおきなスクリーンのなかでは、桜の花びらがひらひらと舞い、大勢の敵のまえで腹を斬ったばかりの男が目を見開き、呟く。
「完璧だ」

ぞっとした。
わたしがぞっとしたとほとんどおなじ瞬間、ひろい映画館のあちらこちらから、すすり泣く声が、耳に入ってくるような気がして、わたしはわざと耳をすましそれが決して気のせいではないことを確認すると、大げさではなく、自分はいま、この映画館の中で一人ぼっちなのかもしれない、と思った。

どれだけ日本語を自在に操ろうと日本語によるものの見方をしていようと、菊の紋章のついたパスポートを持たないわたしには、受け継ぐべき日本人としての誇りを持つ資格がないのかもしれない。

そうでなければ、こんなに、疎外感をおぼえない。

そもそも映画の序盤で、アメリカの先住民に酷い仕打ちをした自分を責めてアルコール中毒になってしまった主人公の乗った船が横浜港に入ってくるというシーンで、富士山とおぼしきおおきなおおきな青白い山が映し出されたとたん、眩暈がしそうになったのだ。

富士山が、ただの山としてではなく、日本人以外の外国人の目の前に、うつくしい日本の象徴として存在するとき、わたしは、どうしてこんなにも落ち着かない?

エンドロールが流れ出したとたん、わたしは場内を飛び出した。人々のすすり泣く声を聞いてしまったら、ポップコーンの容器を潰す程度じゃすまなくなるだろう。

扉の脇にいた映画館の係員があまりにもはやく飛び出したわたしを不思議そうな目でちらっと見た。
洗面所に駆け込んだわたしを、彼女はきっと、尿意のせいで、あの子はあんなにも急いでいたんだと思うだろう。
それもひとつの理由だった。
わたしは用を済ませ、手を洗いながら、鏡にうつる赤く上気した自分の顔をみる。あほうみたいだ。

こんなことで、動揺するんじゃないよ。

不意に、中国人の女の子と付き合っている友だちのことを思い出す。
去年の年末に放映された『愛新覚羅溥儀とその妻浩』のドラマを、寮のテレビで見た彼女が中国語で彼にいったというのだ。
「日本人は鬼よ」

わたしは眉間に皺を寄せ、苦笑しながら思った。
「深刻な痴話(・・)喧嘩(・・)ね」

あたりまえのことだけど、日本人が鬼だなんてわたしは思ったりしない。日本人に限らず、ある特定の国の人間を一つ括りにして「鬼」だと思うことは絶対にないだろう。
ただわたしは気がついた。
あの女の子が、敏感すぎると感じていた、自分の感じ方を、捉え直さなくては、いけないと、気がついた。
これぐらいのことで、わたしもまた、動揺するのだから。
とうぜん彼女とわたしとでは立ち位置も、状況も、全然違うのだけど。

洗面所はしんとしていた。
わたしは、これから友だちのもとに戻ることを思った。わたしの両隣で、おなじ映画を観ていたふたりの友だち。
わたしを、妹のように扱い、可愛がってくれる人たちだ。痴話喧嘩もできない。
そもそもわたしのほうが、ふたりに便乗して、ここにやってきたのだから。

わたしは、観ておきたかったのだ。アカデミー賞にノミネートされるような「日本映画」が描いている「日本」を。
観てからでないと、何もいえないと思ったのだ。



のこりの麦チョコをぜんぶ、口のなかに放り込む。
李良枝の小説をあしたもわたしは読む。
自分があの小説の何に惹かれてるのかは明白すぎる。
ならばきょうのうちに読めばいいのに、もう、ちからが足りない。

ねむらなくては。
もう、大丈夫、もう、一夜やそっとの夢には、かき消されないはずだ。
あしたを待とう。


3月8日(月) ♪

CHARAの、
あたらしいアルバムを聴く。
昔のCHARAの歌を、
今のCHARAが、
あたたかく、歌っている。

昔の歌い方のほうが、

ずっとずっと尖っていて、

ずっとずっと痛々しかった。

あれをたくさん聴き込んでいた頃のわたしは、今よりもずっと自分を飼い馴らすのが下手くそで、そのせいで、いつも笑ってたような気がする。

あたらしいCHARAを聴きながら、今、わたしは、堂々と物おもいに沈むわ。
男の子のことを思いながら。
恋でもしてるみたいに?
ええ、そうよ、恋よ、これは。
好きなひとを好きということ、隅々まで、味わって、味わって、甘くても痛くても、まだ味わって、決して飽きたりしない。
こういうのが、きっと、恋なのよ。


3月7日(日)

しょうこりもなくまた、満月に見惚れている。

きょうは中央線にながく乗った。日のだんだん暮れてゆく空が、横にむかって流れ続けていった。

キヨスクで買った四角い箱にのじゃがりこをぽりぽり食べ続けた。温かいお茶をときおり啜った。となりには、ともだち。リュックサックを膝のうえに乗せている。


わたしたちは、一年前の今ごろ知り合い、このごろ親しい。

中央線から降りたら、夜だった。
三角ビルのなかにあるレストランに入った。

こいびとどうしが坐るような席で、横に並んで坐り、夜景もみた。

こそばゆいほど機械的な夜景だった。

おなかいっぱい食べたあと、それぞれのデザートを、一切れずつ、交換して、食べた。

財布が思ったいじょうに軽くなって、あしたからはしばらく、おとなしく過ごそうと思う。

つよいビル風に耐えながら、手袋をはめた手をポケットに突っ込み、月だ、月だ、といいながら、歩く。

わたしには、夜景を見下ろすよりも、夜空を見上げるほうが落ち着くのだ。

そういう気持ちを持った男の子や女の子の物語を、いつか綴るだろう。


3月6日(土)

手袋をはめる機会を逃し、ただでさえ冷えた指先が冷気に晒されてさらに冷えてゆく。


新宿は、特に休日の夕方は、人と、人が、途切れない。

彼女とはそこで再会した。

彼女とわたしの身長は、数ミリ単位しかかわらない。会うたびに「ちいさくなった? あたしがおおきくなった?」と言い合う。


きょうもそうだった。

わたしたちは端っこのほうの席でむきあって座り、おなじアイスティーを啜っている。そろそろパスタも運ばれてくる。

彼女は彼女の髪の毛を後ろに束ねてそれがとても似合っていた。

わたしはわたしの髪の毛がすこし気になる。きのう、あんまり梳かさないで、眠ってしまったから。

と、わたしがこんなことを思っているだなんて知ったら、彼女は笑うだろう、と思い至る。


彼女は、わたしの頭についた寝癖を、飽きるほど見ているのだ。

わたしたちはやってきたパスタをそれぞれ食べながら、喋り続けた。
他愛もないことばかりで、それはもう、「結婚はまだいいや、でもするのなら愛する人とがいいね」とか、そういった類の。むかしおなじことを喋ったときよりも、多少現実味は帯びたかもしれない、でもだからこそ、言わずにはいられない。

重要なのは、おもいでばなし、に終始しなかったことだ。

彼女が笑いながら手を振るのを見送ってわたしもまた笑いながら手を振っていてその手は依然冷気に晒されていたけれどもう気にならなかった。

これから一時間とすこし、電車に揺られて帰ってゆく彼女が、わたしのなかのあかるい部分を、刺激してくれたことは確かで、わたしはひとりなのに笑ってしまう。

とても好きだったひととの関係がいつのまにか死んでいってしまうことほど、かなしいことはないから。
せつないことはないから。

今夜が、
そうではなかったことが、こんなにもいとおしいのかもしれない。


3月5日(金)


この日はいろいろなことがあった筈なのに、この日はこの部屋で寝なかったから、この日を記すための言葉はみんな溶けて流れてしまった。

いちど夢に触れてしまうと、もう駄目ね、現実は遠のく、言葉にされるのをすり抜ける。
もしかしたらそのほうが現実にはしあわせなことなのかもしれない。そういつもいつも書き付けられてはたまらないのかもしれない、ときには、秘密を持ちたいのかもしれない。
この日はいろいろ考えたつもりだけど、こうして思い返してみると、どれもこれも、一夜の夢で消えてしまうほど、軽いことだったのだ。
そういうことを、わたしは、えんえん、繰り返しているのだ。


3月4日(木)

歯列矯正をしていた過去がある。
2年ちょっとの間、歯列矯正用の装置を上下の歯に括りつけていた。
口を開くたびに、銀色の金具がちらつくという、そういう日々が、二十歳になる直前まで続いた。


終電間際の電車で帰ってきて、家中が寝静まっていて、あたまの奥にはかすかにお酒の影響が残っていて、お風呂に入ろうと鏡のまえで自分の顔を見ていたらとうとつにそんなことを思い出して、すっかり忘れていたのだ、そんなことをわたしは。

髪の毛を洗って、からだを泡で包んで、お湯でながして、ぬるま湯に肩まで浸かって、あしたはそういえば早いんだっけ、と思い出して、入浴剤の甘い香りにしょうしょう酔って、わざと、かちかち、口を動かしてみる。


3月3日(水)

けらけら笑って、一日がすぎる。
ノートの、白紙の部分が、日ごとに減ってゆく。
もう何冊にもなる。
これからも増えてゆくだろう。

わたしは、知識を獲得したい、と感じている。
血にして、肉にしたい、と感じている。

まだまだ、痩せっぽちなんだもん。
はやくはやく、熟したいんだもん。


3月2日(火) 2

右手は、権力と支配を。
左手は、服従と従順を。

象徴しているのだという。

銀のアクセサリーや皮製の財布や小物入れや願い事を叶えてくれるという石を売っているお店の、隅のほうの壁に貼ってあった手書きのビラに、そうあった。


ということは、ひとを殴りたくなったら右手を、いさめたくなったら左手を、
使えばいいってことか。

なんてね。

イラスト付の手書きのビラはさらに以下のことも伝えている。

親指は意志を、人差し指は導きと教えを、中指は直観とインスピレーションを、薬指は新世界への適合を、そして小指は秘密を。
あらわしているのだという。

つまり、
ほんとうに腹が立ったときには、右手の親指を突き出して殴れってことか。

なんてね。

冗談。

ただしそんな機会に恵まれないことは真剣に祈る。できればわたし以外の人々にとっても。

店のまんなかの壁に貼られた絵の中から、ネイティブアメリカンの男の人が何かをみつめていた。

この時代の、この国の、この都市の片隅にいる、

わたしのような娘にだって、

右手と、左手、それぞれの指にも、それぞれの意味を込めるということ、込めずにはいられないということ、

それをしてしまう気持ち、

全然わからないわけではない。


3月2日(火)

彼女とは半年に1回か2回、会う。
彼女はわたしのことが好きだという。わたしもわたしを好いている彼女が好きだ。


だけども彼女が靴を買うのに付き添って何軒もの店を一緒にまわるのは退屈で仕方がない。

小太りの気の良さそうな店員さんがわたしたちに話しかける。
「この色、なかなか人気あるんですよ」
何故だかわたしが愛想笑い、彼女は真剣に物色中。


アニダス、オールスター、コンバース、ナイキ、etc.
赤、青、ピンク、黄色、etc.

わたしをちっともそそらないシニフィアン。
と、思ったとき、
“シニフィアン”ということばを、初めて、日常生活の文脈のなかで遣うことがそういえばできたなと気づき、快感をおぼえた。
“シニフィアン”。
ほんとうはよくわかってない。だけどもこの快感はまぎれもなく本物だ。

けっきょく、何も買わずに、わたしと彼女は駅に向かっている。
本当はそんなに急がなくてもいいのに、さも急がなくちゃいけないような調子で、「もう行かなくちゃ」とわたしが言ったからだ。

彼女はにっこり笑って、じゃあ駅まで送るね、と言ってくれた。

わたしはやはり彼女のことが好きである。だから彼女といることによって退屈などしたくないのである。

ひとりになって、電車の座席に揺られて、人と人の合間から青白い空を眺めて、それから思い出したように、
「きょうはいっしょにランチできて楽しかったよ」
と彼女にメールを打つ。

 

送信、完了。

携帯電話をバッグに投げ込み、わたしはゆったりとした気分に浸る。

彼女が素晴らしい靴を手に入れますように。


3月1日(月)

連日の、生暖かさもどこへやら。

早めに起きて、厚めに服を着て、妹から帽子も借りて、傘を差して、いつものように、出かけた。

午前中の雨には雪すらまじって、ここ数ヶ月でもっとも冬だ。


こんな日は、建物のなかの暖かさにくらっとくる、眠たくなる。そういえば昨夜も夜更かしだ。

夜になると、もったいなくて、寝るのを引き延ばしてしまう。
いつまでもいつまでも、ひとりきりで、遊んでいる。
螺旋階段をえんえん降りてゆくように、遊んでいる。
怖いもの知らずになってゆく。
思うこと感じることいちいち大きくなる。

その反動なのだろう。

朝のわたしはだいたい弱気だ。思うこと感じることいちいち戒めている。

雪まじりの雨は、午後になって止んだ。
あしたは更に冷え込むと聞いた。
今夜も眠るのがもったいない。