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7月31日(土)
満月に見とれて歩いている。妹に会いに明日は京都に行く。
京都に行くのは去年の秋ぶりだ。そのときは京都の美大に通う妹に会いに行ったのではなく、大学のゼミの先輩や友人達と一緒だった。
秋とはいえど11月も半ばだったので京都駅には大きなクリスマスツリーが飾ってあった。それを眺めたあと夜行バスに揺られて東京に戻った。
楽しかった。ひとときの夢として密封してしまいたいくらい、楽しい旅だった。
と、胸のうちで断定したあと、へんに泣けてきたのは、この身体に織り込まれた秘め事が疼きだし、ほつれてしまいそうになったせいだ。
それで、月はこの地上のどこから見てもおなじだ、ということを大げさに感動してみることにする。たとえば今なら、ここからどんなに遠く離れたところからでも、こことおなじ満月が見えるはずだ。すごいなぁ。そう思ったとき、熱帯夜によく似合った生暖かい風が吹きぬけて、またすこし泣けてきたのだ。
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7月30日(金)
日傘を差して歩いたことはまだないけれどそろそろ必要かもしれない。夏の、昼の盛りの日差しは、あかるすぎる。
今日は中華街に行きました。
まずは紅色のシャツを買いました。服を買ったのは久方ぶりで服を買ったあとというのはこんな気分になるものだったわねと、やけに懐かしくなる。
巻きスカートや髪留めも欲しくなったけれど、無鉄砲に欲望に身を任せてはいけない。お財布の中身は底なしではない。
それに、ただ歩いているだけでも、充分楽しかった。
この頃<中国>のことをよく考えているのだけど、とてつもなく大きなものについて考えるときにはよくある話しだ、考えれば考えるほど、わからなくなる。そして、夢中にさせられる。
だからというわけではないかもしれないけれど、中華街の、キッチュなはずのあの雰囲気は、今のわたしに、妙に重みを帯びて迫ってくる。
黒い三ツ編がしっぽのようにくっついてる弁髪帽子と、赤い星のマークが律儀にくっついている人民帽 が、どのお土産屋さんでも同じ棚に並び、同じような値段で売られているのを見て、わたしは自分にとっての<中国>が、またひとつよくわかったような、よくわからないような気分になり、そしてその気分がちっともわるいものではないということに、今、不思議な気持ちでいる…紅色のシャツをいつ着ようか、ともくろみながら。
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7月29日(木)
桜色のマニキュアはぜんぶ落とした。髪は、毛先を揃えるくらいにしておいた。色も変えない。
後頭部がかすかに痛む。
スターバックスカフェで休憩をすることにする。スターバックスカフェではモカフラペチーノのショートに決めている。それはもう、頑なに。
鞄の中には、読みかけだったり、読まなくちゃいけなかったり、という本を、何冊も放り込んである。モカフラペチーノを一口啜ってから鞄の中に手を突っ込んだ。
本たちを掻き分けて、筆記具とノートをとりだし、テーブルに広げる。
そうするのは、ひとりのある女の子について考えるためだ。ひとりの、名前のまだない女の子。
彼女のいのちはわたしの意志にかかっている。襟を正そう。彼女を引き受けよう。
右手親指の、2日ぶりに裸に戻った爪を、唇に当てながら思う。
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7月28日(水)
友だちからメールが届く。
どこかへ行くことにした、という。
長い期間になるかもしれん、という。東京に戻ってきたらいの一番に連絡する、という。
追伸は、手紙書くな、だった。
変なきっかけで知り合った友だちだ。何かの縁だ。
こちらこそ大切にさせていただきます。
だから君、笑いながら日々を流れていって。
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7月27日(火)
今日は会えるとは思っていなかった友だちと偶然会えたことが心底うれしい。膨らんだ月もいいし気分がいい。
それにしてもあっというまに七月の片隅に押しやられてしまった。この調子だとまばたきをしてるうちに何もかもが終わってしまいそうで怖くなる。
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7月26日(月)
一昨日あたりから桜色のマニキュアが欲しかった。今日の午後それをドラッグストアで偶然見つけた。今日はだから髪を切る代わりに爪を桜色にしたのだった。
24にもなってわたしは化粧をするのがあまり得意ではない。マニキュアを塗るのも下手で思わず必死になってしまった。たまにはこういうことにこんなふうに必死になるのもいいかなと思った。
夜は友だちに会いに行った。久方ぶりに会う友だちは前に会ったときよりもすこし痩せていた。ふたりで、いろいろと話しこんだ。話しているうちに話はどんどん赤裸々になった。叱られたり、なじられたり、でも大丈夫だよと頭を撫でられたり、笑われたり、いちいちがすごく、心憎くて、楽しかった。
振り返ってみると18歳以来わたしにはすごく好きな友だちがいつもそばにいた。彼女はその一人だった。とても大切な人だ。
帰り道、なんとなく分かれ難い気持ちになってしまった。
それでも、手を振るときの彼女の顔が、今日会った瞬間よりも、ほぐれているように見えて、それがうれしかった。
電車でひとり、桜色の爪を見つめる。
ほんのひとときでいい。わたしは、わたしが大切に思う人たちが、わたしと一緒にいることで、何かしらの喜びを見出してくれればな、と思う。そのためなら、紅塗って踊ったっていいよ。いくらだって、おどけたい。
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7月25日(日)
旅の目的は、ともだち夫婦が営むお店、「たふらふ」に行くことだった。
なにせこの「たふらふ」、本日がオープン2周年記念日だったのだ。
昔、ふたりのおうちにお邪魔したとき、奥さまが手料理でもてなしてくれたのを思い出す。
「お店だせるくらい、おいしいよー」なんて言いながら、おかわりまでしちゃったのを思い出す。
それが本当にふたりで店を出しちゃって、2年たって、お店にはふたりを慕う常連さんがいっぱいいて、みんなで、おめでとうって乾杯している。
バーというよりは、昔お邪魔したふたりのおうちのような居心地のよさを感じさせるお店の片隅に坐って、マスターの作ってくれたカクテルを啜って、奥さまの作ってくれた味噌煮とんかつをつまんで、すごいなぁ、すごいなぁって、何度も思った。
夢が形になる、というのはこういうことなんだ、と思った。
楽しいけれど、ラクなことじゃないだろう。そう思ったらますます、すごいなぁ、すごいなぁ、という気持ちが募る。
わたしも、がんばらなくっちゃな、と旅のしあわせな余韻に浸りつつ思う。
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7月25日(日) 旅先にて
三面鏡をひらいて、自分の顔をみる。
水がいいのか、肌の調子がいい。髪も一筋一筋がいつもよりつややかであるような気がする。
それにしても、勢いだったとはいえ、随分とたいそうな宿に泊まってしまったもんだ。
身の程知らず、と小声で呟こう。鏡の蓋を閉じ、爪先立ちになっていた足を、畳にぴたりと貼り付ける。
一階の食堂で朝ごはんを食べているうちに、布団は片付けられてしまった。
ただっ広い畳敷きの床の上で、ツレは、仰向けになって転がっている。眠たがりの子は、あとしばらく寝かせてあげよう。そう思っている自分がやさしい気持ちになっているのに気づきすこしうれしくなる。
宿のお婆さんは、わたしを中国人と思っていた。
朝、身支度を終え食堂まで降りていくと、お婆さんは、わたしのことをいかにもやっと見つけることができたかのように目を細めて笑い、
「中国からいらっしゃった方だから、美味しいものを召し上がっていただきたいと思って…」
と言った。
「よろこんで、いただきます」と応えると、お婆さんは笑みをたたえたまま続けて言った。
「日本語がとてもお上手ね、中国の方でしょ?」
わたしも笑みを浮かべ、「台湾なんです」と応えた。応えてから、自分がとっさにそう言ってしまったことに驚いた。
わたしはからだじゅうで、このお婆さんが、温又柔という名前のこの若い宿泊客を、温かくもてなそうとしてくれていると、感じていた。それはどこか涙ぐんでしまいそうな感覚だった、それなのに。
ほんとうのところ、「温又柔」が中国人なのか台湾人なのか、ここで明確にする意味はあまりない、それなのに。
本当に、どちらだっていいのに。
なぜならば、わたしは自分が物心つく前から日本で育ち日本語を喋りほとんど日本人のようなもんなのだ。
そのことをわたしはお婆さんに言わなかった。もっと永く滞在するのなら、きっと言っただろう。
朝ごはんの玉子焼きは美味しかった。
おなじお婆さんに「あなたは日本人ですね」と言われていたツレが畳の上で寝返りを打つ。そのわき腹をくすぐってやりたい気もしたが、よしといた。
わたしのおなかは、「日本の朝ごはん」でふくれていて、幸福だった。
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7月24日(土)
夏休みの入り口に立っている。まずはバスに乗って小旅行だ。気をつけなくちゃならない。うかうかしてると時はあっというまに過ぎる。ぼんやりしていちゃいけない。日々をなるべくつよく深く噛み締めていたい。
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7月23日(金)
夢を見た。
どうしようもなく淋しい夢で途方に暮れた。
そしてこのぼんやりとした淋しさは、かくも嘆かわしいことに、しきりとこの一日に取り憑こうとした。
ところが、あとは寝るだけの今、けだるい淋しさはすっかり遠のいている。むしろ、やさしい夢を見たあとのようにふんわりと笑いたいくらいだ。
こんなふうに思えるのは、今夜ともだちがたっぷりと笑わせてくれたおかげだ。
まったく、好きだといってしまいそうになる。わたしはわたしをじょうずに笑わせてくれる全ての人を自動的に好きになる。
今までも今も、おそらく、これからも。
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7月22日(木)
おみくじを引いたら望んでいたのと正反対のことが書いてあった。花は見過ごせ、と。そういうことだ。神社の石段に腰掛けてため息をひとつ。夏は夏。神さまの言うとおりに慎み深く致しましょう。できるのかしら?
膝を抱えて空を見上げて額が汗ばんで、夢かうつつかわからなくなる。どうやら熱がある。熱があればあるほど余裕がなくなる。困った。
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7月21日(水)
今夜で夏前の授業はぜんぶおしまい。
水曜日は終電間際まで“師匠”と飲むのが恒例だった。
その帰り道いつもの坂道をひとり下りながら、師匠が、オマエはブンガクと結婚しろ、といったことを考えていた。
…それもいいかな。
と思うわたしは酔っ払っているのかもしれません。
気持ちのいい夜です。
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7月20日(火)
きのうは、夜どおし、はしゃいだ。
今、さすがに、くすぐったいくらいくたびれている。
すべてをおもちゃに変えてしまう友だちと遊んでいたら、日の出るのなんて、あっという間で、そこがどこなのかわからなくなりそうになる。
わたしたちには、あぶなっかしいところが、多分、あるんだろう。
でもそれは、別に特別なことじゃない。誰もがみんな、少しずつ持っているものだ。
そこんとこ指ですくって舐めてみたら、よくわからない味がする。
そうだ。“よくわからなさ”に、見切りをつけて、わかることだけを相手にする覚悟を決めなくては、まともな大人には、多分、なれない。
わかってる。でも、手を引っ込められない。まだ舐めてる。まだわからない。“よくわからなさ”が癖になっている。あぶなっかしい。
いつまでもわたし、こうしている気なのかしら。
時が動くのを拒んだのはピーターパンだ。
わたしは、わたしは…この場所を、これでもかっていうほど楽しみたいだけ。
この気持ちを保ちながら、おカネを稼げるようになれたら最高だなぁって思うだけ。
莫迦なことを。
ピーターパンよりも困ったことを。
それでも明日は何をして遊ぼうか…ほらまた、日の出だ。
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7月19日(月)
東京はうだるような暑さで夏の盛りといった風情。それでも木々のそばにいるとちょっとは涼しい。いつかの夏、女の子ばっかり7人で八丈島まで行ったのを思い出した。おおきな船に十数時間揺られてた。あんなことやこんなことがあった。ああ。わたしは久々に懐かしさに駆り立てられているようだ。しみじみとしている。なんだかんだいってわたしは、そのつどそのつどそばにいる友だちと、はしゃいでばかりいる。好きになったらとまらない。
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7月18日(日)
浴槽に湯が溜まるまでのあいだ、なんとなく手持ち無沙汰になったので、こうして日記を書いている。
あぶない、あぶない。
なぜなら日記を書くというのは、その日あったことを噛んで味わうことだからだ。
一睡もしていない夜の翌朝にそれをすると、段々と眠るのが惜しくなってくるからだ。
だから早く眠りたいときは日記を書こうとなどしてはいけない。
わかっているのに、こんなときほど、書かずにはいられなくなる。
浴槽に湯はとっくに溜まっているのに。書き続けてしまう。
はやく切り上げて、身体をきれいにして、ひと眠りして。
明日が待っている。
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7月17日(土)
打ち上げ花火を真下から見るのは初めてだったのでどきどきした。近所の小学校の校庭でだった。
夜の散歩をしていたら盆踊りの歌が風にのって聞えてきて、それに誘われてなんとなくたどり着いたら、花火が始まった。
花火はいい。
見とれてしまう。
しかも真下からなんて。
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7月16日(金) 2
つい昨日わたしは中国大使館に行ってきたばかりで、どの書類においてもそうなのだけれど、国籍の欄を前にすると、つねにある躊躇が生じる。
両親は、中国と書いたあとに括弧をつけて台湾と書く。少し前までわたしは台湾と書いてから中国を括弧で括っていた。
だからってわたしは、台湾のほうが中国よりも先立つんだと、むきになって叫びたいわけではない。
台湾とだけ書いたら、いつのまにか中国に正されていたという事実が心憎かっただけ。
それでこの頃は国籍欄を埋める機会にぶつかれば、中国を先に書いてもいいような気がする。
国家単位で物事を考えなくてはならないのなんて、飛行機に乗ろうとしてるときだとか、それに関連した書類を書くときくらいだ。
それに、国家としての中国と台湾は、今のわたしにとってはどちらも「外国」だ。
わたしはこの日本に身を浸しすぎている。わたしが日本人ではないということは、実はそれほど意味がない。生活に支障も出ていない。
それでもわたしはときおり思い出したように躊躇う。
国籍を書き込むべき欄を前にしたとき、首をかしげる。
国家がわたしを選ぶのか、わたしが国家を選ぶのか、コッカコカ。コカコッカ。
ところで国家としての中国と、国家であろうとしている台湾のあいだで、なにやらきな臭いことが起きたようだ。
それについて誰かがわたしに意見を求めてきたならどうしようか。
知らないよ、
と言ってしまおうか。
春に台湾の総統選挙は大荒れだった。
同じマンションに住む自称アジア大好きのおばさまは、わたしにむかって尋ねるのだ、エレベーターの中で。
あなたはどっち派?
わたしは、狭い箱の中で、
(知らねえよ)。
という顔をする。
時代が時代ならあんたって子はひょっとしたら逮捕されていたかもね、といった意味のことを母親がときどきいう。
そんなことはない。
この若者は政治になぞ、関心はないのです。
アジアかぶれのおばさまもそう思ったことでしょう。
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7月16日(金) 1
お茶を呑んでいるうちに、ことんと暗くなる。日が長くなった筈なのになと思ったけど、単に、お喋りをするのに、思いのほか長い時間を費やしたせいだった。
このお喋りは、なかなか終わらない。毎度思う。終電が気になるからいつも途中で止めなくちゃならないのだけれど。だから約束した。
今度は朝までやろうね。
それで手を振って、ひとりで電車に乗り込んだあと、わたしはそっと、春から今までのことを振り返って噛み締めるのだ。
わるくない。
わるくないや、ちっとも。
年齢をとればとるほど、すべてがよくなってゆく。身をもって感じる。
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7月15日(木)
師曰く、
黄昏は、昼と夜との混血児。
純粋な血液など、さらさら信じてないくせに、たっぷりの情緒をこめてそれを言う、師。
「血統書」ほど莫迦なものはないと考えるわたしもまた、師の比喩に、心をとられた。
わたしには師がいる。
日本語と文学と中国が大好きでヘヴィー・スモーカーの、青い瞳の師匠。
十代の終わりの頃は、詩人の愛人になるのがひそかな夢だった。
二十代も半ばに差し掛かった今もまだ、わたしは、詩やら文学やらその作り手に、憧れ続けている。
師匠が、わたしのそれを、促進している。
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7月14日(水)
知らないうちに何かを踏み潰しているんじゃないかと思い始めたらきりがない。知らないうちに誰かをどうしようもなく傷つけてしまっているんじゃないかと思い出したらきりがない。
何か、とか、誰か、とか、自分もまた、ちょっとしたことでそういった場所に吸い込まれていたりする。
踏み潰されたり、踏み潰したり、どちらもしてしまうのだ生きてる限り。
どうしようもない。
この、きりのなさと、どうしようもなさに包まれてるうちに、考えないことと、考えすぎることとは、どちらもおなじく罪深いことなんだって、なんだかやっと、思いはじめている。
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7月13日(火)
春の頃は日に一度は、頬杖をつきながら思った。春休みがこのままずっと続けばいいのにな、と思った。それが今夏休みになるのがちょっとさみしい。まさかそう思うなんて。
4月からというものの、日々刺激に満ちてる、よくもわるくも、自分を試すのには丁度いいことに多く恵まれている。そのたびに何もかもが繋がりながら育っていってる気がすごくする。
それにこの頃はまわりを見渡せば心強い。この心強さときたらわたしがうんと昔から欲していたものなのかもしれない。手に入るまでは気づきもしなかったけれど。
ひらたくいえば、ともだちに会えなくなるからって夏休みになることがちょっぴりさみしいだなんてわたしは何という“幸福”な学校生活を送っているのだろう、24にもなって、という話だ。
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7月13日(火)
とっくに遠くに飛んでったはずのあの子への気持ちが、たとえばこんな夜には戻ってくるのか、いつのまにか胸の底を水色に浸された。
思いのほか夜風は心地よくてそれがさらにいけない。だんだん泣きださんばかりの気持ちになった。泣かなかったけど。ワタシ、ツヨイもの。
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7月12日(月)
あなたはこの世の誰よりもわたしを手なずけるのが上手ね、といえば、手なずけてるつもりはない、だいたい手なずけられるだなんて思ってない、とのお答え。
どうしてわたしを好きなの、といえば、しょうがないことなんだよ、と笑う。
昔から感じていた。
手をつないでわたしたち、いつまでも、どこまでも、ゆけるんじゃないかと。
それをわたしは、
幼ないふたりが指きりをするように、大好きだからずっと一緒にいようね、と思い合っているように、頭っから信じていた。
あなたがあなたである限り、そして、わたしがわたしである限り、ふたりは手をとりあっていくのだろう。
更にこの頃わかってきたのは、仮にわたしがおとこだとしたら、わたしというおんなとは、付き合えない、手に負えない、伴侶にしない。
あなたでなければ無理。
しょうがないことなのだ。
それでお互い、時には惚れた誰かと夢のごとき一夜を過ごして艶めくこともあるだろう。
人生は永い。
誰に惚れるか腫れるかわかったもんじゃない。
ただ確信している。
人生の、その大半を過ごすのに、わたしはあなたを、あなたはわたしを、欠かせない。
人様には「莫迦なことを」と笑われるかもしれないけれど。
昔から感じていた。
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7月11日(日)
夜歩いていたら、花火のにおいがした。
春だったら桜がきれいだろう、川べりで。
花火は、空にあがったものも、しゃがんでするやつも、好きだ。
火が花のように踊るだなんて、いかしてる。
火といえば中学校の頃の、理科のアルコールランプを思い出す。実験のとき、マッチをうまく摺ることができず、火傷をしかけた。
そういえばいまだにわたしは、マッチはおろか、ライターですら、うまく火を点けることができないのだった。
火遊びは、わたしに遠いことなのかしら。火への憧れは増すばかりなのに。
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7月10日(土)
タオルケットにくるまりながら、うとうとしている。
からだはくたくたで、そして洗ったばかりだ。髪の毛なんて、まだすこし濡れている。
こころはふわふわで、からだを休ませるのをもったいぶり、昨日いろいろと素敵だったことを反芻している。
それに反応しすぎないようにからだが気をつけている。くたくたなのだ。目が冴えて眠れなくなってしまうのなんてごめんだから。
朝の光のなかで、こんなふうにしていることは、楽しい。
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7月9日(金)
朝になったばかりの坂道を下ってゆきながら、りんごジュースをストローで啜る。よく冷えている。それにくらべて、きょうもきっと暑くなる。
駅に着いた。
始発が動き出してまだ間もない。ホームには人があまりいない。東が眩しい。ベンチにひとりで腰掛ける。とても、思った以上に、とても眠たかったから、もしもここに、もたれかかることのできる肩があればな、と思う。だれのでもいいというわけじゃない。できれば引き締まった二の腕を持った人の肩がいい。よい夢が見られそう。
それから、なんの前触れもなく、電車が来たのだ。
立ち上がったわたしの足は思った以上にふらつかなかった。
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7月8日(木)
この国には、わたしのような子がいる。その子たちに、身をはって、証明したいことがある。
それが、わたしがしたいと思っているすべての核心にあることだ。
だからこそわたしは、13歳くらいの頃の自分をたえず取り巻いていた、あの惨めさと窮屈さに支配されていた気分を、今でもつぶさに思い起こすことができるのを、幸運に思う。
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7月7日(水)
したいなぁと思うことがたくさんある。畏れ多くも、してみようかなぁ、なんて思ってる。
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7月6日(火)
冷たいお水が欲しくなる。火照った身体は内側から冷やすのに限るのだ。
わたしには打たれ弱いところがある。ちょっとしたことで、あっというまに乱れてしまう。
わたしには図太いところがある。乱れれば乱れた分だけ、自分は必ず“よく”なってゆくのだ、と信じている。
決してやさしさに恵まれてこなかったわけではない。なのに今でも、人が与えてくれるそれに、うっとさせられてしまうことがしょっちゅうだ。
恥ずかしいけどほんとうだ。
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7月5日(月)
花びらのようなお風呂を楽しんで、と友だちがくれたのは、花びらの形をした入浴剤だった。
浴槽に湯を溜めて花びらを浮かべるのだ。お姫さまの気分に浸ろう。
だがこの姫は我侭で思ったことはみんな顔に出るし簡単なことで興奮しやすい。
王子さまはさぞ苦労するだろうよ。
…知らねえや。
月曜日はいつもの時間にいつものように待ち合わせをして、いつもの喫茶店で、いつもの腹ごしらえをする。
いつものホットドッグといつものバタートースト、どちらにしようかと迷い、バタートーストに決める。アイスティーにはいつものようにシロップだけ注ぐ。ストローでかき混ぜる。
花びらの入浴剤をくれた友だちといつものお喋り。いつものように心がほぐれる。
今夜こそ王子さまにやさしくしようかな、なんて思う。
いつも思う。
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7月4日(日) 2
右のこめかめの裏側に、石を埋め込まれたようだ。
頭が痛い。
また夜が明けてしまった。
ここのところ、自分でも自分が危なっかしい。身体のなかにピストルでも埋め込まれているんじゃないかしら。
今、おんなのこを妊娠したい。おんなのこを妊娠すると柔和な気持ちになると聞いたことがある。ほんとうかしら。
どちらにしろ、妊娠するようなことは大好きよ。
そこの素敵なお兄さん。わたしのなかに潜む銃が怖くなければ、いつでも誘ってくださいな―。
とまあ、夜更けではなく夜明けに、こうした類の不埒なことについて考えるのも粋かと思う。
わたしのおなかは膨れ上がって、膨れ上がって、まだ膨れ上がろうとする。
数年もマタニティブルーに浸っているような気がする。
くわえて今は右のこめかみが痛い。いとおしいあの人のことを思うことでごまかそうとしても、機嫌が悪すぎるのだ。
いま、わたしは―。
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7月4日(日) 1
自分にしか関心がない。
私は知りたい。何よりもまず、自分自身について。
ところがそれは、生易しいことではないようだ。
ため息が出る。
ガラス窓に向かって、ビール瓶を投げつけたい。瓶と瓶がぶつかりあってさんざめく音に飢えている。
搾り出すことでしかやさしさを発揮できない。
早くどうにかせねばならない。
「小説を書きなさい」と、
人はいう。
わたしは立ちすくむ。
簡単に言わないでよ、と叫び出したくなる。
だけども、
「小説が書きたい」と、
人に言ってきたのは、誰でもないわたし自身だ。
足の先はいつから丸まってしまったのだろう。
今のわたしは、贅沢な怠け者でしかない。
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7月3日(土)
あなたはときおり鬼気迫ってるように見えるときがある、と母親がいう。ちかごろ恋人にもおなじようなことを指摘されたばかりだった。
たしかにこの頃のわたしは、世の中の目にとまる大半のものに対して唾を吐きかけてやりたくなりがちだ。これは、もしかしたら、遅れてきた反抗期かもしれない。
だからって、もう子供じゃないのだから、なるべくならやさしい気持ちでいようと思うのだけれど、またたくまに、失敗する。
「自分の感情を押し殺すためでないかぎりは、おおいに笑うのは良いことです」
スーザン・ソンタグの言葉だ。
わたしは余計なところで、余分に笑い過ぎてきたのかもしれない、これまでの人生において。
そのしわ寄せが、もしかしたら、今、襲ってきている。
笑おうとするな、
笑いたくもないときに。
鬼が育つぞ。
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7月2日(金)
月が満ちている。
夏の夜にしては涼しい風が吹く。
わたしは決めた。針になる。
割った腹を見せたら逃げられる。それが怖くて喋れなくなりそうだった。わたしがおかしいのかと思った。久しぶりのことだった。
今夜わたしは喋り続けた。ときおり、わめくような声になった。
わたしの話に耳を傾けてくれる人たちがいる。
ただそれだけで、凍りついたと思っていた舌が、しだいに熱を帯びてきて、とまらなくなった。
針になるのだ。
たかだかわたしごときで及び腰になるような者には興味がない。
扱いにくいわたしに、立ち向かったり、喰らいつこうとする。そういう人たちと激しく擦れ合うことができれば、それでいい。
月が満ちている。
わたしも満ちてくる。欠けることもあるけれど、うしろ暗い思いはもう、抱かないだろう。
わたしを止めてしまうのはわたしだけだ。よくわかった。
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7月1日(木)
莫迦なことを言うようだけど、わたしは自分を過小評価することでしか、自分を過大評価しすぎているかもしれないことを隠蔽できないのだろう。
自分のことをすばらしいと感じたい、その裏付けとなるような出来事ならすべて大歓迎だ。
今の自分は大したことをやっていない。
莫迦なことを言うようだけど、わたしは、わたしを、すこしも認めていない、今のところ。
そう思っておかないと、恐ろしいことを考えそうになる。
こんな態度が自分で自分を、袋小路に追いやっているんだということはわかっている。
こんな考えが自分を好いてくれたり評価してくれたりする一握りの人々のことまで自動的に貶めて考えていることに繋がってしまうのだともわかっている。
どうやったら、上手に適度に自らを誇れるのか。
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