on日記8月
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8月31日(火)
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8月30日(月) でもねえ、日記って、何のためにあるのかしら。 |
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8月29日(日) などと、どうでもよいことを思っていたら日が暮れた。 |
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8月28日(土)
三日もたったきょうは、さすがに慣れた。それで、自分もいっちょまえに火が扱えるようになった気がして、ひそかに誇らしいのである。 |
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8月27日(金) 店先に並んだ試用品のオードトワレを、手首に吹き付けた。その香りが思いのほか気に入って、歩いている最中に何度も何度も手首を鼻元にやって残り香を吸い込んだ。 六千円ちょっとするけれど、あの小瓶を買おうかどうかと真剣に考えてしまう。 浴びてから一日を始めるようにするのも、今からなら悪くはないかもしれない。 |
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8月27日(金)
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8月26日(木) そのままその足で、大学に向かう。電車は使わなかった。歩きたい気分だった。歩いているうちに、だんだんと汗ばんできた。風があまり吹かない、と思った。夏はまだ続いている、と思った。
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8月25日(水)
また涼しくなった。 東京タワーがだんだん大きくなってくるにつれて、妹と喋るのがだんだん億劫になってきて、ひとりになりたくなった。妹はさすがにそれを察して、姉妹は、道の途中でふたつに分かれた。 ひとりで歩いた。 |
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8月24日(火)
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わたしは、旅とはもともとそういうものよ、と、おとなぶって応える。 もう2日間も、打っては削除、打っては削除、を繰り返していた。
とり憑かれたように中国へ出かけてゆき、帰ってくるとそこで経験したことをこれまたとり憑かれたように日本語で書くということを、もう十年ほど繰り返してきた師匠のことを、思う。 師匠が戻ってきてしまえば、心境的にまだ続いているような気がしているこの旅もいよいよ、終わるのだろう。 |
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そのどろどろの土に、大きな穴が空いていて、水が溜まっていた。 方々にいた連れのふたりを呼んだ。
どの人も皆、口ぶりが穏やかでのんびりとしていた。
わたしは云った。 とても大きい。 青年はポケットに両手を入れたまま、ちょっと笑って、 ぼくは毎日この河を見ているからあなたのようにこの河を珍しく感じない。 何人かの人がそれをとりまき、見ていた。
わたしの顔はあかかった。
すんでのところで泣き出したくなった。 旅こそが人生を変えるという考え方は好きではない。旅で変わってしまう人生なら、人生に失礼だと思う。
永いこと自分が日本人であるか、とか、日本人ではない、とか、白か黒かを決めるように決めなくてはならないような気がしていたのも確かだ。 今更、わたしが、語るべきことなのか。 わたしが、あるいはわたしのこの身体が、たまたまここにあることの奇跡を。 実感したとおりに、描き出すことのほうが、 このごろはめっぽうそう思うようになってきた。 そして今回のこの中国旅行は、まさに、それを、後押しするような経験だった。 わたしは、生身のこの身体が此処に在る、と感じた。 中国はそのまま、世界と置き換えることができる。 両手を伸ばそうと思えばこの世は果てしないのだ。
といった調子でわたしに大陸を経験させてくれた。 その師匠は、今もまだ、中国にいる。 だからか。 まだ、旅が終わっていないような気がする。 |
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帰り道、電車に乗っていると、ふっと、中国語が耳に入った。わたしくらいの年齢の女の子がふたり、楽しげに喋っていた。東京の、山手線で聞えてくる中国語は、一昨日まで中国にいたわたしの耳を不思議に安らがせた。自分で自分はへんなことでほっとしている、と思った。はやく、中国旅行のことを書き綴らなくては、と妙に焦った。
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夜も更けたとき、わたしはこの机の前に坐る。 いまだ瞼の裏でちらちら舞う、この旅行で見てきたことを。感じたことを。 |
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とわたしのために別の南京錠を持ってきてくれる。これなら大丈夫だよ、といって親爺さんがわたしの前にかざした南京錠はなるほどさっきよりも細いつくりだった。
と応えてしまった。親爺さんは、海外かぁ、といいなおし、計算をすました南京錠をわたしに手渡す。それを財布のなかにしまってしまうとわたしは、
親爺さんはちょっと笑いながら、 と言ってくれる。
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中国人が日本人をここぞとばかりに罵っているのにも、そんな中国人に日本人があきれ果てて遠慮がちに腹を立てているのにも、できれば、目を逸らしたくなる。
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毛布にくるまりながら、とろりとろりと、まどろんでいた。夕暮れにはまだ早い。 |
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中国行きに先立って、明後日からは「お遊び合宿」に行くのである。
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一週間後に中国行きが迫っている。 いつかの夜に、おなじみのカリフォルニアワインをあけながら師は言った。 「たいりく」ではなく、「タールゥー」。
あれは、「大陸」に行った、というよりも、そして、「中国」に行った、というよりも、「上海」に行った、というのがいちばん似つかわしいような気がする。上海は紛れもなく中国の一都市ではあるが、上海は上海であって、中国の一都市以上に上海であるということが際立っているように思えるからだ。 いずれにしろ、わたしは永いこと「大陸(タールゥー)」という言葉を忘れていた。中国はあくまでも「中国(ゾングォ)」だったし、上海はどうしたって「上海(シャンハイ)」だった。 |
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いつまでたっても汚れ知らずといった風貌の妹は今年十九になったばかりで、成人式の振袖までは髪の毛を切らない決意があると健気なことをいう。 |