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8月31日(火)

昼の一時に、紀伊国屋本店の入り口でともだちが来るのを待っていた。後ろの壁にもたれながら立っている。腰と、お尻の、丁度境目が壁に当たっている。

たくさんの人が歩いていたり、立っていたり、待っていた人と会えて表情が変わったり、しているのを、眺めているとつくづく思うのだ。

世の中に、女の、なんと多いことなのだろう。
自分はその内のたった一人なのだ。

世の中には、 わたしには全く似合わない髪形だとか、化粧、香水、洋服なんかが、溢れているのだということも、これといって不思議な話ではないのだ。

常に自分中心で生きているせいでしょうか、たびたび、忘れてしまいそうになります。


恋をしました。


これだ、とわたしは思う男の子が、わたしにはピクリとも反応しなかったくせに、わたしではない別の女の子にはあっけなく恋をしてしまういうことも、おかしな話ではない。


それにしても、8月31日、という日付は、なんだかやっぱり、ものさみしい。そのせいかどうか、ともだちにつられて、中村屋のあんまんを5個も買ってしまった。

 

 

8月30日(月)

数時間前に書いた日記を破棄する。ええい、とばかりに消しちまう。
あれは、夢遊病者の寝言にも劣る(むしろ、わたしは夢遊病者の寝言にこそ、キラリと惹かれる)。記録するには、値しない。

でもねえ、日記って、何のためにあるのかしら。

 

 

8月29日(日)

美容室がいっぱいだったので、髪の毛を切り損ねてしまう。
女のナントカは髪に宿るらしいから、今しばらく、そのナントカの住処に心持余裕を持たせておくのもよいかもしれない。

などと、どうでもよいことを思っていたら日が暮れた。
昨日今日と連続してこれだけ涼しいと、夏は終わった、と思わなくてはいけないような気がするけれど、明日は気温があがるという。
そういえば今年は海をまだ見てない。

 

 

8月28日(土)

今日のような夏の雨の降る涼しい日に、窓を開け放した状態でひとり部屋に居るのは、良い。

頬杖をつき、好き好きに、いろいろな物思いに耽っていられて、良い。

それに、香の、よい匂いがする。


香を焚きたくなって、安いやつをひと箱、それからライターも買ってきたのは三日前のことだ。

マッチを擦るのはおろか、指ひとつ動かせば火が点く筈であるライターを扱うのも、驚くほど下手なわたしは、最初の晩―一昨日の夜―、必要以上にびくびくとしながら、それを焚いたのだった。

三日もたったきょうは、さすがに慣れた。それで、自分もいっちょまえに火が扱えるようになった気がして、ひそかに誇らしいのである。

 

 

8月27日(金)

店先に並んだ試用品のオードトワレを、手首に吹き付けた。その香りが思いのほか気に入って、歩いている最中に何度も何度も手首を鼻元にやって残り香を吸い込んだ。

六千円ちょっとするけれど、あの小瓶を買おうかどうかと真剣に考えてしまう。
自分で自分が色気づいたように思えて恥ずかしく、これまでは、香水やらトワレなどといった類のものを自ら買おうだなんて、思ったことはなかった。
このごろは自分が24という歳のわりには、からだの内側から匂いたつもののあまりないことを、冗談半分、嘆いたりもする。
せめて外側からしゅしゅっと、ひと吹きふた吹き、気に入りの匂いを。

浴びてから一日を始めるようにするのも、今からなら悪くはないかもしれない。

 

 

8月27日(金)

小説を書く。

小説を書いていること、を、拠り所にはしない。できあがったものありき、だと思っている。


小説を書いているからといって、何も凄くはない。できあがらなければ意味はない。まったく、ない。2年間もそうだったのだ。意味のないことは、もう、したくない。


わたしは、わたしの書くものを切実に必要とする人々が在る、ということを、信じて、書く。

これ以上は、言わない。

書きあがるまでは、小説については何も、言いたくない、言わない。

 

8月26日(木)

中断していた中国語の勉強をもう一度始めようと思い、去年の秋から今年の春先まで通っていた語学学校へと申込書をもらいに行った。

そのままその足で、大学に向かう。電車は使わなかった。歩きたい気分だった。歩いているうちに、だんだんと汗ばんできた。風があまり吹かない、と思った。夏はまだ続いている、と思った。

大学に行くのは何週間ぶりか、と数えてみる。他に行くところのあまりないわたしにしては、ずいぶんと間があいたような気がする。

久しぶりだったせいか、校舎の色々なところで、色々な人たちと、色々とあったことを、ポツリポツリ思い出した。

6年間も、おなじ大学のおなじ校舎に通っているのだ。
2年前ほとんど毎日のように軽食堂に集まってははしゃいでいた友だちは皆、方々に散らばり、働き始めた。もう1年前の春のことだ。


皆、昔話だ、と思った。それを言うのなら一ト月前、あるいは半月前のことすら、過ぎ去ったことは皆、昔話だ。

今、ここで、笑っている、自分を、思った。目の前の、友だちを、思った。昔話よりももっと、未来の話よりももっと、今、ここにいることが、わたしには大きくて、ずっしりくる。そういえば昔からこうだった。これからもきっと、こうだろう。

 

 

8月25日(水)

きのうに比べ、身体がずいぶんとラクになった。とたん、表に出たくなる、歩き回りたくなる。他にこれといった趣味もないわたしは、暇さえあれば、ひとり歩きばかりしている。


今日は、東京タワーをスケッチしたいと妹が云うので、朝食のあと、姉妹で東京タワーの見える方向にむかって歩いていた。

また涼しくなった。

肌にあたる風が快かった。途中で妹にアイスクリームを買ってあげた。うれしそうに食べていた。たまには姉らしいことのひとつでも、してあげないと格好がつかない、と思ったわけでもない。

 

東京タワーがだんだん大きくなってくるにつれて、妹と喋るのがだんだん億劫になってきて、ひとりになりたくなった。妹はさすがにそれを察して、姉妹は、道の途中でふたつに分かれた。

ひとりで歩いた。

一ヶ月あとの自分がどのような気持ちでいるのかと思うと、急におそろしくなった。自分で自分をせっつきたくなった。

 

 

8月24日(火)

あんなに涼しかったのが嘘のように、暑さがまたぶり返した。

わたしはといえば、月のものが来て、身が重たいのだ。
腹をさすりながら、腹が、腹で、自分は女なのだと感じている。
急いてせねばならぬこともないので、素足をだらりと伸ばした格好で、そんなことばかりを、とりとめもなく、考える。それに飽きたら、十本の爪を、あの桜色のマニキュアで塗ったりする。爪が乾かないうちに、春の頃から伸ばしていた髪を切り落とそうかと考える。そうかと思えば、後ろにひとつで結った、この横顔もわるくないかな、と考える。どうせ美女ではあるまいし、たかの知れた顔だ、好きなようにするだけだ、と鏡を相手にひとり笑う。
ともだちに充てて手紙でも書こうか。便箋と封筒、ひと揃いの良いものをこのあいだ見つけてきた。あの子の顔が、この子の顔が浮かぶ。
いとおしいひとたちに手首が痛むほどの長い手紙を。書いてみたい気もするけれど、今にも眠ってしまいたいような気もする。


さして痛くもなくなってきた 腹をさすりながら、明日もまた暑くなるのだろうかと考える。

 



 

 


8月21日(土)

中国を一緒に旅行した友だちから電話があった。
中国のことを人に喋ってみたんだけどなかなか伝わらなくてもどかしかったよ、
と云う声がほんのり酒気を帯びていた。

わたしは、旅とはもともとそういうものよ、と、おとなぶって応える。
旅に限らず特別な経験とはえてしてそういうものよ、と、きどりながら応える。

電話を切ったあと、わたしはしていたことの続きをしようとする。それは、今回のこの旅行についての記録をパソコンの画面に向かって打ち込むことだった。そしてその作業は、ほとんどうまくいっていなかったことを思い出した。

もう2日間も、打っては削除、打っては削除、を繰り返していた。

参った、と思う。


今回見てきた中国のありとあらゆる風景や瞬間を、どうにかして書きとめたい、とただそれだけの筈なのに、遣おうとしている日本語にも、自分に見ることのできた中国大陸での現実にも、真摯であろうとすればするほど、うまくゆかない。

むずかしいことだったんだな、と思う。

とり憑かれたように中国へ出かけてゆき、帰ってくるとそこで経験したことをこれまたとり憑かれたように日本語で書くということを、もう十年ほど繰り返してきた師匠のことを、思う。

参った、と思う。

師匠がこの東京に帰ってくるのは2日先だ。

師匠が戻ってきてしまえば、心境的にまだ続いているような気がしているこの旅もいよいよ、終わるのだろう。

 


8月20日(金)

この魚、喰うか? と聞かれた。
雨のそばふる黄河の畔でだった。

雨で、足元の土はどろどろに濡れていた。

そのどろどろの土に、大きな穴が空いていて、水が溜まっていた。
魚はそこを泳いでいた。

それをしゃがんで見つめていたときのことだった。

わたしはうなずいた。

方々にいた連れのふたりを呼んだ。

数十分後、わたしたちは黄河の畔でビールを飲み、魚を白いご飯と一緒に食べた。
黄河の畔の、屋形船で食べた。

平日の昼の、しかも小雨のぱらつく日だったので、わたしたちのほかに、余所から黄河を眺めに来ている者は、ひとりもいなかった。

このあたりで居を構え暮らしているらしい人々が、十数人、いるだけだった。


黄河の大きさに目を細めたり、ため息をついたりしながら、ふらふら歩いていたら、何人かの人に話しかけられた。どこから来たのか、何をしているのか。

どの人も皆、口ぶりが穏やかでのんびりとしていた。
自分たちの話す中国語が、外国から来たわたしに聞き取れるように配慮していただけかもしれない。


そのうちのひとりに、学生服のような詰襟の黒い服を着た青年がいた。背筋がぴんと伸び、両手はズボンのポケットに突っ込んでいる。黒目がちの、ハンサムな青年だった。

黄河は初めて見ました。

 

わたしは云った。

とても大きい。

 

青年はポケットに両手を入れたまま、ちょっと笑って、

ぼくは毎日この河を見ているからあなたのようにこの河を珍しく感じない。

といった意味のことを云った。わたしも笑いながら、

わたしの住んでいるところはとても小さい。だからこの河のこんな大きいのを見ていると興奮してしまう。

と云った。

青年とわたしを、小学生くらいの男の子が話しかけたそうに見つめているのがわかった。

この魚、喰うか、

とわたしにたずねてきたおじさんともうひとりの男の人が、すぐそこの土のうえに取り付けた調理台のような台の上で、魚をさばいていた。

何人かの人がそれをとりまき、見ていた。


黄河はきいろかった。

わたしの顔はあかかった。


魚は温かかった。
飯も温かかった。

 

すんでのところで泣き出したくなった。

とり憑かれる。
このままでは、“旅をする”ということに、とり憑かれてしまう、と思った。

これが、“旅をする”ということなら、わたしはきっとまた、旅に出たくなる。

黄河の畔で細かな雨粒が顔にあたるのを気持ちいいと思いながら考えていた。

ところで、旅についてわたしがこれから書こうとしていることなんて、旅慣れてもなく、世にも慣れていない者の戯言だと思ってくれればいい。

 

旅こそが人生を変えるという考え方は好きではない。旅で変わってしまう人生なら、人生に失礼だと思う。


自分ではわるくない人生だと思っている、むしろ、とてもいい。だからこそわたしは、わたしのこの人生に敬意を払いながら思う。

たぶんこれから生きていくうえで、この中国旅行は、わたしを、おおいにラクにした。

 

永いこと自分が日本人であるか、とか、日本人ではない、とか、白か黒かを決めるように決めなくてはならないような気がしていたのも確かだ。
そのうち、自分が何であるとか、ないとか、などといったことを、常に迷っているこの状態がいちばんいいのではないかと思うようになった。
どちらでもあり、どちらでもない、ということを特権だと思う段階までに自分をし向けることにようやく成功したのである。

しかし、どちらでもあり、どちらでもない、だなんて。

今更、わたしが、語るべきことなのか。

もっと、こう。

わたしが、あるいはわたしのこの身体が、たまたまここにあることの奇跡(・・)を。
もっと、こう。

実感したとおりに、描き出すことのほうが、
よっぽど意義があるのではないか、と。

 

このごろはめっぽうそう思うようになってきた。

そして今回のこの中国旅行は、まさに、それを、後押しするような経験だった。

わたしは、生身のこの身体が此処に在る、と感じた。

たとえば、広州から鄭州に向かう夜汽車の窓越しに、うっそうと繁る木々が数時間もずっと続くのを見たとき。鄭州から開封という町に地元の人々とまじって乗りこんだ各駅列車からの田園風景を見たとき。

そして、黄河の畔で、感じた。

黄河とはいっても、今わたしの眼に映る黄河は、黄河そのもののほんのわずか一部分だ。気が遠くなりそう。この一部分でさえ、とてつもなく大きく、大きく、私には見える。圧倒される。
黄河はそのまま、中国と置き換えることができる。

中国はそのまま、世界と置き換えることができる。

両手を伸ばそうと思えばこの世は果てしないのだ。

師匠の云ったとおりだ。


大陸の大きさに触れることで、ツマらないことは、みんな、ぶっ飛んだ。

この魚、喰うか、

といった調子でわたしに大陸を経験させてくれた。

30歳も歳が離れているというのに、師匠とは、旅のあいだじゅう、毎日のように、手をとりあって子どもみたいにはしゃいでいたのだ。

 

その師匠は、今もまだ、中国にいる。

 

だからか。

まだ、旅が終わっていないような気がする。

 


8月19日(木)

結局、一行も書かなかった。

昨晩はくたくたなはずなのに気が昂ぶっいてなかなか寝付けず今日は昼すぎまで眠った。目が覚めたとき、身体がだるかった。寝入る直前まで続いていた興奮は、すっかりおさまっていた。
どうしても必要な本があったので新宿などへと出かけたのがまずかった。都会で育ったくせに、今日初めて都会の熱気にあてられたかのごとく身体が具合を悪くした。息が、うまく吸えないような気がして、何度も立止まり深呼吸をした。こういうことがときどき起こる。特に環境が変わったときに起こる。だけども旅行から帰ってきて起こったのは四年前に上海での語学留学から戻って以来だ。

帰り道、電車に乗っていると、ふっと、中国語が耳に入った。わたしくらいの年齢の女の子がふたり、楽しげに喋っていた。東京の、山手線で聞えてくる中国語は、一昨日まで中国にいたわたしの耳を不思議に安らがせた。自分で自分はへんなことでほっとしている、と思った。はやく、中国旅行のことを書き綴らなくては、と妙に焦った。

今またこの机に向かって、パソコンのキーを叩いている。


結局、旅行については一行も書けない。

明日はどこにも行かない、行きたくない、と思う。

内に向かって耳をすましたい、と思う。

 


8月18日(水)

東京の、自宅に戻ってきても、熱にとり憑かれたように気の昂ぶったままなのが自分でもよくわかった。
みやげ物やら汚れ物やらでパンパンに詰った荷物を紐解きながら、母と妹を相手に、この旅行の間中ずっとそうだったように、はしゃぎ続けていた。ちょっとしたことを口にするのにも、早口になった。大声になった。
泥だらけになったジーンズを二本とスニーカーを一足、洗面所で軽く洗った。ジーンズは洗濯機のなかに放り込んだ。

部屋は、窓があいていて、吹き込む風が生暖かかった。日暮れ時だった。旅先でこの部屋を想像したときはもうすこし救いようがないほど散らかっているような気がしたものだけれど、一週間ぶりにながめてみるかぎり、そう悲観するでもない。と思ったら、なにか、うれしくなった。
腹を満たしたら。
風呂に入ったら。
母と妹と今日の分を話し尽くしたら。

夜も更けたとき、わたしはこの机の前に坐る。

パソコンを起動させる。
あとはもう、たぶん、いっしんふらんだ。()()気持ち(・・・)を、殴るように、打ち込むのだろう。

そうはいっても、この一週間毎日のように、はしゃぎ、飲み、食べ、あまり眠らずに動きまわった身体だ。今夜は長くもたないというのもわかっている。眠りたい、と要求してくるのはわかっている。

だから今夜は今夜の分でいい、大急ぎで書きとめて、続きは明日からだ。

明日、書こう。

いまだ瞼の裏でちらちら舞う、この旅行で見てきたことを。感じたことを。

それらをどうにかして書き留めるまでは、この旅行がすでに終わってしまったのだという事実を、実感として受け容れることから逃げ続けていようと、夏休みがまだ余っているのをいいことに、こんな我侭なことを考えているのだ。

 


中国旅行をしていたため、8月11日から17日まで お休みをいただいてました。

 

 


8月10日(火) 

鞄の、ファスナーのところに括りつけるための南京錠を買いに、近所の金物屋に行く。

わりかし涼しい午後だった。

南京錠とはいっても、何を買ったらいいか、検討もつかない。大体これでいいだろうな、と適当にとったものをレジまで持っていくと、店の親爺さんが、旅行用じゃないよね? とたずねてくる。


いいえ、旅行なんですけど…
と応えると、親爺さんはレジを打とうとしていた手をとめてわたしの顔を見つめて、

旅行用だったらこれは無理だよ、ほら、太いからファスナーの穴のところに入らないでしょ、

と言った。


妙に気恥ずかしくなってわたしは、ああそうですか、と頭をかいた。親爺さんはレジカウンターから出て、

旅行する方はみなさん大体これを買っていくんですよ、

とわたしのために別の南京錠を持ってきてくれる。これなら大丈夫だよ、といって親爺さんがわたしの前にかざした南京錠はなるほどさっきよりも細いつくりだった。


海向こうに行くの?

受け取った代金をレジの中にしまいながら親爺さんがたずねる。わたしは一瞬、ウミムコウ、という音の意味がわからず、とっさに、


中国に行くんです、

と応えてしまった。親爺さんは、海外かぁ、といいなおし、計算をすました南京錠をわたしに手渡す。それを財布のなかにしまってしまうとわたしは、


おかげさまで助かりました、

親爺さんに言った。

親爺さんはちょっと笑いながら、
気をつけていってらっしゃい、

と言ってくれる。


わりかし涼しい、夏の曇りの日の午後だった。

甘やかされて育った。それにくわえ、あまり利口なほうではないし、手先が器用では、まったくない。

そういう自分は、生活のあらゆる場面において、人様に助けられたり支えられたりして生きてゆくことが、依然、多くなってしまうのだろうな、とぽつんと思う。昔からしょっちゅう思っている。


たとえば、電球を取り替えることとか、電子機器の配線をすることとか、新聞紙を束ねてひとつにすることとか。下手したら、瓶の蓋を開けることすらも時には。

これまでの人生において、大体、人任せにしている。

と、そこまで考えてまた、妙に気恥ずかしくなり、あまりにもな情けなさに、ひとり頬が熱くなった。

生活面において逞しくなりたいという気持ちは確かにあるけれど、それでもわたしは許される限り、こんなふうにひ弱なまま人様の親切にすがっていきていたいような、ずるい気持ちを自分の中から拭いきれないでいる。

身近な人にきらわれたり見向きされなくなることを、いまだに熱心に怖がってしまうのは、わたしの場合、文字通り生活(・・)がかかっているからなのかもしれないな、と思う。


8月9日(月) 

荷造りは、あっけなく終わってしまった。

衣類やらタオルやらを鞄に詰めているうちに、この旅行を楽しみに思う気持ちがふつふつと沸き起こってくる。それでいて、緊張も、確かにしている。

これでは、惚れた男に抱かれる前の生娘のようだ、などと思い、ひとり笑いたくなる。


こんな比喩を思いつくのは、この旅行に対し必要以上に気負ってしまっている自分を茶化してやりたい証なのかもしれない。

それでも、半ば本気で思うのだ。中国大陸に触れてわたしは、どのように引き裂かれるのだろうか。その合間からは月もある星空が見えたらいい、などと思っているのだ。


8月8日(日)

今日は一日中、うとうとしていたように思う。

京都から帰省中の妹と、母が交わす、笑い声の多々まじるお喋りが、からからと響き、家の中は明るかった。

今日は一日中、ほとんど何もしなかったので、明日こそは次の旅行のための荷造りをしなくては、と思う。


昨夜はテレビをつけるのが怖かった。中国で行われているサッカーの試合を見たくなかった。


あと2日もしたらわたしは、中華民国のパスポートを持って、ここ日本国から、中華人民共和国に行くのだ。

それゆえ、サッカーに関する一連の大騒ぎを思うと、気持ちのよくない緊張感が腹の底でうだる。

スポーツと政治は切り離して考えなければならない、だなんて愚かなこと。

これは引き金だ。まるで、わかりやすい。

 

中国人が日本人をここぞとばかりに罵っているのにも、そんな中国人に日本人があきれ果てて遠慮がちに腹を立てているのにも、できれば、目を逸らしたくなる。


このあいだ、百円ショップで大量の日の丸の旗が売られているのを目にして、さすがにすこし、参った。
それでも、サッカーの試合前の「君が代」が流れているあいだにブーイングをする中国人のことを、わたしだって、どうかと思う。

だからって、何を思えばよいのか、よくわからないのだ。そして、中国大陸にいるあいだは、自分が人様の目から見て「観光客」という人種にひっそりおさまっていればいいな、などと、哀しいことを思ってしまっていることに、またもや、憂鬱になってしまうのだ。


8月8日(日) 

あの娘は誰に恋をしてるんだろう?


頬杖ついて、唇を舐めたり、軽く噛んでみたり、すぼめてもみたり、頭はあいかわらず、働かない、呆けている。それにくわえて、さっきから心身を取り巻いている、このどこか甘ったるい気だるさは、一体、何なんだろう、何によるものなんだろう。

この気分はでも、わたしにとっては馴染みの浅いものではないのだ。
そしてこの気分の最中にあるときほど、もしかしたら自分は常に誰かに惚れておらずにはいられない性分なのかもしれない、と思うこともない。


首筋、鎖骨のあたりに唇をあてられて、わたしは自分のその部分が汗ばんでいることを知っていたから最初は身をよじろうとしたのだけれど、わたしを抱きすくめたその体からたちのぼる体温は間近で感じるのには気持ちがよすぎて、そのまま身を預けてしまった。案の定、しょっぱいね、と云われてしまい、照れくさくて思わずうつむいてしまう。わたしはこのひとといると、日向に佇む心地よさを連想せずにはいられない。

わたしの心がふわふわっと浮っつきやすいのは、ときどきどうしようもなく、いけない(・・・・)ことをしてみたくなってしまうのは…ときには健やかではない目で物欲しそうに見つめられることをもまた、自分には必要なのだと知っているからなのかもしれない。


8月7日(土)

毛布にくるまりながら、とろりとろりと、まどろんでいた。夕暮れにはまだ早い。

からだが、しっとりとくたびれていた。

ほろ酔い機嫌で夜風にあたりながら月を見ていたときの気分が、歌うように残っていた。

洗濯機の回っている音がきこえる。あの中に放り込んだものがすっかりきれいになる頃にはさすがに、この、夢の只中にいるような気分、も波引いて静まるのかしら、と思い、くすっと笑いたくなる。


2泊のおやすみをいただいてました。


8月4日(水) 

ひねもす、ほうけた頭で過ごしている。
友だちの昔話を頬杖ついて聞いていたらわたしはますますその子のことが好きになった。聞きながら、あとちょっと、あとちょっと、と思っているうちに、あっというまに日は傾き、わたしは鞄の中の読まなくてはならない読みかけの本のことを、素知らぬ顔で忘れる。
その友だちと、中国から戻ったらまた遊ぼうね、と別れたあと歩きながら、明日から行く湖のことを思っていたら、この夏の自分の暢気な「忙しさ」に苦笑してしまった。
そして、歳を重ねるごとに、自分が自分であるということを不自然だと感じなくなってきたのが、何よりもありがたいことだと思う。


8月3日(火) 

中国行きに先立って、明後日からは「お遊び合宿」に行くのである。


互いが互いの導火線みたいなもので、それが集まった時のそれぞれのはしゃぎようとくれば、さながら花火のようになるのだろう。

一緒に行く人たちの笑い顔を思い浮かべたら、ひとりでくすぐったくなった。遊び心は持て余すものではない、使いこなすものだ、と思わせてくれるような人たちのあいだに混じって一夜、二夜と越えるのが今から待ち遠しいわたしは遠足前の小学生のようだ。


8月2日(月) 

一週間後に中国行きが迫っている。
上海どころの騒ぎではない。もっと、西。上海よりもずっと西のほうへ行く。
師匠の旅についてゆくのである。

 

いつかの夜に、おなじみのカリフォルニアワインをあけながら師は言った。
「オマエ
※1にでかい現実を見せてやる」
言ったあとすぐに、ただしこれはオレ
※2の旅だジャマはするな、と付け加える。

中国とは縁もゆかりもないわけではない。ただ、今回ばかりは、かの地を初めて踏むような心地でいる。

だというのにここ数日、耳を中国語に慣らそうとも、中国の近現代史をおさらいしようとも、していない。ふわっと力の抜けたまま、ぼんやりと過ごしている。蝉の声に耳を傾けながらいつのまにか幻の日本家屋の縁側に両脚を伸ばしているような気分になっていたりする。

と、とつぜん、「大陸」という言葉が浮かんでくるのだから、間近に迫りつつある中国旅行をわたしは決して忘れていない。

「たいりく」ではなく、「タールゥー」。


子どもの頃、両親は中国のことを、「中国(ゾングォ)」ではなく「大陸(タールゥー)」と言っていた。わたしは、タールゥーとは大きな道のことなのだと勝手に思い込んでいた。

中国語を本格的に習い始めたのは大学生になってからだったが、教科書では、中国のことを「大陸(タールゥー)」などとは教えていなかった。
大学二年生のときには語学留学で上海に四ヶ月半滞在した。

あれは、「大陸」に行った、というよりも、そして、「中国」に行った、というよりも、「上海」に行った、というのがいちばん似つかわしいような気がする。上海は紛れもなく中国の一都市ではあるが、上海は上海であって、中国の一都市以上に上海(・・)()ある(・・)ということが際立っているように思えるからだ。

いずれにしろ、わたしは永いこと「大陸(タールゥー)」という言葉を忘れていた。中国はあくまでも「中国(ゾングォ)」だったし、上海はどうしたって「上海(シャンハイ)」だった。

それが今、くっきりと感じる。今度は、大陸、に行く。
師匠が、奥の奥まで重みを増してゆく厖大な「容積」、と表現した中国大陸へと。

力が入らないまま、ぼんやりと思う。おそらく今、今のわたしが大陸(・・)に触れればきっと、自分は何国に属しているのか、だとか、何人であるのか、ということが、ますますわからなくなってくる気がして、そんな甘い不安に浸っているのに忙しいのである。

※1 師匠には内緒だが師匠が発音すると「お前」が「オマエ」とカタカナに聞えてしまうのである。
※2 「俺」もまた然り。



8月1日(日) 

いつまでたっても汚れ知らずといった風貌の妹は今年十九になったばかりで、成人式の振袖までは髪の毛を切らない決意があると健気なことをいう。
おなじ血を分けた姉妹でも、姉のわたしが癇の強く激しやすいのに比べ、この妹は心根からしてやさしく誰に対しても何に対しても滅多に怒らない。
一年半前から京都の七畳半の部屋で妹は一人暮らしをている。その部屋をわたしは初めて訪ねた。忙しい、忙しい、と言っていたわりには、冷蔵庫の中にも、風呂場にも、水まわりにも、生活感がぎっしりつまりながら漂っていたのには感心した。ベッドの脇のテーブルには、風呂上りの肌にすりこむためのクリーム、髪を整えるためのムース、色とりどりの髪留めやら、化粧品等が、無造作に置いてあった。それらをいちいち取りざたにせずとも、淡い桃色で統一されたベッドシーツとカーテンをみれば、この部屋に住んでいるのがひとりの年若い女の子だということをすぐに言い当てられそうな部屋だった。
おねえちゃんが来てくれたのに早寝するのはもったいない、と言っていた妹も、わたしの遅すぎる遅寝にはさすがに付き合いきれなかったらしく、薄桃色の布団にくるまって既に寝息を立てている。午前二時。
不意に思う、わたしよりも先に妹が生まれていて彼女のほうが姉だったら、わたしは今と違ったふうになっていただろうか。父親ではなく母親に似たおかげでわたしよりも整った顔立ちをしている妹。何に対しても穿つことなく素直に受け入れ、世の中にはかわいいものが溢れていると感じている。妹のような女の子はわたしにはときどき眩しい。これが姉だったとしたら。子どもの頃からこんな女の子が常に自分の行く先を歩んでいたとしたら。そこまで思ってわたしは首を振った。考えても仕方のないことだ。
京都の夜はとっくのとうに更け込んでいる。
妹の用意してくれた座椅子を平らに押し倒し、そのうえに横たわるとわたしも毛布にくるまって目を閉じた。甘い心地のするやわらかな夢が見れそうだと思った。