ON日記11月

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11月30日(火)

熱っぽいから夜の授業をサボッておうちに帰ってきた。

湯船にお湯を溜めてるあいだはテーブルで頬杖つくけどテレビはつけない。キタナイ音はいらない。

「あなたなんかキライよ。」

うなずかない。コワイ顔してると、息をするのに手間取るわ。

中学生のとき、

「好きって思える人しかいないところに行きたい。」と云ったら、そんなバショがこの世にあるわけないのよ、とお母さん。眉を三角にして怒った。いいかげんにしなさい、このワガママ娘。
今わたしが毎日通ってるバショはそれでもそれに近いものがあると思う。シアワセ、噛み締めなくちゃ。バチがあたるわ。おなか痛い。

お湯が溜まった。窓から月もみえる、午後八時。
11月に、さようなら。


11月29日(月)

鬼ごっこ。

鬼になったら、他の子を追い回そう。つかまった子が次の鬼。
走って、走って、走って。
走っても誰にも触れなくてわたしがずっと鬼。

「あなたは、ヒステリックに笑う。」


ずっと鬼のわたし、泣きべそかいた。
「しょうがないなぁ。」

ひとりが云った。

「かわいそうだから、ユウジュウちゃんもういいよ。」
その子が笑うとみんなも笑った。

「ほらほら、もういいよ。」
「もう鬼、しなくていいよ。」
みんな、やさしい。
みんな、やさしい。
「鬼、しなくていいよ。」
うれしい。うれしくてわたしは、笑う。

みんなが、やさしくしてくれるから。

みんなが、仲間にいれてくれるから。
笑って、笑って、笑っておく。

「こんな遊びはつまらない。」
と云ってはいけないの。

「イチ抜けた。」

だなんて云ってもいけないの。


「あなたは、ヒステリックに笑う。」


今日のわたしはおなか痛い。血の気がない。うつろな目。手を洗って戻ると、同級生の女の子ふたりはまだ喋ってた。

恋愛、美容、ディズニーシー。
熱があるのかな。話に集中できません。別にいいかな。どれも大して興味ない。
「あの授業の意味がいまだにわかんない。」
とか、
「就職って、やっぱり、コネなのかな。」

とか、云っちゃってるよ、この子たち。

わたしのお手手はグウになる。危ない危ない、けんけんぱっぱっ、ぐうちょきぱー。
「だったらどうして、ここいるの?」
云おうかなどうしようかな。云おうかなどうしようかな。
気づいたときには、
「あははそうだよね」
と笑ってる。
こんなときか。こんなときか。こんなときにわたし、ヒステリックに笑うのか。

「イチ抜けた。」

云おうかなどうしようかな。
云おうかなどうしようかな。

鬼になれ。

わたしがいちばん鬼になれ。


11月28日(日)

泣いているのに笑ってしまう。

ごめんねと謝ってから、思いっきり壁を蹴飛ばした。足がじんとした。壁にむかってごめんねと謝った。謝るくらいなら。また笑う。謝るくらいならよしたらいいのに。涙をぬぐう。いびつなのだ。

足がじんとする。
蹴ったっていいのかもしれない。蹴るほうも痛いのなら。
ぼんやりと思った。

「…蹴飛ばしてやる、みんなみんな。
昔のわたしを窮屈にさせていたもののすべてを。
今のわたしを卑屈にさせようとしてくるもののすべてを。」


言っちゃおうかな?


11月27日(土)

十一月の夜風が甘やかす。居酒屋になだれ込むお金を惜しんで夜の公園になだれ込む。
はっくしょんのひとつも出ないのは、たぶん、缶ビールのせい。
今朝起きたときは今夜はさっさと帰ろうと思っていた。
あと十分いい? あと五分いい? 
ともだちがせがむから、夜の公園でだらだらだらだら。

寒いよう、と云ったら、これいいやつなんだからな、とたっぷりもったいぶられてからコートを渡される。
こいびとのものではない男物のコートを羽織るときのすこし浮ついた心地がこそばゆい。たとえ、その持ち主が、目の前でむかつくような憎まれ口ばかり叩いていたとしても。
わたしは男の子男の子した男に甘い、甘すぎる。反省すべきところだ。

…あと五分、あと五分。あと五分って響きはいじらしい。かわいらしい。

ああ、これでは、反省になっていない。

 


11月26日(金)

眼鏡で近所のパン屋まで出かける。小腹を満たす。
眼鏡をかけた自分の顔は何度見ても好きになれないから、なるべくなら、眼鏡では表に出ないようにしている。

昨日はひと晩中、コンタクトレンズを眼球に貼り付けたままだった。なので。だれにも会う予定のない今日は眼鏡で過ごすことにした。
母は里帰りだ。今はひとりのわたし、終電が近づいても、遊び続けたい気持ちと、付き合ってくれる友だちがあれば、家には急がない。


今日は出掛けに電話がかかった。
「きのうは、遅かったのねえ。」

母が云う。「おねえちゃん、カゼ引いた?」

ばつの悪いのを感じながら受話器に応えた。
「ううん、友だちと歌をうたいに行ったから。」

そーお、という母の声に笑いが滲む。

空には雲、雲のかかった月がまるい。眼鏡越しの、まるい月。
孤独でもないのにさみしいのは気のせい。
穴という穴をぜんぶ、塞いでしまえば。気を失って、気が楽になるのかしら。

恐ろしいことを考えたような気になっているけれど、冗談じゃない、この程度のことはだれでも考えつく。これ以上のこともゴマンと思いつかれている。

家に戻ると眼鏡は外した。度数を強めにしてあるので、かけっぱなしていると頭が、重い重い、と嫌がり始めるのだ。見えすぎなくていい、少々おぼろげのままでいい、そういう意味なのだろう。
テーブルに眼鏡と、荷物を置いて、コートも脱がずにわたしは、ここ十日のうちに、しなくちゃならないことの数を指を折って数え出す。

 


11月25日(木)


娘心に花が咲く。

どうぞ、お好きになさって。
ちぎるも飾るもご自由にね。
娘心の花は歌う。
花びらは何色かしら。

何色に見えてもいい。

見たいように見てください。
「昔あるところに…」

花を欲しがる醜い魔女と、花に事欠かない美貌のお姫様と。どちらに親しみを抱くかといえば魔女にです。

 


11月24日(水)


女子高生だった。

いちばん好きなマンガは、うすた京介の「すごいよマサルさん」。チャラの歌う「光と私」に身と心で憧れていた。処女だった。

―1998年。

2004年11月24日。
朝ごはんをチョコチョコっと食べて、まだすこし時間があったので、本棚の奥から引っ張り出したのが、「すごいよマサルさん」。
女子高生だった頃、毎週月曜日はホームルームがはじまるまでのあいだ、仲良しのともだちと「マサルさん」を読んでおおいに笑った。箸が転げても笑うお年頃に、「マサルさん」は、わたしたちのヒーローだった。思い出す。

出かける時間になって身支度を済ませ最後の仕上げに、ポータブルのMDプレイヤーの中へ、昨日の夜掃除しているときひょっこりあらわれた古いMDをセットした。再生ボタンを押せばイエンタウンバンド名義で歌っているチャラの歌声が耳元に響き出す。しゃんはいべいべ、って、女子高生だった頃は、自分がいずれ上海へ行くのだとは思っていなかった。
外に出ると、すっからかんに青い秋の空。1998年に見た抜けたような秋の空。
MDの最後に自分で付け加えた「光と私」が聞こえだす頃にはわたし、ぴちぴちになっている。


「いまが、いちばん輝いているときじゃない? 楽しいときでしょう。」

1998年、何人ものひとがわたしに向かってそう云った。
それを聞くたび、女子高生のわたしは怯えた。
いまがいちばんなんて。

いまがいちばんで、あとはどんどん、どんどん、そうではなくなってくるだなんて。
そんなのはあんまりにもあんまりだから、そうね、なんとしてでも、いま(・・)を、引き延ばさなくちゃ、引き延ばそう、と、決意した。…現在に至る。

何をノウテンキな、などと仰らないで。
むずかしいことを拒んだり、避けて通りたいということではないの。たるんだり、ゆるんだり。そういうふうになっちゃわないようにしたい、それだけだよ。

思い出す。女子高生だった頃も、なりたかったのはただひとつ。小説家。それが続く限り、わたしのいま(・・)は、終わらないのでしょう。終わらせない。
―2004年。


11月24日(水)


午前中は図書館の端っこで、「日本」の端っこについて思いを馳せる。「日本」に限らず国境線なるものはなんと人為的に引かれたものなのか、と、溜息が出る。一緒くたにするのには少々無理のあるところでも強引に一緒にさせられてしまったりしてね。生粋、とか、正統、といった類のことばを簡単に信用すると火傷をしそうでこわい。

 

それでふっと思い出した。去年、「沖縄文芸誌」のクラスで一緒になったある女の子のこと。
彼女は、年に五度ほど、京都に行くという。五度は多い。好きなんだねえ、というと、うん、大好き。だって文化(・・)()ある(・・)から(・・)、という。

わたしは、文化がないところなんてあるの? という気持ちが、首もとまで募って、でも飲み込むと思った。この子とは、うまくやってゆけないかもしれない。
予感は的中し、別のときに、彼女はとうとう言い放った。

北海道は好きじゃない。だって、あそこには文化(・・)()ない(・・)じゃない。」

ばきゅん。

彼女も、もしかーしたら、この日記を見たりするのかもしれないなぁ。でもいいや別に…ってか、知るか。
彼女のようなひとはいる。彼女が代表するような世の中の雰囲気に怖気づくのはもうたくさん。そう思うからこそ、あたまがよいわけでもないのにわたしは、こうして何年も何年もベンキョウがやめられない。


11月23日(火)


遅く起きた朝は昼だった。鞄にベンキョウ道具を詰め込んで、近所の喫茶店にむかう。背広姿のおじさまや、買い物帰りのおばさまがたむろ(・・・)する。昼間なのに店内は薄暗いというのが貴重な、こんな喫茶店はベンキョウに向いていて好き。片隅の席に陣取ってコーヒーを注文して本とノートを広げる。ベンキョウに取り掛かる前に横目で眺める。背広姿のおじさま方のシャツはたいがいが、無地の白。わたしが昨夜観た映画のなかの男たちとは大違いだ。彼らはジャケットの内側に派手な柄や色のシャツを着ていた。彼らはみんなギャング(・・・・)なのだった。


タイペイの繁華街で、下駄は歩きにくいと若い男がボヤくと、そこがいいんだよ、と初老の男が応える。

「ギャングはみんな、日本のヤクザを真似たがる」

香港で製作されたその映画の舞台は、返還前の香港、マカオ、それにタイペイだった。
全編で話されることばは基本的に広東語だったのだけれど、舞台が舞台だけに、北京語の率も高く、ほんのわずかではあるけれど台湾(ミン南)語も混じっていた。

言ってみれば、「中国語」が入り乱れていたのである。

今現在、「中国語/Chinese」と言うときは、基本的に、「北京語」のことを指すのだと考えなくてはならない。
そもそも、あの大陸ときたら気が遠くなるほどばかでかいから、地域によって話されている言語が、がらっと変わってくる。

そこで、北方方言を基礎とした「北京語」が、「中国人」の共通語として採用された。
しかし、「中国語/Chinese」を「漢民族の言語」として捉えるのなら、北京語はもちろん、上海語、客家語、それに広東語や台湾(ビン南)語など、各地域の「方言」もみんな、「中国語」になる。

そういった意味で、この香港映画のような映画は、「中国語」映画として観る(聞く)ことができて、楽しい。
まず、全編の基本となっている広東語が、わたしにはわかるようで、その実、まるでわからないのだ。音程だとか、音階だとかに、どことなく親しみを覚え、かつ単語のひとつやふたつくらいなら聞き取れそうな気がするのだけど、やっぱりわからない。
ところが、舞台がタイペイに移り、登場人物が北京語を喋り出すと、とつぜん、意味がわかる。音の輪郭が角ばって、耳に迫ってくるような気がする。
そこへ隙間を縫うように、台湾(ビン南)語も二言三言入ってくるのだけど、両親の話す台湾語を聞きながら育ったわたしとしては、それらの音がどのような文字で書くのかはわからないまでも、意味することは簡単なことであれば何とかわかる。

わたしの場合、広東語となるとほとんどお手上げで、台湾語は意味だけならなんとかわかることができて、北京語だと意味が大体つかめてさらにどんな文字を書くのかもいちおうはわかる。
映画を観ている最中、意味がはっきりわかる言葉ほど、その言葉を鳴らしている音の輪郭が、尖りながら迫ってくる、と感じた。おそらく、意味を背負いながら聞えてくる音と、そうでない音とでは、耳への届き方としての濃淡が違ってくるのだ。

ところが、すべてをひっくり返すかのように、この「中国語映画」を、わたしは、けっきょくのところ、画面の下にある「日本語」の字幕に頼って理解をしているのだ。
わたしにとっては、「日本語」が、けっきょくのところ、いちばんよくわかる言葉なのだ。

運ばれてきたコーヒーを一口すする。隣のテーブルで、おじさまがふたり、なにやら商売について熱っぽく語りあっているのが聞えてくる。おじさまがたの発する音の意味するところが、わたしにわからないということはほとんどない。彼らは「日本語」で、話をしているから。
それでも、うつむいて本を読みながらノートをとるのに没頭しているうちに、だんだん、「意味」が遠ざかって、ただの音になって、そのうち聞えなくなってしまう。
どれくらい経った頃だろうか。
わたしの斜め後ろのテーブルにいたおばさまのうちのひとりが、立ち上がって、甲高い声で言った。
「奥様ごめんねえ。お先にねえ。」

輪郭のくっきりした音が、とつぜん、耳にねじりこまれたような気がして、はっとした。
ああ、意味(・・)()わかる(・・・)、と思った。

それは、日本語、だ。

わたしと日本語との関係を考えるとき、あるいは、わたしと中国語との関係を考えるとき、わたしはいまだに自分にとってほんとうの意味での「外国語」へと、未知なる言語へと、取り掛かったことがないように思う。
と同時に、中国語に対してはもちろん、ほぼ自由に使いこなしている日本語に対してすら、ちょっと視点を変えるだけで、いくらでも「わたしのものではない言葉」のように思うことが可能になる。

…そろそろ、国名や地名のついた言語がどうこうではなく、一連の音としてのそれらを、「意味」としてわかるかどうかというところに重点を置きながら、たえまなく音の鳴りひびくこの世界をかき分けてゆくのがよいのかもしれないな、と。
思ったりなどしている。


11月22日(月)


今夜は久々に香でも焚こうかと思う。床にあぐらをかいて坐ってふくらはぎを揉みながら思う。
よく歩いた。このごろのうちでは、もしかしたら今日は、一番によく歩いた。
天気がよくて、少々の暇があって、話したいことだらけの友だちが隣にいて、歩くのにはうってつけだった。
今夜は久々に香を焚くつもりだ。ひとからもらったタイ産の香がある。夜になるにつれ、きっと目は冴えてくる。本を読もう。音楽を聴こう。タイの香がかおる部屋のなかで。贅沢に過ごすのだ。足の裏を揉みながら思う。


11月21日(日)


「思った以上に酔っぱらってしまった。…ここ、坂道でいいんだよね?」

 

焼酎をロックで何杯も飲んだ友だちは、真っ直ぐ歩くので精一杯だった。その危なっかしいのにわたしが笑う。別の友だちも笑う。3人並んで坂道を降りてゆく。
雨の雫がふたつみっつ、紅潮した頬にあたる。身も心も火照っていたから丁度いい。気持ちのいい夜。


地下にもぐってゆくとそこは、まぐろ頬肉の天ぷらが美味しい居酒屋さん。隅の席に陣取って話に夢中になっているうちに11時を過ぎてしまう。いつもこうだ。この3人で会うのにはこれしかないと3人は思っている。

高校は女の子の多いところだったから、としの近い男の友だちは少なかった。
かれとかれは、わたしにとってほとんど初めてできた、いろんなことを忌憚なく話し合える男の子の友だちだ。

今夜は半年振りに会う2人から、男心、とやらを伝授してもらおうと企てていた。
ビールで乾杯。3人ともそんなに強くはない。舌が、まわりだす。
話しているうちにそれぞれの好みのタイプについて語りあうことで原点回帰しようという流れになった。わたしの番になり、


「いばりんぼうで、ちょっとホメてあげるとたちまち気をよくしてもっともっとがんばっちゃう、一見いじわるそうなんだけど、心根はやさしくて、実は女の子っぽいところを秘めてたりして、たとえば妹がいたら妹をすごうく大切にしてたりするような…。」

「それって、ジャイアンじゃん。」

NO FUN!(ジャイアンの口癖、「おもしろくねえ!」の英訳)

そうか、それってジャイアン。目から鱗が落ちました。たしかにあのステージ衣装はどことなくグラムロック。音痴は問題じゃないよね、叫ぶことがあるひとを好きなのだ、わたしは。


というわけでジャイアン。

友人に導かれて、男心を知る予定だったのが、かえって自分の心を知ってしまった夜なのです。


11月20日(土)


道徳の教科書を面白がっていた少女は、大きくなってからテレビをきらうようになった。

夜の十二時近い頃、こわい顔をしてるよ、と指摘をうける。テレビぎらいの元・少女は、揚げ豆腐を飲み込むと、ここぞとばかりにまくしたてる。

あいつの父親が、どれだけ苦労してきてどれだけ立派だったのか、だなんて、どうして今更? 今更、ドラマになってテレビに?

居酒屋だった。テレビがあった。テレビがついていた。テレビぎらいの元・少女がテレビを見たのは久しぶりのことだった。火が点いたように、元・少女は喋り続ける。

純愛ドラマの主演者は、いずれ必ず服を脱ぐ。ピュアなだけが売りじゃないって? 艶やかさも持ち合わせてるって?


「女優さん」が裸に近い格好になるのに相当の覚悟が必要だったのはもうずいぶんむかしのことなんじゃないの? アートなヌードだとかで、今は猫も杓子も脱ぎたがる。
ポルノとちがう、わたしのはちがう、これは芸術的なエロスなのよ、だなんていう女の子が町に溢れてる。
とんとお笑い草だ。

テレビぎらいの元・少女の顔が、茹蛸のように真ッ赤かになったのは、コーフンしすぎたせい。ビールを一気にあおったせい。

道徳の教科書にむかってうんうんうなずいていた頃と大違い。
疑うことを覚えた。

苛立つことが増えた。

喰ってかかったりもする。

彼女は、彼女は…、<傲慢>になった?

「もっと考えるべきことがあるはずよ、もっと、もっと…。」

 


11月19日(金)


宴だった。
たくさん呑んで小雨が頬にあたって帰り道、お月さまはどこなのよ、探して歩く。
明日は雨やむのかな。ふるのかな。
草原に仰向けになって倒れたい気分なのよ。

 


11月18日(木)

 

風呂上りに鏡の前でクチをぱくぱくさせる。こんなことしたって何にもならないというのはわかってるのだけど、このごろどうも、舌がもつれやすくて困ってるから。

唇と舌、もしかして仲たがいでもしてるのかしら。舌の準備もまだできてないうちに唇が開いてしまう。
結果、自分でも何を言ってるのかわからないまま音を発していることが多い。
クチの自己同一性が分裂してしまったのだ。そんな馬鹿な。

筋道立てて喋るのはもとからニガテだった。このごろ、よりいっそうヘタになった気がする。聞く人の身にもなってみろ、と自分で自分を叱りたい。叱ってみた。

そのままでいいと思ってるの? そういうのを許されるような年齢では、もうないでしょう。童顔だからって甘えてない? 覚悟しなさい。若さで乗り切れるのはあと数年。

 

叱られるのはきらい。泣きべそかいた。どうしようか、この涙。無駄にしょっぱいのだ。

ほぼ確実にいえることは、ベンキョウがいよいよ足りなくなってきた。底をついてきた。情熱だけが氾濫していたってしょうがない。素材だけあったってどうしようもない。

もっと、たくさんベンキョウをしてめがねの似合う女の子になりましょう。めがねの女の子ならば喋りながら混乱するなんてことはないだろうという偏見を抱きしめて願いを込める夜。しょっぱい夜。

 


11月17日(水)


すこうし、引っ掛けてきた。うちまでの道を、ふわふわ。雲のうえを歩くみたいに歩く。

雲は、高く空に浮いたもの。
空は、地上から見上げるところ。
わざわざ辞書で確かめた。
心が動揺して落ち着かないことも、「空」というらしい。

動いてて揺れてて、落ちることも、たどり着くこともない。そういう状態が、わるいものではないのだってことを、ずいぶんと長いこと、知らされてこなかった。

よっぽど秘密にしておきたかったのね。


雲のうえを歩く。
自分を仙人のごときものと思ってるから、今夜ばかりは、ひとさまの夢まで自分のもののように思えてくる。ひとさまの空まで自分のうえにあるように思えてくる。

秘密にしたいことの、ひとつやふたつ。

あってもいい。

 




11月15日(月)

でたらめに歩いていた。いつのまにやら、玩具みたいなお城みたいな建物ばかりが続く路地に迷い込んでいた。日のもとで見るそれらの建物は白々としていて夜見るときよりもうんとそっけない。余計なお世話。
電柱に括りつけられた看板、緑色に白地の文字をみると「
渋谷区円山町」。
日が高かったのでとおりに人気はそんなに多くない。わたしの横を、年齢差に幅のありそうな男と女が通り過ぎてゆく、笑いながら。
バチガイとしかいいようがないのは、どう考えても、わたしのほうだ。

路地の出口を探す。ゲームセンターがあった。その壁に沿って、男の子が何人か、しゃがみこんでいた。そのうちのひとりが、こっちを見ている、ような気がする。口元がうっすら笑っている。気のせいだろう。でも、どきどきする。早足になる。
ハラジュクがみつからない。ハラジュクに行きたいのに、と思っていると、交番がある。
おまわりさんがひとり、交番の脇の植え込みにジョウロで水をやっている。

ハラジュクはどこですか?

とたずねるとわたしよりももしかしたら若いかもしれないそのおまわりさんがハラジュクまでの道のりを丁寧に教えてくれた。ありがとうございますと云ったあとに、

「迷っちゃって。」

と付け加えると、若いおまわりさんの表情がしゅるっと緩んで笑みのかたちになった。男の人の、こんな笑い方が好きだ、と思う。遠慮がちで、照れくさそうで。
そのわりに、いじわるそうに笑うひとのほうにクラクラすることが多いのはどうしてかな。さっきしゃがんでいた男の子のことを思い出しているわけじゃないけれど。

 


11月14日(日)

一年のほとんどを母とふたりで暮らしているようなものだから、父と妹がいっぺんに帰ってきたとなると、この家は、ひとで溢れかえったようになる。
入試で大学が休みになった妹は、こちらの友人に会う約束があるとかで金曜日に東京に戻ってきた。それに重なるように同じ日に父も戻ってきた。

「いくちゃんが帰ってくるのならパパも帰ろうかな。」

電話口で父は云い、ちょっと間をおいてすぐに訂正したという。

「結婚記念日だし、帰るよ。」
去年父は結婚記念日のことを忘れていた。滅多にわたしの携帯を鳴らさない父から電話がきたのに驚いて出ると、
「どうしてヒントくれないの。ママ怒ってるじゃない。」
と云われたのはもう一年も前のことなのかとわたしは笑う。

「何年になったの?」

パパとママは連れ添ってもう何年になるの? 帰るなりたずねると、

「知らない。」
照れくさいのか父は寝室に引っ込んでしまった。

「照れることないのに。」
と母は今年は機嫌がとてもいい。

家族4人が揃うのは妹の京都を訪ねて以来だった。あれは夏のことで、今はもう季節が半分ほど冬に差し掛かっている。これからどんどん寒くなってくる。

妹は、今夜の新幹線であわただしく京都へと戻っていった。
今、母とふたりソファーに並んでくつろいでいる父もまた、明後日の昼には飛行機で上海か台北かどちらかに戻る。

これからどんどん寒くなってくる。父と妹のいない家で母とふたり。母とのふたり暮らしは基本的に楽しい。
ただときおり、母にとっては娘のわたしが刺々しいものとして映ることもあるようで、そういうときは大抵、わたしが何かで追い込まれているときだったりする。
古い男が妻に対してするように、あれこれと世話をやこうとしてくれる母をうるさがったり、ないがしろにするような態度をとるのは、なるべくなら避けたいものなので、何事に関しても余裕を持って取り組みたいな、と。思いこそはするのだけど、そう簡単には行かないだろうとも気づいている。

だからこそ、あいしてるとかあいしてないとか、いっときの感情ですべてを決め付けてしまうのは、とっても危なっかしいことなのだ。こと、家族に関しては。

リビングから父と母の笑い声が聞こえてくる。

何年連れ添ったの?

仲良しだからどんなことがあってもうまくゆくのではない。どんなことがあってもうまくいったから仲良しなのだ、たぶん。

 


11月13日(土)

もうずっと前のこと。
空を飛ぶ夢を見たと云われた。


「オンと一緒に空を飛ぶ夢を見たよ。おれがオンの首ねっこをつかまえて2人で飛んでたよ。」

 

と、楽しそうだった。
夢の中では、空を飛べる。

夢。
ひとの夢のなかに登場するわたしは、夢をみるひとがわたしと親しいひとであろうとなかろうと、わたしというよりはわたしの姿をとってあらわれるそのひとの一部なのだと思っていた。
現実のわたしとはまったく無関係で。

現実のわたしがほんとうのわたしなんだもの、と。

でも、ねえ。ほんとうのわたし、だなんて。
赤面しちゃいます。
そんなものがいると信じて、探そうとすることは馬鹿げている。前から思っていたじゃないか。
わたしは、どうしたって、ほんとうのわたしです。

嘘をついても、着飾っても、偽っても、猫かぶっても、みんな、ほんとうのわたしです。

と、なると。
ひとの目に映ったわたしのほうが、わたしが自分で思うわたしよりもわたしだったりする?

わたしは飛んだ。首根っこつかまれてるなんてあまり格好はよくないけれど。でも。飛んだ。

夢の中なら飛べる。他人の夢の中でも飛べる。


ひとの夢にあらわれるわたしも、わたし。わたしも知らない、ほんとうのわたし?

だから
「皆さま。わたしが夢にお邪魔するようなことがあったなら、ぜひご報告くださいませ。どんな些細な情報でもかまいません。」
チラシを製作してそれから眠りにつきましょう、という気分。

 


11月12日(金)

わい、わい、わい。

あたまばかりやたらと重たくなってくる。わたし知ってます。そんなときには文字の読み書きを覚える以前のことを思い出せるだけ思い出すのがよし。

あいうえおを覚えてしまってからというものの、文字を微塵も仲介させないでものごとを感じるということから、日常的に遠のいてしまった。疎くなった。

文字は、つかっても、つかわれるな。

 

ときおり、戒めないとならない。…説明、足りない?

 


11月11日(木)

ともだちが出演するお芝居を観に行った。

そのひとは、むかし、わたしがふたりの友人と3人で書いた小説をもとにしたお芝居の、主人公のうちのひとりを演じてくれたひとである。

(主人公のたくさんいる物語だったのだ。)

今夜は、役者として、この春から、とある劇団に所属しているかれを、観に行った。

舞台のうえのかれを見ると、姿形はむかし見知ったなつかしい姿でありながら、動きや話し方には演じている役の色が滲みこんでいて、当たり前のことだけれど、ぜんぜん、別の人のように見えた。

めったに芝居を観ないわたしは、芝居の、芝居がかっているところに、最初はあまり馴染めなかった。それが数分も経つと、いつのまにか、舞台のうえで演じられている物語がしっくりと胸に入ってくる。そして気がついたときには、物語そのものに夢中になっていた。

終幕。
舞台に向かって両手を叩きながら、たとえば、映画。たとえば絵画に音楽。そしてこんなふうに演劇と。
それぞれの表現内容が、それぞれその表現媒体であることを必然としている、と、鑑賞者に感じさせる、いや感じていると思わせる隙もなく感じさせてしまっている。

そうあってはじめて、その「表現」は「成功」した、といえるのではないか。


だからこそ、こういった
文字を書くことのみに拠らない「表現」を鑑賞すること(・・・・・・)が、書くこととはどういうことなのか考えてゆくうえでは、とても重要なのだと、あらためて思い知った。
小説を書くということを、わたしはいまだ試みている。自分にとって何故小説でなくてはならないのか。文字を書くことによる表現でなくてはならないのか。考えるべきことはいくらでもある。書くことのみが重要ではない。

来てくれてありがとう、とともだちがメールをくれる。こちらこそ、ありがとうと思いながらメールを読んでゆくと、かれは、明日役を降りるという。顔面神経麻痺、という病気になってしまって、そうとう無理していたという。公演は週末までつづく。どれだけ無念でいるのだろう、と思ったら、かける言葉が見当たらなくなって、途方に暮れた。今日あなたを見ることができてよかった、と伝えようかどうか、迷ったあげく、けっきょく、伝えることにした。
養生して、今度はよりよいものを見せてあげたいです、と返事が返ってくる。

すこしだけ泣きそうになりながら、本当にもっとかれが見たい、見られるように、と心から願った。

 


11月11日(木)

階段を。踊り場で足がもつれそうになる。階段を、駆け下りたのだ。

いるはずのない人がいるような気がして。
追いかけた。

ぜんぜん違う人だった。ぜんぜん違う。
息が。息がもつれる。
(「息」のあとには「もつれる」という言葉は続かない、なんて言わないでね。)
胸が。胸はみだれて。

「だれか。新しいお花をちょうだい。おなかが空いた。」

階段を、ゆっくりと上った。


11月10日(水) 夜。

なろうとしていないのに、気がついたら、なりかかっている。あるいは、なろうとしているのに、どうしたって、なれない。

そういう状態にあるものの、見ているだけでつまずきそうな感じが、わたしに近しいのだろう。

どうやらこのまま、つんのめりながら歩いてゆくしかないようだ。

自分が自分であることの、可能性と限界のりょうほうを胸に抱き、希望と不安のりょうほうを胸に抱き、悲しくも嬉しくもない夜に、心配はいらない。


11月10日(水)

天気がいいから、気恥ずかしい。わたしの考えることはお日さまにはそぐわない。
なんて気になったりして。
とぼとぼ歩いていたい気持ちなのに、遅刻をしそうで、早歩き。無理しながらの早歩き。脛がぱんぱんに腫れてゆくような気がする。

「急ぐことなど、ないよ。」
「でも、やっぱり。」
「どうしても?」

モラルはさておき、ルールは守りたいもの。

昨夜、おかあさんとケンカした。ゴハンならいらない、今夜はきっと徹夜ですので。ゴハンよりも、今はとにかく、ひと眠りしたい。
くたびれた顔でぶっきらぼうにそう云ったら、おかあさんは、
「くたびれた、くたびれたって、偉そうに云うのね。べんきょうすることは、そんなに偉いの?」
と云った。

おかあさんの前で、わたしの顔は崩れる。
ぽろぽろ、ぽろぽろ。泣きながら、
「だらだら、だらだら。だらだらしてしまってごめんなさい。べんきょうすることしかできなくて、ごめんなさい」
頭をさげた。

おかあさんの顔は、はっとなった。悲しそうな、申し訳なさそうな、落ち着かなさそうな顔になった。

(そんなつもりじゃなかったの。)


胸のなかで呟いたのは、わたしのほうだ。
顔のわりに、心はカラカラ。乾いていた。

 

「いいから。もういいから、ほら。食べなさい。」
わたしは食卓につき、おかあさんが用意してくれた鍋をつつく。白菜の切れ端を箸で引っ掛けてとって食べる。汁のうまみが口から喉、腹の奥へと届き、温もることと気恥ずかしくなることとが、いちどきにやってくる。

かわいいひと。母はとてもかわいいひと。
あいしてる。母をあいしてる。
子どもの頃からずっと。息をすることと、おなじぐらいに。

「急ぐことなど、できないよ。」
「でも、やっぱり。」
「どうしても?」


どんなにがんばったって、わたしもどんどん老いてゆく。

何ひとつ、何ひとつ、胸に掲げられるもののない状態が続いてゆくことに歯止めを。かけたくて、早くかけたくて、大急ぎで歩こうとするのだけど、いつでも、どうしても、つんのめりそうで。


11月9日(火)

バイバイまたね、と手を振ったあと、おうちに帰ろうとしたら、いつのまにか夜の繁華街。季節は冬。きらきらした青い光りを放つ四角いビルから、冬の格好をした人々がひっきりなしに出てくる。おうちなど近くにありそうもない様子に、いけない、と思ってまわりを見渡したら、下がってゆく長いエスカレーターを発見。

これだ!と飛び乗る。
エスカレーターの左側には警備員か、警備員の格好をしたただの男たちがずらりと並んでいて、誰一人動かない。わたしは、人のいない右側を駆け下りる。

はやい、はやい、はやい!
最後の三十段を、一気に飛んだ。体が浮かび上がったと思ったら、きれいに着地。
顔の前にはなじみのある風景。
おうちならすぐそこだ。
机が待ってる。パソコンが待ってる。乱れた髪は手櫛で整えて、明日の準備に取り掛かる。


11月8日(月)

あの日の午後、緑色の蛍光ペンが、とつぜん、必要になった。正確には、必要である、と感じた。この本の、こういうところについて作者が言おうとしている部分を括るのには、赤のボールペンではだめ。シャープペンの芯でもだめ。蛍光ペンの、それも、ピンクや黄色ではダメ。緑色の蛍光ペンでなくてはいけない。

そこで、荷物は図書室のひとり席にそのまま、財布だけ手にして、緑色の蛍光ペンを求める旅に出たのです。

たぶん、土曜日だった。

校内は、人でいっぱいだった。大学の構内にいる二十歳前後の男女は、ほとんどが皆、人生の途中段階にいるという顔つきをしていると思う。笑ってても、楽しそうにしていても、だるそうでも、眉間に皺を寄せていても、同じ。まるで、山の中腹で切り株に腰掛けてひと休みをしているうちに腰を上げるタイミングを見失ってしまって仕方がないから坐り続けている登山者のような顔つき。ときどき、ぎらっとしているひともいるけれど、あんまり多くはない。
二十歳前後ではない年齢の人もこの頃じゃ大学の構内で多く見かけるようになったけれど、その人たちはたいていが、きりっとした顔つきをしているように思う。お金と時間と、それに、学ぶということのありがたみを解り切っている人たちの顔ってこういうものなのかもしれないと思う。
去年の春、卒業していった友だちのことを思い浮かべる。どんな顔で皆、働いているのだろうと思う。

財布から百円玉をひとつ。自販機で缶コーヒーを買う。緑色の蛍光ペンのことなど、すっかり忘れかけている。
ひとごみをかき分けて、空いている椅子へ。ひとごみ、ということばは本当は「人込み」と書くらしいのだけど、ごみ、っていう音は、ゴミ箱の中に放り込むゴミを、とうぜん、連想させる。そう考えると、なんと、自分勝手で残酷なことばなのだろう。自分以外のひとはゴミだ、とでも思っているかのよう。

でも、ときおり、そういう気持ちになる。

あそこにいる、大口開けて喋っている無精ひげの男の子。構内は禁煙なのに、口から煙を次から次へと噴き出している。わたしは、煙草を吸わずにはいられない人たちの気持ちをよくわかっているつもりだけど、あの男の気持ちは全然わからない。その男の言うことにいちいち甲高い声で笑って反応する踵とつま先の両方が尖った靴を履いた女の気持ちもまったくわからない。
「日本人彼女募集中」という文字がプリントされたTシャツを着た、金色の髪の、白い肌の男の子を、女の子たちが笑いながら囲んでいる。たのしそう。
その輪に割って入って、「この、ガイジン!」と言ってみたら、あの男の子の顔色は変わるだろうか。自分を取り囲んでいた女の子たちとおなじように、黒い髪に黒い瞳のわたしを見て、
「この子たちと違って、君になど『応募資格』はない」
とでも言ってくれたら最高。
「そもそもわたしは、日本人ではありませんから」
と言って、その胸を掻き乱したい。この中国大陸の東側に伸びた島国は、無邪気に笑うかれが思うよりも複雑な事情をもっている。
「観光客の領域を越えて、この地に居を構えたいと望むのなら、そのようなシャツは早いうち脱いだほうがいい」
そんなことを云う勇気が、わたしにはあるのだろうか。はらわたはこんなにも煮えくり返っているというのに。
かれひとりが、わるいのではなくて、かれを取り囲む女の子たちもまた、わたしにヒンシュクを売りつけてくるのだ。
しかし。
わたしは楽しいと思うようなことが、別の誰かにはぞっとするようなものだったりするかもしれないのだ。

などと思うと、歌をうたいたくなる。

わるい冗談は、つねに、ユーモラス。お腹はひきつり、声も出る。
いやよ、いやよも好きのうち?
こうるさい正義ほど、胡散臭い。

缶コーヒーを呑みながら思うのは、自分もまた、この大きなゴミ箱の中に投げ込まれているということ。
緑色の蛍光ペンで囲みたかったことばが思い出せないのです。




11月6日(土)

土曜の昼下がり、語学学校の教室で。
B5版、計155頁の教科書、
「留学生のための中国語会話 中級」

を広げている。
ネイティブの先生の口からさらさらと流れ出す中国語を聞いていると、わたしはこの音が響く中で育ったのだった、とノスタルジック。


ふるさとのなまりなつかし…

という心境になる。

 

でも耳ほどに口の自由はきかない。動かない。
練習をサボってきたので、今日わたしが口にできた中国語は冷や汗が出るくらいほころびだらけだった。縫い直すのが大変。
ある友だちが云うには、中国語を喋っているわたしはとっても淑やかな感じがするのだそう。的確なご指摘である。
わたしの場合、中国語だと、考え考えてからでないと喋り出すことはできない。日本語なら、思考とほぼ同じ速度でことばをかたちづくることが出来る。そして、かたちづくったとたん、口から飛び出してしまう。

唇から散弾銃、という岡崎京子のマンガを読んだことはないけれど、題名に親近感を抱いている。わたしは日本語を喋っている限り「唇から散弾銃」。魚喃キリコのマンガにあったセリフ。「…あたしでイッたくせに」は名言だと思う。「あたしとヤッたくせに」よりはるかに深いと思う。

閑話休題。

今のところ、中国語は、考え考えてからじゃないと喋ることができない。おそるおそる口にしている。母語だったはずがひょんな弾みで母語ではなくなった中国語にわたしは、どうしても必要以上に遠慮がちになってしまうらしい。上がっていいよ、といわれながら、玄関先で靴を脱ごうかどうかまだためらっているような。

母語。

近頃わたしは母の喋ることばを意識的に真似ることがある。中国語と、台湾語と、日本語がちゃんぽんになった母のことばの、とくに文字でどうあらわせばいいのかいちばんよくわからない台湾語の部分を。

「コレクン(まだ寝てるの)」「キーシーラン(むかつく)」
などなど。

じぶんのことばを鸚鵡返しに真似るわたしに母は、「なによもう」と呆れつつ、「じょうずねえ」なんて、まんざらでもないようだ。
母のことばを、音のみを頼りに真似ることのこの面白みはまさに
「筆舌に尽くし難い」。

二十何年前のこどもの頃には、こんな面白いことを日々刻々やっていたのか、と思うと、今の自分はただ童心に返ってるだけのような気もする。

母にとっては外国語だった日本語が、娘のわたしには母語のようになってしまった。母のことばでないのに、「母語」だなんて、なんだかヘンな気がする。


しかし、父や母とは母語を異にするもの、祖父母とおなじことばを話さないもの、あるいは、おうちの中でつかうことばと学校でつかうことばが違っていて最終的には学校で教わったほうのことばが「母語」になってしまったもの。世界には、そういうこどもが、たくさんいると聞く。

これぜんぶがヘンなことだったら、世の中は、なんとヘンなことに満ち溢れているのか。

そもそも、言語を「国家」ごとにきれいに切り分けることができると考えるほうがヘンなはずなのだから、やっぱり世の中はそうとうヘンなことで成り立っているのかもしれない。それも、いつからか、世界規模で。


11月5日(金)

閲覧室内は飲食禁止です、と書かれた貼り紙をながめながら缶コーヒーを啜った。甘ったるい。そこがいい。
図書館の自習室には、隣の席との仕切りがついた一人用の机が、窓際に沿って並んでいる。そのうちのひとつを、いつも陣取って、課題をやる。仕切りのおかげで、缶コーヒーを飲んでいても図書館員の目に触れることがないから、うれしい。ユウトウセイなわたしにも犯すことのできる「規則破り」なのです。

昨夜は早々と寝床に入った。夜の、暗いうちに眠りにつくのはずいぶんと久々のことだった。途中で目を覚ましたとき、部屋の暗いことに驚いて、こわくなってしまった。すぐまた瞼を閉じた。
おばけがこわくて足先まですっぽり納まるように布団をかぶろうとしていたこどもの頃の気分を思い出す。布団からはみ出た部分からまずとって喰われるんだと思い込んでいたあの気分。
こわい。電気が点いてない夜は、こわいのだ、と思った。忘れていた。

 

目覚めてから八時間後。図書館から出て四時間後。こどもの頃なら、はやく寝なさい、といわれる時刻に、オサケを呑んでいる。


「よわいくせに、好きなんです。いちばん厄介なあれです。」
鏡は見てないけど間違いなくすっかり赤ら顔になっているわたしは云う。
とくに好きなひとたちと呑むときはたのしくてたのしくてたまらないんです、と云うと云いすぎになってしまうような気がして、それは呑み込む。

皆と別れて二時間後。この部屋に戻ってきた。夕べ、寝床に入った時刻。
ねむる? ねむらない?
ウタゲのあとだもの。
それに金曜日だ。
ねむれるわけないじゃない。


11月4日(木)

借りてきたビデオを、ちょっとだけ、と思って観ていたら、あっというまに朝だった。


スクリーンの中で、すてきなあのひとが、ヒロインの腰に手をまわせば、じぶんがそうされたみたい。うっとなる。そんなんだから、ヒロインがキスなんかされてごらんよ。うっとなって、きゅっとなって、ひゃあってなって、大変!

心身ともに大騒ぎである。

白状します。
わたしは、うっとなったり、きゅっとしたり、ひゃあってなるのが、大好きなのです。


11月3日(水)

ふだん乗らない電車に乗った。知らない駅で降りた。線路に沿って、歩いた。三駅くらい、歩いた。天気がいい。すごくいい。気持ちもいい。

「悲しみよ、こんにちは」

とでも云ってみたくなるよなこんな気持ちもまた、おとなになるのには必要なのだきっと。泣かない、泣かない。きみの好きな月もほら、あそこ。浮かんでいるぢゃないか。

それで思うのは、空の、くらくなるのが早くなった。あかるくなるのは遅くなった。夜の夜にとどまっていたい者にはうってつけの季節がやってくる。


11月2日(火)

なぜだか今夜はさみしくてたまらない。なんでだろう。
きっと、わるよいだ。わるよいをしたんだ。まちがいない。そうでもなくちゃ、こんなこんなねえ。
「胸にぽっかり穴が空いたような」

とでも云いたくなるような。こんな気持ちになったりしない。いわれがない。
ああ。勝手なことばかり。わたしの望みがほとばしる。


11月1日(月)

若いころね、と人に語って聞かせるようなときがもし来るとしたら、わたしはきっと、いまくらいのことを中心としたお話をするだろうななどと頬杖をつきつき、思っていた。


それもそれ、だれかの<喜び>に繋がるような
なにごとかを成し遂げられたら、の場合に限るわね、などと、あごをなでなで、思っていた。

だってね?

若いころね、なんて言ったとたん、みんながいっせいに耳を傾ける。「その先をもっともっとお聞かせください」と懇願される。
オトナというオトナの誰しもが、そういう待遇に恵まれるわけではないのだもの。

鼻息も荒く熱っぽく語られるかつての<武勇伝>だの、<恋物語>だのは、たいていがみんな、本人にとってのみ、すがりつくべき価値のあるもの。

知られた話です。

鼻息荒く語り出したオトナを前にしたとき、「面倒くさいことになったなしかし逆らうとなるともっと面倒くさいな」と思えば、オトナになるまえのオトナというのはとてもずる賢い。愛想笑いに花を添えてアリガトウくらい、うしろめたくもなく平気でやってのけます。
イイ気になっていてはいけません。

さて。わたしはこのことを肝に銘じて。
これから、すこしずつ、若くなくなってゆくことを、真っ向から受けいれたい、と、ぞ、欲する。

ときはとまらない、焦っている。