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12月25日(土)
わたしのこの小指は、短いらしい。
あたらしい手袋を買った。指先の出る手袋。今流行っているという。それをしているとどうも、他の指は平気なのに小指だけが隠れがちになってしまう。
あまり大きくはないこの手のどの指をさしても、多分だれもお世辞でも長いとは言ってくれないだろう。そしてその中でも小指はとくに短い。
それを知った冬。冬の夜。そわそわとしている夜。
明日のことを思うと、気が気でなくなる。参る。参っている。無事でいられるかな、と本気で心配になる。泣きたくなる。おそろしい。楽しみだなんてとんでもない。
子どもじみてるねと笑われたって仕方がない。かまわない。どうあがこうと今夜ばかりは落ち着けない。
あの、「ロックスター」を。
ついにこの目で見るのだ。
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12月24日(金)
布団をかぶって寝息を立てている。薄暗いその部屋にわたしが入っていったのに気づくと、むにゃむにゃと口を動かして、おいで、と手を伸ばす。それでわたしはコートを脱いで、靴下も脱ぎ捨て、つれの横に身体を滑り込ませるのだ。
眠っていた人の身体は温かい。軟らかい。
おなかが空くだろうと思って近くのコンビニでパンを買ってきた。今夜はこの部屋から出ない。その心積もりでいたからね。
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12月23日(木)
そんな夢は見なかった。
部屋が暗くなるころに跳ね起きてわたし、洋服を着替えると大急ぎでマニキュアを塗り直す。乾け乾けと息を吹きつける。
ふうふう、ふうふう。
今夜はともだちに会いにゆくのだ。クリスマスの贈り物を携えて人波を掻き分けるのだ。
待ち合わせ場所に揃った途端、笑いがこぼれる。
高校生の頃ともだちの少なかったわたしにとって、躊躇なくともだちと呼ぶことのできたのは、このふたりくらいだった。
ふたりとの関係がわたしにはいまだに大切でそれがずっと続けばいいなと思う。
「ずっとともだちね。」
約束しなくちゃならない関係なら、いらないけど。
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12月22日(水)
この日記は、木曜の朝に書いている。火曜日の分を書いたあとに書いている。
日記など。日記など書かなくても支障なし。でも書いてしまう。書かずにはいられない。眠いのに。
都内某駅を出ると、この国の旗がぱたぱたと冬風に当てられて揺らめく。ぎょっとするほど大きな旗だった。ぎょっとしながらわたしはあれを風呂敷にしたら何人分のお弁当を持ち運べるのだろうと思う。
今から眠る。ソファーで眠る。誰かがお弁当を運んでくる夢を見る予定。白地に赤丸のプリントされた風呂敷に包み込んだお弁当を持ってくる夢を見る。
フォークで突き刺せ! から揚げを突き刺せ! おなかも空いた。おやすみなさい。
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12月21日(火)
あくびする。退屈のせいではない。眠いのだ。寝ていないわけではない。寝たはずだ、明け方に。目が乾く。冬なのか。あくびする。あくびはちょうどいい。乾いた目にはちょうどいい。
マニキュアは、剥がれかけてて不恰好。
ペディキュアは、長らく人に見せていない。
靴下を、脱いでいない。
おうち以外ではね。
この日記は、木曜日の朝に書いている。
寝ぼけ眼で書いている。
日記など。日記など書かなくてもいい。だけど書かなくちゃ。書かなくちゃ気が済まない。
やまいだれの中に住んでいる。それが自分なのだと自覚した。
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12月20日(月)
火を点けた。
炎の揺れているのを見つめてたら怖くなった。今まで大丈夫だったことが突然怖くなった。坐っていられなくなった。
今日はパーティーだった。この催しは、たぶん、そうやって呼んでもいい。
クリスマスプレゼントを持ち寄ってみんなで集まった。ともだちの手作りしたお菓子を食べながら、ひとりずつプレゼントを開いていった。
キャンドルの炎がゆらゆら揺れた。
みんなの中に混じって、できるだけ、できうるかぎり、息を潜めていたいと思った。
笑いながら、笑いながらあちこちに穴が空いてゆく。
風と、火と。
ふたつをじょうずに操るのがしたいのだけど。
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12月19日(日)
「革命家」の卵のような友だちが言っていた。
目的のためには、血もけっこう、汗もけっこう、涙だってけっこう。だけど、それを表には現さない。楽しませろ、笑わせろ、笑いをとれ、笑わせることで、穴をあけろ、あけてやれ、風どおしをよくするんだ。
わたしは、子どもの頃も、なりたかったのは「小説家」だった。
だからって、そうじゃないものになりたいと思ったことがない、というわけじゃない。
小学生のころだったと思う。テレビで、アウンサンスーチーさんについての特集をやっていたときだった。
父・アウンサン将軍の意志を受け継ぎ軍事政権から自宅軟禁の弾圧を受けながらも非暴力の抵抗運動を続けているスーチーさんのことをテレビで見た。
むずかしいことはよくわからなかったけれど、わたしは、わたしも、スーチーさんのようになりたいと思った。瞬間的に思った。
「花の髪飾り」の抵抗。
「革命家」という単語をあのころのわたしは知らなかった。知っている今でも、スーチーさんを「革命家」だと言ってしまってよいのかわからない。スーチーさんのようになりたい、と瞬時に燃え上がった。あの瞬間の感覚。あれが、今でも、ときおり、湧き上がることがある。不思議なことではない。
「小説家」になったら、書きたいことがたくさんある。日ごとに確信する。
冬休みは近い。
書くことを再開させる。おたおたしていたら、いつまでたっても夜は明けない。
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12月18日(土)
風呂上り、肌着を身につける前に髪を乾かしている。姿見に映るはなんでもない女の身体。自分の身体を見るのが厭でたまらなくて裸になるときには姿見から徹底的に目を逸らしていたのは初潮を迎えるか迎えぬかの頃だった。苦虫を噛み潰したかのごとき心地で日々を過ごした。今では、気に入りのひとに裸を見つめられることの快楽をいつのまにやら覚えてしまった。少女が腹に抱えていたあの苛立ちを、だからといって、忘れてなどない。
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12月17日(金)
真冬なのに汗ばんでしまったのは、終電に間に合うように大急ぎで、しかも慣れないヒールの靴で、つんのめりそうになりながら、歩いたせい。
わたしの降りるひとつ手前の駅で、友だちは、人波を掻き分けて降りていった。
ひとりになったのに、頬の筋肉は緩んだまま戻らない。
友人をおもう。家族をおもう。師をおもう。恋人をおもう。いとしい。いとおしい。さみしい。いとおしいほどさみしい。さみしい。さみしさを黙殺するよう努めてきた。それをやめる。もうやめる。さみしい。独りで在らねばならぬことは、さみしい。さみしくて。
さみしさを黙殺しない。独りで在ることを引き受けたい。
…だけど。
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12月16日(木)
楽しかった。
今日は頭痛に見舞われた。なかなかひどい頭痛だった。こらえきれなくなって、薬局で錠剤を買った。お水を求めるのが面倒だったので、錠剤をふた粒、飲みかけの「いちごオレ」で流し込んだ。
まもなく頭痛は緩和された。
それで眠りにつく直前の今考えるのは、あんな頭痛に見舞われときながらも、今日という一日は楽しかったと、そればかり思っている自分のおめでたさについてだったりする。
わたしはやっぱり、祝いたいのだと思う。この世にこの身を置いたということを祝いたい。唾を吐きつけたいとか蹴飛ばしてやりたいだとか考えるときもあるけれど、本当はわたし、親愛なるこの世界に接吻がしたいのだと思う。
ありとあらゆるものを思い浮かべて、ありがとね、ありがとね、と呪文のように唱えずにはいられないとき、ぶわあっと水のようなものが心に湧き上がる。それを感じているときのわたしは、危ない顔をしているんだろう。
そう思って鏡を覗くと、生乾きの状態で櫛を入れたからか今夜は髪が妙な具合に落ち着いている。
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12月15日(水)
ねむたいのは朝からのことで夜になったら軽く酔った。
今日もまた、舌がもつれて、そのあと力が抜けた。
ねむたい。ねむたかったのは朝からのことで、そろそろお酒もぬけてきた。お風呂の用意もいいみたい。洗おう。そしてねむろう。
きっと楽しくなる、明日を待つのだ。
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12月14日(火)
伯父の一周忌から戻ってきた母が見せてくれたのは、色褪せた白黒写真だった。
「これは、おばあちゃんが、いくつのとき?」
花嫁衣装を身につけた祖母は写真の中央にいた。
「今のあなたよりもすこし若いくらいなんじゃないかしら。」
母が台湾語で応える。
父方の祖父はわたしが生まれる前に亡くなった。一枚の写真の中にわたしが知っている人は、祖母その人と、あとは祖母の小姑にあたる大伯母しかいなかった。
背広姿の人もあれば、孫文が好んで着ていたことからその名をとって中山服と呼ばれている中国風の服を着た人もいる。祖母が奉公していた家の女主人は和服だった。写真の中ではこの人だけが日本人だった。
六十年ほど前の台湾で行われたある結婚式の写真だった。
写真に写った人を、ひとりずつ差していくわたしのその指は、ある人の顔の前で止まってしまう。
「この人は…」
「そうよ。」
わたしは、戒厳令下の台湾で政治犯として捕まり、殺されてしまったという男の顔を見つめる。
わたしには、祖父の兄、に当たる人である。
輪郭線が角ばっている。切れ長の目。写真でしか見たことのない祖父と、よく似た顔つきだと思う。去年亡くなった伯父やその息子である従兄にもどこか似ている。
あれこれ質問するわたしを、母が面白がる。
「親戚中で、あなたほど、このことに興味がある子どもっていないわね、間違いない。」
自分でも困ってしまう。わたしは、おじいちゃんのおにいちゃんのことが、気になってしょうがない。
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12月13日(月)
あんまりにもお天気がすばらしいので、12月の寒さもなんその、あたくし、調子にのって歩きつづけてしまったわ。
歩きながら缶コーヒーを買いました。ミルクと砂糖の入った甘いコーヒー。
冬だもの。
誰かさんとのことばかり思い出して、少々センチメンタルにもなったわ。…あえてなってみたんでしょう? と云われれば、ハイ、否めません。
甘いコーヒーを啜って歩く、歩け!
耳が目が口が肌が好きなものしか受け付けない。
そんなんなったら、世界はどれほど狭まってそして深まるの。
なんだかんだと幸福な冬の午後。
あんまりにもお天気がすばらしい。
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12月12日(日)
昨夜のことだ。母が留守なのをいいことに友だちと遅くまで飲んでいた。夜中になってから玄関のドアに鍵を差し込んで開けようとしていると、電話のベルが鳴っているのが聞える。大急ぎでドアを開けて部屋に駆け込み、受話器をとる。妹からだった。
帰ってきたばかりなんだようと告げると、何を思ったのか妹は、
「おねえちゃん! 急いで。ハリー! ハリー!」
と言う。
「だから、もう急いだあとだって。…っていうか、自分の国の言葉で喋りなさいよ。」
自分の国? 妹は言い直した。そして、
「どれだろう。」
と言った。
「どこだろう。」
わたしが言った。
「あるのかな、そんなもの。」
妹が言う。
「あるのかね、そんなもの。」
わたしが答える。
京都と東京をつなぐ電話で姉妹は、自分たちの境遇を玩具にして遊ぶ。
妹との電話を切ると、続けざまにベルが鳴る。台湾にいる父からだった。
父からのその電話でわたしは、自分には選挙権があるのだと知らされる。
「うそ!?」
「ほんとう。おねえちゃん、君にもちゃんと選挙権はあるんだよ。」
「…選挙は? 選挙はいつなの?」
「今日。」
今朝の新聞を見ている。父が言うように台湾は昨日選挙だった。
わたしには、自分が子どものころからずっと住んでいる国での選挙権がなく、生まれてたった二年しか住んだことのない国―それを国と捉えるか否か、どちらの態度をわたしがとろうと考えているのかここでは保留にしておく―には選挙権があるというのである。
こないだまではなかったはずだ。去年の正月に台北市の役所で住民票の更新をしたから今年はあるのだと父は言う。
「そんなものなのかしら。」
いずれにしろ、心が震えた。自分にも選挙権があるのだという。ただそれだけの事実がわたしを平然とさせなかった。長いこと、そんなものは自分にあるはずもないと思い込んでいた。
ある、と聞かされて、突然、ほんとうに、突然、自分が一人前の人間になったような気がして、興奮した。
全体から見ればほんの些細な、力のあるようなないような、雫のごとき一票ではあるのだろうけど、それでもわたしは、自分の選択が、今ある政治情勢に影響を与える可能性を、少なからず、持っている。そのことに、目の眩むような思いがした。
わたしにも、選ぶ権利がある。
ふいに、陰がさす。
これは、この権利は、そもそもわたしが、中華民国の国籍保持者だからこそ、持てる権利なのである。
国籍法、というものを思い出す。
国を媒介にしなければ、国際社会では人格を認められない。言い換えると、ある国のパスポートを持っていない人間に法的人格はない。
それが今の国際社会の相互の約束事となっている、という事実を思い出す。
たとえば、無国籍者は、人間として認められない、それが今の国際社会の状況なのである。
そう思うと、選挙権があると知って軽はずみにも浮かれてしまった自分が今度は突然恥ずかしくなる。
どこかの国に属するということ、その必要性。属さねばならぬということ、その制約性。
そのことを問おうとしている自分にとって、この感触―ないと思っていた選挙権があったと知ったときの興奮―もまた、今後考えてゆくうえでの素材のひとつだろうなと感じている。
新聞に目を落とす。
与党である民進党は、脱中国化、台湾の独立を、依然訴え続けている。民進党を支持するひとは前よりも減っているそうだ。
台湾の独立とはいっても、一握りのひとたちが甘い汁を吸うだけではないのか。そう思って台湾の独立を危惧する人が増えているのだという。
では、わたしはどう考える…?
台湾人としての誇りを保つためには、どうしても、「国」として独立する必要があるのかしら。でも、「国」って何? 「台湾人」って何?
あたまがふらふらしてくる。わたしの、幻の一票は、台湾と日本と中国の中間地帯、おそらく東シナ海のあたりを、さまよって死んだ。
そのほうが、かえって、よかったのかしら。
「自分の国の言葉で、考えなさいよ。」
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12月11日(土)
見送る。手を振る。来た道を引き返す。景色がおっとりと霞んで見える。
臍のあたりに力を込めて歩く。おうちに向かって歩く。
この街にもう用はない。
具合がすぐれなかったのは月のものの到来が近かったからなのかもしれない。
朝起きて鏡をのぞくと青白い顔。血の気がない。
初潮からもう何年経ったの。
いまだにそれがいつくるのかわからない。注意をしていない。
成人女性として多分よろしくない。
おうちにたどり着く。
なんにもしたくなくてソファーで毛布にくるまっている。なんにもしたくなくてそうしているのに、むやみに自分を飾り立てたくなってくる。
小瓶の中の桜色を、十本の爪にまぶそうか。唇にも何か欲しくなる。グロスを塗ろう。グロスを塗るときは、右手の薬指でと決めている。
くじゃくの羽が欲しくなる。
心身ともに幼女だったのはもうずいぶん昔のことで、思えばそのころからわたしは自分をむちゃくちゃに飾り立てて遊んでみたかった。お人形の顔に色を塗りたくってみたかった。道具がなかったから、道具は鋏だけだったから、お人形の髪を切ってぶざまなショートカットにして終わった。ぱらぱらと床に散ったお人形の金色の髪。
どうしてあのお人形は金髪だったんだろう。
脈打っている。わたしが、脈打っているのを感じる、下腹部のあたりで。
くじゃくの羽が欲しい。
心はいつまでたってもこんなんだけど、身体はきちんと年齢をとってゆく。
嘆くわけでもなくそう思う。
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12月9日(木)
ちからが入らない。抜けてしまう。きのうからそうだ。
からだに芯のようなものがあるのだとしたら、それがさわさわっと小刻みに震えているような気がする。ぞわぞわっとする。わあっと大声を出したくなる。
どこかが緩んでねじれて曲がったのか。
ちからが入らない。抜けてしまう。
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12月8日(水)
今夜はひとりでお留守番。鏡をのぞくと不安げな果実。さみしくない。さみしくない。不安じゃない。
ひとりでいるときは(も)お料理を致さない。
ピザとペプシコーラ、それにチョコレートのアイスクリームを呼び寄せる。
マンガ片手にお食事タイム。
…ママには内緒の、フケンコウ生活満喫。
いらいらするのよ。なんだかとても。いらいらする。
誰なのわたし?何なのわたし?何がいいのわたし?
鏡をのぞくと不機嫌な果実。
明日になれば羽根が生えるかなぁ、なんてね。
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12月7日(火)
妊婦になるのはどんな感じなのだろうなんてことばかり考えていたら、ともだち夫婦のところに赤ちゃんができたというお知らせが舞い込んで、びっくりした。
奥さまのほうは、わたしにとって、おねえさん的存在。なんでもないところにぱっとお花を添えてみんなの気持ちをみんなが知らないあいだに明るくしてしまう。そのさりげなさに憧れる。ああ、おねえさんがママになるのかあと思うと、胸がどきどきしてきた。
おめでとう、おめでとう。
宇都宮で「たふらふ」をやっている三上さんとこにも赤ちゃんができたというし、十代のころから大好きだったふたりを、おとうさんおかあさんとわたしは呼びつづけてきたけれど、そんなふたりが、いよいよ本当に、だれかのお父さんお母さんになるというのだ。
まばゆい、まばゆい。
ひるがえってわたしは、来年書く修士論文のことや小説のことで、つわりばかりが続く。はやく安定期に入りたいものだ。ほんものの赤ちゃんなんてうんと先のお話なのである。
それにしても、今夜中にやっておくべきことはたくさんあるのに、今日は、もうすこしだけあとすこしだけ、なんて思いながら、この寒いのに日が落ちるまでずっとおもてをほっつき歩いていた。
ひとりだったらいつものことだけど、五人で連れ立ってそんなことをしていた。
何をするわけでもないのにわたしはやはり同級生たちとともに過ごす時間に重き価値を置いてしまうようだ。
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12月6日(月)
昨日の今日でこんなにも唐突に寒いのでは身体がついてゆかぬ気もするのだけど、案外大丈夫なのではないかとも思っている。
昨夜遅く帰ってきたつれの頬が夜気で冷え冷えとしていたのを思い出す。
その頬を、確かめるようにひたひた触っていると、今度はわたしが確かめられるように冷たい手で頬やら腕やら手やら触られる。
湯を溜めてあるよ、と告げると、五分で出てくるよ、と言って本当に十分もせぬうちに出てきたのだ。
揃って寝床にもぐりこむと今度はむこうの身体のほうが火照っている。
下腹部を撫でられたから、「わたしは、人間が産めるのよ。いいでしょう。」
といってみた。
「男は、女が羨ましくて、たまらないんでしょう。」
といってみた。
「そうだね、でも」
つれが応える。
「ひとつの考えに馴染みすぎてしまうのは、もったいないね…」
暗がりの中で思うのは、子どもを産むことよりも今はわたし、子どもが自分の腹の中にあるという状態に憧れているようだ。
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12月5日(日)
嘘のような春の陽気が降り立った奇妙な一日だった。
用があって古本の街にいた。日曜日でほとんどの店が休業のなか一軒だけ開いているところがあった。
欲しかった本が二百十円で買えた。奥付を見ると昭和46年6月30日発行とある。総武線に揺られながら読んだ。
前の持ち主は煙草をうんとのむ人だったようだ。黄ばんだ紙に匂いがしみこんでいる。ページをめくるたびふわっと香る。
つくづく小説が好きだ。物語のために、ことばを、日本語を、吟味し尽くした結晶である小説が好きだ。
総武線から山手線に乗り換えるとき、ホームで風に打たれる。
日中は春の陽気が奇妙だったけど日の暮れたあとは季節相応に肌寒くなった。季節不相応に薄着だった身にはけっこう堪える。
はやくおうちに帰ろう。玄米茶を呑みながら本を読もう。
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12月4日(土)
小学校1年生か2年生のころ、おおきく羽を広げる孔雀の絵を描いて、コンクールで金賞をもらったことがある。
絵を描くのはもともと好きだったけど、孔雀の絵で金賞をもらったことでわたしは、へんに得意になってしまった。
絵を描くことよりも、「わたしは、絵を描くの。」と人に言うときの、へへん、とした感じのほうが面白くなってしまった。
「わたし、絵を描くの。」
「そうよね、ユウジュウちゃんは絵がじょうずだもんね。」
と友達が言う。先生が言う。ともだちのお母さんが言う。
わたしは、当然よ、と思っていた。
ところが、金色の孔雀は、わたしのところに一年きりしか留まってくれなかったのである。
翌年のおなじコンクールで、わたしの絵は金賞をとらなかった。とうぜん金をもらえるものだと思っていたわたしはひどくがっかりした。だけど、それよりもショックだったのは、自分が努力賞だったことだった。
お絵かきの先生からの電話を切ったあと母は言った。
「おねえちゃん、金賞じゃなくて、のうりょくしょう、だって。」
「努力賞」を、母は、「のうりょくしょう」と発音した。
「努力」は中国語読みをすると「nu li」、もっとも近いカタカナで表記すると、「ノウリィ」となる。中国語が母語の母は、「努力賞」と発音するときに、中国読みの「ノウリイ」と「どりょく」を混ぜ合わせて「のうりょくしょう」と発音してしまったのだ。
どうしてだかYESとNOという英語は知っていた。それで、母の発音する「努力賞」が、「NO!りょく賞」に聞えてしまったのだ。
「NO!りょく賞」。
金賞なんかとんでもない。
おまえはNOだ!
「絵が得意なの。」と大威張りしていたわたしは、ここにきてとつぜん、絵も自分もみんなNO! と全否定されてしまったのだ。
「おねえちゃんは、のうりょくしょうだって。」
と言われた直後にわあっと泣き出したわたしを家族はふしぎそうに見つめていた。
冗談みたいだけど本当の話だ。
あれ以来、わたしのもとに金色の孔雀は戻ってこない。大威張りができない。
金賞なんかとんでもない。だってわたしはNOだもの。
絵を描くのはとっくにあきらめてしまったけど、小説を書こうとしている。
今のわたしときたら、「わたしは小説を書いているんです。」と、誇らしげに他人に語っているような人と出会うたび、逃げ出したくなる。
「わたしは小説を書いているんです。ふつうの人たちと違って特別なんです。」
と言っているように思えてきて、こらえきれなくなる。
「わたしにはふつうの人にはない才能があるんです」ということを言外でほのめかしているような気がして、狂おしくてたまらなくなる。
そういうことを感じさせる人と出会うたび、勘付かれないようにそろりそろりとその人から遠ざかるようにしているのだけれど、たまに逃げ切れずに、本当に参ってしまうことがある。日によっては、勢いあまってその人を引っ叩いてしまいそうになることがある。暴力はいけない。こらえている。
だってわたしはNOだもの?
はやい段階で金の孔雀に見放されてしまったわたしは、人さまが己の才能に対して輝かんばかりの自尊心なるものを持っているということが感じられる瞬間にたちあうと、とんでもなく忌々しい。
ばかな子。ばかな子。
それで具合わるくしちゃうなんて。
ヤワな子。ヤワな子。
おかしい子。
健全な自尊心の持ち方を。誰か教えてください、教わることではないか。
「とにかく、書かなきゃ。かたちにしなくちゃ。」
金色の孔雀があざ笑う。…お話しはそれからよ。
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12月3日(金)
熱が去る。
去ってしまったとなると、最初から熱なんかなかったのかもね、と思う。
わたしは、自分にあったことまで、疑ってかかろうとする。
そういうクセがついてしまった。それとも、はじめから?
夕食のあとソファーで毛布にくるまってうつらうつらとしている。寝入りそうなところでハッと気づくというのを何回か繰り返す。
台風27号のニュースがテレビ画面に映し出されるのを見たとたん、乱気流に遭遇した飛行機みたいになってしまった。
毛布をつかんでいた手に力がこもる。
いけない、と思う。
いけない、いけない。
何を思えばいいのかわからない。
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12月2日(木)
寒くなってきた。今日も空はつるんとしてた。周りにマフラーをしているひとが増えた。
一昨日の夜からの熱がなかなか下がらない。熱とはいっても程度は軽い。大したことない。ただ、ぽうっとする。いつもとなんとなくちがう。こういうのを微熱というらしい。
微熱眼で考えるのは人魚姫のこと。
泡になって消えた人魚姫。
見も知らない男に恋なぞしてしまったのがいけない。足を引き換えに、声を、差し出してしまうなんて。
泳ぐことと語ることのいずれも彼女にしてみれば生きることとイコールで結びつけられたはずだ。それをなげうってしまうほど、その男―ひと目会っただけの王子様―は素敵だったってこと?
きっと、そうだったのだ。
泡になって消えた人魚姫の、おねえさんたちは、おなじ人魚として妹をどう思ったのかしら。
微熱眼がさらに潤んでくる。
そんなことはいいから、はやく宿題をやらなくちゃ。下がる熱も下がらない。
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12月1日(水)
鬼さんこちら、手の鳴るほうへ。
きょう読んだ小説に、日本の着物をズタズタに引き裂く女がでてきた。それを目撃した女の息子は、
「狂ったような母の動作はぼくらの心を完全に打ちひしいでいた」
と思う。女は、日本の着物を引き裂いたあとに色のあせたチョゴリ、チマを取り出すとうつろになっている。
「父は母に向かって『出ていけ』と怒鳴りだして、それが合図のように二人ははげしく愛想尽かしを言い出した。しかしそんな場合も母のほうは自分の言わんとすることを充分に喋る余裕をあたえられなかった。父はたちまち圧しつぶす勢いで話を奪ってしまうからだ。ついに母はあきらめる口調になって首をかすかに振るのだった。」
夫から語ることを奪われてしまった女が、無言で日本の着物を引き裂いている。小説の読者であるわたしも打ちひしがれてしまった。女と、その夫のりょうほうともが、第二次世界大戦中に朝鮮半島から日本統治下の樺太に流れ着いた人間だった。
図書館の一人席に陣取ってその小説を読み耽っていたわたしは、日本の着物を狂ったように切り刻む女の描写のかどで、語るという行為を根こそぎ剥奪されてしまったひとの哀しみや憤りの「深遠さ」を思い知った気がして身震いした。
その「深さ」は、ことばを奪われたがゆえ、ことばの及ぶようなかわいいものではないのかもしれない。
寺山修司が監督した「さらば、箱舟」という映画のなかに、村中から馬鹿にされている若い女が森の中で声をあげて泣きながら胸に抱えたうつわのなかの米粒をばらまく、というシーンがあった。
この女もまた、ことばで哀しみ、ことばをもって憤る、ということがさせてもらえず、そうするしかなかったのかしら?あるいは、ことばは無力で、「狂ったように」米粒をばらまくことでなければ、その哀しみは表現することができなかった?
わたしの場合、「語る」ということを、何かの力―暴力といってもいいかもしれない―によってあからさまに制約されることなく、今までこれた。
そのことが、とつぜん、とても、幸運に思えてくる。
だけども。
わたしは本当に「自由に」語っているのだろうか。何にも「制約」されていないのだろうか。
そのわりには、もどかしい。
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