2月28日(月)
春が近づく前に南へと飛んでゆく。台湾へと飛んでゆく。
今度は約2週間の滞在である。
母と妹、それに現地で落ち合う父と、正月のときと同じく、家族揃っての台湾滞在になる。
荷造りは、十分もしないうちに、済んだ。
親指の爪を噛んで、また噛んで、帰ってきたら会いたいと思う顔を思い浮かべる。
花の笑う季節に会いたいと思う顔を思い浮かべる。
胸が詰るような気がしてくるのは、自分には今そう思えるような顔がいくつもある、こんなことが、たとえば、かつての自分からしてみれば、信じがたいほど贅沢な状況だったに違いないと、それを忘れていないから。
忘れてたまるか。
生きている。
2月27日(日)
頂き物のそのお茶の葉を浸すと、湯はきれいな紅色に染まった。よい匂いがする。嬉しくなる。一口啜る。よい味がする。嬉しくなる。この茶の葉をくれた友だちの顔を思い浮かべ、この気分までもが彼女のくれたもののように思えてきて、わたしは友だちになったばかりの彼女と自分はこれからますます親しくなるんだろうな、と、土曜日彼女と向き合い喋っていたときに思っていたのとおなじことを思う。
春の近づくのは、いとおしい。
日曜日であるのをよいことに今日はながながと寝床のなかでまどろんでいた。
うつらうつらとしながら安心していた。
春の近づくのが、嬉しい。
紅色に透き通ったお茶を啜りながら、今日という日はいとおしかったと思う、今日のような明日がくるのならこんなにうれしいことはない、今日のような明日が続くように生きよう、と、よごれのない心の持ち主が考えるようなことを考えているのだ。
2月25日(金)
吐く息が白い。
わたしたちは明るい。
おしくらまんじゅうをするときみたいに腕を組んで、ひとのまばらなホームをはしゃぎながら歩いた。
ホームの友だちに手を振る。
電車が動き出して、友だちの姿がゆっくりと遠ざかり、見えなくなるまで手を振る。
車内は空いていた。四人掛けのボックス席を独り占めできた。
窓ガラスに額をつけて、外を眺める。
暗いのでほとんど何も見えない、でも、月が丸い月が、浮かんでいるのが見えるのはうれしい。
暗いのでほとんど何も見えない、月が、月くらいで、あとはガラスに反射した自分の顔が見える。
含み笑いをしている。
今日は、水族館で魚の泳ぐのを見た。イルカの踊るのを見た。ゾウアザラシが鼻で息を吸うのを見た。ウーパールーパーがいた(似てた。)
空は白かった。海も白かった。境目がなかった。寒かった。寒いけど、白い海を前に、コンクリートの地面に腰掛けた。ホッカイロを握りながら喋っていた。喋っているうちに寒さと時を忘れた。
一日のうち何回も、この子のことが好きだ、と思った。この子と一緒にいる自分も好きだ、と思った。
この人と、この私とでしか築けないもの―絆と呼んでもよさそうなもの―がある。わたしにとって、大事な人との関係は、みんなこうだ。その人と、この私とでしか結べない。だから大事になる。大事にしようと思う。
含み笑いになる。わたしは明るい。
2月24日(木)
歩いているうちに足を動かすことが億劫だと思い始める。夜の約束は訳を言い断った。熱のようなものが全身を覆っているように思い歩くことが本格的に嫌になる前に家に辿り着かなくてはと早足になる。早足で時折こんなことが起こると思う。時折こんなふうになって人様に迷惑をかけると思う。雨粒もいけない。雨のときのわたしは眠りたくなることが多い。どうしようもない。
2月23日(水)
春一番の風が吹いたという日の夜、飛行機とバスとを乗り継いで父は東京のかれの家に戻ってきた。母と妹が父の出迎えに行っている間、帰宅の遅かったわたしはひとり、母の作り置きしたマグロ丼をかきこんでいる。醤油のしみこんだご飯が美味しい。
料理をほとんどしないわたしに比べ、妹のほうは積極的に母を手伝うことが多い。わたしがこのキャベツ刻んだんだよお姉ちゃん、と小学生のようなことを食卓で報告されたりする。妹は今日も母が料理しているあいだ、ずっとそばで付き添って何やらやっていたらしい。
器がカラッポになり、腹がいっぱいになった。せめて皿洗いぐらいはしようと思い台所に立つと、玄関が開き、父、母、妹のそれぞれが、ただいま、というのが聞えてくる。
父は我が家の重心だ。父がいると、この家に欠けていたのは重低音だったのだなと気づく。
折りしも明日は満月だ。満月をみれば父を連想せずにはいられないわたしにとって、満月の夜を家族とともに過ごせることは何かいとおしい。
2月22日(火)
マッチを擦るのは、いつまでたっても、むつかしい。
失敗して炎に包まれるのは勘弁だ。ここで死にたくはない。絶対に死にたくなどない。生きる。
今宵もまた家族が寝静まるのを待ち珈琲をいれる。黒砂糖をひとつ口のなかに放り込む。
なみなみと入った珈琲をこぼさぬよう気をつけて運びながら、家族を起こさぬようにと忍び足で自室に戻る。
マッチで焚いた香のかおりが、生きる・わたしを待ち受けている。
2月21日(月)
マニキュアが剥れているけど、コットンに除光液をしみこませる気力が湧かない。もう眠ろうと思っている。
…自分は「文学」を必要としている。
ぱくぱくとく口を動かす魚のように必要としている。
もういっそ「文学」と腕に刺青したいと冗談を言うと、この種の冗談を喜んでくれる友だちはふと真顔になって、
「腕には無理でも、心に、文学と、刺青を。」
ねえ温ちゃん、と。わたしの名をだいじなもののように口にする。
ねえ。
わたしは、わたしをだいじなもののように思おうとしはじめる。
好かれなくては、と思った。好かれなくともせめて嫌われぬようにしなくては、と思った。この場から弾き出されぬためには、と子どものころは必死だった。
わたしを受け容れぬのなら、そんな場はこちらから壊してやろう、などと思いつくはずもなかった。
したくもない鬼ごっこに参加していたころの感覚が、病のように甦るときがある。
机の上でのことと、そうでないときのことは、別ものだ、関係ないのだ、ということを意識的にせよ無意識的にせよ、思っているだろうというひとの匂いをかいだときにそうなる。
議論の場で、そのような考え方の持ち主がひとりでも居合わせているというとき、調子が狂う。
わたしに耳を貸さぬなら、まだいい。耳を貸すふりをされるのが、もっともくるしい。息が詰る。
そして、この息ぐるしさがあるかぎり、「文学」を志すわたしが、生きている。ありがたい。
おおきなものになりたい、おおきなものに。
息をおおきく吸って吐いて、それから、床につく。
2月20日(日)
曇り空の日曜日は、友人の引越しの手伝いに駆り出された。
春休みでどうせ暇があったのと、その友人には日ごろからずいぶんと世話になっているので、声をかけられたとき、やりますよ、と即座にこたえた。
手伝いとは言っても、ちからしごとは男たちで担うとのこと、わたしは友人の新居でひとり、ダンボールをひもとき、ぎっしりと詰め込まれた文庫本を次から次へと取り出して本棚に並べている。壁一面を本棚にするのだと友人は言った。そうだろうなぁ、と思う。文庫本だけでも百冊はゆうに越えているのだ。
そのうち、これは、と思うものがあったので、皆がなかなか戻ってこないのをよいことにしゃがみこんで読みはじめた。
カーテンがなくブラインドもないので、すこし首を傾ければすぐにあかるい曇り空が目に入ってきてまばゆい。
車の音がしたので、読み途中の部分を開いた状態で本を床に置き、立ち上がる。窓をのぞくと、案の定、この部屋の家主となる友人と、わたしとおなじく今日の手伝いに駆り出された別の友人ふたりが車から降りてくるのが見えた。なにやら楽しそうに笑っている。手を振ってみた。気づかれない。そのうち、とんとんと階段をのぼってくる音が聞えてくる。さっきまでしていたようにわたしはその場にしゃがんだ。階段からすぐの角部屋だったので、もののしないうちに、鍵のかかっていない扉が開いた。
「おかえりなさい。」
しゃがんだ格好で、自分の部屋のように言ってみる。ダンボールを抱えた友人がつられたように、ただいま、と照れくさそうに言うのが妙におかしい。あとのふたりもすぐに姿を現す。ふたりにも、おかえりなさい、と自分の部屋のように言ってみる。
扉の開いた玄関の仕切りのむこうには、隣の家の庭に木が植えられているのか、ちいさく咲いた梅の花があるのが見えた。いいなあ、と思う。一瞬、ほんとうに自分がこれからそこに住むような心地で、思う。
2月19日(土)
わたしがいちばん気楽でいられるのはもしかしたら床のなかにいるときなのかもしれない。床のなかでなら何に気兼ねすることもなく裸でいられる。他人の体は他人のものだと神経のぜんぶで味わいつつ、文字通り、裸の自分、を、あますことなく他人に擦りつけることができる。
乳房がふくらんでゆくごとに息が詰るような気がした。少女のころ、男女がどのようにまぐわうのかチラとも知らなかった。だというのにそのころから自分をどこかに擦りつけたいという欲望はあったのだ。今になって思う。息が詰ってしょうがないので早くおとなになりたかった。
2月18日(金)
息が苦しければ空気を吸ってしまう。酸欠状態になれば、激しく吸う。
そうやって懸命に空気を吸おうとして息を荒くしている人間を、呼吸に苦しんだことのないものが眺めていて、何をそんなに、と怖ろしがる。あるいはこうだ。腹を空かせていない人間が、飢え死にしかけていた人間のガツガツとものを喰う姿を見て、浅ましいものだ、と眉をひそめる。
わたしのことを、あつくるしいやっちゃなぁ、と笑うひとはいる。
何をそんなに、と煙たがるひともあるし、そこまで思いつめなくとも、とたしなめるひともいる。
だれに頼まれたわけでもないのに、みずから裸になって踊り狂っている。
それが、わたしであるようなのだ。
(息が苦しいより、踊っていたいの。)
裸踊りのわたしを遠めから指差しながら、
何をそんなにムキになって踊っているの、
綺麗なおべべを着た娘たちがあざ笑っていても。
(こちらの気分は最高よ、あなたたちに真似ができて?)
ヒステリックにならぬよう、ならぬようにと神経ばかり遣ってきた。その日々とはさようなら。いつどんなときも、裸で踊るほうを選ぼう、と決意する。
2月17日(木) ![]()
酔いのまわるのが早い。もともとお酒には弱かったけれど、このごろ、とくに弱いような気がする。
あれから数時間がたち、酔いならすっかりさめた。そのつもりで朝刊をひらき、家族が寝静まるなか、読んだ。赤ちゃんを抱きしめた女性の写真が目に留まった。
スリランカの親子だという。
昨年末のあの津波の直後、がれきの下から救助された赤ちゃんが、DNA鑑定によって身元が判明し災害から50日ぶりに、両親のもとに戻された、というニュースだった。
記事によると、赤ちゃんの両親である夫妻はこう言っている。
「幸せそうな表情。私たちのにおいを覚えていたんだ。」
赤ちゃんは生後三ヶ月だという。わたしは記事を読みながらそばにあったティッシュ箱を手元にたぐり寄せた。自分が思う以上に、ひとは、においを覚えているものだ。今日は暖かかった。春のにおいがする、とそばで歩いていた友だちが呟いていたのを思い出す。土のなかから、いろいろな生きものがもぞりとうごめき、姿を現そうとしているころのにおい。においは、導く。眠りこけている記憶も、においの前では、無防備だ。
赤ん坊は、両親のにおいを、覚えていたから幸せな顔をしたのか。両親でなくとも、たとえ、血が繋がってなくとも、この世に生れ落ちたあとしばらくのあいだ自分を抱いたもののにおいを、赤ん坊は覚えていたのだろうか。DNA鑑定の結果よりも、そちらのほうが、赤ん坊と赤ん坊を抱くものの絆を強く感じさせる。そうわたしが思うのは何故だろうか。
血じゃない。
ときどき、狂おしいほどに、叫び出したくなる。血じゃない。わたしが信じるもの、信じようとしているものの根拠は、血ではない。血には無い。
酔いからさめたつもりだった。わたしは、でも、まだ、酔っているのだろうか。いまのこの顔をだれにも見られたくないと思った。
2月16日(水) ![]()
好きなひとがあるときの、そのひとがいた光景というのは、うっとおしいくらい思い出すたびに鮮明だ。いやになるくらいだ。好きなひとの、その口から漏れる一言一句を逃すまいとして耳をそばだて、好きなひとの、その身がどのように動くか一切逃すまいとして全身集中しながら、自分がいた、という記憶。いやになる。いやになるほど、ふとしたとき、鮮やかに蘇る。いやになるけれど、わたしをそのような状態に追い込んだことのある人たち。そのひとたちを今でもときおり、好きだな、と思う。そのような状態を、何度も何度も、懲りることなく繰り返し経験してしまう自分を、かわいいもんだと、思う。繰り返し、繰り返し、だれかに焦がれ、だれかに触れたいと望み、だれかに望まれたい、と思う。とめられないのだ。
2月16日(水) ![]()
雨でよかった。
晴れだと、きっとまた、後先を考えずに表に出て、ほっつき歩いてしまう。昨日がそうだった。
昨日は携帯電話を新しくするため、「電話屋」に行った。故障してしまったのを治すよりも新しくした。一日預かってもいいですか、とたずねられ、もちろんです、と応えると、店員のおじさんがにやっと笑った。もちろんです、と応える若い女の子は少ないらしい。
でもおじさんこう見えてわたし、もうじき25なの。高校生の時分には、PHSを持ってる子は英雄になれたという、携帯電話のなかったほとんど最後の世代なの。
それで今朝は、新しい携帯電話を引き取りに行った。寒い。帽子を被った。耳が隠れると安心する。そして鈍くなる。傘を持つ手がかじかみそう。それよりも、着込んでまるっこくなった体がひっくり返ったらどうしよう。
無事おうちにたどり着く。新しい電話は使い慣れない。困った。
それよりもなによりも、明日の準備をしなくっちゃ。
2月14日(月)
起きてから眠るまでコーヒーばかり飲んでいる。自分で淹れるものはあの黄金比を見つけて以来だいぶマシになったけど、やっぱり喫茶店で淹れてもらったもののほうが美味しい。
妹は高熱を出し、三日間、パジャマで過ごした。わたしもうかうかしていられないと、ビタミン剤の常用者になっている。手づかみで錠剤を数粒、口のなかに放り込み、コップの水も流し込む。フケンコウ。この生活がお肌によろしくないのは重々承知だが知ったことではない。
一昨年の年末、九度近くの熱を出したのを思い出す。あのすぐあと、別の熱が出て大変だった。ああいう熱に常時つきまとわれるのは、実は、心地好い。好きだ。ほうっといても肌が艶やかになるというのも、すこぶるよい。また出ないかな、熱。
いまは木曜日の朝までに準備を終えなくてはならないことがある。しばらくはそれに取り掛かることになりそうだ。あいかわらず、夜にコーヒーを飲むのはすこしうしろめたい。もう何日間も、本来なら目を開けている時間に眠っていて、目をつむる時間にこうして起きている。
明日は久々に図書館に寄らなければ、と思う。春休みに突入したあとの、ひとの少なくなった大学構内は、穴場である。好きだ。
2月13日(日)
覚えのない引っ掻き傷や、薄いあざを、ふいに見つけたりすると、自分は自分が思うよりもいろいろなことをしているのだなと他人事のように思う。
家族が寝静まったあと、風呂に入る。
湯船に浸かりながら、両腕の、肘と手首のちょうど真ん中あたりの皮膚に、うっすらと赤い跡ができているのを見つけた。ブラウスのしたに来ていた肌着の袖口が作った跡のようだ。かっこわるいなぁと、ひとりごちる。寒さにとびきり弱いせいで、冬はいつも、厚着する。結果、まるくなる。雪だるまのようだと笑われることがある。
素足にソックスのみでスカートを穿く女子高生はかっこいいなぁ。
そんな時代は自分にもあったはずなのだけど。とおい昔の話だわ、もうすぐ四半世紀生きるのよ。
肩からしたは浸したまま、湯のそとに片腕を伸ばしてみる。肌が、ふだんよりも、赤みを帯びている。
毎日、浅川マキを聴いている。浅川マキは全身黒づくめだそうだ。黒の似合う女。
「…抱かれたい。」
呟いたら、「マキさん、『あら、いらっしゃい。』って言うよ、きっと。」とマスターが言う。わたしは調子に乗って、梅の焼酎を頼む。
浅川マキばかり聴いてる、と言ったら、友だちが先週連れていってくれたジャズバーにまた連れていってくれた。
「このこねえ、中上健次ばっか読んでるんだよ。」友だちがマスターに言う。「コルトレーンを聴かせてあげてよ。」わたしは浅川マキに夢中なのに。そして既に(飲みすぎて)ふらふらしているのに。
コルトレーンは刺激が強すぎた。
わたしは立ち上がり、ふらふらっと洗面所に入り込む。便器を抱えるようにしてへたり込んだ。涙が出る。洗面所から出たら、何も言わないうちからマスターがお水を出してくれた。ありがとうございます、という言葉尻が弱々しい。コルトレーンが、がんがん響く。中上健次の小説を初めて読んだときのことを思い出し、それよりもむしろ中上健次の顔そのものを思い出させる音楽だなと思った。
「今度はひとりできなよ。」マスターが言う。社交辞令? でも嬉しい。涙が出そうだ。バーにひとりで入るってもうすぐ四半世紀生きるけど、まだないのよわたし。
はやく一人前のおんなになりたいから今夜も浅川マキだ、と風呂場で思う。
2月12日(土) ![]()
映画館では、映画の途中で、膝のうえに乗せた鞄から飴玉を捜し当てて、舐めた。飴は、このごろよく舐める。そのうちハンカチが必要になった。これも鞄のなかから探り当てる。濡れた目尻を拭う。涙は
映画館を出たあとは、繁華街だし何でもあるだろう、とぶらぶら歩き、案の定、よさそうな居酒屋があったので、そこに入ることにした。まだ早い時間だったので店内は空いていて、すんなりと案内してもらえる。
飲み食いしながら色々と喋ったが、映画の話は、そういえばあまりしなかった。
「髪を、赤くしようと思うの。」
と友だちは言った。
「似合うよ、きっと。」
わたしは、昨夜の宮下順子を思い出す。赤い髪の女。いいと思う。
たらふく食べたあとは、歌を歌いに行った。
「泣けてくるよ。」
最後の最後に、彼女は言った。「これは、かれらの最後の歌なんだ。」
「泣きなよ。」
わたしは言った。「その気持ち、よくわかるよ。」
それからリモコンを手に取ると、わたしのロックスターの最後の歌を入れた。
「冗談じゃないよね。」
カラオケを出たあと、すぐ別れる気にはなれず、喫茶店に入り、けっきょく閉店間際まで居続けた。
「罪深いったらありゃしない。」
わたしも、彼女も、自分のロックスターの「罪」を責めることに夢中だった。
「四年前のことなのに昨日のことのように思い出す。あのライブ。」
溜息まじりで彼女は呟く。
「あれのあと、しばらく、呆けてたんだ。」
昨年末の東京ドームを思い出してわたしも溜息をつく。
昼間観た映画のことが吹っ飛んでしまうほどに、わたしたちは、わたしたちの夢の跡に打ちのめされてしまっていた。…それぐらい、わたしたちが見た夢の力は凄まじい。
2月11日(金)
ビデオ屋で、中上健次原作、神代辰巳監督の「赫い髪の女」のビデオを借りてきた。
この映画、先週、すごく薦められた。石橋蓮司がこんなふうに歌うんだよ、と歌付きの熱弁を振るわれた。その友人の歌に惹かれたわけではないけれど、どうしても観たくなり、ビデオ屋を回った。一軒目には置いてなく、二軒目では誰かに借りられていて、半分諦めた気持ちで三軒目に入った。そこはかなり規模の大きなビデオ店だったので、どこに何があるのかさっぱり、見当がつかない。
しかも、イシバシレンジ、としか思いつかない。題名も、「赫髪」だったのか、「赫い髪の女」だったのか曖昧だ(中上健次の小説だと「赫髪」だったので)。それで仕方なく、店員に聞くことにした。
「イシバシレンジの、赫い髪の女、っていうのを捜してるんですが…。」
映画の題名は長いものが多いだろうという勘で言った。「ごめんなさい、監督の名前、忘れちゃって…。」すると、実習中の名札をつけた女の子が、かしこまりましたお待ちください、と言ったとたんもう、カウンターからビデオの棚のあるフロアーに出てこようとする。そのとき、
「カミシロ。」
カウンターの向こう側、女の子のすぐ脇にいた大柄の男が言った。
「監督の名前ね、カミシロタツミ。」
わたしにではなく、仕事場のおそらく後輩であるわたしが声をかけた女の子に、大柄の男の店員はそう言った。
そうだった。
わたしはまず女の子に、次に男に向かって、
「思い出しました、ありがとう。あとは自分で捜しますんで。」
と言った。女の子はほっとしたような顔でちょっと笑ったけれど、男のほうはカウンターの向こう、姿勢を伸ばして立ったまま、にこりともしてくれない。
「男って、いやらしいなあ。考えることときたら、あれのことばっかしやからな。」
そういう自分が、あれを大好きという。そういう女の役を演じるのが宮下順子。髪の毛は、なるほど、赤い。ちゃんと根もとまで赤かった。
わたしはひとりでビデオを観るときの例に習い布団にくるまって、「赫い髪の女」を再生するテレビ画面を見つめていた。
人気文芸作品の映画化、というと、とくにそれが思いいれのある好きな作品だったりするとき、がっかりすることが多い。それがいやで進んで観ようとは思わない。ところがこれは、薦めてくれた友人の言うとおり、原作が好きなひとでも、がっかりしない。むしろ、よかった。
宮下順子がとにかく、色っぽくて、可愛らしくって、危なっかしくって、始終、見とれてしまう。肝心の石橋蓮司は想像していたよりも痩せていてしかもちょび髭だったので、なんとなく、ときめきそこねてしまったけれど。
それにしても、浴衣と浴衣で戯れあう男と女のいやらしさときたら。なんと、湿っぽく、そして、艶かしいんだろう。この映画が、ロマンポルノ、という種類であるのだと考えると、そこで描かれるセックスが、単なるご都合主義だったり視聴率(者)稼ぎなどではなく、それを行う男女双方のロマンティックな衝動(欲情?)に支えられているものであるのは当然なのかもしれない。ロマンポルノ。素敵な響き。
観終えたビデオをまき戻しながら、ビデオ屋の男の店員のことを思い出し、ちょっと恥ずかしい気持ちに初めてなる。監督名を即座に思い出せたかれは、この映画を観たことがあるに違いない。わたしのような客がそれを借りてゆくのをどんなふうに思うのだろうか。それともあのひとも、中上健次が好きなのかしら。
何はともあれ、こんな映画は、また観たい。
2月10日(金)
パスポートを新しくした。
それで思い出して、机の引き出しから、古い写真を取り出す。
それは、わたしが生まれて初めてパスポートを作ったときに撮った写真、である。
親が記念に一枚と、とっておいたものを、わたしがもらったのだ。初めて飛行機に乗ったのが二歳だったというから、写真のわたしは二歳になるかならぬかの頃だろう。歩くことも、喋ることも、もうできていたはずだけど、顔つきは赤子の域を脱し切れていない。
よく、これが大きくなったな、と、我のことなのに他人事のように思う。
「見たことあるっけ?」と言って手渡すと、「あるよ。」と言いつつ、かれは初めて見るものを見るときのように興味深そうに、写真を見つめている。
そのかれに向かって、それあげるよ、と言った。写真に落としていた視線をこちらに向けて、かれはたずねた。「いいの?」
わたしは、いいよ、と言った。その代わり大切にするんだよ、と言った。それから、かれの手をとり、もう一度写真を眺めてみる。
垂れ目である。今にも泣き出しそうである。鼻は低い。眉は薄い。口はわりかし大きいかもしれない。髪は、猫のような毛なみ。くしゅくしゅとまとまりがない。
「かわいいとは一筋縄では言えないところが、かわいいね。」
かれが実に的確に表現する。「それに、今とあまり変わらないね。」こんなおとなの女を前に失礼ね。
わたしは考える。この子は、写真の中の子は、こうして写真を撮られたあと、飛行機に乗って日本にやって来る。「日本に行けるなんて嬉しい。」写真の子の母親は言い、その三年後、二人目の娘を日本で産んだ。二人の娘の母親になった彼女の夫が、当初どれぐらい日本にいるつもりだったかというと短い滞在になるとは決して考えていなかったはずなのだが、まさか、二十年をゆうに越えるとは思っていなかったに違いない。日本で産まれたほうの娘が、じき二十歳になる今、彼自身がほとんど日本には住んでいない状態なのだから。「日本に行けるなんて嬉しい」と言っていたかれの妻は、今では里帰りのたび、デパートやらレストランやらで、日本人だと間違われる。彼女のふたりの娘にいたっては、どこもかしこも日本人の子どもとしか思われない。そのうち台湾で産まれたほうの娘は、たびたび、おかしなことを言うようになった。
「入国管理局? あんなとこ大きらい。」
彼女は娘を説得する。「再入国許可証を、古いほうから新しいほうのパスポートに移してもらうだけよ。前みたいには面倒くさくないから。」
ところが娘は、
「あんたたちは我々の管理下にある、だから言うとおりに従え、っていう感じの態度が気に入らない。あそこにいるだけでむかむかしてくる。いや。大きらい。」
などとわけのわからないことを言ってごねる。そのごねかたは、母親である自分を試すかのような、意地の悪いものである。それでしまいには、じゃあもういいよ、と切れてみる。ママ知らないから、と拗ねてみる。すると娘は、わかったわかったちゃんとやるから、とかえって母の機嫌をとろうとし始める。
この娘が、この写真のこの、成れの果て、というか、二十数年後の姿なのだ、と考える。親に手をひかれ、親のいうように写真を撮られ、親とともに飛行機に乗った。
こどもはその親の所有物ではない、ということは、明らかである。
こどもは、親の思うようには動かない。特別なことを言っているのではない。人間同士なのだから当然だ。親が、こどもの思うようには動かないことと、おなじことなのである。
こどもは親の所有物ではない、というのは、だからといって、こどもは親を愛さない、だとか、こどもは親に恩を感じない、とかそういう意味では決してないのである。
しかし、おカネが絡むと、強弱関係が生じる。混乱がおとずれる。
恩を売るというのではなく、それぐらいしかしてやれることはないからと、親のほうはまったくの純粋な気持ちでそう思っている場合でも、こどもは絶えず気にしている。
「あんたは恵まれているのよ。」
親のほうは軽い気持ちでそういったつもりが、こどものほうは、深刻に思い悩む。自分が恵まれているのはよく知っている。ここで傷つくのは身勝手だともわかっている。それでも、そう言ってきた親に、投げ返したくなる言葉を必死に飲み込む。「じゃあ、出ていけばいいんでしょ。」
出ていけば、精神的にラクになるだろう。
だけど、出てはいかない。出て行けば、金銭的にラクができない。
わたしは、親の善意と好意に甘えられるだけ甘えながら、したいことをしてゆく、という「恵まれた」状態を、あと数年捨てようとは思わない。捨てられない。
「がんばらなくっちゃ。」かれが言う。「オンと、こどもを愛するのにはおカネがないとね。」 養う、という代わりに、愛する、というかれがいとおしいと思った。わたしは笑ってうなずく。「おなかが空くと不機嫌だよ、わたし。」
おんなはおとこの所有物ではない、あるいは、おとこもおんなの所有物ではない。しかし、おカネが絡むと…。
おカネとは何だろうか、と思う。おカネをたくさん持っていればいるほど、握り締めることのできるものも増えてくる。そういうことなのか。しかし、おカネのあるひとにそのおカネを使わせるのがじょうずなひとがいる。自分自身は文無しにほぼ近い状態で。そういうこともあるから、おカネはわからない。
「でもすごいなあ」かれが言う。指で写真を撫でながら言う。「いつかは、オンから、こんなのが産まれてくるんだもんね。」
いやだ。それは、わたしであって、わたしから産まれてくる人間は、わたしのようではあっても、決して、わたしではないのよ、と。そう思いながら、こんなことは、わたしよりもかれのほうが、とっくのとうに承知しているんだったと気がついた。
こは、親の所有物ではない。
二歳足らずのわたしが、二十四歳と九ヶ月のわたしを見つめている、ように思う。
わたしの過去、いや、過去のわたしもまた、わたしの所有物なんかではないのかもしれない。どうしてだか、そういう気持ちになった。
2月9日(水) ![]()
自由な世の中だ。
母が青春時代を過ごしたのは、国民党の戒厳令下にある台湾だった。だれかの家でパーティーを開いたりしていると、警察がたずねてくることもたびたびあったらしい。
「見た目にパーティーとすぐわかるような集まりならいいのよ。何人かの人間がただ集まっているだけ、という状況がいちばん、怪しまれるし、面倒くさかったの。」
母親がわたしくらいの年齢だったころに、そういう不自由さを、実際に体験した。時代と、場所が、わずかにずれることで、わたしも体験したかもしれないということの意味を考える。
「全員、誕生日とかならいいの?」
マヌケなことを妹が言う。「パーティーだって言い張れば、大丈夫なんでしょ。」
その妹が、おどけながら言ったのだ。
「試合に負けたら、それは情報操作だ、とか、捏造だ、とか、言ったりしてね。」
わたしは腹を立てて拳骨でテーブルを強く打った。
「日本は、ぺ、とか、ヨン、とか騒ぐまえに、もっと考えなくちゃならないことがあるでしょう!」
「…ぺも、ヨンも、同じひとだよ、お姉ちゃん。」
そうだった。
わたしは、別にあのくにに思い入れがあるわけではない。あのくにの政府は恐ろしいことをするな、と、ごくふつうに思いもする。ところが、この妹の感じることが、この日本の多くの人間があのくにに感じることなのかと思うと、いてもたってもいられなくなる。
試合は、終盤で日本が一点リードし、終わった。
わたしは泣いた。よくわからないが、何かが、わたしを泣かす。青いユニフォームで埋め尽くされた観客席が歓喜している。三年前、日韓共催のワールドカップのとき、わたしはずっと日本を応援していた。あたかも日本人のごとく、日本が勝ち進むことを願った。
もともとサッカーを観る習慣がないから、もちろん、全試合観ていたのではない。テレビをつけたら、残り十五分、という段だった。気づくと、両手を組み、テレビに釘付けになった。どちらを応援する、という気持ちはなかった。それが、観ているうちに、日本じゃないほうのチームに、どんどん肩入れしていった。
相手が悪かった。もっと、別のくにが相手だったなら、気軽に、日本を応援した。わたしは、日本を応援できなかった。日本を応援できないことが、わたしの感情だった。ところが、日本代表になるために日本国籍を取得したという選手の顔が大映しになったとき、均衡は崩れた。応援したい、と思った。このひとのこと、応援したい。わたしはサッカーなど観ていなかった。もっと別なものを観ていたのだと気がついた。
そのあと、日本が点を入れたのだった。
涙が出た。
何かよくわからない激情にとり憑かれていた。スポーツ観戦としてはまったく不純な態度だと思う。
「ゲームじゃない。日本も、むこうのひとたちも、一生懸命闘った、という意味では、一緒じゃない。そんなに重たく考えることないのに。」
母が言う。妹がうなずく。わたしはでも、首を振る。わたしは、スポーツ観戦をしていたのではない。李良枝について考えていたのだ。
「人が見たら、あなたのこと、韓国人、在日韓国人だと勘違いしそうね。」
韓国人、在日韓国人、という部分のみが日本語、あとは台湾語で母は言った。わたしはうなずく。そうよ、わたし、ほんの一瞬だけ「在日韓国人・朝鮮人」の気持ちだった。
「ほら、お風呂にでも、入りなさいな。」
まったく、くたびれる。からだを泡立てながら思う。わたしはいつからかくも厄介なものになったのか。自由な世の中だ。でないとわたしは、わたしのような人間は、家族をヒヤヒヤとさせる。下手すれば、おじいちゃんのお兄ちゃんのようになってしまう。それとも、そういう世の中だったら、わたしは、無口だったのか。ころされるかもしれない、と思ったら、声など出さなかったのか。
この時代、この世の中にいる自分を考える。付け上がっていてはいけない、と思う。
2月9日(水)
![]()
スプーンの、柄の部分を舐めるのが実は好き。見た目に美しい所作では明らかにないので、人前では、たとえ家族であろうと、しないようにしている。したくなるのをぐっとこらえている。スプーンを弄んでいるわたしの機嫌がよいのは、コーヒーに加える砂糖の量とミルクのそれの、黄金比を見つけたからだ。これでいつでもこの味のコーヒーと出会える。
その、最高のコーヒーを啜りながら、コンビニで買ってきたミニクロワッサンを頬張っている。
さっき起きた。昨夜は楽しく過ごした。楽しく過ごした日の夜はさっさと眠るのが惜しいと思う。加えて今は春休みだ。夜明けごろまでだらだらと起きていた。それがさっき起きてみたら、もはや、昼ですらなかった。驚いた。西日にはまだかろうじて早かったのが救いである。
朝刊には、とんでもないことが書いてある。
「ねえ? ひどいと思わない?」
母は苦い顔で笑い、何も言わない。
はいはい、わかっております。わたしの行く末が心配なのでしょう。
「今夜はサッカーだって。…どっちを応援しようかな?」
今度は、母だけでなく京都から帰省中の妹までもが、妙な顔をする。
何故、ここに、わたしはいるのだろう。何故、ここに、この体はあるのだろう。
わたしのことを、日本人だ、と断言した友人のことを思い出している。かれはきっと、今夜、あの青いユニフォームを着る。スタジアムに行く。サッカーを、こよなく愛するかれは、中国語を話すのがわたしよりもべらぼうに巧い。中国人の女の子と付き合っていて、中国人の友人も大勢いる。そのかれがよくいうのは、
「かれらに、自分の育った場所である日本を、いいものであると、胸を張って、伝えたいんだよ。」
同感だ。わたしも、そう思う。日本国籍がなくとも、わたしはわたしの育った場所、日本を、いいものであると思いたい。
青い空に映える富士山、満開の桜の花、その美しさには、素直に平伏したい。それらはたしかに美しい。身がもだえたり、唾を吐きたくなるのは、富士山や桜の花が、「日本」という象徴を背負っているときである。富士や桜が、日本特有の美、とされているときである。
デヴィッドボウイの、「ZIGGY STARDUST」時代の衣装は、山本寛斉が歌舞伎の服をヨーロッパ風にアレンジして作ったという。後ろに漢字で名前を書いたマントだったり、水墨画風の絵が描かれていたり。からだにそれらをぴたりと身につけたボウイが歌い踊る。多くの英国人がそれに熱狂したのだ。
漢字や水墨画となると正確には中国文化も入ってくるのだけれど、それでも、西洋人が東洋のものをそのように憧れ美しいものとして取り入れたり愉しんだりしたという話を聞くと、東洋文化、日本文化に浸って育った者としての自尊心をくすぐられる。しかし、「ラストサムライ」は大っ嫌いだ。大っ嫌い。あの映画からは、金髪碧眼の白人ならだれでもいいと黒髪を腰のあたりまで伸ばしている日本人女性を連想せずにはいられない。むかむかしてくる。
ジギーの衣装と、ラストサムライ。どうちがうのかと問われると、まだうまく伝えられない。まだ徹底的に考えぬいていない。ただ、その差は、わたしの永遠のテーマと深い関係にある。執拗に問い続けようと決めている。
手元の新聞記事、以下の部分に爪跡をつける。
「責任のある仕事をしたいというのなら、ぜひ帰化していただきたい。」
「世界中に言いたい。『日本には来るな』と。外国人が日本で働くことはロボットになること」
「日本国籍を拒んだ人や、都民が、日本国民のために働く公務員の管理職に適しているとは思えない」
「日本国籍の所得に必要だった書類は、厚さにして、20センチにもなった。所得させたくないのが日本の本音なのではないかと感じた。」
まるでかみ合っていないじゃないか。今夜のサッカーゲームはどっちが勝つのだろう。皮肉に聞えるのなら、それでいい。
2月7日(月)
浮浪者のおじさんが、私物を積み重ねたベンチに腰掛けて、生リンゴを齧っていた。
(最後にリンゴを食べたのはいつだっけ?)
思いながらわたしは、おじさんの脇を通り過ぎる。柵のむこうには線路が見える。次から次へと、電車が通り過ぎる。そのたびに、ごーっと音がする。柵に沿って歩く。駅に向かって歩く。
駅前に出たら、とおくで、メロディーの流れ出すのが聞えてきた。子どもはそろそろおうちに帰りなさい、というあのメロディーだ。大勢の女子中高生が駅を目指して歩いている。
これから会う友だちのうちのひとりは決して遅刻をしない子なので、急ぎ足になる。案の定、彼女はもう待っていた。それどころか、わたしよりも来るのが遅いだろうと思っていた子も、もういる。
わたしもいれた三人で、今日は“乙女祭り”。乙女と祭りのあいだに(笑)が入るけれど。
まずは甘味どころに入る。くずもちを食べる。きな粉が唇をくすぐる。ひるまない。…お喋りに花が咲く。
お次は珈琲屋に入る。モカを飲む。お砂糖もたっぷり入れて。椅子の坐り心地が最高。…お喋りに花が咲く。
仕上げはおでん。串ちくわがご自慢の和風居酒屋さん。ご自慢だけあってちくわが絶品。おでんもいい。すごくいい。機嫌もよくなる。…お喋りに花が咲く。
乙女(笑)祭、楽しい。
2月6日(日)
自分はあたまの良い女の子なのだと思いたい。
「おなじ年頃の人ってだめなの。みんな、つまらなくって。」
なんていうようなことを平気で言えるような、あたまの良さと、つめたさと、高慢さを兼ね備えた女の子。たぶん、美人。
そういう女の子はきらいだ。
今日はそういう女の子になりきって、しばらくのあいだ、歩いてみた。靴の踵が鳴る。わたしにきらわれるような女の子。本当はすこし憧れている。
あたまをくしゃっと撫でられるのが好きなのね。でもツンと澄ましているのがサマになる、そういうのにもちょっぴり憧れる。
そうこうしているうちに、通っていた小学校の前まで辿り着いた。校舎を眺めた。あいかわらず、校旗と並んで日章旗がはためいている。六年生のころは、日直になると、校旗か日章旗を揚げなくてはならなかった。蝶々結びが下手だったから、いつも憂鬱だった。プールが見える。三年生のとき、溺れた。担任の先生が飛び込んで助けてくれた。学年で、最後まで25メートル泳げなかったのは、わたしだった。全体的に、よい思いをしたという感じがしない、この建物の住人だったころは。すごく好きだった男の子がいた。夏のある日、青いシャツをその子が着ていた。思い出す値打ちのある記憶はそのくらい。
自分はしあわせな女の子だと思いたい。
あの建物の住人だったころの自分をひとことで表すとしたら、そうだ。気の毒になる。靴の踵を鳴らす。わたしが抱きしめたくなる女の子。
2月5日(土)
肝心の、五年連れ添ったこいびとについて。
かれ(男のひとである)は、わたしが自分を見ているのだとわかると、わざとへんな顔をつくる。昔はいちいち笑っていたけれど、いつのまにやら、適当に流すことが多くなった。それでも、ときどき、ほんとうに面白いことになっているので、手を叩いて笑うことがある。すると、わたしを喜ばせることに成功したと思うのか、ぴょんぴょん飛び跳ねながらおさえきれない嬉しさを表現している(ふうに見える)。
かと思うと、酸いも甘いも噛みつくしたかのごとく渋〜い顔をして物思いに耽っている。「お翁さんみたい。」とからかうと、照れくさそうに笑う。「そうさ、おりゃあ、翁さんさ。」と胸をはる。「好々爺だね、好々爺。」「そうさ、そうさ、おりゃあ、好々爺さ。」
今は一緒に暮らしているわけではないから、ときどき、どちらかがどちらかの家に泊まって過ごす。昨夜も一緒の布団にもぐりこんだ。暗がりのなか、かれのふたつの眼がじいっとこちらを見つめている。いつものことだ。案の定「面白いお顔ね。」失礼なことを言う。自分が高村光太郎だったらわたしの顔で彫刻を彫るし、寺山修司だったら裸にさせてから全身を白塗して映画を撮るんだ、と言う。「口のきけない役ね。オーオー、って唸るの。」「ことばじゃなくて、表情で喋るんだよ。」
わたしは知っている。このひとは面食いで、わたしを好きになるのに相当の時間を要した。それがいまや整っているというのにはちょっと無理をしなくてはならないわたしのこの顔に夢中なのである。
「飽きないの?」とたずねると「飽きるものか。」と力強い。「飽きないようになってるんだ。」オー、オー。そりゃよかった。わたしのほかにも好きな女の子がいると言う。「いいと思う。」寛大に受け容れてみる。「好きなひとなら、わたしにもいるもの。」するとぐずつく。「おれはいいけど、オンはだめなの。」
別れたいと思ったことがない。これからもないだろう。先々までずっと一緒にいるんだろうと思っている。
2月4日(金)
朝から夜までだれとも会う予定のない日の昼間にぶらっと入ったお店で、やさしく扱われるとホッとする。人間的な気持ちがよみがえる。人間が人間と口を利く、というのは、とっても重要なことなのに違いない。
今日入った喫茶店では、冷えたジャスミン茶を運んできてくれたおねえさんが、かわいかった。いらっしゃいませ、も、こちらメニューでございます、も、以上でご注文よろしいですね、も、こちらになります、も、ごゆっくりどうぞ、も、すべて、にっこりと目を見て言ってくれた。ストローでジャスミン茶をかきまぜながらわたしは、おねえさんが働く姿を目で追いかけてみた。後ろ髪をひとつに束ねている。彼女が動くたびに後れ毛が首筋でさわさわっと揺れている。きれいね。思いながらハッとした。これは、ひょっとして、見とれているということなのかしら?
わたしは女の子のことも好きなのかもしれない。もちろん、男の子に恋するように、女の子に恋することだってあるのかもしれない、という意味で。
自分は女の子も好きかもしれない。
まじめに思うようになったのはごく最近のことである。しかし思えば昔から、そういう傾向、なかったこともない。中学のとき、体育の若い女の先生のことを、かっこいいかっこいい、といつも言っていた。たぶん当時仲の良かった同級生に証言してもらえる。(ちなみにわたしは、男の人で体育の先生、と聞くと今でも条件反射的に怖いと思う。運動神経が素晴らしく酷かったので体育の授業は死ぬほどイヤだった。そのせいだ)。
こういうのは、思春期のころに多くのひとが持つであろう感覚で、大した意味はないのかもしれない。げんに、初恋は男の子にした。そのあと好きになった人も男の子。いろんなことを男のひととしかしたことがない。
このごろ思うのは、男の子であろうと女の子であろうと、うんと好きになるのには、それほど関係がないのかもしれないということ。そのひととしか味わえない感じがあればあるほど、わたしはそのひとのことを好きになる。楽しくって、うれしくって、どきどきわくわくする。そうこうしているうちに、その手を握りたくなってくるひともいる。触られたいなあー、とか、ふっと思ったりする。わたしをこのまんま持ち帰ってくれたりしないかなー、とか、ね。思っちゃうことがあるんだよ。
そして(ここからが肝心)、今まで、そう思うときの相手はみんな男の子だった。たまたま男の子だった。今まではそうだったけど。これからはもしかして。わたしはこんな反応を女の子にもすることがあるのかもしれない。その可能性に、目を向けてみるようになったという、そういうオハナシ。
具体的に、今、ある特定の女の子にそういう想いを抱いているわけでは、決してない。ただ、もしも、素敵な女のひとがあらわれて、そのひとのことをわたしは好きにならずにはいられなくなって、幸い、その女のひともわたしのことを好きになってくれて、あなたを抱きたいと申し出てくれたとしたら。そんなこと、たぶん、ないのだろうけど、もしもあったとして。…わたしは、拒まないんじゃないのかな。自分のほうから申し出るというのは何故だか想像できないのだけど。
いずれにしろ、人を好きになるのって、いいなと思う。自分以外の人間に関心を持つということは、限られた人生の横幅を広げてゆくことに違いないから。
2月3日(木)
頬に、ふきでものがひとつ。悲しい。
悲しむのは鏡の前にいるときだけでいいや。お砂糖はどこ?
今朝のコーヒーは甘いのがいい。
唇が乾いたらかわいそうなので新しいリップクリームを。
薬局に行かなくちゃ。
お天気のよいのが、嬉しいことのうちの、大きなひとつなの。
まいにちがこうやってはじまってゆく。
HAPPY BIRTHDAY DEAR MY FRIEND.
2月2日(水)
タクシーでおうちに帰ってきた。
浅川マキ、というひとの歌を、いつか聴いてみたいと前々から思っていたけれど、今日初めて、聴くことができた。ともだちの連れていってくれたお店で、マスターがかけてくれた。
ちいさなバーだった。コルトレーンとかアイラーとか、名前だけなら見たことあるというひとのレコードジャケットが壁じゅうにぎっしり貼りめぐらされている。テーブル席はない。カウンターだけ。ともだちとふたり並んで腰掛ける。既に、2、3杯、居酒屋で引っ掛けてきている。真冬なのに頬が紅潮している。一息つくと、お酒によわいわたしを気遣って、ともだちがマスターに頼む。甘めのお酒をこの子に、と告げられたマスターは、コーヒーを使ったブランデーを作ってくれた。「このコーヒー、うちの豆なんですよ。」「こんなの、初めて飲みました。」わたしが知っているどの味とも違う。いやよく考えたらわたしはブランデーというもの自体、はじめて飲んだのだった。「ねえねえ。」ともだちに尋ねる。「ブランデーって何?」ともだちは笑いながら首を振る。「さあ。よくわかんないや。」マスターがカウンターの向こうで笑っている。答えは秘密らしい。帰ったら辞書で調べよう。
ふらふらっとする。ふらふらっとするリズムに合わせて、床にまるで届かないのをいいことに、両足をぶらぶら揺らしてみた。楽しい。確実に酔いが回っている。
店に入ったときから、コルトレーンや、アイラーといったひとたちのポスターやレコードジャケットに混じって浅川マキの名前があちらこちらから飛び込んでくるのが気になった。「ねえねえ。」ともだちに囁く。「浅川マキっての、聴いてみたいんだけど。」ちょうど、かかっていた音楽が止まった。「マスター、浅川マキ、かけてくんない?」ともだちが言う。「この子が聴きたいんだって。」
今夜知った。浅川マキの歌を聴いていると、自分までもがいっぱしの女にでもなったかのごとく錯覚してしまうから危ない。大体わたしは雰囲気に弱い。わたしが終電を逃すだなんて滅多にないのよ。それほど今夜は滅多にないほど酔わされた。タクシー代を援助するよ、という申し出を振り切り、ひとり坂の上で車を停める。うれしはずかし朝帰り…ではなく、うれしはずかし午前様、でございます。
明日からはしばらくおとなしくしてようっと。
※ ブランデー(brandy)、広辞苑によると「葡萄酒またはリンゴ・サクランボなどの果実酒を蒸留した酒」だそう。文字で読んだっていまいちピンとこないものねえ。
2月1日(火)
親指の爪を噛む。せっかくのマニキュアがだいなしだ。でも噛む。こらえているから噛む。
夜になると時折わたしはわたしを可愛がる。だれも知らない。秘密の方法で可愛がる。夜になると時折わたしは、わたしがわたしであることを、たまらなくいとおしいと思うことがある。それはある昂ぶりとともにやってくる。徐々にだったり、突然だったり。
そして、そういうときに決まってするのが、この秘密の遊びだった。もう四年くらい、わたしはこの遊びをひそかに愉しんできた。
ところがこのごろ、それをするのがつまらなくなってきた。
好きな人がいる。その人が自分をこんなふうに可愛がってくれやしないかと思うようになった。わたしも望むことをもしも望んでいるのなら何を遠慮することがあるのか。さっさと手を伸ばして、触って、撫でて、欲しい。ひとときの幸せをひそやかに分かち合うことの、一体何がいけないというのか。
泣く人があるからよ、と叱られたことがあるのを思い出す。泣く人があるからよ。仕方ないのでわたしは、親指の爪を噛む。噛むことでこらえる。マニキュアは空があかるくなってきたら塗り直そう。
…さあ、この日記のどこまでが本当でどこからが嘘なのでしょう。自分でよくわからない。