日々の温

 
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4月30日 土曜日

慎み深くしてなさいと説教をされたわけでもなし、あんなことやこんなことをあれもこれもと赤裸々に話しすぎてしまったかもしれないな、などと、ひとりになってからひそかに恥らう。
でもやはりわたし、とりわけこのひとたちに慎み深くするのは無理みたいで、ただでさえソレに関しては暴走しがちなわたしがソレについて好きに語るのをゆるし面白がってくれるこんな友だちがあることの嬉しさを噛み締める。サンキュー。
要は酔っ払ってるんだろう。しかし近頃呑んでばかりだ。七年前はそうじゃなかった。七という数字に意味なんかないけど。


閉店間際までねばって居酒屋を出たあとも、すぐに電車に乗ろうという気分ではさらさらなくて。
「コーヒー買っていい?」

財布をとりだしながら言ったら、いいねいいね、と二人も財布を取り出す。ぼうっとあかるく浮かび上がる自販機の白い明かりすら心地よくて、そうだ、夜風がよすぎるのだ、と思う。
よすぎる夜風に吹かれながら、缶コーヒーを啜りながら、次の駅までの道をつれだって歩く。
いつまでたってもふたりと仲良しでいられたらいいなあ、なんて殊勝なことは思わず、今日ふたりに会う前に立ち寄ったお店で試しに嗅いでみた香水の香りがとてもよかったのが忘れられないなどと思う。

もう五月だ。



4月29日 金曜日

暗くなるのが遅くなった。
喫茶店でお茶したあとは、公園のベンチに並んで座って、空を眺めている。すぐ隣のベンチは無人、でも猫がいる。おとなしい。

父親と娘なのかな。
男のひとが、よちよち歩きの女の子と遊んでいる。
砂場のまわりで、滑り台のそばで、きゃっきゃっはしゃいでいる。走り回っている。女の子が辿り着く先にはいつも、両腕ひろげた父親が待っている。
「おかあさんはどうしたのかな。」

「羽を伸ばしてるんだよ、きっと。」
わたしにも、子どものころ、そんな日があった。

遅くなったとはいえ、日は暮れる。

おうちに帰る時間が来たのでしょう。女の子は抱き上げられベビーカーに乗せられた。とたん、わあっと泣き出す女の子に父親が何か話しかける。また来ようね、とか、ママが待ってるよ、とか、きっとそんな類のことばをかけながらベビーカーを押して行く。


「なんだか、わたしみたい。」
「楽しい時間がもうすぐ終わるんだと悟ると、泣き喚いてでもそれを阻止したくなるの。」
「いつまでも、いつまでも終わって欲しくないことがあるのよ。」
「終わらないで。
そう思えるときがあるのって、でも、とても幸せね。切なくなるぐらいにすごく幸せね。」

 

ちゃんと言うのには照れくさい内容だったから、独り言でもつぶやくように言った。
返事をもらう前に、お隣のベンチでそれまでおとなしかった猫が、とつぜん、足元にやってきて身体を摺り寄せてくるのにふたりで驚いた。
甘えてる。おなかが空いたの? さみしいの? 

きみの毛並みは気持ちがいい。それでもう罪なのよ。許されちゃうのよ。
…くすぐったいや。
(本当は、誰だって、よいのでしょう。わたしでなくてもよいのでしょう。)

問わないでいてあげる。猫にだけ許す。

わたしたちのほかにだれもいなくなった。星がひとつ。空の上にあるのを見た。昼と夜と朝と、廻り続けている。それを、最近初めて覚えたことがらのように感じてみる。空気が痛い。



4月28日 木曜日


月夜に浮かれてねぐらに落ち着かない烏のことを、「浮かれ烏」と言うらしい。
夜どおしはしゃぐのにはもってこいのこの気候。加えて明日は休日だ。
浮かれ烏が、いち、に、さん、し、ご…。何匹もいる。わたしと、友だちと、友だちと…。

こんなに浮かれてばかりで大丈夫かな。この日々を遊びと笑う。おとなになれば思うのかな。もはや手遅れなのかな。終わらないで。叫びたくなる。おおきくなりたい。おおきくは、なりたいのよ。



4月27日水曜日 

うってかわって上機嫌。
少ししかねむってないのにとても元気なのです。
気を抜くと、浮ついてしまう。「今のあなたには、空の空色も桃色に見えてしまうんでしょ。」
恥ずかしいからそれは内緒。

「甘やかさないで。」

いつかは言わなきゃね。まだ言えない。「可愛がられてたいの。」
恥ずかしいけどこれは本当。



4月26日火曜日

昨夜のおとなげない我の態度を反省中。

言いたいこと、
言って、
言って、
言いたい気持ちだけ先走って、…うまく束ねられないんだ。あー。
波うって、あー。
水しぶき、あー。

馬鹿だ。馬鹿馬鹿。

(どうせならば莫迦がいいな。)
莫迦だ。莫迦莫迦。
お利巧さんには程遠い。お利巧さんになりたい。あの子みたいに。あの子が欲しい。
あの子じゃわからん。

波はあるわよね。
浮きつ沈みつ“夢みてねむれ”

だがしかし。

テーマのみで、もののよしあしを判断するのはいや。それだけは確かよ。
テーマが斬新であれば即一級品の芸術として認めるべきだなんて嘘よ。

…でも、「芸術」って何?



4月25日月曜日

気を抜くと、ふさぎこんでしまいそうだったから、ビールで乾杯、楽しい話をいっぱいした。
笑っているともだちを見て、自分も笑っている。

お料理を少し突ついただけでお腹はいっぱいになった。

とろりと眠たくなる。やるせなくなる。

気を抜くと、いけないことを考えてしまいそうだ。
何度もあったことだけど、毎度、初心者のようにいらだつ。

「裸踊りさせんなよ。こっちは、机上の空論をしに、ここへ通ってんじゃねえんだよ。」

今夜はさっさと眠ってしまえ。



4月23日土曜日

帰り道、雲にかくれた月が出てきたら、円かった。

月に触る夢を見てみたい。丸いだろう。

土曜日だからって昼下がりからほろ酔いなのだ。
あかるい空のもとでビールを飲んでいる友人の隣で今はジンジャーエールのわたしも、さっきまでビールだった。このひととこうしている、こういう時間が楽しい。光の中で頬が赤らむのも気にならない。
坂の入り口で手を振って分かれるまで、あかるい空のもと、このひととここにいるのを、存分に楽しんだ。背を向けたあと胸がみしっと軋んだのにわけはない。自分以外の人間をとても好きになってしまうと誰とであっても、またすぐ会えるのだとしても、別れ際はいちいちそんなものだ。

次の目的地に向かう。歩きながら(千鳥足じゃないよ)、何人かの制服の女の子とすれ違う。わたしは制服を着ていた女の子だったころ、この年になった自分をそんなに具体的には想像していなかったように思う。もしも今のわたしが毎日をどんなふうに過ごしているのかあのときのわたしが知っていたのなら…。羨ましがったろうな。早く年をとりたい、それは思っていた。こういうことだったのかな。時は流れる。

会う予定のなかった友だちと会えたのがうれしくて、ついつい、はしゃいでしまう。さっきまで優しい兄に甘えている妹のような気分だったのが今度はおなじ年頃の友だちが初めてできた幼稚園児のような気分になる。わたしで遊ぶのが得意なその友だちにわたしはとても感謝している。何をするのでもないのにわたしがわたしであるというただそれだけの理由で、わたしや自分自身を玩具にでも仕立て上げたようにわたしを楽しませてくれる。すごい才能だと思う。

今夜の満月を思い描きながらソファーにもたれてさっきコンビニで買ってきた缶チューハイを啜る。ライチ味。借りてきた映画もなかなか良いのですが、それよりももっと今日会った人たちのことを思い浮かべればそっちのほうが良かったりする。酔っ払ってるのかな。


時々本気で思うのだ。わたしはいつまでも思春期から抜け出せないだろう。そのすばらしさと心もとなさと。おとなげないと我を笑う。その瞬間もわたしはわたしを認めているのだ、嘆いてなどないのだ。

…人様から見れば何というエゴイスティックな態度なのだろう。酔っ払っているついでに言ってしまえ。わたしはわたしの「幸せ」を確保してからはじめて、わたしがいとしいと思うすべての人たちの「幸せ」を願い始める。はじめからそのつもりなのである。

今宵はどうぞ、月に触る夢を我に。



4月22日金曜日


呼びかけられるのってうれしいこと。
親しいひとからはもちろん、これから仲良くなりたいなと思っていたひとからだと、もっとうれしい。

温又柔の「おん」が、赤ちゃんでも発音できるっぽいところが、よかった。

そのせいだかどうだか、色んなひとが「おん」に「ちゃん」を付けて呼ぶ。それは呼ぶひとにとってもとても呼びかけやすいみたいなので、わたしの下の名前、「温又柔」の「ゆうじゅう」の部分を発音するひとは、ここ数年来、皆無に等しい。(両親はといえば妹に合わせて「おねえちゃん」と呼ぶので。つれも「おん」と呼ぶ。)

 

わたし自身が、「ゆうじゅう」の部分を忘れて暮らしているようなもので、名前なんてそんなものだ。戸籍とやらの紙切れに記載されているものより、ふだんひとに呼ばれているもののほうがよっぽど、そのひとの本当の「名前」だ。なんて思う。本当かな?



4月20日水曜日

今日が一日中ねむたくってたまらなかったのは、前の晩にわざと終電を逃して、ひとんちに押しかけ、夜が白っぽくなり朝になってしまうまで、床に座り込み、あぐらをかいたり、足をのばしたり、ときには横たわってみたりと、いろんな体勢を行ったり来たりしながら、いろんな内容をしゃべりとおしたせいに決まっている。

この生活の中で、わたしの口のよく動くときがある、一緒にいるひと次第で、動かさずにいられなくなるときがある。そして、そういうときはたいてい、相手も、わたしによって口をよく動かしている。動かさずにはいられなくなっている。お互い、ここぞとばかりに口を動かすので、時間が簡単に過ぎてしまう。始発すらも逃してしまった。

くすぐったい。わたしを、見つめて、頭を撫でる。手を握る。楽しい(・・・)話をしながら、楽しい(・・・)人に、そうされるのは好きだ。

おなじことがらを訴えるのに、怒りながらするのと笑いながらするのとでは、するほうの真剣みはおなじでも、受ける側は、ちがう気持ちになったりね。するもんだなと。このごろ思うようになった。
…わたし?
わたしは…自他ともに認める導火線の短いわたしは、そりゃあもうとても怒りんぼだけど(そして泣き虫だけど)、でも、ほんとうに大事なことは、自分にとってとっても大事なことは、ひとに伝えるとき笑いながらしたいな。

笑いながらしたい。笑うのだ。

少しずつ少しずつ、わたしがこう思うようになったのは、あるとき、あるひとが言ってくれたから。
「笑うな。」
無理に笑うのはやめろ、と。
それを言われたわたしは泣いた。泣きながら自分は何をやめるべきか、はっきりと悟った。

そのひとを初め、わたしを本当に好いてくれてるという何人かのひとたちは、わたしが怒ってる顔よりも笑ってる顔のほうを嬉しがってくれる。喜んでくれる。

くすぐったい。




4月19日火曜日

とてつもなく喜ばしい気持ちで、夜をあとにする。
傍から見れば千鳥足の一歩手前だったかもしれない。

おとなをからかうんじゃありません、とでもいったような雰囲気が、ほろ酔いの好感触とともに、わたしという生意気な小娘を包んで撫でる。

わたしがわたしを愉しませるためにしていることのうちのどこかが、わたしと出会い向き合ってくれたひとたちを刺激し彼らの先々をあかるく拓くためのささいな契機となりうるのなら、わたしという人間の性格が自分で自分を愉しませる性質がつよいところにも、甲斐を感じることができる。
わたしにはやはり、このわたしを面白がり、そして、愉しんでくれる。…そういうものずき(・・・・)って案外いるもんだわね、と、思える瞬間があればあるほど元気になれるようなのだ。

ねむるのがおしいほど、毎日がしみいる。これでは、生きていることそのものに「恋」をしているようだ。せかいが、ひっきりなしに、誘惑を仕掛けてくるのだ。そうとしか思えないのだ。



4月18日 月曜日

朝から、そわそわ。ふわふわ。

徹夜しちゃった。

お昼の飛行機で台湾に飛ぶ父を見送り、今日もいいお天気だなぁ、としあわせな気持ちになる。おかげさまで課題も終わった! やったぁ! ぎりぎりセーフ!


ひと眠りなんかする気、ぜんぜん、なくってねぇ。


そろそろ、こんなパジャマ、脱いじゃおうと思ってる。今晩またよろしくねって、ちゃんとたたんでベッドにおいておこう。



4月17日 日曜日

こんなに空はあかるく、風はあたたかいのに、おうちに閉じこもってなくちゃならないなんて。
こらえきれず、ちょこっとだけお散歩。

日曜日は、犬をつれてるひとが多い。

日曜日は、家族連れが多い。

とおく、とおくまで行きたくなったけど、ダメダメ。春休みじゃあるまいし、いついつまでも、ほっつき歩いてられない。わたしにも、やることはある。おうちに戻ろう。

夜になったら日本に戻ってきている父が、ドアをノックするのだ。

何か食べたいものある? とたずねるので、「しゃぶしゃぶ。」と即答する娘。そこで日曜の夜だ。京の都にいる妹のいないのが寂しいが、親子三人でしゃぶしゃぶを食べに行く。


お月さんがきれいな夜道を、父と母と、連れ立って歩くのなんてしょっちゅうしているはずなのに、毎度のように何かとても贅沢で狂おしいような気分になる。

今夜の電話で、わたしたちもこどもが羨むようなラブラブの夫婦になろうね、とつれにねだろうと決める。イヤって言わせないよ。



4月16日 土曜日

明後日までに仕上げなくてはならない課題があるのに、いろんなことに上の空で、参った参った。

さしあたり今は、もうすぐつれのおうちに住み始める猫ちゃん(♂、七ヶ月)を撫でたい、などと考えている。来週には抱っこできる。楽しみだ。名前も決めてある。縞模様なのでトラジ。トラキチもいいかなと思ったけど、トラジのほうが縁起がよいはずだ。ハッピィな猫になれ。

限りなく白紙に近いパソコン画面に、呆れた呆れた。春休みは終わったのよ。春休みが終わったからまいにちだれかとなにかで楽しい。それもあるんだよね。それにしても今週はいろんなことにバクハツしかけてあやうかった。いろんなひとのおかげで持ちこたえられた。ありがとう。ハッピィな日々になれ。何があろうとそう願う。わたしは甘ったれなのでしょうか。




4月15日 金曜日

上海ベイベ。

 

通りすがりのひとの頭をビール瓶で殴るなんて、そんなこと、したくなっちゃうのね。したくなっちゃう気持ちは、否定しない。あってもいい。

おばかさんだね。

わたしは、わたしは胸がくるしいよ。息もくるしいよ。でもね、笑っちゃう。不謹慎。

ねえ、もしもそれがわたしだったら?

上海のバーで、「おまえは日本人か?」とたずねられたらどうしようか。相手の目が血走り片手にビール瓶を握り締めていたら。

もしもたずねられたのが在日韓国人だったら? 「おまえは日本人か韓国人か?」

どこからどう見たって日本人よ、わたしは。日本以外の土地でなら、なおさらよ。
…きっと、殴られる。血を、流すでしょう。

国家だとか、民族だとかから、完全に自由でありたい。根無し草でありたい。

クチではいくらでもいえるわ。
どんなしがらみも透明にしちゃえるわ。
ボヘミアン・ラプソディー。


でも消えない。そう簡単に消えない。

日本語をきちんと発音できるかどうかが踏み絵にされた。
関東大震災の朝鮮人のことを、台湾の2・28事件の直後の外省人のことを、思うのよ。
かわいそうではすまないのよ。

わたしをわたしとしてみてください。 いくらだって言えるわ。
わたしを日本人とか、中国人とか、韓国人とかいうことでは括らず、ここにいる生身のわたしを見てください。

温室でぬくぬくと育った女の子の戯言ととられかねない。

道楽で「国際文化学」を専攻してるんじゃないのよ。

わたしは、わたしをつくるのに欠かせない要素のひとつとしての「日本人」を、しかっと引き受けなくちゃと日々思うのよ。
富士山の美しさと、舞い散る踊るサクラの花と、サムライスピリッツなんてものが、「ワンダフル!」ともてはやされるときだけ、「日本人」を甘受するだなんて、もうできない。できないとこまで来てる。とっくのとう。
「コイズミの責任だ、関係ない」だとか「昔のひとのやったことだ、関係ない」だとか、関係ないなら、何故、殴られるの? 血を見るの? 
殴るほうも、殴ることで、何がしたいの? 腹いせならもう…もう勘弁してくださいよ。何も始まらない。殴りたくなるのはわかります。わたしだってさ時には、殴りたいし、燃やしたい。でもね、でもね、「きらわれる」。
きらわれてどうすんの!!

仲良くしようよ〜〜〜〜。仲良くするにはどうしたらいいか考えようよ〜〜〜〜。

小学生みたいでごめん。
声をはりあげたい。恥ずかしくて。恥ずかしい。まだ何もかたちにしてない。

上海ベイベ。

頭に血がのぼる。「ボロボロのギッタギッタにしてやる」。ビール瓶を握る。おばかさんね。今夜ビール瓶を握ったのはわたしだ。だれか。わたしに聞こえるように、わたしの怒りそうなことを言ってよ。
怒り狂ったあげくビール瓶を割ってもしょうがないようなことを言ってよ。

だめだだめだ。それはちがう。ちがうに決まってる。


東京ベイベ。




4月14日 木曜日

ねむるのが惜しくなったので、ねむらないでほうっといてたら、夜が明けた。窓辺に置いたキューピーのお人形(身長50ミリ)の横顔が、朝の橙色に染まっている午前六時。
ねむるのが惜しいだなんて。まるで。まるで、何かあったみたいだわ。何か。何か、こう、とびっきりのことが。
昨日に引き続き今日もずっと上の空。明日はどうなるかな…今夜はねむれるかな。ねむれなくったってほうっとくだけだ。


4月13日 水曜日 

わたしの中国語は、幾つになっても多分舌っ足らず。今日もまたいつものにがわらいを誘う。だからってしゃべるのを止めないんだ。しゃべることはあるんだもん。
それより問題なのは、日本語でさえ、時折、操れてない。

日本と、日本語で育ったくせしてね。

 

新学期が始まった。今年度はしゃべるのが少しでもいいからうまくなっていますように、と祈る。この祈り、効き目があってもなくても気にしない。おまじないのようなもの。効かないほうが驚かない。効かない。驚かない。…どう? この二重否定、生まれつきの日本語話者でなくちゃこんなふうにスルッスルッと出てこないわよ?


 「…だから、戦車の前に立ちはだかる覚悟でやってるの? 問いかけてよ。心から思うの? 心から思ってしてることなの? 熱に浮かされて、冗談半分で、お祭り騒ぎで、焼夷弾だのなんだの、あぶないものを投げつけてちゃ、よくないことしか起こらない。そんな気がするのだけど。…余計なお世話かしら。」

わたしは、このくにを、日本を、「愛している」。
「サムライの遺伝子を受け継ぐすべての人たち」と呼びかけられれば、尻尾振ってよろこんでいる。そんな方々なんかよりも、このわたしのほうがよっぽど。よっぽどね、サクラの花を「愛してる」。フジヤマを「愛してる」。そのものを見ている。自負がある。
このくにで育った。わたしのほうがよっぽど、アレに火を点けたくなるときがあるのよ? 腹いせじゃない。熱に浮かされてでもない。やりきれなくて。たまらなくて。燃やしたくなる。「愛してるから」。
西の海の向こうの龍の子孫たちに言いたい。

…あぁでも。牢屋に入れられたくないなぁ。入れられるものならばわたしが入れたいぐらいよ、色んな人を。(国籍問わず。)



4月13日 水曜日

好きなだけ、かわいがってよ、と思う。よろこぶから。よろこばせてよ?

こないだの日曜日に生まれて初めて猫とキスをした。虎を小さくしたみたいな猫。生後七ヶ月。雄。


遊んでよ。可愛がって。撫でて。抱きしめて。…あっち行って。
猫って素直だ。なのにえばらない。
このごろ元気のないにんげんの男の子も、こんな猫をぜひ見習うべきだわ、なんてね。

しあわせになるために生きてるんじゃない。生きてることそれ自体でしあわせなのよ猫は、と書いた作家の名前が思い出せない。
好きなだけ、かわいがってほしいなぁ。よろこぶのに。これならかわいがった甲斐もあったもんだ、と絶対に思わせてあげるのに。


4月12日 火曜日

春は、心がおぼつかなくなるから、危険ね。

笑ってたら雨を忘れた。一日のすぎるのはあっという間でそれはとても素敵なことだ。この日々はわたしの好みに合っていてわたしの心をひきつける。去年とおなじことを感じている。夢が花が愛が力になる。日々味方する。ちゃあんといい子でいるから。わたしがしなくてはならないことを、わたしにしかできないであろうことを、ちゃあんとするから。しようと努力する。だから。夢が花が愛が日々がこのわたしを見放さないように。あいしてくれますように。

笑ってたら雨を…。明日の夢を見るのよ。



4月11日 月曜日 

泥のなかをわざと歩いてわたしときたら傘を挿そうともしない。ブーツのつま先が土にまみれて数時間後には今年度初っ端の授業を控えているというのにだらしがない。よさそうな水溜りにアタリをつけて、つま先を浸して、きれいになあれ、と口に出してつぶやく。ほかに誰もいないってわけではないけれど、見上げれば葉桜はまばゆいし霧雨のような雨粒はつめたいし、どうにもこうにも落ち着かない。

 

春は、心がおぼつかなくなるから、危険です。


でも春というのは、「あ、あれは贈り物だったんだわ。今から思えば贈り物だったんだわ」。すぐには分からないけれど徐々に徐々にそう思うようになる。思わずにはいられなくなる。そういう「出会い」が、あちらこちらに散りばめられているのだから、素晴らしい。


春はだから困るのよ。意地悪そうで、実は、何よりもやさしい。ダメよ、よわいから。言ってるじゃないの。




4月8日 金曜日

思春期に自殺できなかった。わたしの話では、もちろんない。わたしは生まれてこの方自殺したいとは露にも思ったことがない。そんなわたしを能天気だと笑う者があればそいつこそ能天気だ、ピストルを頂戴。思春期(・・・)()過ごした(・・・・)ことのあるだれもが知っていること。生きるのよりも死ぬことのほうが楽に思える刹那は、だれのなかにもある。

生きるのにいつまでも慣れないひとは幾つになっても思春期を引き摺るのよ。危なっかしい。

サム・リー扮する主人公は、自殺する。16で死んだ恋人の墓にもたれながらこめかみを撃ち抜いた。「おれのようなやつがみんな死んでしまえば世の中は平和になる」という遺書を遺して。フルーツ・チャン監督の映画「メイド・イン・ホンコン」はそうやって終わった。

サム・リーに、108分間、見とれていた。

サム・リー見たさで借りてきたビデオだ。
なのに。
若い主人公が自ら死を選ぶ結末なのに、この映画は、「生きる」ことを促す。「生きる」んだよと迫る。
どうしてだろう。

わたしがしたいことも、生きるのを、促すことだ。生きろ、と迫ることだ。
御託はもういい。追いつかない。追いつかない。間に合わない。間に合わない。

 


4月7日 木曜日 夜が明けたら花祭り 

夜桜に酔いどれた。

友だちとふたりきり。だぁれもいやしない。水辺の夜桜。風は春。夜は夢。
終電はわざと逃して始発の走り出すのを待ってもない。
だれかの用意したシートに寝そべって桜見物。

花と花の隙間に空。夜の空。星が光る。


何かしたくなる。何もしない。そればかりね、わたし。

夜が明けたら帰ります。約束です。

朝桜が目に沁みた。



4月6日 水曜日

花に嵐のたとえもあるぞ。

月のものがきてるというのでもないのに、むやみやたらと、自らを飾り立てたくなってくる。ひとまず、爪に、色をつけた。桜の花びらとおなじ色。それだけでもう嬉しくなるのだから女の子でよかった。

桜色の爪。これは「紀伊物語」の真似だ。中上健次の小説。「紀伊物語」の主人公である道子ちゃんが、自分の爪をこうして、桜色のマニキュアで塗っていた。道子ちゃんがわたしにはどうも他人と思えないのでほん(・・)もの(・・)の小説家は凄まじい。紙の上の人物にはからずも命を与えてしまう。読む者を戦慄させてしまう生命力を吹き込んでしまう。わたしにとっては、今日電車で乗り合わせたすべての人物よりもずっと道子ちゃんのほうが実在しているも同然なのだ。
リップグロスを唇に。指は小指で、と決めている。桜色の唇。これは…これは内緒にしとこう。わかるひとだけこっそり笑ってみて。

こどものころ、母の化粧道具でオモチャのお人形の顔をむちゃくちゃに塗りたくろうとして、やめたことがある。お人形の髪の毛をじょきんじょきん切るのは、やめなかった。した。鋏なら、自分のものだった。

いちどきに咲くものだから戸惑ってしまうぢゃないのよ。まばたきが増える。桜、咲く。花が、咲く。花が咲く。咲く、は、裂く、と音が同じだ。


花が「咲く」ということは、「裂く」というエネルギーの活動をはらんでいる


とは、師匠のことば。わたしの青い瞳の師匠。わたしは師匠のおかげで十数年間蕾だった部分が咲こうとし始めている。そういう段階なのだと思う。ねえ、師匠。「裂く」というエネルギーを、わたしもまたはらんでいるのでせうか。

嗚呼。うつくしい日本語の使い手になりたひものだなぁ。




4月5日 火曜日

だめだ、だめだ、だめだ、をくり返しあたまかきむしって、また眠れない。

大きくなりたい。
今よりもずっと大きくなりたいひとにとって、若くなくなってゆくのって、最高の力試しだわ。
試されてる。
わたしも、試されている。

うるさい、うるさい、がほとばしる。
刻一刻と、若くなくなってゆくの。

ただ年を喰うなんてこと、欲張りのわたしには到底無理で。

転んでもタダでは起きたくない。

でもあなた転んだことなんかあるの?

わからない、わからない。

だめだ、だめだ、をくり返してやっと寝付いたと思ったらもう昼で。

いつものトワレを手首に吹き付けるのも忘れ、家を飛び出した。春だ。花だ。花が笑い出した。なんか泣きそう。待ってたのに。

待ち合わせ場所にあらわれた友だちの白いジャケットが目にしみてまた泣きそう。


わからない、わからない。
でも、この自分と、この人生を、アイしているのだけは、確かだわ。
がんばる。首を絞めるようなやり方じゃなくて、がんばる。
光のなかでなら強気でいられる。夜も味方につけなくちゃ。そしたらホンモノ。



4月4日 月曜日 人の夢の話は退屈だ。

わかっているのに書いてしまう。それは、こどもを産む夢だった。飛行機の座席でわたしはその、両親の三人目のこどもを産んだのだ。
自分の股のあいだからするするっと出てきたのに。わたしは自分がそのこどもの母ではなく、姉だと思っている。五歳年の離れた妹の、さらにしたのきょうだい。きょうだい?


わたしのなかから出たばかりだというのに、こどもは、七、八歳ぐらいだった。産まれた瞬間、赤ん坊であることを拒み、二本の足で立っている。裸でなんかいられないというのね。白い服を、まとっている。黒色の、澄んだ瞳。

 

(産んだのはあなた。でもあなたは母ではなく、姉なのです。)
(産んだのはわたし。でもわたしは母ではなく、姉なのです。)

でもあなたがおとこのこかおんなのこかわたしにはわからない。おんなのこのようなおとこのことも言えるし、おとこのこのようなおんなのことも言える。姉のわたしが、あなたはなあに? その白い服を脱がしたら、おとこのこの印とおんなのこの印の両方がある。その部分を見つめられても、かれのようなかのじょ、かのじょのようなかれは、されるがまま、二本の足で立っている。空の上で産まれたわたしのきょうだい。

こんな話は退屈でしょう。しかし、今朝目覚めたときのわたし、分娩台にのったことは自分にもあるのだと本気で信じていた。正確にはあれは分娩台などではなく飛行機の座席だった。産んだのだ。



4月3日 日曜日 

しまった。本日も、呑んだくれてしまった。神様、学問の神様、ごめんなさい。明日からまじめに勉学に勤しみます。どうか見放さないで。でも神様、娯楽の神様、ありがとう。感謝してます。わたしに良き酒と、時間と、友(ここ重要)を。今宵も与えてくだすって本当にどうもありがとう。お会いできるのならばキスをしたいぐらいよ。あいしてます。

 

4月2日 土曜日 


花の笑う季節はまだか。
本日は、友と共々、呑みながら語らった。花を見るのを名目に集ったのに肝心の花が全開には程遠い。それもよかろう。花は咲く。散っては咲く。それにね、名目だしね。会いたかった。呑みたかった。はしゃいでしまった。
日が沈む前から呑んで日の沈んだあとまで呑んだ。呑んだくれた。
おかげでふらふらよ。ダメよヨワいから。
花の季節には、花の吹雪くまでには、あとどれぐらい?
待ち遠しいよ。


4月1日 金曜日

女の子に恋をした。一目惚れだった。
なんて嘘から出るマコトもあるかもねとぞ思ふ春の夜。嘘をついてもいい日だなんて。誰が最初にはじめたのかしら。趣味がわるい。嘘をついてもいい日の夜に飴玉みたいな嘘を探してわれにつく。春の夜は世迷いごとがよく似合うのであぶない。

自分には身をはってでも戦車を止めようとする勇気はあるのだろうか、と思う。轢き殺される覚悟で戦車の前に体ひとつ、立ちはだかる勇気が。あるいは情熱が?意志が?使命が?正義が?モラルが?
われに問う。われの意味を問う。ゆき過ぎるとあぶないので気をつけて。

詩人に愛されるおんなになるのが夢だった。それがそのうち自分も詩人になりたい。大それた夢をひとひら、垂らして。気づいたら、水浸し。文学のとりことなった。わたしにも何か書けるかな。作れるかな。
われに問う。われの意味を問う。ゆき過ぎるとあぶない。
宿命なんてそんな重く考えないほうがいい。愛することにかまけていればいい。本気ですることはみんな、結びつく。愛や夢では喰えないなんて嘘。ホントの話、愛や夢がなくちゃ喰えないぐらいなんだって。