日々の温

 
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7月30日 土曜日

いらなくなったので、切ってきた。

鏡を見ながら思うのは、我ながら小僧のようになってしまった。
おんなの命は髪に宿るとは古くから言い伝えられていることばだが、まったくそのとおりだと思う。
髪の毛をたっぷりふるい落としてきたわたしは、前よりももっと、色気とへったくれがなくなった。

そして、それがうれしく、気に入っている。
もっと早くこうしたかった。これで、わざと濃い色の紅を引いてみたりして、岡本かの子のようなおんなを気取ってみたいのだ。
おのれに心底惚れ抜いているごくわずかなおとこやおんなにしか通じないような、容貌。それは世間一般の基準ではみにくいと称されてもまったく不思議ではないもので。なのに、あるひとびとにとってみれば女神として崇めたくなるような類の。

考えてみればこれは、わたしがだれかにとっての女神でありたいという願望を持っているということの告白である。

そして、このような願望は密やかに隠し持っているべきで、こんなふうに堂々と口にしてしまうだなんて下卑たことなのかもしれない。しかしわたしはやはり、わたしのようなのに惚れてくれるすべてのひとたちに特別の思いを抱かせてやりたいと思うのだ。傲慢な物言いかもしれないが素直な気持ちなのだ。

ところでかの子が言うのには、おんなのヒステリーというのは愛欲の変形だそうだ。何ものをも惜しみ奪わんとする情欲と、気に入らぬものをことごとく排斥せんとする感情の入り混じったものだ、と。さらに付け加えれば、他人の功績を嫉み、自分がそれに及ばぬのを口惜しがり、ひとびとに愛されぬのを不満に思い、常に自分が悪評され、世間から除外されるのを気遣い、一日一刻たりとも気を落ちつけて過ごすことができなくなるのだ、と。

そして、わたしが知ってるおんなのうちでもっともヒステリックなおんなはといえば、…まちがいなく自分だと思った、かの子のこの説に従えば。

わたしと付き合うのは苦労するでしょう、というと、そうでもない、と応える。分類不可能。十代の終わりごろ、おなじく十代の終わりごろだったこのひとの生き方を横から眺めていてそのように思った覚えがある。

順番がくるっているのかもしれない。わたしは、人生のとっても早い段階で、確固たる基盤を手に入れたのだ。

その基盤こそがきみの足枷になっているんじゃないか、というひともいた。だがどうでしょう。これがあるからこそ、わたしは、おのれの夢想に耽りながらその結晶としての小説を書こうなどと思い続けてこれた。ほんものの世界に接する際にも気がくるわずに済んだ。足枷。勝手に言ってなさい。今に結果がわかるでしょう。




7月28日 木曜日

「きょうは昔、とても仲良かった子のお誕生日だ。
年によってはこの日になると彼女のことを思い出して彼女に会いたいと思う。
数年前、街で彼女と再会をした。昔とおなじで、おおきな目をした綺麗なおんなのこ。」


今朝は始発に近い電車に乗って友だちと会った。街で評判の占い師には、このぐらいの時間からかからないと、見てもらえないのだそうだ。夏の早朝の、白と水色を軽く混ぜてそっと刷いたような空。本格的な暑さが降り立つ前の、涼しいわずかなひととき。
占われることを望むひとびとのつくる長い行列の、最後尾につく。

「きょうを逃したら、もう一生占い師に見てもらうことはないと思うの。」

でもわたしは占ってもらわなかった。訊きたいことは何もなかった。

そしたら夢を見たのだ。
橙色にぼやけた街の片隅で、占い師に呼びとめられる。お嬢さん。ブルースシンガーのような、しわがれた、でも、芯のある低い声。

(訊きたいことなんか何もないってば。)

ここはこの世ではないのよ。占い師は言った。わたしはあなたの羽をもぎろうとは思わないわ。わたしは気づく。彼女の青紫色の長い髪は彼女が昔おとこだった頃の願望だ。


とりたててねむたかったわけではないけれど、覚めることをわたしは拒否した。ブランケットにくるまりながら、夢に浸り続けた。夢のほうがずっとおもしろいような気がした。
現実離れ、という言い方は、往々にして悪口として遣われることが多い。浮世離れ。
そのように言われることが比較的多い自分を弁護したい気持ちも働いているからなのだろうか。わたしは、夢を前に威張り散らしている現実が、ときおり、滑稽に思えてならない。



7月27日 木曜日

「血で、飛ぶのよ。」
キキが言うとウルスラが応える。「魔女の血、絵描きの血、パン職人の血…。苦しいこともあるけれど、これって神様からの贈り物なのよね。大切にしなくちゃ。」

たくさんねむってねむって、ひさしぶりによくねむってとろりと目を開けると、友だちが『魔女の宅急便』を真剣な顔つきで見入っていた。わたしがいつまでもねむっていたものだから退屈しのぎに観始めたらしい。外はあかるかった。台風だった昨日とは大違いの上天気。夏休みの絵日記によくお似合いの青い空。すぐにわたしもキキの物語に夢中になってしまった。

飛べなくなったキキがウルスラと語らう場面で唇を噛み締めた。
いつからか、「血」を根拠にする考え方に反発を覚えていたけれど、あー、こういうことなのか。こういうことなら。

…李良枝は、小説家であると同時に、踊る人でもあった。韓国巫俗伝統舞踊の、踊り手。この、巫俗舞踊のひとつに、サルプリ、というものがある。サルは「恨」、プリは「解く」。恨みを解く踊りなのだそうだ。その李良枝が聞き手である大庭みな子に向かって、

「人間の生にはX軸とY軸という側面があると思うのです。血の力というか、代々受け継がれてきたものが縦のY軸で、私という個が横のX軸。血は水よりも濃いと言われたとき、嬉しいことは嬉しいのですが、それだけで説明されるのは嫌だ。つまり私というX軸が出てきてしまうのです。私は私のハンで、恨みで踊っているのだからと…。血の力で踊りながら、同時に、私としての私として闘い生きているのだ、と…」

と言うと、大庭みな子は応える。「それはそうです。そのX軸とY軸の交わるところで、人は生きているのだから…」

あー。そういうことなのか。そういうことなら。黄色の蛍光ペンでふたりの会話をぐるりと囲んだのはつい最近のことで。それだけでは飽き足らず、李良枝のことばの横には赤ペンで線も引いたのだ。

目をごしごしとこすりながら鼻を啜るためのティッシュをとる。「すべてのことが、メッセージだ。」と思う。




7月25日 月曜日 2

それでもわたしは、この一年半、わたしのようなのと面白がりながら付き合ってくれた同級生―というよりは友人たち―に、愛なるものを込めたいななどと思う夜なのだ。一週間の半分は激情していたようなわたしを持て余さずにみんな。みんなモノズキだなあと冗談半分思いながら。

わたしがあいする小説や、これから書こうとする論文は、紙の上の出来事かもしれない。でもそれは必ず現実に根をおろしたものでなくてはならない。血のかよわない活字の集合体など鼻を噛む紙にしてしまえ。


わたしはわたしが根をおろす現実で、わたしを好いてくれる人と出会うたび、そして、わたしもまたそのひとを好きになって、お互いにとって実のある関係を築くことができたと思うたび、自分が書くものにも血がかようようになるんではないかと思う。そうでなくてはならない。生きることと書くことが切り離せないのなら。

書を捨て、町へ出よ。

紙とペンはでも肌身離せない。きっとずっとそうなのだ。



7月25日 月曜日

告白。


自分のような例は特別だと思い込んでいた。
それゆえ、人一倍、劣等感と優越感があったのかもしれない。要は、卑屈さと尊大さのあいだを交互に揺れ動いていた。

もともとの気性というのか性質というのかが、みずからをよいものと思いたがるほうだったものだから、一人二人と理解者(と思える人々)が増えてゆくと感じるにつれ、わたしの自己意識はといえば、尊大なほう尊大なほうへと、傾いていった。

どんどん太って(・・・)しまった(・・・・)
不安とか卑屈さとかいった脂肪が、たっぷりの、「自尊心」。

自分を理解してくれなさそうなひとに関しては、それだけのひとだしね、と鼻でわらうように遠ざけた。

理解しようとしてくれないことは興味すら持ってももらえないこと。そう思っていたから、自分を理解しようともしてくれないひとと出会うと、先手を打って、あのひとはたいしたことを考えてない、などと思った。


そうすることで、興味をもたれていない自分の自尊心に傷が付かないようにしていた。


わたしには、自分が、他人にとってまったく興味も関心もない人間であることが、耐え難いことだったのである。まったく相手を選ばずに、無差別的に、そう思っていた。

(だって、わたしは「特別」だもの。ちゃんとそう扱ってよ。)
(わたしみたいなのは、どうせ、「普通」じゃないんでしょ。だったら、よい意味で、特別扱いしてよ。)

わたしが望むようなやり方で、わたしに話しかけてくれるひと。わたしが欲するようなやり方で、わたしの話を聞いてくれるひと。わたしは、わたしを気持ちよくしてくれるひとのみを、友だち、と呼んだ。

そういった意味じゃ、環境には非常に恵まれていた。

自分のような例を、「特別」だと信じて疑わない。

あるとき我に返った。
この国…、日本に限定しなければ、自分のような例は、決してめずらしいことではない。

ちょっと考えればわかるようなことだったのに。

自分の思考は、よくもわるくも、なんと<日本的>だったのでしょう。
この国…、日本の地図を思い浮かべる。四方を海に囲まれた、列島の地図。

紙の地図は、平たい。四隅の、さらにその先が見えない。そして、回らない。

どうしてこれですべてだと思い込んでいたんだろう。

これが、2004年の4月以来、「国際文化学専攻」に在籍して<勉強>をしてきたわたしが、導き出した現段階における一つの、発見。新たな問いに向かって開かれるはずの、発見だ。

「国際文化学専攻」。

環境に非常に恵まれている。

ここでしてきた<勉強>が、机の上のみのお話だったのならば、こんなにもはっきりと確信はしなかったろう。わたしにとって、生きることと書くことは、直結している。それが論文であろうと、小説であろうと。


…ところで、これでもう何時間、起き続けているのだろう。この「告白」を、今夜じゅうにしたかった。支離滅裂でもいいから、しておきたかった。やっと出来た。

これで、太りに太った「自尊心」の、脂肪の部分を、ようやく削ぎ落とせるような気がする。

ひどく眠たいはずなのに、目は冴えている。



7月24日 日曜日

木曜日以来ここに立ち寄らなかったのは、いよいよ日記を書くのに飽きたのでも書くのを止めたのでもない。明日、月曜日に控えた「修士論文構想発表会」の準備に、ここ数日は、夜じゅう、かまけていたのだ。日記を書くことよりも夢中になるほどに。

思えば私は今、論文なるものを初めて書こうとしている。
22歳のときは、論文を書かずに卒業した。論文ではなく、小説や詩などを書くゼミに所属していたためだ。そこでは、卒論に代わって卒業制作を課せられた。

25歳の今、私はここ二年間に考えてきたことの集大成として一篇の「修士論文」を書こうとしている。

好きなことを、好きなだけ。感じたことを、感じるがままに。思ったり考えたり、口に出して人に伝えたり。教わったり。目覚めさせられたり、なだめられたり。
そのように過ごした日々が吸い込んだものを、「注ぎ込む」のだ。

いつかの春休みに、初めて李良枝の小説を読んだ。あのときの“血湧き肉踊る”感触、忘れもしない―それは中上健次の「岬」を初めて読んだときに匹敵する興奮だった―忘れられるのならば、ここで、こうしていない。

十二世紀ドイツの、ある修道士は言ったという。

自分の故国を甘美に思う者はまだかよわい初心者である。あらゆる土地を自分の故郷だと思うようになったら、かなり強くなったといえる。しかし、世界のどこに行っても自分はよそ者だと感じるようになったとき、あなたは本当に成長したのである。

既にいろいろな人が引用している有名なことば。この類のことばにはわたし、弱い(・・)。とても弱い。ひどく揺さぶられる。ときには涙ぐむことすらある。


ありあまる力の行き場が見付からないせいで苛立つことは、もうしばらくないだろう。

修士論文を、李良枝で書こうとしている。
李良枝。近すぎて怖かったけれど、もう大丈夫だ。直面する準備が整った、心のほうの。

夏休みは楽しくなるだろう。
秋がきて、冬を迎え、春を目前に控えたとき…、わたしはどれだけのものを自分から剥がし得ているのだろうか。




7月20日 水曜日

お月さん、ぽっかり浮かんでおりました。


おやまあ、いつのまにやら、
まあるくまあるくなってって…。

南国にいるような心地にさせられる、濃厚な花の香りのお線香。
南国の花の匂いと、風と、光を味わって帰ってきた友達がくれたのです。

ふたりでほろ酔いになってそぞろ歩き。

お月さん、ぽっかり浮かんでおります。

いつもいいとは限らない。満ちることと欠けること繰り返す。それが気分というものなのでしょうか。目に見える部分のみ追ってゆくとあったりなかったりの繰り返し。でもね、それはそこに在り続けている。そんな当たり前のことをいちいち噛み締めたくなったのは今の気分があまりにもよいからなのでしょうか。

暗がりに身を沈めながら、隣で眠るこいびとの立てる寝息に呼吸を合わせる。風呂上りに頬と頬を合わせたとき、このおとこの白き柔肌がいとおしいと思ったのを思い出す。今日会ったおんなのこの、あかるい花のような笑顔を思い出す。

お月さん…




7月19日 火曜日

首筋やら、二の腕や肘の裏やらに、湿疹ができている。水が合わなかったのか肌に合わなかったのか、何かと合わなかったのだろう。痛みや痒みといったものはさほどひどくなくかわいいものだがそれでも、何もせずにじいっとしているとき、突然、むず痒くなったりする。爪で、引っ掻こうとするのだけど余計ひどくなるのは目に見える。それで、無理してでもこらえている。肌はいのちだ。祖母が母に、母がわたしに伝えた幾つかの考えのうち、この、肌はいのちだ、というのをわたしはとても気に入っている。可哀相な荒れた肌を責めたりしない。痒みに耐えながら早くよくなろうねと思う。


ねえ、こう思ったことはある?

自分に匹敵する熱情の持ち主と出会いたい、と。
ほんものの手応えを。
まさぐってる、探してるの、
わたしは、今でも。

だから、
ひとつひとつの出会いに心を込めるの。

これは、
心を込めたくなるような出会いが次から次へと訪れた、
その経験を、永遠に忘れたくないからなのよ。


白き柔肌を保とう。紅を刷くつもりで、左の小指を下唇に当てる。
うっとおしかったのは、自分がおんなであることではない。おんなであることに無頓着すぎたことだ。いや、おんなであることの甘味の部分ならたっぷり味わっていたくせに、苦味の部分となると噛もうともしていなかったことだ、知らず知らずのうちに…、と思ってきたし、思いたいけれど、本当のところは、知っていて知らぬふりをしていただけかもしれない、よくわからない。
苦味もまた旨味となったりするものだろうし、もしかしてわたしは自分が自分として生きていることの感触を全体的にとらえなおそうという段階に来ているのだろうか。

何もせずにじいっと座ってみる。



7月15日 金曜日

居間の引き出しを探っていたら、半分に折り畳まれたそれ(・・)が目に付いた。

 

永住許可申請手続き案内

そういえば、と思い出す。先月会ったときに父は言っていた。八月になったら永住を申請しに家族で品川に行こう。品川の、東京入国管理局へ。
台北のアパートのテーブルで、橙色の明かりのもとで。
自分自身では年に数度ほどしか東京に寄らないというのに。本気だったのか。

永遠にこの国に住む。


そのための手続きを、父は、自分のためというよりは、家族のためにしようとしているのだろう。日本で、日本人のように育った娘たちのために。

妹は京都を選んだ。
あの娘は、日本のなかの「日本」を、日本人も想い偲ぶ「日本」を、京都に求めた。
早生まれの妹は半年前に二十歳を迎えたばかりで、妹より五つ年上のわたしは自分が二十の頃にどこにいたかと尋ねられればすぐに応えることができる。

上海。わたしが選んだのは上海だった。

あれから五年経つ。

永住許可申請手続き案内

日本人にならずに、この国に永遠に住みたいと望むのなら。

(この国では、喧嘩もできない。)
半ば叫ぶように言ってしまってからこのような言い方はとてつもなく傲慢だと自分で分かった。涙目になってそのように喚く自分が、傷つけたのか傷つけられたのか、傲慢なのか卑屈なのか、傷つけられたつもりでまだ傷つけ続けているのか、分からなくなる。つよいのかよわいのか、よわいのかつよいのか分からなくなる。

(本当は、口にしちゃいたいのよ。)
そう言って彼女はわたしの頬に唇をつけた。おんなのひとの唇の気持ちよさに長く浸るのはどこか照れるので、ありがとうございます、急いで呟いてタクシーに乗り込んだ、水曜日の夜。


(あなたの小説、読んだわよ。)
夜行バスで夫の待つ家へ帰った彼女からのメールが届く、木曜日の夜。それから彼女は、香港人の両親を持つドイツに生まれ育った英国籍保持者の青年について、教えてくれた。
(そのひとは日本語で、自分はドイツ人なんだと言っていたよ。)
わたしがちょうど開いていた本には、モナ・ハトゥームという1952年生まれの芸術家について書いてある。ベイルート(レバノン)生まれで、現在はロンドンに居住しているという彼女は、生まれたときから英国籍を持ち、両親はパレスチナ出身のアラブ人。さらにキリスト教徒である。
「レバノンのかつての宗主国フランス系の学校でフランス語で教育を受けたため、彼女は流暢なフランス語が話せる。ただし、植民地意識を喚起するフランス語を、ハトゥームは好んでいるわけではない。」

「これが私です」と言い得る簡潔な単独の略号を思いつかない、と語った詩人がいる。自分を称するのに「単独の略号」が思いつかない、それがこの国では、特別なこととみなされがちだ。だが。

李良枝や、たとえばわたしや妹なんかは、シンプルなぐらいで。日本というのはむしろとても特殊なほうで。一個人、一国家、一人種を名づけるための呼び名がそれぞれ重なり合わないことがちっとも特別でないような環境、そのような場所にこの身を置いてもまだ、わたしは今とおなじことを嘆くのだろうか。むしろ、埋もれるだろう。目立たなくなる。それはわたしがこの国で育ちながらずっと望んでいたこと…嘘。

これは、国籍に基づいたアイデンティティーの問題のみに集約される類の窮屈さでは、決して、ない。

「柵」を乗り越えて「外」に出て行って具体的に何ができるのか。

ほんとうの意味で試したことなどなかった。時機は…熟しつつあるのか?

永住許可申請手続き案内を引き出しの奥に押し戻した。八月になったら。八月になったら打ち明けよう。



7月14日 木曜日

気ぐるいだと嘲笑われようと、根が地にしっかりと結びつけば結びつくほど花々が咲く。色ぐるいだと罵られようと、咲いた花を摘み取らずにはいられない。みずみずしく溢れ出てくるこの感情を、持て余してなどいない。みんな必要なのだ。必要だから芽生える。この世にあらわれ出る。光を浴びる。この世の掟に従うのなら不必要と思い込まなくてはならないから、花を、闇に押しやらなくては、と、不自然な力が入るのである。
ところで、花と寝ながら天を眺めているときにも明日のことがよぎってくる、などとは何たる無粋。妖精たちに笑われる。その実、明日というものは、この世の掟のみに絡めとられた者たちが、特に神経質に取り沙汰するものなのだ。


7月13日 水曜日

いらない。
とてもゆるせなかった。いらない。もう、いらない。

わかってほしいと全身で訴えていたのはわたしのほうでした。

だからって、すべての人間を巻き込もうだなんていう、無謀な願いではなかった。

あなたをあいしてる、と言った。
あなたのことを腹の底から受け止めたい、と言った。
だから、
あなたは無理に笑わなくてもいいんだよ、と言った。

幾人かのひとがいればよかった。
そのように言ってくれる幾人かのひとがいれば。

やっと出会えたんだと思った。わたし出会えたんだと喜んだ。でも、

うそばっかりね。

きっと、この国じゃ、喧嘩すらまともにできない。

よいときには耳障りの好いことばで互いに酔わせ合っていても、わるくなったとたん、しゅるるっとみんなみんな、逃げてゆく。
わたしは、喧嘩を売ったりなんかしない。売られたのを、買うだけ。
それで、こちらが拳を握ったとたん、雲隠れ。
(自惚れないで。あなただけが、わたしの中心ではないのよ。)
(…じゃあ、あなたは何なの?)
それで、拳を握っていると伝えたとたん、サアッと身を引く。
(面倒くさいことには巻き込まれたくない。)
(…「あいしてる」と云ってきたくせに?)

だからあの夜の、しらばっくれた場の雰囲気が、とてもがまんできなかった。
うそでも笑えよと、さあ何もなかったようにさ、という雰囲気に、どうしても耐えられなかった。
場を保つ努力をするのがまっとうなおとなのとるべき態度、という言い分は百も承知。
百も承知のうえであの夜のわたし、態度を思い切りわるくしました。
飲めもしない酒を次から次へとあおって過激なことを口にしたりしました。
ジョッキを持つ手が震えるので、いっそ床に落として割ってやろうかと思いました。
身体が熱い。腹で、火の玉が渦巻いていた。燃やしてやる。ここにある白々しさを。吹き飛ばしたい。思っていた。

しかし。
この国で、この時代にこの年齢で、この性別で、この身分(大学院生)ではきっと、喧嘩なんかしちゃいけないのでしょうね。

きらわれるのがこわくて、きらうことを堪えてきたんだと気が付いた。きらうことを制してきたのは、誰からもきらわれたくなかった、ただそれだけだった。
我ながら、随分と下らないことに執着してきたもんだな。
小さい。とても小さい。


(泣くほどのことじゃないだろう。)


翌晩、師匠が言った。

(おまえはもっと大きいところを知るべきだ。外に出ろ。)

外?



7月10日 日曜日

風呂上りに呑む水が、冷やしたお水が、いつもより甘いと感じる。
それだけでも何だか泣き出しそうなんだ。
わたしは、もう、治りかけて(・・・・・)いる(・・)

御伽噺の住人にいっそなりたい、とぼやいたら、なじるでもなくたしなめるでもなく、あなたのお好きになさいな、とでもいうふうに微笑まれたので、かえって気恥ずかしくなる。
弱気になっているわたしの右手を両手で握ると、
(大丈夫だよ、大丈夫。)
イタイノイタイノトンデイケという顔をしている。半分おどけたような、半分はでも本気のような顔。わたしは、笑って、笑って、左手にも同じことをしてもらいたいなあなどと思う。

ひととき、ひとときに、「愛」を感じる。そのことの連続。


これは、ぬるま湯なの?

打ち上げられたら、さむいの?
夢と、現(うつつ)の、はざまを、たゆたう。
(きみは、知らない。現のことを。何も知らない。)
そうは云ってもねぇ、本当の意味で残酷なのは、御伽噺―夢―のほうかもしれないのよ?


ひととき、ひとときに、「愛」を込める。そのことの継続。
わたしにとっての「生きる」とは、こういうことなのかもしれない、なのだと考え付いた。

 

わたしは、笑って、笑ってたら、泣くもんか、の誓いはここまで守ったのに破れてしまった。ひとの胸を借りて拭うのだ。

そしたらもう、治りかけている。




7月8日 金曜日

きれいなおんなのこがいた。
人待ち顔のきれいなおんなのこ。そこを通るときに見た。
きれいなおんなのこを素直にきれいと思えるうちは、自分はまだ大丈夫だと思う。
状態としての心は、まだ、挫け過ぎていないし、荒みきってもいない。見ず知らずのおんなのひとを、うがつことなく、きれいと思えるうちは。少々、くたびれて、苛立ちやすいのだとしても、この心に余裕はまだある。

おとことなると、話は変わってくるのだけど。知らない、通りすがりのおとこを、素敵だなあと見とれるのは、たいがい元気がいいときなので。そもそも、余裕のうえに成り立っているので。

あなたの男性の好みは…こんな類の質問は退屈だ。よくぞこんなことが訊けるものだなと思ふ。だから云ってやった。好きになったひとのことが好きです。嘘だ、嘘に決まってる、と騒ぐ自分を宙の彼方に追いやる。わたしがこんな物言いをしたものだから、尋ねたほうも、いかにもつまらなそうで、かえって安心した。何もかもがとても正常だ。正常なつまらなさ。まともな退屈さ。

ながい夏休みは終わったと思い知る、九月一日の朝の体育館にいるときのような気分に近い。毎日続くと思っていた、夢のような日々は、最初から終わりに向かって流れていたのだ。二度と巻き戻せないのだ。色が濃く、鮮やかであったほど、褪せてゆくのが早い。

しかし、つまらないのは、つまらなく感じる自分自身の責任でもあるのだとよく知っているから、つまらないときのわたしはたいていとても暗い気持ちだ。周囲や、日々が、つまらなくてたまらないと嘆き愚痴をこぼす者に限って、その者自身がさしておもしろくもなんともない人間だったりすることはよくあることでしょう。

つまらないと感じることがあんまりにも続くと、自分がそうなってゆくようで、怖ろしい。幸い、今なら間に合う。きれいなおんなのこをきれいと思える今ならまだ。わたしは、わたしから剥がれゆくものの正体は、何かと問おう。問うことで保とう。退屈の最中にて決意したのだ。



7月7日 木曜日

織姫と彦星の年に一度の逢瀬はうまくいったのだろうか。週末の逢瀬を夢見ながらわたしは書物に目を通してる。

日々めまぐるしかったから忘れかけていたけど(!)、修士論文を書くんだったわ。敬愛してやまぬ作家、李良枝について書くのだ。論文を書くことを通し李良枝と向き合うことが己と向き合うこととほぼ直結している。だからまぶしい。だから痛い。李良枝から逃れることは自分から逃れることだ。分かりやすく試されている、今。


その合間に思い出してしまった。

昔、ある友人が、おんなであること、とりわけ、若いおんなであるということが自分には重たくって仕方ない、と嘆いていた。
あらどうして?

わたしは思ったものだ。おんなであるということは、こんなにも素晴らしいものなのに?
しかし若さなるものに重き価値を置こうとするのならば生きるということはひたすら恐ろしいものとなる。価値がなくなってゆくのを刻一刻と感じながら先に向かわなければならなくなる。果たしてそうか?
否。
わたしには、若くなくなりつつあるということが、むしろ愉しい。あのうつくしい老婆。花の微笑。
「どうして雨が降るのかしら? どうして花が咲くのかしら? どうして歳をとるのかしら? どうして生まれてきたのかしら?」

わからなくていい。あるものを感じるだけ。わからないほうが、むしろ、よかったりする。

わたしにとって、おんな、とは、自分をつくっている要素のうちのひとつである。その、決して目立たぬわけではないこの要素を、深々と味わう。そのことがわたしには愉しい。

初潮を迎えた夜からわたしはそのことをはっきりと感じていた。


先の友人は嘆く。
「わたしは、おんなである前に、ひとなのに。」
わたしには彼女が、ひととしても、おんなとしても、うつくしいと感じる。ひとであって、おんなである彼女がうつくしいのは、彼女がものを思う人間なのだからかもしれない。ものを思い、悩み、苦しむほどに世界と誠実に関わろうとしてもがいているからなのかもしれない。
「もっと、のっぺりしているものよ。」

若いおんなであることを気軽に楽しむことができれば、あと数年のうちは享楽的に過ごせるのにね。そういうひとたちは、彼女のような若いおんなと比べれば、もっとのっぺりしている。

ところが、この頃、おんなであるということに、とんとくたびれてしまうようなことが、このわたしにもあった。自分だけは例外だとこの歳になるまで信じきっていたのが何とも間抜けで恥ずかしくなる。おもしろおかしく過ごせればそれでよかった。おもしろおかしく過ごしながら、あらゆるひととするあらゆることを、ごっこ遊びの延長のように思っていた。わたしにとって、ものごとは点でしかなかった。点が、別の場所に打たれた無数の点と結びつき、線となり、面となる可能性を孕んでいるのだということを、まったく分かっていなかった。

 

「どうしてうまくゆかなかったのかしら?」

わかろうとするのをとっくにあきらめてしまったわたしを知ったらみんな怒るでしょうね。


それでこいびとの肩に顔をうずめながら、「わたしが髪の毛をぜんぶ剃っちまって、この目をおおきく見開いて、舌で唇を濡らして、口をあんぐりと開けて、そんなふうにしているとき、近づいてきたおとこやおんなだけを、相手にしようかしらん。」
などと世迷いごとをつぶやいてみる。

このひとの、わかったような顔をしないところが、とても好きだ。




7月6日 水曜日

にこっと微笑むと、せかいがうるおった。
次に来る気分がこんなものだとは。わるくない。むしろ、よい。

たとえば、いてもいなくてもどっちでもいい、とこっそり思われているぐらいなら、面と向かって、いなくなっちまえ、と罵られるほうがずっと気持ちがよい。
もともとわたしは、わたしをわたしとして扱ってくれる人とでなくては、ちゃんとした関係を結ぶことに耐えられない。なんとなくそばにいるからなんとなく仲良くしてる、というのでは物足らない。

わたしでなくちゃ。

あなたでなくちゃ。

わたしとあなたとでなくちゃ。築けない。
そういうものを。そういうものしか欲しくない。呆れるほど、かたくなにね。
そうやって築いてきたものが、ある日、とつぜん、粉々に砕け散っても。望んでないのに終わりが来ても。

(あー、あ。つまんないなあ。)と頬杖をつくのは、まだちょっと、とっておこう。腹がよじれるほど大いに笑う。鼻水出るほど泣き喚く。はらわた煮えくり返るぐらい怒りくるう。
それぐらいがいい。それぐらいが。だってまだ。だってまだまだ。若いのよ。

…あいされる、とは限らないのだ。
わたしが、わたしのしたいようにやろうとすれば、貫こうとすれば、にくまれることもある。わたしの存在それ自体が忌々しくってならないと思う者もある。

でもいよいよ思った。
ひきつってでも笑みを浮かべるのはこれで完全におしまい。
あいされたくってたまらないゆえに痛々しいのはもうごめんだ。
どうせならば、ふてぶてしいぐらいでいてやるよ。
笑って、笑って。
好きになったら天国につれてゆく。一寸先が地獄でも。つれてゆけると思ったらつれてゆく。(あいしたくってたまんない。)

にこっと微笑む。雲と雲の隙間からさしこむ光を見つける。



7月4日 月曜日

粉々に砕け散ったものは、拾い集めたとて、元の形には決して戻らない。とっくの昔から知っていた。なので。
しゃがみこむ代わりに、突っ立ったまんま、舌を打った。


白地のうえで、(色としての)赤は黒っぽくなる。黒地のうえならば光沢を放ち、黄色の脇では火のように激しい強烈な色となる。
―トリン・T・ミンハ「月が赤く満ちる時」より―


ひのまる、と呟いてみる。日の丸、ではなく、火の丸。白地に、赤い丸。あれに、親近感を抱くときが来るとは思わなかったけれど。まさか、あれに…。
太陽は白く、赤くはない、という主張ほどの正常さに、舌を打った。トリンは続ける。「特定の赤が艶やかな明るさを放つかどうかは、他の色とのかかわりでどのような背景に置かれるかによる」。

この週末は日記帳を開かなかった。案外耐えられるものだ。左目が充血した。何故左だけがなんだろう。南国の果物を一口齧り、思ったほどそれに水ッ気のなかったことが苛立たしい。
夜のひとつやふたつが去れば、悲しみは去った。
悲しみよさようなら、そして、沸沸と湧き上がってくるのが、怒りだ。燃え盛っている。
このまま、怒りに居座られないようにしたい。でないと、みんな(・・・)の見ている前で、ビール瓶ぐらい砕くだろう。テーブルの角に叩きつけてやる。



7月1日 金曜日

来たみたい BLAND NEW DAY / 何回でも生まれかわれる

YOSHII LOVINSON 「PHOENIX」より

今夜は憧れのあの人のライブでした。自分はあの人のことをとっても愛してるんだなあとやっぱり思いました。想像どおり。すっごくすっごく元気になりました。想像以上。生きていれば何回でも生まれかわれる。死んでいないのなら何回でも生まれかわれる。帰途につきながらそんなこと考えていたらいつのまにやら涙ぐんでいました。

「この日記は、わたしのキーフ、大麻、阿片のパイプだ…夢がわたしの唯一の生なのだ」。
アナイス・ニンのことばである。日記帳をとりあげられた夜のアナイス・ニンは、禁断症状さながら寝室をおろおろ歩き回ったという。
アナイス・ニンではないが、わたしにも日記をつける習慣がある。昔から言いならわされているように、習慣が第二の天性であるのならば、日記を書くことはわたしの生まれながらの性質のようにわたしに染み込んでいることになる。

アナイス・ニンのように?

たとえば日記帳を取り上げられてもわたしは泣きはしないだろう。日記の中身を、他人、ごく親しい人に見られてしまっても、別にかまわないと思うことはできる。
だけども日記を書くという行為を禁止されるようなことがあったら、おそらくひどくうろたえるだろう。考えてみればわたしは一人で自室にいるときの大半の時間を日記を書くことで費やしているのだ。書くことを禁止されたら他に何をしていいのか分からなくなるに違いない。
そうだ。考えてみれば、十一歳のとき以来、暇さえあれば日記を書いている。

キーフ? 大麻? 阿片のパイプ?

どれもわたしには馴染みがない。

今のところ分かっているのは、書くことのできる環境、そこに身を置けるうちは、よほどのことがない限り、わたしは日記を書き続けるのだろうということ。

夢?

わたしは夢しか見ていないのだろうか。現実はわたしの夢ではない。夢の中でならしてもいいけれど、夢の外ではしてはいけない。区別が出来ないのは、わたしがたぶん夢と一体化しているからだろう。現実はわたしの夢ではない。まだよくわからない。

ライブのパンフレット、眺めている。憧れのあの人の写真、見つめている。「抱いてください」と呟きかけて、ダメだダメだ、とあたまを振る。何がダメなんだかね。すぐまた夜は明ける。