日々の温

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9月21日 水曜日

わたしは、“第2の物心”のついた18のときから21歳ぐらいまでの間、ジョン・レノンをほとんど神様のように思っていた。だから母親がオノ・ヨーコのわるくちめいたことを云えば本気になって腹を立て反論したりした。

わたしは耳に自信がなくて、音そのものに対する感受性は平均以下だと自分で分かっているので、25歳の今まで、音楽を音楽そのものとしてではなく、むしろ、作り手だの歌い手だのの、在り方―生き方、の面から見て、好きになったり、嫌いになったりしてきた。ジョン・レノンの音楽は、ジョン・レノンのものだったから、好きだったのだ。そして、ジョンの音楽の“凄さ”は、わたしのような耳のまったく肥えていないものにも、ひどくわかりやすく響くものだった。

…わたしにとって非常に重要な出会いがあった。春先のことだ。そのひとと親しくになるにつれ、わたしの喜びは増えつつある。

そのひと、そのあたらしい友人とのある会話がきっかけで、わたしは、先の満月の夜からぶっとおし3日間、「ビートルズ」ばかり聴きまくっている。わたしのいつぞやの誕生日に、ある友だち―かのじょとの出会いもまたわたしにとって非常に重要だった、もう10年も前のこと―が、プレゼントしてくれた「ホワイトアルバム」を。

ビートルズを、というよりは、音楽そのものを、これだけ真剣に聴きこんだのは、もしかして初めてかもしれない。自信がなかったのだ、わたしは自分には音楽なんて、それ自体としては分かる筈がない、と思っていた。音楽を鑑賞する際にふるうべき知性が、自分には決定的に欠けていると。

知性なんておまけ扱いでいい。肝心なのは、そうまでしてでも聴きたくなる魅力を今自分が感じつつあることだと思うから…

あなたの影響かわたしはいつになくビートルズに夢中よ、と伝えるとそう応える。そのようにしてあなたは、あなたの豊かな世界を育んできたのね、と思ったが本人には伝えない。

集中力はどうしたって夜のほうが冴えるから、ものを読んだり書いたりは、真夜中から夜明けにかけてするようにしている。そういう生活がゆるされる限り、うしろめたさをおぼえるのはやめて、存分にしてやろうと覚悟を決めたのだ。いつも空が明るくなってからねむる。


ところが今朝は、空があかるんでから何時間も経つのに、眼が冴えたままだ。無理に寝ようとしたけど、つまらないのでやめた。頬杖を付きながら、母がヨーコのわるくちを云ったときに、かあっとしたときのことをぼんやりと思い出していた。

「ホワイトアルバム」に収録されている「バンガロウビル」という曲で、ヨーコさんは短いながらもリード・ボーカルをとっている。
ヨーコさんの、そういうのが無神経なのだと怒ったひとがたくさんいたそうだ。ビートルズのレコーディングに、三秒弱とはいえど、リード・ボーカルとして参加しちゃうだなんて、と。どうして、そこは、遠慮しないんだ、と。

ジョンが銃弾に倒れた年の春に生まれたわたしは、ジョンとヨーコのことはおろか、ビートルズのことも、みーんなあとから知った。

だから「バンガロウビル」をうたうヨーコさんの、ちょっと金切り声めいた神経質な感じの声が不思議なこの歌の不思議な感じにとっても似合ってるような気がするし(なんだか、あがた森魚っぽいし)、この曲はもともとこういうものなんだとはじめから疑わずに楽しむことができる。

でもそんなわたしも、この数日間、「ホワイトアルバム」をずっと聴いていたら、順を追ってビートルズを愛した多くのひとたちが、これを、ヨーコさんや、眼に見えてヨーコさんにめろめろになっていくジョンのことを、心底いやがった気持ちがわかるような気がしてきたのだ。

自分たちを「退屈」から救ったビートルズの音楽は自分たちにとっての神様のようなもので、その「神様」の作り手の一人であったジョンが、自分たちの大事な「神様」を取るに足らないものだと言い出し、それよりももっと大事なことがあると言い出し、その大事なこととは、ただ、自分自身であろうとすること、であるのだと言い出し始めたのだから。そしてジョンにそのことの大切さを感じさせたのは、まぎれもなくオノ・ヨーコだった。

空の美しさにかなうアートなんてあるのだろうか。

ヨーコさんの言葉だ。

「私はいつも自分がアーティストが最初と考えてきましたから、いい母ではないと心配しました。罪の意識がありました。どうしたらいい母になれるかと、いい母とは何だろうと。
しかし、私は自分自身以外になれないと決めてから、大変な驚きがありました。ショーン(ジョンとの子)も、私が自分自身であることが気に入っているのです。とっても大きな発見で、私たちは仲良くやっています。」

私はただ私でありたいと思って暮らしているだけだ、とヨーコさんは言う。「その私であるということが、そんなに怒りをうけるのだったら、人間社会はこわい、と思う」、と。

「何か」になろうとするのは、エネルギーがいる。たゆまない意志と、情熱とがいる。だが、意志は固すぎても、情熱が溢れすぎてても、ただくるしいだけで、それは、「何」になる手伝いにもならないどころか、足手まどいになっているような気になることもある。


でも…「何か」になろうとしているというよりもみんな、ほんとうはただ、自分に、ただ自分自身に、なろうとしているだけなのではないか。

みんな、突き詰めれば、「それ」にしかなれないのだし…きっと。

さて。
恥ずかしながらも、25にもなってわたしは、これまでにそれこそ数え切れないぐらいの大勢の人間たちが愛して愛して愛さずにはいられなかったものに、夢中になりつつある。とても楽しい。とても嬉しい。



9月19日 月曜日

夭折が美しいだなんて嘘っぱちだ。

李良枝にも、中上健次にも、もっと永生きして欲しかった。
ジャニスジョップリンも。

「燃え尽きるより、老兵のように消え去るほうがいい。死んだシド・ヴィシャスとか死んだジェームス・ディーンとかをあがめたてまつるっていうのが、ぼくにはわからないね。ぼくは生き抜いているひとたちを大いに尊敬する。ぼくは生きているものと健康なものをとるね」
ジョンレノンのことばだ。

わたしは、この国でジョンレノンを神格化し崇拝する、現代の“反戦”運動家たちをときどきとても不気味に思う。空疎な言葉で飾り立てた歌を歌って悦に浸ってる。「世界の貧しさがほっとけないんだって?」

老兵は老兵でも武勇伝を語ることで気を引こうだなんてしては駄目よ。それよりももっと。今ここにあることを愉しもうと全身で示している。そういうひとの皴のうちにこそモノガタリは宿っている。

…つまりは、わたしだって、生きているものと健康なものとを信じたい。



9月18日 日曜日の出来事。

秋刀魚が旬だからと閉店間際のスーパーで安くなった脂ののったそれを購入。友だちが腕を振るってくれるという。わたしは手持ち無沙汰。白と水色のストライプが爽やかで座り心地のとってもよいクッションのうえであぐらをかく。早くも大根をおろしはじめた友だちに、手伝おっか、なんて一応声をかけてみるけれど、予想どおり、いいから座ってて好きな歌でも聴きながらくつろいでて、と甘やかされる。あらまあこれじゃあお客様というよりはお姫様みたいな扱われ方だわとほくそ笑む。

硬くなっちゃったかな、と云うけれど、ほかほかのご飯を一口頬ばった途端、天にも昇るような夢心地。秋刀魚のお味は云うまでもなく極上でした。大根と葱を切り刻んだ味噌汁も美味。

ごはん粒飛ばす勢いで熱くなって語るは、“よのなかのわるくち”。云いたいことなら山ほどあるわ。云える機会は限られる。だから云えるときにこそ云わずにはいられない。しかしお料理ひとつしないでエラそうにくっちゃべっている自分って何様なのかしらね。われに返ると恥ずかしい。

お皿を洗うのぐらいはしましょうかと切り出せば、あなたがやるとオママゴトみたいで危なっかしい、と一度は断られるがそれでもやろうとしたら、どうしちゃったの、だなんて感心されてしまう。わたしだって一応はしたいのよ花嫁修業。大好きなひとの喜ぶ顔が大好きなのよ。

明日は遠出して中秋の名月を見にゆくから今宵は早寝をしましょうだなんて無理な相談ね。布団にもぐりこんだってお喋りは尽きないものなのよ。…でも“よのなかのわるくち”はもうおしまい。眠る前に口にするのは素敵なことだけだと決めている。なんだかとても幸せね。

ファウスト博士が羨むことでしょう。



9月16日 金曜日

いつか日記を書かなくなる日がくるのだとしたら、それはわたしにも小説を書くことができるようになったときだ。今のわたしにとっての日記を書くことと同じような効果が小説を書くことで得られるようになったときだ。

でもそれはまだ先のこと…距離は少しずつ縮まっている、といい。


昨夜は月の夜道をそぞろ歩き。
隣で肩を並べていてくれる。十五以来の友だちは、きれいな黒髪をひっつめて後ろにひとつ束ねてる。

わたしもあなたも十年たったら三十五歳。おんなも盛りの頃ね。
わたしは、十五や二十五のわたしが羨むような三十五歳になるだろう。


でもそれはまだ先のこと。

刻一刻ながれゆくときに身をゆだねつつ、十五のときにも思ったように思う。
美しいひとになりたいものです。


9月13日 火曜日

聞くところによれば、ある大国の小学校でつかう社会科の教科書には、「ご先祖様はどの国から来ましたか? ひいお祖父さんとひいお祖母さんは外国語を話していましたか。クラスのみんなの中で異なる民族的背景がいくつありますか。」と書いてあるそうだ。

もともとそこにいた人間たちを追いやったり、別の大陸で暮らしていた人間を自分たちの奴隷とするために無理やり船に乗せて連れてきたり、四百年かけてあたらしい国家を築き上げたかれらは、かれらの国の民、いわゆる「国民」を創出するのに、「血」を根拠にするのが難しかったそうで…。
かの大国の空気を吸ったこともないわたしに何が言えるかというのではないけれど。それにしても「ご先祖様はどの国から来ましたか?」って。

日本では考えられないことだ。日本人のご先祖様は日本にいたに決まっているから。日本人のひいお祖父さんとひいお祖母さんは日本語を話していたに決まっているから。

二十年以上もこの国の空気を吸って生きているのだからさっさと馴染めばよいものの、いつも、あいするか、にくむか、のどっちかに偏ろうとしてしまう。シーソーゲームじゃあるまいし。もっとうまくやれたらいいのにね。やれるように…なりたいね。



9月12日 月曜日

かあっとなると、腕力が欲しいと思う。

握り締めたり、叩き割ることはできても、ビール瓶はわたしの右手ではないから。

でもわたしのような、かあっとなりやすく、なったらなったで、あとで激しく沈み込む…厄介な性質の人間に、腕力なんてものが半端に備わっていたりしたら、かえって傷つくことが多かったかもしれない。
それで今夜も、貧弱な青白いからだを、皮肉な笑みを浮かべてさすりながら、安堵のため息をつく。
これでよかったんだわ、と、採れなかった葡萄は酸っぱいに違いないと思うような気持ちで思う。
もしもわたしが男の子だったら、こんな気分はどんな風に持て余すのだろう。


男の子どもを、自分は産まなかった。そのことで母は、父にたずねたことがあったそうだ。

あなた、わたしたちの息子を欲しかった?
父は応えた。

子どもたちが息子でなくて娘であったことをよかったと思うよ。

あの子が、息子でなくてよかった。息子だったら大きくなってしまったあとに厳しい実社会できちんと通用するかどうか男親としては不安でしょうがなかっただろうから。

父はこの娘が厳しい実社会で通用するのはむずかしいと思っているようだ。それで娘の教育には一銭も惜しまず大学院にまでやってしまった。

というわけで修士論文を書きあげ修士号の修得を目指すというのがわたしの目下の目標なのだが、どうしてだろう。自分はこの社会の落伍者なんだと思う気持ちが、ぬぐえない、とてもぬぐえない朝がある。

 


9月10日 土曜日


ろうそくの炎、ゆらり。

きいっとなって吹き消した。
綴ろうとしているモノガタリは、膨張を続ける。天井がない。底もない。四隅が見えない。

これは人生ではないのだから。

溜め息と頬杖を。つきながらわたしは、わたしを責めている。

…あるとはいえない。遣いこなせなくては、あるとはいえない。それが才能というものでしょう。
手綱をつかめ。
とめどなく溢れてきたからってあわわと溺れていては、ない、と同じだ。才能。
わたしはもうぐらぐらで。正直混乱気味で。


手綱を、つかめ。

またひとつ、夜が潰れたとしても。
またひとつ、歳をとるのならば。



9月7日 水曜日

おなかを、抱え込むようにして眠った。
つきのものが訪れたので、かえって、つきものがとれたような気分になっている。

いらなくなったものが剥がれてゆく。

それを感じているうちにからだが海になった。
荒れると怖ろしい海。だが今は穏やか。求める者があるのなら最上の愛撫で応じたい。

かつて好きだった人の影が、波打ち際に浮かんだり消えたりしている。

「わたしがあなたを思うように、あなたもわたしを思ってほしい。」
『天井桟敷の人々』で、パントマイム役者のバティストが、美しき女芸人ギャランスに向かって云った台詞だ。


ただする(・・)のは、愛ではない。とてつもなく残酷な仕打ちなのだと。

そのうちに今あるものへのいとおしさが胸にこみあげてきて、海などではなくてただの人であるわたしは眠りながら笑っていたそうだ。

感傷的になっている。


 

9月6日 火曜日

どうしてだかやけに耳がきくような気がする。

雨が、からだの外ではなく内で降っているような気がする。

 

窓の向こうの、雲を敷き詰め地上に雨を注いでいる空を見あげると、白々とまぶしかった。
いつもなら、桃色にほの近い橙色の明かりの差す頃だ。
雨の日の夜明けは、そっけない。

すこしねむることにした。


夕方になる頃、友だちが図書館まで迎えに来てくれた。
すこし歩くことにした。

―道ばたに、舟が浮かんでしまうほどの大雨だったんだって?
まさか。わたしは明け方に聞いた雨の音を思い出す。

でも。霧雨のような夢を…見ていたので。わからないわ。



9月5日 月曜日

余所から他国に移り住むためには、色々な手続きが要る。

わたしはうんと幼かったのでそういった手続きはみんな両親に任せきりで、気が付くと、自分が余所から来ている身であるということは、両親を見つめることでしか、思い出せなくなった。…思い出そうとしていないのに思い出させられる、と。そういうときだってあったけど。


先日、韓国の現代女性作家の小説を日本語訳で読んでいたら、「家主一家はよその国へ移民していった」という箇所にぶつかった。
わたしはなんとなく、その一家の引越し先が日本のような気がして、ふいに思うのだ。日本に「移民」っているのだろうか。そういえば、日本では、この国の住民ではあっても、国民ではない人々のことを、「移民」と言ったりはしないのだろうか。

「日本語で、移民、というとき、それは、日本に入ってきた人たちというよりは、日本を出て行った人たちのことを指すときが多いからではないですか。」

あるひとがそのように説明してくれた。

そうだ。入ってくる人もあれば、出てゆく人もあるのだ。捨てる人もあれば、しがみつく人もある。捨てたくてたまらないのに身動きのとれない人や、それといった理由もなくただ生まれた土地にい続ける人もいる。
生まれた土地の外に別世界があることを知らないまま年老いて死んでいったり(そういったひとたちが豊か(・・)()ない(・・)と断言できる根拠はどこにもない)、あるいは年老いることすらできず、さあっと刷くように、この世を駆け抜けてしまう者もいる。

自分はどこの国にも属さない、と宣言するのには、自分がどこの国の人間にもなれるという自信がなくてはならない。少なくとも、ふたつ…できれば三つ以上の国で、暮らしてゆけるという実力(・・)に裏付けられた自信がなくては。
…それに、国を出たり入ったりというのを、自分の意思でできる。それ自体が、ある意味、非常に特権的なのだということを…地球上には、旅券を持たず、冷蔵庫と電話のある生活を持たず、飛行機に一度も乗ることのない、多数の人々がいる(しかし、そのひとたちが豊かでないと断言できる根拠は、やはりない)。

この国にいるしか仕方がないからではなく、この国にいたいから、いる。そうしようと思えばどこでだって生きていけるからね。だけどここにいる。だって、ここにいたいと思うから。

誰かがが、わたしにそう言ってくれないだろうかと思う。わたしは、その人をまず疑うだろう。ほんとうらしいと感じれば、苛立ちながらも、けっきょくは憧れるだろう。そして焦る。そんな人と出会ったら、羨望という感情を成り立たせるすべての感情を、順番に味わうだろう。



9月2日 金曜日

真夜中にお饅頭をぱくっとつまみ喰いしたからかしら、眼が覚めたとき、頬がいつもよりも膨れあがっているような気がする。こういうときには耳と首のあいだを指の腹で適度に刺激してやるといいと人が言うのをどこかで聞いたことがあるからやってみた。効果のあるようなないような。

夕方頃、それはものもらいなんじゃないの、と指摘され、これはものもらいなんだわ、と自覚した。頬とはいっても、とくに瞼のすぐしたあたりがパンパンになっていた。「触っちゃだめよ、おねえちゃん」。姉のような口調で姉に向かって言う妹。

親切な家族がわたしのために、ものもらい用の目薬と、眼帯を用意してくれた。

眼帯をつけるほどではない。だけど眼帯って…あえてつけてみたくなるような、ロマンティックなアイテムに思えるのは何故かしら? 
こんな思いにふけっているだなんて知られたらどこからか叱られてしまうかもしれない。でもどこから?

何はともあれわたしは能天気で、お饅頭をつまもうかどうしようかだなんてことを家族の寝静まる中真剣に悩んでいる。

 



9月1日 木曜日

虎は、自分が虎であることを公言しない。虎は、…飛びかかるだけだ。

わたしは愛されてるから、と、しきりに繰り返していた女の子があまり幸福そうに見えなかったのは、わたしが特に皮肉なものの見方をしているからでは決してないと思う。しかも彼女は云ったのだ。
―だからわたしは死ねないの。自分ひとりのものなら自分の命なんていつでも投げ出してみせるわ。それで世界(・・)がすこしはよくなるのなら。でもわたしは死ねない。だってわたしは愛されているから。だから…、

誰か―親や、あるいは恋人、あなたを愛する友人たちが悲しむから? だから死ねないと?

その場にかしこまって座っているわたしは、心のなかで毒づく。
いずれにしろ、自殺願望を人前にちらつかせるひとは、むかしから好きになれない。“だったら、死ねば?” そう云ってやってもいいと思っている。それでわたしの目の前で、そのひとが自分の喉元をかっ切ったとしても、別にかまわないと思っている。

虎が虎なら、虎であると言いふらさなくとも、ただ飛びかかればいいのだから。牙は見せるものではない、見えてしまうものなのだ。


祖先、とはいってもせいぜい三、四代さかのぼったぐらいの話だが、祖先に日本人の血が一滴も混じっていないわたしが、自分を日本人なのだと名乗る。
初めてそれをしたとき、奇妙な緊張感と高揚感があった。

何故かいけないことをしているような気になった。
血や国籍が、根拠となるのなら、わたしは日本人ではない。

しかしわたしは、日本で育ち日本語を母語としている自分が、日本人の血など流れてないし、日本国籍だってないが、同世代の日本人とほぼ同様の文化を共有しているので、つまりいわゆる普通の日本人とほとんど大差ないことを知っている。

わたしは日本人、としきりに繰り返すことは、わたしが日本人であることからだんだん遠ざかることでもあるのだ、と。

だから何だというのだろう。
遠ざかろうが、近づこうが、そうであろうがなかろうが、わたしがわたしであることに何ら変わりはない筈なのに?

飛びかかりたいときに、飛びかかってしまえばいいのだ。

何を躊躇っているのだろう。

 

牙なら、…。