ON日記
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7月28日 土曜日
――あやまりなさい。選挙権のある、日本人の男の代表としてわたしに謝るのよ。
( おとこの台詞 )
――ちゃんと?
ちゃんと、だなんて、まるで義務だわ。あなた、選挙権、というのは権利なのよ。
権利がある、ということを、今すぐにさあ、噛み締めなさい。
( おとこの台詞 )
――想像しなさい。
この国で日本人ではないということを。
と、命令形で愛する男にいってのける女がいる。
馬鹿ね。
するのなら、命令よりも、誘惑のほうがずっといいのに。なじられたときよりも、そそられたときのほうがひとは動くのよ。
それに、するのだって、そっちのほうが愉しいじゃない。
All about
me;
いつからか選挙の日が近づくと、神経というか情緒というか、何かが少々愉快な感じになってくる。
最後のお願いに参りましたと、さすがにどこの街頭演説も車での演説も、きのうきょうあたりは、とりわけ熱がこもっている。
それらに脇目も振らずに歩くわたしは、見るひとが見ていれば、政治に関心のない不届き者そのものなのだろう。
ケシカラン、と眉もひそめるのだろう。
冗談じゃないわ。むちゃくちゃ関心があります。
ないのは選挙権です。
でも、ないのが選挙権だから、政治に関心があるんだろうなとも思うのです。
選挙権があったらあったで多分、政治に関心なんかなかったかもしれません。
だからまあ、複雑な気持ちです。
最近知ったのですが、日本の外国人登録者数は2006年末現在で、208万4919人なのだそうです。
そしてそれは日本の総人口の約1.63%なのだという。
「すくなっ!」
って思ったのです、わたしはそれを聞いて。だって、グローバル化だとかなんとかってニッポンにも外人がぐんぐん増えているっていう雰囲気じゃないですか。増えていて、総人口の約1.63%。もちろん、短期滞在の観光客だとかを加えればもっと多いのかもしれない。このくにで、根を下ろして、つまり、外国人としてキチンと(面倒くさい手続きを踏んで)登録して、生活を営んでいる人間の比率って、ああ、たったそんなもんなのか、と。フハアッとへんな気が抜けて、それ以来わたしは、へんにあかるくなった(自称)。
選挙の日が近づいたある日、私は新宿の某大型書店の語学書の棚と棚のあいだにうずくまるようにして、さすがは大型書店、居並んだ本という本の背表紙の文字を、次から次へと目で追っていた。心の指でなぞっていた。暇を潰していた。
そのうち、一冊のペーパーブックが目にとまった。その棚にたった一冊まぎれこんでいたペーパーブックの題名は、『Beginner's
Chinese (Teach Yourself: Beginner's)』。
これはいい、と思った。これがあれば、英語と中国語を一気にさらえる、と。そう思って昂奮した。わたしは未だに、語学を学ぶということへの夢をもっている。語学力の無さからくる溢れんばかりの思いである。これさえあれば数ヵ月後にはもっと素敵な自分になれるんじゃないかしらと数ヶ月前にも思ったことを思いつつペーパーブックをぱらぱらめくっていたら、急に、英語を第一言語とする人たちで中国語を初めから丁寧に習いたいと思う人たちの為に書かれたというその本を、自分が手にとっている不思議に思い当たった。この本の作者はわたしのような読者を想定していただろうか、と。日本の、新宿の本屋の棚に並んでいたのだから、英語を復習しながら中国語も初めてみようかと考える日本人が、私と同じような心積もりでこのペーパーブックに目をつける可能性ならある。でも……。
一年前、日本文学のゼミで顔見知りになった中国大陸出身の留学生の女の子と台湾出身の女の子と喋った。会話は日本語で行われた。わたしの貧相な中国語なんかでは、とてもとてもとてもとても、彼女たちの日本語に及ばない。ましてや、彼女たちはいまや日本人が読まないような日本文学の数々を原文(日本語)で読みこなす訓練を積んでいるのである。
「……じゃあ、ご両親はどちらも台湾の人で、温さん本人は幼少の頃から日本で育ったんですね」
「ええ、まあ。まあ、そうですね(何故か照れる)。」
「国籍は? 帰化はなさってるんですか?」
「いやあ、国籍は、まあ、台湾というか、いちおう、中華民国なんですけどね、まあ日本は、というか、世界中の大概の国は、中華民国なんて国を、正式な国って認めてるわけではない、という事情もありまして、そうですねえ、たとえば日本で発行された免許証の国籍の欄には、中国、って書かれてますね、アハハ……(何故か笑う)。」
女の子たちはとても仲良くて、そしてわたしに対して、とても好意的だった。わたしにつられて笑い顔になった彼女たちの、大陸出身の方の子が、とってもユニークですね、というので、わたしはまた、えへらへらと笑うのである。
その国籍所持者=その国の人間、と結びつけるのには抵抗があるが、仮に、国籍を根拠に自分がなに人なのか規定しようとすれば、わたしは一応、台湾人、ということになる。つまりわたしは、 「中華民国」という国籍を所持している「台湾人」だというのに、成年してから七年の月日が流れた今も、小学校低学年児童が喋るような中国語を喋るのである。「中華民国所持者」及び、台湾人台無しである。だがしかし、華僑、と呼ばれる中国本土から海外に移住した中国人および中国人の子孫で、中国語がまったくできない中国人(一応ね)だって、いるにはいるのだ。華僑は全世界に散在するというのだが、その殆どが英語を難なく話せるときく。英語こそが普遍的な言語、とするのには抵抗はあるが、現代において英語に不自由がないということはやっぱり便利なことなのである。苦心して習い覚えたのではない、あたかも母語の如く自然と身につけた英語は、非常に便利なのである。何故ならば、少なくとも英語圏、英語の通じる国になら、ひょいと渡ることができる(おカネもあればだけど)。移動するために、言葉を身につける必要がない。言葉が身についているから、移動ができるのだ(おカネがあればだけど)。中国語の代わりに英語を母語のように身につけた華僑たちが、わたしにはとても軽やかにみえる。
中国人、台湾人、海外在住中国人(華僑)、本人としては呼び方は何でもいいんだけど、ニッポンで教育を受けたわたしは、英語にからっきし自信がないのです(暗にニッポンの英語教育に責任をなすりつけている)。中国語が小学生低学年児童並みならば、英語は未就学児童(要するに幼稚園児及び保育園児)並みなのである。その代わりといっては何ですが、日本語なら、自在に聞いて話すことができます。もちろん、基本的な読み書きにも不自由はありません。将来の夢(の一つ)は、日系ハワイ人の少女と在日華僑の少女がトーキョーかどっか(曖昧)で出会って思春期特有の危うく脆い恋に似た友情を育むモノガタリ(など)の小説を、日本語で、書くこと。題名も決めてある。『JAPANESE GIRL』(矢野顕子から頂戴します、というかそのまんま)。
『Beginner's
Chinese (Teach Yourself: Beginner's)』は、けっきょく、買わなかった。買わなかったけど、第一課の、アメリカから来ているという男性(おそらく若い人)が電車で乗り合わせた北京の婦人と中国語で会話している場面を覚えている。アメリカの青年は、漢字を一千字程度読めるようになったが、書けるのはせいぜい500字ぐらいだそうだ。北京の婦人が「わたしはひとつも外国語ができないわ」と感心していた(わたしだって感心する)。そんな白人(雑駁であることをお許しください)と中国婦人のやりとりを簡体字とアルファベットによってわたしは理解した。したのに、今こうして思い出すときは、日本語で再現している。わたしは、JAPANESE GIRLのように、この国で育った。JAPANESE GIRLとして、ではなく、JAPANESE GIRLのように。
98.37%のほうではなかった、1.63%。
『Beginner's Chinese (Teach Yourself: Beginner's)』を棚に戻したあと、黒髪で凛としたまなざしの女の子の顔写真が目に入った。『TIME』の表紙だった。すぐ横の柱の壁に日本語で「特集・政治に関心のない中国の若者」とある。中国、政治、若者、という単語が結びついて、思わず、紅衛兵★が浮かんできた。自分たちよりもうんと年上の教師だとか作家だとかいった人たちを「悪しき伝統」の象徴として敵視し、闘った若者たち。彼らは政治に物凄く関心のある若者だったのではないか。若者が政治に関心がないということをケシカランという大人は多いが、語弊を恐れずに言い切ってしまえば、政治に関心のない若者が多ければ多いほど、その国はそれだけ、安定している、ということにもなるのではないか。複雑な気持ちなのです。
明日は選挙である。
参考:
外国人登録者数の内訳:
韓国・朝鮮59万8219人、中国56万741人、ブラジル31万2979人、フィリピン19万3488人、ペルー5万8721人、アメリカ5万1321人
華僑:
基本的には、中国本土から海外に移住した中国人およびその子孫のこと。中国籍を保持したままの者を華僑、移住先の国籍を取得した者を華人と呼んで区別することもある。
7月25日 水曜日
もらい子の母親は自分がもらいたい子をもらってくる。普通の母親はその気もないのに妊娠してしまって、堕せなかったから生んだという子もたくさんいる。それに産みの母親の場合は本当に子供が欲しかったのかどうか分からないだけでなく、娘がほしかったかどうかも分からない。息子が欲しかったけれど娘が生まれてしまっただけかもしれない。だから、継母の愛情の方が確実なのだと思う。
(「旅をする裸の眼」多和田葉子)
「わたしの母が、継父を殴っているのを見ていた。東の空に橙色の穴がぼうっとあいているなと思えばそれは月で、わたしの母が継父を甲斐性なしと罵るのとちょうど同じ時刻、わたしの父はといえば先月生まれたばかりの幼い妹をあやしながらうつらうつらしていた。妹の母親はわたしの父のことなど好きではないという。父の子であるわたしの妹を孕んだのも産んだのも乳を含ませるのもみな、妹の母親がわたしの母を尊敬しているからだという。妹の乳くささに頬ずりをしながらわたしは、おかあさん、と母たちを呼ぶ。おかあさん、と母たちを思う。
右に父、左には継父を従えたわたしの母が、胸と腰と尻をおおきく揺さぶらせながら笑っている。父と継父は幼友達だった。兄弟同然で育った仲だった。妹の母親が笑いながら継父のそばに立つ。妹の母親の爪先は空とおなじ橙色に染められている。母のは金色だった。
相棒、と継父が手招く。
継父はわたしを相棒と呼ぶ。
遠い昔に焼きあがった家族写真を下宿の壁に貼り付けようとしていたら、橙色の唄が聴こえてきそうで、久しぶりに裸足になってみたくなるのだ。」
夜からの手紙は必ず宛先に届く。
7月14日 土曜日
…「あなた」とは生成しつづける白い未生の時間の媒介者であり、彼女を言葉の世界へみちびきつづける「空白」の魅惑そのものなのである…
(新井豊美)
赤ん坊を捻りだすときには、股と股とのあいだからヒトのかたちをした生き物が出てくるというのを全身で堪能しよう。それが楽しみなのである。ヒトとしてこの世に捻り出されてから何年かたつと、自分も赤ん坊を捻り出す可能性を秘めているのだと知った。それからずっと楽しみなのである。
「 」は十九になる。
妊婦になるのが夢だった。
「 」の顔は麦藁帽子で半分隠れていた。
(妊婦さんをみかけると、嫉妬できがくるいそうになる。)
麦藁帽子は「 」の頭よりもひと廻りおおきい。
赤いものが滴っていた。この月もまた、低容量経口避妊薬を呑もうかどうかなやんで、なやんで、なやんでけっきょく、呑むのは逃げだと「 」は決める。おとこが好き、というのではない。あれをするのが好き、というのでもない。楽しみなのである。
「 」?
a.わたし b.おんな c.あなた d.名前(わたしの、おんなの、あなたの、あるいは任意の)
7月7日 土曜日
あしがら山の山奥で
けだもの集めて 相撲の稽古
ハッケヨイヨイ ノコッタ
ハッケヨイヨイ ノコッタ
(金太郎のテーマ)
わたしは、
るっくあっとみー、と叫ばなくなった。
わたしが、
るっくあっとみー、と叫んでいたら、
むずかる赤ん坊と喩えられたことがあった。
そのわたしが、
いっちょまえに子守唄などを口ずさむ…
このごろ、すっかり。