ON日記10月
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10月17日水曜日
書くということは、略歴との戦いである
(リービ英雄)
外国人登録証。
自動車を運転するための免許証と同じ形の、証明書。プラスチックカード。
外国人登録とは、在留外国人の居住関係及び身分関係を明確にするために、公募に登録すること。
16歳以下の外国人は、プラスチックカードではなく、紙製の外国人登録証を持っている。16歳になると、プラスチックになる。らしい。
らしい。のは、記憶にないからだ。紙製の登録証は、15歳以下だったわたしの代わりに両親が大切に保管していたのだろう。
わたしは物心のつく以前から、このくににいた。
「上陸」以来、日本に外国人が滞在するための儀式を両親は繰り返し、1996年5月、わたしは16歳になった。
16歳になったわたしは、プラスチックカードの外国人登録証を持つようになった。
聞くところによれば、外国人登録法は1999年8月に改正され、そのとき、それまで登録者に義務付けられていた指紋押捺が廃止されたのだそうだ。
1996年に16歳だった私は、すると、一度きりとはいえど、一度だけ、外国人登録の為に指紋を押捺した経験がある。ということになる。ところが。記憶にない。まったくない。
連日、小説を書こうとしてパソコンの画面に向かうのだが、連日、躓いている。書きたいと思うことはたくさんあるはずなのに、そして、部屋は暖かいはずなのに、指が動かない。目が廻る。頭が廻る。胸の中で渦巻く。
プラスチックカードの外国人登録証を持つようになる一年前から、わたしは、「小説家」を夢見ていた。文章を書くことが人よりもほんの少し上手な少女の、ほのぼのとした夢だった。その頃からわたしはひとときだって小説のことを思わなかったことはなかった。
そして、あるときを境に、自分には書くことがあると自覚するようになった。その頃からだ。小説は、ほのぼのとした夢ではなくなった。
きょうも、パソコンを立ち上げる。小説を書こうとする。躓く。指がもつれる。舌ならもつれない。否、舌ならもつれても、おハナシは続くのに。目が乾く。ハナシながら涙目になることさえあるのに。書こうとすると、言葉も、水気も、とどこおる。
とうとう、やってらんないよ、と吐き捨ててわたしは取り組むのを放棄する。目が炎症をおこして、白目の部分が赤赤と燃えている。からだの中の血が、流れるべきところでうまく流れず、流れないところで流れすぎているのであれば、とりあえず、呼吸を整えるしかない。
呼吸をするように、という比喩は残酷だ。呼吸をするように、出来れば、何かに憑かれたように、わたしは小説を書きたいと思う。
吐くときに吐き吸うときに吸うという、当たり前のリズムも、いったん乱れたら、当たり前でなくなる。吐くべきときを意識し、吸うべきときを意識し、逆にやっているような気がしてくる。だけど、バカらしい。吸うのと吐くのに、逆もなにもあるものか。交代にすればいいだけなのに。
小説を書くにふさわしい動機があれば、自動的に小説が書けると思ったら、大間違いだ。小説を書こうとするのであれば、動機が大きければ大きいほど、気を遣わなくてはならない。
たとえば私が、将来、政治家か運動家か革命家か犯罪者かのいずれかになったとしたら、おそらく人々は政治家か運動家か革命家か犯罪者であるわたしという人間の経歴を、生い立ちを、詳らかに観察しようとするだろう。そこから、政治家か活動家か革命家か犯罪者にふさわしい要素を、根拠を、見出そうとするだろう。そのとき、そうなってしまった理由が、他人の目から見て分かりやすければ分かりやすいほど、小説家を目指そうとするのなら、気を遣わなくてはならない。と思う。
わたしは、その気の遣い方を、知らない。イチから学んでいる。今。そう、たった今。
10月10日水曜日
言葉に棲むドラゴン、その逆鱗にふれたくて
(多和田葉子)
(あたしは、龍の子孫なのよ。)
と囁いた。おかげさまで「彼女」の思春期は毎年延長される。(ニッポンで飼い馴らされた。出来損ないでも、龍は龍よ。)
10月10日。辛亥革命を記念するパレードが行われた。
(あたしのパスポートには、架空のくにの名が刻んである。)
自分が育ったかもしれない島での出来事。それについて、わたしは、ニッポン人程度の、関心しかないのに。
こんな夜は、「彼女」が暴れまわっていて、わたしを眠らせない。トカゲみたいに小さくても、龍は龍だ。
10月7日日曜日
産まれた子供に名前をつける時の親は、多かれ少なかれ詩人である。この世界に新しく登場した事実を最初に言葉で呼ぶ人間は詩人である。
(《名前》富岡多恵子)
私に、「又柔」と名付けたのは父だが、この父もまたその瞬間、「詩人」だった。苗字である「温」の字と、「又柔」の「柔」の字は呼応し、「温柔」という意味を表現する。「温柔」とは、中国語で「おとなしい、やさしい」を意味する熟語である。日本の広辞苑にも、「おだやかですなおなこと」という意味で載っている。
産まれた赤ん坊を前にして「詩人」の才能を発揮した父は、苗字と照らし合わせたうえでこれ以上はない、という名前を考えついたのである。それにしても、この素晴らしい名前を背負わされた娘が、仰々しい名前の割には乏しい奴だ、と嘲笑われる可能性を黙殺した父の、並々ならぬ親馬鹿っぷりが、またまた、「凡人」らしいと思うのである。父の、私や妹に対する溺愛っぷりは、「娘至上主義」の父親の典型なのだ。ときには、父の娘ではなく、妻である母が冗談半分に嫉妬するぐらいなのだ。
《当世凡人伝》という題に強く心惹かれ、富岡多恵子の短篇集を図書館で借りてきて読んでいる。《名前》も、収められた短篇のうちの一つだ。「なんの変哲もないありふれた人生。独特の語り口であるがままに描き出し、したたかに生きる平凡な人々の日常に滲む哀しみを、鮮やかに浮き彫りにする」と、《当世凡人伝》の背表紙には書いてある。ひとつ、またひとつと短篇を読み継ぎながら、小説を読む悦びをタンマリと味わっている。この悦びは凡人にしか分からない。