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11月20日 火曜日

 

……この私、という一個の身体に歴史を与え、今の、今の只中に、全存在を刻みつける。
(李良枝 『刻』より)

 

感情移入も、度が過ぎると毒だ。涙を流しておかないと、飽和状態。イ、ヤンジ、と呟いてみる。それだけで、毒だ。

イ、ヤンジ、という名前を初めて耳にしたとき、よく聞き取れなかった。ノートの切れ端に、イアンジ、と走り書きした。


私は、たった一冊だけの、李良枝の、彼女の、全集を、抱えて、旅に、

旅に、出る。
夢を、

見たような気がする、五月。

五月は、たった三十七年しか、生きなかった彼女の、祥月。

彼女の、
たった一冊からなる分厚い全集の、

頁を捲るたびに、

(いい加減に生きるのはいけないなぁ……)
と、
思う。

 


11月8日 木曜日

 

彼らは日本人だった。だが(・・)やはり、タダ(・・)()日本人(・・・)はないにちがいなかった。タダ(・・)()日本人(・・・)でない日本人を、日本人が何と呼んだらいいのだろうか。

(武田泰淳 『森と湖のまつり』より)

 

 「自分で選んだわけではないのだから、国籍だとか民族だとかいったものに束縛されることはない……なんて、きっぷのいいことを誇らしげに語るそのお口ときたら。

自分で選んだわけもない国籍だとか民族だとかいったものを我の全てと感じる人たち、を、あなたたちは軽蔑する。

自分が選んだわけでもない国籍や民族からは自由であるべきだと考えているあなたたちは、自分が選んだわけでもない国籍や民族を己の根拠と考える人々、を、憎む。

あなたたち、あなたたち。
あなたたちは、あたしたちみたいなのが、とても好き。
あたしたちみたいな、の、が。

そうよ、あたしたちの中には、あなたたちに祭り上げられるのを快くって仕方がない、というのもいるわ。手と手をとり合って、舞い、踊る。
酔い痴れてる。

あたしは、目が醒めてしまった。もうおしまい。

あなたたちを、誘惑するのがたのしくない。もうおしまい。

頬をぶたれた、口の中を切った、血がすこし出た、あたしの声はしゃがれてしまった。

あなたたちを喜ばせる歌を、うたわなくなったあたしを、うたえなくなった、という眼で、あなたたちは見る。

あたしは、教えてあげる。

あなたたちが、大切にしてくれるほどの価値など、あたしにはない。ないから。

ただ、生きてるだけ、なんだから。」

 

 朝ぼらけに夢をみた。ふうわりと吊られた。目が醒めた。夢をみていたわたしは、夢の中での「あたし」だったのか、「あなた」だったのか。判別ができぬうちに夢を見ていた体は重心をとりもどし、朝の中にまじっていた微かな夜は遠ざかる。