ON日記12月
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12月22日 土曜日
他者のことばたちがわたしのからだで振動する。その振動を測る、わたしの耳のちいさな骨の痛み。骨の音(わたしの東洋の骨が鳴る)。
(ぱくきょんみ『わたしの東洋の骨が鳴る』)
ちいちいぱっぱ。鞭を振って、ちいぱっぱ。ニッポンで生きてきたので、ニッポン語は皮膚のようにわたしをとりまいている。やわらかい皮膚に包み込まれたわたしの骨は、わたしがニッポン語を発することによって軋むことはない。あまりない。
中国語圏の土地から日本にやってきた子どもたちに初級のニッポン語を教える仕事をするようになってから一年半が経つ。
なんにんかの子どもたちが、わたしの発する舌足らずの中国語によって、あいうえお、や、アイウエオ、の読み方を知った。
皮膚をつねるように、確かめる。軋むのは、わたしの骨。子どもたちにむかって、中国語を話すときのわたしの骨。子どもたちの骨の音は、わたしには聞こえない。聞こえるだなんて嘘だ。わたしは、わたしを捜さない。子どもの瞳の中に地平線がみえる。そこに、わたしはいない。いると感じるのは嘘だ。
先生、ありがとう。先生が教えてくれたから、日本語の文字を、正しく書けるようになりました。日本語の文字の、正確な読み方がわかりました。先生、本当にありがとう。
中国語で書かれた手紙を読む。筆圧のこもった文字。突き刺さる。感謝などしなくていい。顔が歪む。涙は醜い。
「わたしのことを忘れないで。いつか必ずまた会って」。校門でクラスメイトに囲まれた彼女が中国語で叫ぶ。その場で他に中国語がわかるひとは他にいない。わたしにだけ通じる言葉で、彼女は叫ぶ。彼女のクラスメイト。彼女が、日々の生活をともにする日本人たち。中国語など、知らなくても。子どもたちは、肌でつかんでいたはずだ。彼女が、わたしにむかって叫んだ意味を、つかんだはずだ。
地平線の向こう側で、ことばとことばがぶつかりあって響きあう。目をこらす。遠い。激しくぶつかりあっているものは、遠くからながめると、優しく溶け合っているように見える。
こんな手紙をもらったの、と母親に渡す。老眼鏡をかけて母は、中国語で書かれたその手紙に目をとおす。手紙を読み終えると母は、幼い子どもにするようにわたしの頭を撫でた。(おねえちゃん、よい仕事みつけたね。よかったね。)
ニッポン語で母は言った。わたしは、めったなことでは泣くことのない母が涙ぐんでいたことに気付かないふりをして、笑った。
ニッポンで生きてきた。母の骨の軋む音を、なんどもなんども聞いたはずだ。耳をふさぎたかった。皮膚をつねる。歯をたてる。血が滲む。感謝などしなくていい。わたしのニッポン語はとても残酷だ。
12月14日 金曜日
それは、一篇の詩。
言語
おかあさん あなたの歌う歌
私にはわかります あなた知っていますか
私が何を言いたいか?
私にはわかります
翻訳でではありません
必要ではありません あなたのなめらかな 軽快な
グジュラテ語から私の英語に変え
またその逆をたどることなんか
あなたの小さなやつれた手で
あなたが私の言葉を理解出来るように
そしてこの外国語のつるを払いのけ
その下の木の皮の私を 私が理解できるように
あなたが歌う歌が私は好きです
あなたが賞賛するジャスミンの香りのように
暖かい 豊かな 栗色の香りのように
それは私の記憶の中を漂う
それはあなた 何度も私は格闘するでしょう
言葉と 言葉のイバラの中に身をからめ取られるでしょう
それは私にからみ 裂き
私があなたに近づくことを 妨害するでしょう
何度も 私はいまだわかりません
そのような面倒な 力の必要な過程なしに
なぜわたしが理解できるのか この歌を
それはきっとあなたが歌ってくれたからに違いありません
私が子どもの頃
(シャーミリ・マジャンダー/水崎野里子訳 『言語』より)
それは、一篇の詩。詩をかくことは、わたしにはとても出来ない。
――あんたのおかあちゃんはね、うんと子どもの頃、客家語を喋ることできたのよ。
祖母が、わたしにいう。日本語で。母の、父方の祖母は客家人だった。小学校にあがった母は、国語をならう。1950年代の台湾。母が学校でならってくる国語は、祖母にとっては、外国語だった。
――わたしは、幼稚園にあがるまえ、おばあちゃんと何語で話していたんだっけ?
わたしと祖母は、日本語で話す。もう、ずっと前から。わたしは日本の学校にかよった。わたしがならった国語は、母にとっての、外国語だった。わたしは、祖母と日本語で話す。祖母は、わたしと日本語で話す。
わたしが1980年代の日本でおぼえた日本語と、祖母が1930年代の台湾でおぼえたという日本語と、が、わたしと祖母を……「繋げる」。「繋がる」。「繋がってるの?」
わたしにはこのことが特別なことなのかどうかが…、わからないので、お祈りをするように、詩をかくことができない。だからわたしは、詩がすき。
12月8日 土曜日
とって返すことのかなわぬ現実の時間の中で知ってしまったのは、知らざるを得なかったのは――それは日本人の血が流れているということと日本人であるということとの間には、蜘蛛の糸よりもたよりなくはかない、いつ切れてしまっても仕方のないようなつながりしかないということであった。
だからおばあちゃん、おばあちゃんの血が流れているというだけの理由では、そこに帰りたがる――そこにあんなに帰りたがることは本当はなかったのよ。それなのに、それなのに、あたしはずっとずっと帰りたがっていたし、現に今、帰ろうとしている。せっかく約束の地まで来たというのに、約束の地をあとにして、今こうして帰ろうとしている。
( 水村美苗 『私小説 from left to right』より )
夜明け、咳をした。香の匂いが微かに残っている。神棚の夢を見た。畳に、直に横たわり、空の神棚を見上げていた。蝉の声がしてきそうな夏の気配の立ち込める夢だった。畳に寝転んだ覚えはなかった。いつのまにか横になっていた。誰かが、運んできて、置いていったのかもしれない。わたしには歯がなかった。一本も。だからなのかな。どうやって言葉を発するのか、皆目、分からない。口を、もぞもぞとうごかし、音をつくろうとする。ないので、歯には頼れない。舌は、フニャフニャと頼りない。
咳をした。白々と明るむ冬の朝に舞い戻った。
空っぽの神棚を見上げていたわたしの歯は、これから生えてくるの。それとも、すべて抜けてしまったの。どちらだったのだろう。
ねむったら、ぷつん、と途切れる。きょう、の消滅。きのう、の生成。
裂け目を、覗き込みたいと熱望する。ぷつん、と途切れる。
昨日と今日の、綴じ目。ほつれる。破ける。なだれこむ。続いている。夜明けになら、捕まえられそうな。