ON日記 きまじめversion 2月
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2月19日 火曜日
日本語しか、できない。日本語すら、できない。
……と懊悩するわたしは、この舌を引っこ抜いて、別の舌に植え替えてみたいわけでは、多分、ない。
言葉――……、
言葉という言葉、それ自体が自分のものではないような。
言葉――それ自体が、遠い。
『私』という単語を発したその瞬間に、その『私』とはあなたのことではなく、誰か他の人だと感じたことは?
なにか隠微なかたちで、自分のしゃべる文の主体が自分でないと思ってしまったことはない?
自分が語るたびに、すでに誰かが自分に代わってしゃべってくれていると感じることは?
一人称の誘惑と呪縛。
埋没する。誰かが喋る。喋る。わたしは、そうそう、うなずく。そうそう、そのとおりだ。わたしの、思っていることも感じていることも皆、そこにある。ある。ある。
「不自由と嘆いてる自由がここにある」?
そうではなくって、ね。そうではないの。ね。そうではない。ない。ない。
ロバート・J・C・ヤングの述べる、日本が現在の世界の中でユニークな点とは、
「他の帝国主義勢力と違って、いまだに以前植民地化していた領土の人々に国境を開いていない」ことである。
わたしの舌は、角張る。
祖父の苗字――母が父に嫁ぐ前の苗字――は「蔡(cai)ツァイ(tsai)」というのだが、母が私に言うのだ。
「『蔡』はありふれた苗字なのよ、おじいちゃんと、とっても仲のよかったお友だちがいてね。そのひとも、蔡さん、だった。」
母は、蔡さん、を、「さい」さん、と発音した。
「おじいちゃんは、さいさん、のままだったんだけどね。お友だちの蔡さんは、仲間内じゃ『斉藤さん』って呼ばれていたの。」
祖父は、少なくない数の日本人と交流のあった人である。
斉藤さんと呼ばれた蔡さんも、蔡さんと呼ばれた祖父も、どちらも大正の生まれ。平成まで生きた。
去年、わたしは日本東京の小学校に転入してきた台湾出身の女の子にニッポン語を教える機会に恵まれた。
彼女の大叔父は、わたしを一目見ると「先生ですか」と目を細めながら日本語で言った。
自分自身の孫の代に近い世代のわたしを、「先生」と呼ぶときの彼はどこか嬉しそうだった。
日本語を、遣う。そのこと自体が、彼には嬉しいようだった。
わたしはばつが悪かった。
曖昧に笑った。
それから訊かれた。「先生、随分とお若いですね。昭和何年生まれ?」
(昭和何年うまれ?)
わたしは、反芻した。ずっと、反芻していた。
仮に私が。
仮に私が、日本人であっても―――
わたしは、こそばゆかった。
と、思う。が、まったく同質のこそばゆさでは、決してなかったろう。
「ある文化の一員でありながらその支配的なあり方から疎外されている、つまり内部にいながらよそ者であると考えているなら、もしそうなら、ポストコロニアリズムこそは物事の違った見方を提供し、新しい語り方や闘い方を教えてくれるはず」
(……よい夢を、見た。毒を、私は放り込んで。他人の悪夢をつくった。笑いながら。でも、わたしも悪夢から逃れることはできなかった。自分で放り込んだはずの毒を、自分で舐めてしまった!……)
わたしは、闘う、のだろうか。
日本の外国人登録者数は、2005年末の時点で208万4919人。総人口に占める割合が1.63%。
事実としての、それを。それが。
――誘惑か、呪縛か。
祖父母の物語に陶酔する。「コロニアリズム」。耳を澄ます。
闘い、だなんて、怖れ多くって……本当は、ただ、愉しんでいる、だけなのかもしれない。
一人称で遊びたい。
自分自身について語ることのため以外に、それを用いることをとおして。
だからわたしは、わたしであるということの有限性に腹を括り覚悟を決める。
2月4日月曜日
作家――もちろんこの言葉は、たんに本を出す人という意味ではなく、文学という事業に取り組んでいる人を指して使っている――は活動家ではない。活動家であってはならない。解決を追求すること、そのため必然的にものごとを単純化することは、活動家の仕事だ。つねに複合的で曖昧な現実をまっとうに扱うのが作家、それもすぐれた作家の仕事である。常套的な言辞や単純化と闘うのが作家の仕事だ。
(スーザン・ソンタグ)
私は、だからこそ作家を志す。すぐれた作家と一人またひとり、書物をとおして出会うたびに。思いは募る。願わくば、自分もすぐれた作家の一人になりたい。恥ずかしいぐらい真っ直ぐと、そう思わずにはいられないのだ。
「10歳の頃から日本に住んでいます……私は中華系の外国人なので、台湾や中国の人々、他のアジアの人々が、日本のことをどう考えているのかに、とても敏感です……」
(インリン)
わたしもまた、中国語の聞こえない日本で育った中華系の外国人だ。10歳からどころか2歳からずっと。自分をほとんど日本人のようだと思っている。
中国それに韓国などといったアジアの国々が、日本国に対して、歴史の解釈に関する異議を申し立てるたび、日本人のように、緊張する。ときには、彼らの言い分に対し、日本人のように苛立ち、眉をひそめることもあるけれど、結局は、そういった異議申し立てが起こってくるということそれ自体の意味を思って、ああ、ここは日本人として身を引き締めなくては、と思う。
まいどそんな結論に辿り着くのは、わたしが、紙の上では外国人とはいえど、日本で育ったからだ。日本で、日本人のように育ったからには、歴史に対して日本人と同等の責任を負う義務があると思うからだ。
だから。
My dear Cuntry……募る一方だ。
日本に疲れた、と友だちが言う。集中豪雨みたいな日本の報道態勢に疲れました。なんだかとても疲れた。
翌週から数日間のスペイン旅行を控えた彼女は言った。
「だから日本語の聞こえないところに帰るの。」
彼女は以前、スペインに留学していた。
なんと、酷なことを。
酷なことを彼女は言うのだろう、わたしに。
彼女は、彼女自身が言うように、疲れすぎているだけ、なのだろうか?
それとも。
わたしが敏感すぎるのだろうか?
「日本に疲れた。」
その一言が、言えない。
言ったら、お終いな気がする。
「日本語の聞こえないところに、行く。」
もし言うのなら、そう言う。
そう言わないと、帰って来られない気がする。
わたしが、感じすぎるだけなのだろうか?
――国籍なんか関係ない。そんなものに縛られているのでは、国際人とはいえない。
でも、自分の国との繋がりを断ち切ることって、そんなにも簡単なのだろうか。
わたしは挑発する。
日本国籍を所持し、日本人の両親を持ち、日本で生まれ育った日本人を、挑発する。
しっかりと繋がっていると疑わずに生きてこられたからこそ、切ってしまえ、と気軽に言えるのよ。
この国と、自分は関係がないと鋏でチョン。
いつからかわたしも、鋏を、隠し持っている。
日本が、わたしのものでない限り、わたしも日本のものではない。
わたしは、どんな国籍にも、縛られていない。
でも、そんなことの、何が素晴らしいというの?
ひょっとしたら、羨ましいとでもいうの?
もしも私が、疑いようもなく日本人であったのなら。
遠慮なんかしない。
こんな国、叩き売ってやる。
鋏で、切ってやる。
そうではないから。そうではないので。
切る、切るのかしら?
痛いのかしら?
たぶん、それほど感じない。
……おかあさんから生まれたときの、へその緒を挟みで切るように、切る。皮膚のようなものを、切るのに痛さを感じないのは、痛みがない、からではない。鋏を入れられたのが、比べようもないほどの激しい痛み、に襲われた直後だから。
日本語が喉に絡みつく。