ON日記 きまじめversion 4月
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4月23日 水曜日
生きた女性が呼吸するのを妨げる偽りの女性は殺さねばなりません。完全な女性の息吹を記述すること。
(エレーヌ・シクスー)
――今まで容赦をしていれども、もはやこらゆる事がならぬ
わたしは、攻撃の手を、緩めない。わたしは、わたしを殺そうとするものに対し、闘うと決めた。
今までになく、爽快な気分よ。
なにも、殴ることだけが、闘うことではない。やっと、わかったの。
握りこぶしをひらいて。手のひらを、ひらひらと。唇から垂れるのは、唾ではありません。血です。舐めてみてください。
あなたが欲するもの。腸の匂い。わたしがあなたのために、あなたの望んだとおりに、仕上げました。どうかどうか、心ゆくまで味わい尽くしてね。
あの夜、おぞましいあの夜の、身を崩して打ち震えている娘ーーー
だれも、かれも、……!
涙で滲んで汚れた。
わたしは今、微笑しながら、あの娘に呼びかける。
あなたはできない。
あなたにはそんなことできない。あなたは、憎むことではなく、愛することに、夢中になるでしょう。
そして。
闘うでしょう。
愛することしかできない者のやり方で、自分を殺そうとする者と、闘うでしょう。
あなたは、死にかけていたのです。そう、あなたの直感は正しい。あなたが憎もうとして失敗した彼らは、あなたを、生かさない、どころか、殺そうとしていたのです、揃いもそろって彼らは、あなたを、殺そうとしていたのです。彼らは、あなたを、殺さねばならなかったのです。 そうしないと彼らは、生きる、ということに堪えられなかったのです。
しかし、それは彼らの問題だ。あなたが、死なねばならなかったわけではない。
なのに、わたしは、愛したかった。わたしを殺そうとした者に対してさえ。愛したかった、本当は。
――あんたの、内臓まで、引き摺り出してやる!
わたしの腸を欲しがった人のことですら、わたしは憎めなかった。彼女がわたしを殺そうとしていたとは、信じたくなかった。わたしは彼女を愛していた。心の底から愛していた。
でも。わたしが死ぬことはなかったのだ。
涙で滲んで汚れた。血で洗った。
わたしは決めた。闘うと決めた。
自分からは、仕掛けない。仕掛けられたときにだけ、わたしは反応する。容赦はしない。だって、わたしから初めたことではないんだもの。
生まれてからこのかた、こんなにもゆったりとした気分は初めてなの。
4月21日 月曜日
「光栄です……」
わたしの眼を見つめたテレサは小さな声でつぶやいた。彼女の人生を中国や台湾の歴史とからめて書かせてほしいと伝えたときの返答だった。そして意外なことを口にした。
「わたしのこれからの人生のテーマは中国と闘うことです」
(略)
テレサが「中国と闘う」という気持ちを率直に打ち明けたのは、おそらくこれが最初で最後のことだろう。こういう言葉が自然に出てくるまでには多くの葛藤があったはずだ。しかも自分の真情として密かに確信することと、それを他人に伝えることとは意味合いがまったく違う。「中国と闘う」――テレサがこう語ったのは、中国と台湾をめぐる現代史の「きしみ」がひとりの女性の精神形成に色濃く反映していたことを示している。
(有田芳生『私の家は山の向こう テレサ・テン十年目の真実』より)
テレサ・テンは、台湾生まれだ。彼女の父親は、共産党によって中国大陸から台湾に追われた蒋介石軍の軍人だった。
わたしの祖父母の世代の多くの台湾人は、蒋介石の国民党にたいし、好ましい感情を抱いている者は少ない。
祖父の姉の夫――わたしの大祖父が、高校1年生だった私にむかって、「シナがやってきて…」と言ったとき、わたしは、「シナ」という日本語が、何を意味するのか理解できなかった。大祖父は血気盛んなひとで、わたしの母は、囁くように教えてくれた。
「おおおじいちゃんは若い頃、7年間、牢屋にいたのよ。」
「牢屋」だなんて、聞くだけで、恐ろしい。16歳になろうとするわたしは、何も知らなかった。
そのとしの夏、母方の祖父が亡くなった。祖父や大祖父の世代の台湾の男たちが、共産党軍に追われて大陸からやってきた軍人たちにたいし、よからぬ感情を抱くな、というほうが不思議なのだ。
そのことを、わたしは誰かから聞いた、というよりもむしろ、教科書で知った。書物で知った。しかも、日本語で書かれたものをとおして。
いつか、旅ばかりしているかつての恋人を成田空港に見送りにいったときのことだ。彼が搭乗手続きをしているあいだ、手持ち無沙汰だったのでわたしは、ベンチでひとり出国しようとする人々の姿を見るともなく見ていた。あまりに、暇そうにしていたのだろう。初老の男性が、洗面所はどこかわかりますか、とたずねてきた。男性の隣には、彼の妻だと思われる婦人がいた。わたしは指で示した。「あそこですよ」。婦人が軽く頭を下げ、急ぎ足でそちらにむかう。残された男性が、お嬢さんお隣に座ってもいいですか、と尋ねる。もちろんですよ、わたしは答えた。
「お嬢さんは、これからどこへ旅行するのですか?」
わたしは、笑いながら首を振った。ただの見送りですよ、と。そして、たずね返した。どちらに行かれるんですか? 男性はこたえた。
「台湾です。」
「台湾ですか。」
「久しぶりだから、楽しみでね。」
微笑を浮かべてそう言った男性に、わたしはたずねた。「以前にも、台湾を旅行されたんですね?」 男性はうなずいた。
「むかし、何回も行ったよ。台湾ってのは、食べ物は美味しいし、気候はいいし、何より、人もよくて…」
そこまで言うと男性は、それにね、と少々間をおいてからわたしの顔を見た。
「年配の方はみんな、日本語が話せる」
わたしは、あいまいにうなずいた。男性は、優しい笑みをたたえたまま、続ける。「台湾には…」
「台湾には、昔は、羽田から行ったものだけどね」
それからちょっと笑うと、それ以上は言わなかった。婦人が戻ってきた。搭乗手続きを終えた彼も、ちょうど、戻ってきた。わたしは立ち上がって、夫婦に頭をさげた。
「台北市選挙委員会投票通知表」と印字された、桃色の紙が、今、私の手元にある。投票日、の欄に、97年03月22日、とある。97年とは、もちろん、1997年のことではない。
民国97年のことである。辛亥革命がおきて清朝が倒れ、中国最初の共和制政体として中華民国が成立したのが1912年。それから数えて、97年目。西暦に換算すると、2008年のことである。
2008年3月22日。今から約一ヶ月前。台湾で、選挙があった。そのときの、「投票通知表」である。「選挙人姓名」、すなわち、「投票者」の欄に、「温又柔」とある。わたしの、名前だ。わたしには、選挙権があった。その証拠となる紙切れ。
ただの、薄っぺらい桃色の紙切れ。
なのにわたしは、捨てられず、記念、というよりは、感傷、によってこの紙切れを、丁寧に折りたたんで手帳に挟み込んだ。感傷、というよりは、希望。覚悟。
(おじいちゃん、そして、おおおじいちゃん、ごめんなさい……)
わたしは願っていた。歴史を、忘れたわけではないわ。
歴史を知ったからこそ、わたしは……
遮二無二台湾の独立を訴えるよりも、もっとよい方法があると思うの……国を愛するということは、国を孤立させることを願うことでは決してない。
「小さな暴力から大きな戦争になっていく。わたしは暴力は大嫌い。だから、平和のためならばなんでもしなくてはと思ってるんです」
テレサは、そう語った。「闘う」。
「中国」と、「闘う」。
テレサが「闘う」といった「中国」。
鬼の首をとったように、毒の入ったギョーザ、あるいは、チベットへの弾圧、を理由に、欲求不満の絶好の捌け口として、己がどれだけ安全な位置にいるのか想像しようともしないニッポンのお嬢ちゃん・お坊ちゃんたちが、喜びを秘めながら罵っている「中国」とは、違う。
まったく違う。
闘う。
罵ることでも、排斥することでも、憎むことでも、ない。
願う。祈る。愛する。絶望に、抵抗するための希望。
闘う、とは。