ON日記 きまじめversion 5月
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5月8日 木曜日
――殴り書き。であるまま、この、文を晒すことを、どうか、お許しください。少しずつ、修正してゆきます(5・8、温又柔)
ジェスは時々必要以上に活力が漲るときがある。なぜだかわからない。ふつふつとなにかが溢れてきて、もうそんな時は、方向がそちらへ向いたら、大量殺人でもしかねない勢いがある、と自分で感じる。
(茅野裕城子)
化粧っけのない顔の女の子が、おんなじように化粧っけのないわたしの顔を、みているのに気がついた。その日の夕方、新幹線で上野に戻ったばかりのわたしは珍しくビールをあおっていて、本当ならば上機嫌で笑っていたかったけど、さきほどから、震えていた。腹の底で、よくない感情がふつふつと沸き立ち、ハチ切れそうになるのを、懸命に堪えていたのだ。
中華料理屋の、隣のテーブルから聞こえてくる会話のせいだった。
女の子は、そのテーブルにいた。女の子と一緒にいるのは、中年の女性ふたりだった。彼女たちは、真剣そうな顔つきで熱心にしゃべっていた。
せんそうってのはねどうにかなくせないものかしら、だとか、あいこくしんがあるというわかものってしんじられない、だとか、せんきょにちゃんといかないひとがおおいのはなげかわしい、だとか、にほんはあめりかのいいなりだから、だとか、ちゅうごくやかんこくにやったことをかんがえればせいいをもってこたえるべきだ、とか。にほんじんとして、はじるべきだ、にほんじんとして、しっかりれきしをまなぶべきだ、と。
――あなたは、立派よ。こういうことに、ちゃんと関心を持って。いまどきの、ほとんどの若いひとは、歴史をまったく知らない。
ビールのジョッキをテーブルに置いた音が、強すぎたせいか、同席している中年女性たちに立派であると「褒められて」いた女の子が、隣の席のわたしをちらっと見た。その眼が、顔がすっかり火照っているわたしをとらえた。顔の火照ったおんなが、自分から眼を逸らさないので、女の子は最初、訝しげにしていたが、そのうち、人ごみで身体をぶつけられて、ぶつけたほうと眼が遭ったにも関わらず、ぶつけたほうが謝らなかったときに思わずするような眼つきとなった。
女の子は、わるくない。
女の子を、生身の彼女を、責める気はない。
ただ、ただ、ただ。何かが、耐えられなくなりそうだ。耐え難い。飲み込めない。かわりに、ビールを流し込みながら。懸命に、堪えていた。そんなわたしの様子は、不穏だったのに違いない。不穏。
身体を、ぶつけたのはわたし。ぶつけられたのは彼女。わたしは、だからどうした、という眼でいる。
さあ、話し掛けるなら、今だ。
受けてたつわよ。
あなたに、その勇気はあるの?
中国では今、フランス系列の大型スーパーカルフールを襲うのが「愛国心」の表明のためのひとつの手段だと考えられている、と日本のニュース番組で見た。しかし、そのような「暴力」手段をとらず、理性によって愛国心を表明することが重要だと考える学生も、多くいるという。そういった学生たちは、街角で、赤い文字で「我愛中国(わたしは中国を愛する)」というシールを、行き交う人々に配る活動をしているのだ。
2000年、秋。わたしも、上海の繁華街で「我愛中国」のシールをもらったことがある。腕に、ぴたっと貼られた。西安で、「中華民国」の旅行券を提示したところ、現地の旅行ガイドに「こんな国ないよ」と言われる前のことだ。浦東という新開発地区の人気のない本屋で、スーツ姿の若い男性に、「きみは、日本人か?」とたずねられた。「そうです」わたしはとっさに、そう答えた。「日本から、来ました」。「孫正義を知っているか?」男は、言った。知らない、わたしは答えた(その頃、今のソフトバンクは今ほど普通の若者にも知られた名前ではなかった)。男は驚いたように言った。「なんで、日本から来たのに孫正義を知らないのか?」とたずねてきた。「そういわれても、知らない」とわたしは繰り返した。「ほんとうか? なんでだ?」「ほんとうだ、なんででも、知らないから、知らないのだ。」
そのような、押し問答がひとしきり続いたあと、
「南京を知っているか?」
男は、言った。
知らないだろうなおまえには、というニュアンスだった。知らないだろう、おまえは虐殺のことなんか、というニュアンスだった。何かがハチ切れた。下手な中国語で「おまえに、何がわかる?」。唾を吹きかける勢いで、男にむかってそう言った。
上海に滞在するようになって数週間も経つと、わたしは薄々気づきかけていた。どんなことを、話しかけられたときに、自分の腹の底が震えだすのか。袋がぱんぱんになってハチ切れそうになるのか。
「きみは、日本人にしては、中国語がうまいな」。
「わたし、日本人ではなくて、台湾人なんです」。
「なに? 台湾? じゃあ、同胞…つまり、中国人なのか……中国人にしては、そりゃ、下手だな、中国語」。
(…として)
と、言われること。くるっと反転して、
(…にしては)
と、言われること。以下に続く言葉が、肯定的なものであろうと。
その、瞬間。その瞬間なのだ、いつも。堪えられなくなるのは、いつも、そこだった。
日本人でないというのに、日本語を日本人以上に理屈っぽくこねくり回すわたしは、いつからか、日本人として、台湾人として、中国人として、日本人と、台湾人と、中国人と、「歴史認識」について言及することは、極力避けたいと思いながら生きている。
「歴史」の「認識」。
その、問題について、ほんとうに血のかよった言葉で語り合える相手とであれば、わたしはむしろ、喜んでその機会を堪能したい。それは、めったにあるような機会ではないのだから。少なくとも、わたしにとっては。これからは、もっと多くあるように、と願っている。それは、わたし次第だと思っている。
ほんとうに、切って血の出る言葉ならば、舌はそんなにも滑らかには廻らない。砂のようだ。舌のざらつきが、不快ではないのかしら?
ところで、「暴力」手段をとらず、理性によって愛国心を表明することが重要だと考える学生たちには、シンパシーを感じる。
チベット弾圧を現に行っている自国政府を「愛する」と主張するときの彼らが、自国政府によるチベット弾圧に眼を瞑るのではなく、あくまでも眼を開いて見据えたうえで、「愛する」のであれば、いったい、誰に文句が言えようか。
彼らの、眼が、開いてさえいれば。開いていることが、前提だ。
ただ、その眼を開く、というのがなにより、難しい。わたしは、わたしの思いたいようにしか、結局は、何に関しても、思うことができないのかもしれない、と。
そう思うと、ただ、眼を見開いたものの、見たいものしか、見ようとしていない…の、かもしれないのだ、と。
わたしを、見つめた幾つもの眼。通りすがりに出会った眼という眼。それらの眼に映ったわたし。
どうしてわたしは、そうしたわたしの数々を、わたしだとは思いたくなかったのだろう。
わたしが思うわたしと、他人が思うわたし、とが、合致しないという単純な事実に、あれほど、慄かなければならなかったのだろう。
わたしは、他人に決め付けられることを激しく拒絶しながら、他人に対しては、自分の決め付けた自分を押し付けようとしている。もしかして、これは、いたちごっこ?
いずれにしろ、国を愛そう、と思うのなら、本気で思うのなら、「暴力」は、最善策ではない。暴力しか手段がない人々の捨て身の攻撃ならいざ知らず、おかえりなさいと言ってもらえるおうちに帰れるお坊ちゃんやお嬢ちゃんが、この「暴力」は正義のためだ、ときらきら光る眼で訴えたところ、ナメられるだけだ。有り余るエネルギーを、行き場のないエネルギー、あるいは鬱憤を晴らすためだと揶揄されて、終わるだけだ。そしてそれは、ほとんどの場合、事実なのである。
国境を越えて、そう、なのである。
化粧っけのない女の子は、わたしから眼を逸らした。わたしは、唇を噛み締めた。震えを、抑えるためだ。中年の女性たちの、話し声は続く。せんそうってのはねどうにかなくせないものかしら、だとか、あいこくしんがあるというわかものってしんじられない、だとか、せんきょにちゃんといかないひとがおおいのはなげかわしい、だとか、にほんじんとして、はじるべきだ、にほんじんとして、しっかりれきしをまなぶべきだ、と。
わたしは、女の子とおなじように化粧っけのない自分の額を手の甲でぬぐった。
「一人称の呪縛」。化粧ではじまる李良枝の小説を、唐突に思い出す。いや、唐突ではないのかもしれない。
「外国人の参政権、反対!」
スピーカーで、そう叫んだ男を、わたしは見つめた。ほとんど、凝視するような眼で。振り返るのを待った。男が、わたしを、見るのを。男は、わたしを一度も見なかった。2008年3月22日。秋葉原。
わたしには、あの男も、この女の子も、おなじだった。この、わたしから眼を逸らすのなら。
その眼にうつったわたしは、誰?
何?
砕け散る。
わたしの眼に、色彩鮮やかな旗々がひるがえっているのが飛び込んだ。
学生たちのかかげる旗の色だった。
胡錦涛国家主席が講演を予定している大学だという。夕方のニュース。
わたしは、できるかぎり、長くゆっくりと瞬きをした。
呼吸が、乱れぬうちに。