おんにっき おきがるversion
トップに戻る トップに戻る 昔のON日記 現在の日記(きまじめversion おきがるversion)
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わたしは 穴そのもののように ぱくぱくと。 ことばが渦巻く渦巻く。 渦の中心は、穴。 わたしは 何も言うことなどなかった。懐かしい。わたしはとてもお喋りだった。 何か言わなきゃ。 どうしても言わなきゃ。 募るほど穴になる。 渦巻く渦巻く。 穴になる。 |
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上海滞在中に、魯迅旧居にも行った。学校の先生に連れられて。魯迅ったらこんなとこで執筆していたのねなどと思うと感慨深くて涙が出そうになった。のも大嘘で、特に何も思わなかった。見学のあと、どこで晩御飯食べるのかなあ、なんてことばかり考えていた。 中国語の勉強も怠けてばっかり。宿舎の部屋にこもって、何をしているのかといえば、三島由紀夫(もちろん日本語で)とか読みふけっていた。でもなんで中国でわざわざ三島を……。しかも「憂国」を……。面白かったけど! 魯迅、がソラで書けるようになったのは、20世紀初頭の中国のことがこのごろ気になってしかたないからだ。竹内好の「日本とアジア」が届いた。さっそく読み出す。さっそく昂奮して寝つけない。いつものことだけど。 20世紀初頭の世界史的な大変革期を軸にすえて、中国と日本のことを考えるのはおもしろい。 仮に自分が台湾人であると断定したら、この台湾人にとって、中国のことを考えるとき、いやおうなく日本という視点が内包されざるを得ないという……そのことの妙が他人事のように面白い。 |
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わたしは、エスカレーターを降りるところ。彼は、のぼるところ。 だったので、ほんとうにすれ違い。 ゆっくり口を利くことはできなかったけど、ふいに目が合ったあと、ハッとお互いに気付いた瞬間、ほぼ同時に笑顔を浮かべていた。 彼もまた、しょっちゅうわたしを笑わせてくれた人のうちの一人だったのですれ違ったあといろいろ思い出して楽しくなった。 こんなことがあったので自分は中学時代も案外楽しく過ごしてたんじゃないかなんて、普段は思わないようなことを思ってしまった。だから今夜は気分のよい(都合のわるいことを思い出さない)うちに眠ってしまおうと思う。 |
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1963年のアメリカ映画だというのだが、当時の中国は、じき文革に突入する頃だった。「北京の55日」は、それより半世紀ほど昔、おなじ中国で起きた義和団事件についての映画である。 各国の旗があがる。各国の音楽隊が演奏する。それぞれ、わずかずつ離れた場所で。舞台は、1900年清朝末期の北京。 「なんでこんなに騒々しいんだ」「みんな、叫んでいるのさ。中国が欲しい、ってね。」 と、英語で喋る(アメリカ映画なので)。 観始めてすぐに、不協和音と緊張感とが、いきなり突きつけられる。 義和団を、鎮圧する連合軍。 もしかして、と思って調べてみる。 「ガイジンと比べると、日本人ってやっぱ小さいなぁ……」 中学3年生の頃、社会科の教科書に載っていたある一枚の写真をみて、同級生の男の子が呟いた。いつも面白いことを言って、わたしを笑わせてくれる子だった。わたしは、うなずいた。 わたしたちは、高校受験を間近に控えていた。 中学校の校舎が、オウム真理教の南青山総本部のすぐ近くだったので、ヘリコプターの音が騒々しい時期だった。期末だったか中間だったか……社会科のテストがあった日、「きょうは、2・26事件からちょうど60年目だ」と話したりした。年号を覚えたばかりだったので。 当時は、歴史なんかより社会的事件なんかより目前に控えた高校受験が、よっぽど重大事だったはずだ。 はずだ、と書くのは、もう忘れちゃったから。 過ぎちゃえば、忘れちゃう。 だからこそ、覚えている、というただそれだけで、そのことは現在の自分にとって重要な記憶である、という証となる。たぶん。 「やっぱり小さいなぁ」。 彼は、そう呟いたことを絶対、忘れている。わたしは急に、彼に会いたくなる。そして、今は便利なインターネット。やっぱり、そうだった。ちゃんと、教えてもらった。それは、義和団の「鎮圧」に出兵した列国軍隊の写真のことでよかった。日・英・米・露・独・仏・伊・墺。8人の中でいちばん背が低いのが日本の兵士だった。
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わたしは、わたしに生まれてよかったなあ、と節々で思う。 なんということなのだろう。 生きていかなくちゃ。 そしたらさ、そしたらね。 わたしも、なれるかもしれない。 自分に正直に生きたら。 生き切ったら。 なれる。 がんばらなくっちゃね。 |
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目は妙に冴えるのに、頭は、鈍、と冴えない。こんなときは、「物語」が欲しくなる。縦にも横にも、深く厚く、拡がりようのあるものを、一つドンと。 おもいだす。鉄人兵団。海底鬼岩城。小宇宙戦争。魔界大冒険。 |
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「行った」と書くのも、「帰った」と書くのも、どこか落ち着かず、父がつかう乗り物の様子に託して、「飛んだ」。 祖母は、いつもあちこちばかり「飛び」まわっている父(祖母には息子)の生活が、バタバタと落ち着かず可哀想、と嘆く。
それでよい。 高校を卒業するあたりで、従兄妹たちはほとんどみんな、こぞってニッポンに来たがる。 亡くなった伯父の長男(わたしたちにとっていちばん年上の従兄)であるお兄ちゃんが東京の日本語学校に入校したのは、わたしが中学生のときだった。 (そのお兄ちゃんも、もう一児の父である。) 今年の四月には、父の末の弟である叔父の次女、わたしたちにとっていちばん年下の従妹も、東京で下宿を始める。
ひらがな伝授の合間にたずねれば、「まあまあ、かな」。 とニッポンで育っている真っ最中の子どもが笑っている。 |
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吸い込まれてゆく、想像どおりの冷ややかな甘味が。からだの底に。 消える。 紙が、ヒラヒラと。宙を舞う。 王冠を、奪い取った。あとのせかいは、この仕打ち。 どうなる。 |
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しん、という音が、ほんとうにしてきそうだ、夜更けに。 白が、積み重なってゆく、道の上を。 窓から、たにんごとのように、見下ろしている。 けっきょく、たにんごとのように。 |
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ある。 ある。 ある、から、出てこないという、例のアノ…。 昨日から今日までずっと、それは続いている。 きがるに、きがるに……言い聞かせてても、 くずれおちる。 言葉となることを拒まれれば、わたしはそれに従うしかない。射止めようもない。 まいった。 |
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ときどき、わかる言葉が聞こえる。ということは、ほとんど聞き取れない。 ときどき、聞き取れると、妙に嬉しい。子どもみたい。子どもは、自分が少しでも聞いたことのある言葉が聞こえてくると、喜び勇んで復唱する。子どもは、知らないことだらけなので、ひとつでも知っていたとき、すごく嬉しくなる。自分は知っている!と、おとなに向かって知らしめたくなる。 この頃やけに、中国語を聴いていたい。ただ、聴いていたい。 聞き取らなきゃいけない、という気持ちが消えてゆく。心地がいい。揺り籠に揺られているみたいで、心地がいい。 心地がいいなぁ、と日本語で思う。日本語で。 中国語の、文は、でも、読みたくない。本は開きたくない。文、となると、日本語のものばかり読んでいたい。浸っていたい。 自分が、中国語の音の洪水に身を任せたいと渇望している、と日本語で書きたい。 どうしてだろう。 |
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「…でもね、 一人目の女の子は云った、 足と足を組み替えながら。 …世界の感触なんてこんなもんよ。 思春期の頃からずっと。 今更… 今更、嘆くことなんてないわ。 裏で鳴り続ける。 わるいのは、あなたじゃ(わたしじゃ)、もちろんない。 世界が一方的にわるいのでも、決してない。 …そうね、 二人目の女の子は云った、 頬杖つく手を替えながら。 …ただ、慣れてしまうのが、怖ろしいだけ。」 ふたりは、同時に云った。「怖ろしい」。 |
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風邪っぴきなので、おもてに出るのは諦めて一日中、寝巻き姿のままでした。遊びにゆく約束もほっぽって。ハナミズ啜って。あったかいお茶を呑みました。玄米茶。寒い寒いときの、お米のにおいはやさしい。 “としをとればとるほど、好きなものも人も増えてゆく。” そんな戯言をひとり呟いて。 明日からまた、おもてで頑張ろう。 |
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お髭が生えてきそうな…。
マドンナ・リリーのお花のエキスが、たっぷり入った乳白色のクリーム。 まっぱだかになって、全身に撫で付ける。優しいお花のちからを頂きます。 するりとなじんで幸福夢心地。 この頃のわたしときたら、怒ったり嘆いたりいきどおったり。 お髭が生えてきそうだったから。 今夜のわたしは、マドンナ・リリーに癒されながら、「ヒゲの未亡人」を聴く。 |