おんにっき 3月 おきがる

 

トップに戻る 昔のON日記 現在の日記(きまじめversion おきがるversion

 

 


3月30日 日曜日

 

春に浮かれつつある肌を刺そうと返り咲いたであろう寒さに耐えながら、雲に覆われた空に溶け込んでしまいそうな白い桜の花びらを、見あげた。

花びらよりも、雲のぼんやりした白さが目にしみて眠たくなる。

わたしは、眠たい。ずっと、眠たい。先週から。もしかしたら、もっと前から。

目の、さめているような気がしない。

横っ面を、思い切りひっぱたかれ、「よく見ろ!」と怒鳴りつけられた。

あれが起きたのは、いつだったかしら。もしかしたら、あれからずっと寝ていない。寝ていない。

何かを、ずっと、見ていたような気がする。でも。もしかしたら。見ていた気になっていただけかもしれない。

どちらが、ほんとうなのかしら。瞼の裏にうつるの、白い花びらの集合。影。

眠り込んだら目が。ひらくのかしら。それとも。

 


3月26日 水曜日

 

あの、花。

白い、おおきな花びらが樹からじかに生えているかのような。

花。

花の名は、木蓮、なのだと教えて貰った。

何十年も昔のことのような気がする。指を折って数えてみれば、四。

たった、四。

四年前。

わたしは今年も、白木蓮の花が咲くのを見つけて喜ぶ。

喜んでいる。

 


3月25日 火曜日

 

お楽しみ会だった。きのうの卒業式で六年生を見送って、校舎はどことなくがらんとする。

きょうで、五年生最後の日。

 

お楽しみ会で、有志の子どもたち計5人が「一匹のコブタ」というお芝居をする。
物語はこう始まる。

 

それは、一匹のブタと、三匹の狼のやんごとなき物語である…

 

ブタを喰ってしまおうとたくらむ狼たちが次から次へと、ブタの家に襲来するのだが、ブタは、ポケットに潜んであった“魔法”のビスケットを食べて前人未到のパワアアップをし、逆に、狼を喰ってしまう。

自分よりもあきらかに小柄で痩せ型の同級生(狼その1役)を、打ち倒すブタ役の少年。

おまえは何ものなんだ、と訊かれ、

「俺は、ブタだ!」

と叫ぶ。

場内、爆笑。

 

狼(その1)の帰りが遅いので様子を伺いにきた狼(その2)。

狼(その1)の亡骸を見つけて、

「ポーク!」

というのも束の間、今度はビスケットなしで、

「おまえもあの世行きにしてやる〜!」(棒読み)
と、ブタ。

「あの世行きだ〜!」(棒読み)

と、続けて二回言うブタ。

 

狼(その2)も、ブタに喰われてしまう。

 

仲間の狼がいっこうに戻らないので、最後の狼(その3)は自宅でそわそわ。そのうち、ピンポン。箱が送られてくる。あけると、狼(その1)と狼(その2)の亡骸が、ごろりと。

「ポーク! ビーフ!」

 

復讐を誓い、ブタのもとへ駆けつける狼(その3)。

ここでも、ビスケットの効果は持続中らしく、「おまえもあの世行きだ〜」(棒読み)

案の定、喰われてしまう狼(その3)。

(おそらく「ミート」という名前だったに違いない)。

 

ブタ、立ち上がる。舞台の端に立っていた少年、見る。そして、

「こうなったら、ナレーターも喰ってやる〜」(棒読み)。

ナレーター役の少年、倒れる。

 

ブタ役の少年「おしまい!」と叫びながら、「おしまい」と描かれたカードを掲げる。

 

場内、拍手&大歓声。

 

…「一匹のコブタ」。じき六年生になる彼らの手作りによる芝居だという。楽しませてもらった。「俺は、ブタだ!」という科白だけ、棒読みじゃなかったのが妙に気になったけど。

 


3月21日 金曜日

 

深夜放送の「かもめ食堂」を観ているというので、電話を切った。わたしがあまりにも熱心に薦めるのでいつか観ようと思っていたら、運よく、テレビでやっていた。観ていたところに、わたしからの電話。

迷った、と思う。

放っておくと、私の話は、どこまで続くかわかりやしない。

廻る廻る、舌が。熱く熱く、夜も。

「かもめ食堂」を観ているんだ。

ようやくできた話の途切れ目で、やっとわたしに告げることができた。

ああそれなら、と素直に電話を切る。

 

忙しい毎日だった。

 

ほっと、ひと段落。

春が、肌身に迫ってくるのを、急に感じる。

忙しいと、感じても流す。暇ができたとたん、感じるに浸る。

あしたは、気温がぐっとあがるという。

 

祖母の介護のため、台湾にいる母から国際電話。父とも話す。

 

(みんなが、前をむいて歩き出せば、台湾は大丈夫だ)

 

という意味の台湾語を、父が言うのを受話器越しに聞く。父が支持する総統候補者の言葉だそうだ。

 

わたしにも投票権があるのだと知らされる。気が、昂ぶる。ない、と思い込んでいた。住民登録していないから。でも、中華民国の旅行券を所持していれば、大丈夫なのだという。

 

わたしに、選挙権がある。

 

そのことで、そのことだけで、胸が昂ぶる。

可能なら、したかった。投票。今からでも、しに、行きたかった。

春が迫っている。乱れぬよう、ととのえる。息を。

 


3月16日 日曜日


気をつけろ。

見られるのが、女、だとは限らない。

あるいは、

見られるのよりも、見るのを好むのは、女、のほうかもしれない。

と、いうこと。
見る、見られる。選ぶ、選ばれる。
選ぶ側にまわったらシビアだ、男以上に女は。そして、選ばれるのには慣れてないので男は。

僕は天使ぢゃないよ(あがた森魚)。

 


3月15日 土曜日


昨日23歳になった妹が、祝いにはオムライスがいいと言ったので、土曜日の夜の人並みを掻き分けて掻き分けて、渋谷の『卵と私』に行く。苦労した甲斐あって、オムライスの美味しさにめろめろ。デザートまでぺろりと行っちゃいました。たまには来てみるものだね、渋谷。だって、渋谷には、なんでもある。去年の暮れ、確か、クリスマス間近の頃、渋谷のスクランブル交差点でひとり信号待ちをしていたら、

大画面には、今週のベスト1、と書かれたテロップが流れていて大音量でそのベスト1という歌が流れている(だれの、どの歌だったのかは忘れてしまった)。その音とはまったくお構い無しに、日本人離れした(要は外国人訛りの)「あなたは神を信じますか」という声がスピーカー越しにえんえんと響いていて、おりしも日章旗のマークを側面に描いた黒塗りのトラックが連続7台、軍歌を大音量で鳴らしながら通りすぎていく。それを見ていたヴィトンのバッグを持った茶髪の女の子は、日によく焼けた顔の連れの男にむかって、「なに、あれ〜?うるさくない〜?」と尻上がりのイントネーションで言った。

渋谷にはなんでもある。と思った。百年経てばみんな消える。たぶん。百年あれば、わたしも、だれも、かれも、ここにいるすべての人は、あらかた、死んでいる。

潔くて、心地いい。渋谷。渋谷。眩暈するほどの、とこじゃない。

渋谷。渋谷。渋谷区役所。
外国人登録の更新のたび、いつも行く。子どもの頃から。

卵をたっぷり腹におさめたあとは、妹とふたり、人並みを掻き分けて掻き分けて、家路を急ぐ。

駅前の横断歩道の前で、THE BIG ISSUEを購入。値段も忘れていたぐらい、久々の購入。売り子のおっちゃんが言う、「ノラ・ジョーンズだよ、あとは知らないけど」。

あら、だってノラ・ジョーンズが、決め手だったのよ。あとは知らない。

わたしは、ノラ・ジョーンズの顔が、何故か妙に好きだ。去年は、ノラが表紙だったので、PLAY BOYを買ったりしたぐらいだ。

「不実な美女か貞淑な醜女か」(米原万里)……

ノラは、美女だけど、単なる美女って以上のナンかが、みなぎってる。顔立ちを越えるなにかが。見ていて、惚れ惚れとする。

ナンかがみなぎっている美女なら、最高ね。でも、そこそこキレイなだけの女なら、ナンかがみなぎってる醜女のほうに、たぶん、いや、まちがいなく惹かれる、わたしは。
と、いうのも、思春期の頃から鏡を睨みつつ「美人に生まれていたら」と歯軋りをしているうちに、そこそこキレイな(だけ)の女を羨ましいと思わないよう腐心し続けてきたから、なのだけど。そして、それに伴って、顔立ちを越えるナニかを、信仰するようになったのだ。

そのおかげかどうか、仲の良い女友達は、「きれいなのにもったいない……!」と一度は言われたことのあるような人ばかり。

ホントにこの国ときたら、女が「顔立ちを越えるナニか」を信仰した途端、即、規格外にカウントしちゃうようなんです。

 

MY DEAR COUNTRY……(NORAH JONES)

 

って、何様なんだ今夜のわたしは。何様ついでに最後まで書いてしまえば。

いまだに、何をしても許されちゃうような類稀な美貌に恵まれていたらなあと憧れつつ、顔立ちがどうの、ということなど塵芥のごとき吹っ飛んでしまうほど強烈な才能という名の魅力があったのならな、などと思い、まあ、しょうがない、どっちもないんだから、ないんなら、この顔で楽しく生きていってやろう、と結局は思う、この国で楽しくやってゆこう、と思うのと同じように。そんな気持ちなんです。


3月10日 月曜日


これは、わたしのこしらえた夢のあらわれ、なのか。

あまりにも、ぴたりと。あまりにも、しっくりと。

なじむのだ。

肌あいが。
匂いが。

ぬくもりが。
真ん中から射抜かれる。

「生まれつき、おっとりとして優しく、ふだんから風雅なことを好み、自分から進んで働いて生計を立てようという気がなかった……」
というような豊雄の性格を憂えた彼の父親は、
「財産を分けてやっても、すぐに人手に渡ってしまうだろう。そうかといって他家へ養子へやって、その家をつがせるのも、後になっていやなことを聞く結果になるであろうから、それもわずらわしい。ただ本人の心のままに成人させ、学者になりたいのなら学者に、僧になりたいのなら僧にでもなってくれればよい、と考えて、あえて口うるさくしつけもしなかった」

というのだが。


この世は大体が狸と狐の化かし合いだと思うようになったのは、よかったことだと思っている。おかげで、ただのヒトであることの無能っぷりを、うつくしく、やさしく、おろかだと感じられる。

ソノ愛おしさと来たら……

 

あぁ、何もかもがヤンなった。そう思っていた頃、頭にしょっちゅう浮かんで消えていったのが、髪を剃ろうか、ということだった。いっそホントに、普通でなくなりたい、と喉の奥から思っては萎み思っては萎んだ。

ソノ頃からかもしれぬ。

わたしは、髪ではなく、なにか、別のものを剃り続けた。すこし生えかかると、剃った。

狐か狸かに化けるのがヤなのではない。ソレはむしろ愉しい。
ただ、ただの人であることの、世の中に対して取り残されたよな、呆気にとられたよな、ぽっかりした感じ……

ソレを、忘れたくなくて、剃る。剃る。剃っても、剃っても、生えてくる。

 

あまりにもしっくりとなじむので、正体は蛇なのではないかと疑う。だが、自分がヒトであるという自信もない。むしろ、蛇よりも狸だ。


3月8日 土曜日


うつくしく、やさしく、おろかなり―――
朝寝坊の誘惑をかわして、めずらしく早起き。とはいえ、時は既に昼下がり。

ぷらぷらと散策したあとは、フルーツパフェも出るよな純喫茶にて、珈琲を。
おとなじゃないような、こどもじゃないような…(小沢健二)、ということで、わたしは珈琲に砂糖とミルクをいれなくなりました。

つい、先月あたりから。
どうしてだか、きっかけは覚えていない。

なんとなく……。
そういえば、わたしがアイスコーヒーの美味しさを知ったのは十七歳の春だった。

バイト先のテーブルのうえで。作業をしながらストローで啜った。そのときに。
あれから十年のあいだに、冷えたのと熱いのと、両方あわせてどれぐらい呑んだのだろう珈琲。自動販売機で買って飲んだのも、喫茶店に長々と居ついて飲んだのも、人様に出してもらって飲んだのも、深夜にひとりほっこり飲んだのも、みんな合わせたら。
味もなにも気にしたことなかった。安いので充分。そう思っていた。

二十七歳にしてようやく、珈琲の味それじたいを知ろうかな…と思うようになったのかもしれない。
なんとなく……。
きょうのはちょっと酸っぱかった。意識してみると、ちゃんと、ちがうんだなあ。当たり前か。
あとまた十年も経てば、こんなわたしも、味にうるさくなったりするのだろうか。わからない。


それから嬉の森稲荷神社でお参りした。日の暮れる前に、部屋に戻る。
みも、こころも、なんとなく、浮つく。春が、待ち遠しい。春。


3月6日 木曜日


おもわず、涙ぐんでいた。
旅行券に記載された「在留資格変更許可」。

「在留資格」は「定住者」。
港区港南の、東京入国管理局の片隅で。


08年3月。

春の気配がする。1年8ヶ月前は、管理局から自宅へ届いた封書を破ったとたん、次から次へと出てくる涙を、抑え切れなかった。声を出して泣いた。

「定住者」という文字が滲んで見えた。悔し涙も、うれし涙も、でどころはおなじだということの妙。

 

わたしは、いてもいい。この国に、いてもいい。


3月3日 月曜日

 

ほんに一夜もしっぽりと面白い事もなう……

女児の幸福と成長を祈る桃の節句。

二十七年の月日が過ぎました。

いつのまにやら、児を孕み、児を産み、児を育て始めても、おかしくはない年齢になっていました(とっくの、とうに)。

しかしどうしたことか、児を孕みたいという欲望が、一人の中で、まっぷたつに裂けている。

心身の悦楽を知れば知るほど児を孕みたいという欲……出産ということよりは、孕んでいる、という状態を体感してみたいという意味においての……は、強くなれど……

ふこくきょうへい

誰かさんや誰かさんがこぞって、女という女に、母になる素晴らしさだの、妻となる幸福だの、家を築く喜びだのを讃えつつ、押し薦めようとするたび、

ふこくきょうへい……
わたしには、古めかしいその言葉が、どうしてだか聞こえてくるようで、誰が孕むものか、と叫んでやりたくなるのです。

誰が、孕むか。
いちねん、またいちねんと経つたびに。

二十七歳の女児の子宮は、このような矛盾に満ちていて、それはそれで、呼吸が乱れるのよりは穏やかな現象なのです。


3月1日 土曜日

 

夏目漱石の小説を読むときに、自分が今接しているのは、漱石の遣っていた日本語そのもの、ではなく、それを現代仮名遣いに「翻訳」したものなのだなあ、と、意識するようになったのは、小説を「読む」ことと「書く」こととについて本格的に考えるようになった頃からだ。

 おなじ、日本語ではあれど、決して、漱石が原稿用紙に書き付けたもののままの文字を、模倣したのではない、文字の連なりを…。

 しかし、もしかしたらわたしは、漱石を日本語で、ではなく、中国語で、読んだ可能性もあった。それも、簡体字、ではなく、繁体字で。わたしが、夏目漱石を、漱石の母語である日本語で読んだというのは、ちょっとした偶然である。
 漱石に限らない。日本語で書かれたすべての文学作品を、もしかしたらわたしは、原語――日本語――ではなく、いちど、別の言語に翻訳された状態で、接していたのかもしれないのだ。

 それだけではない。たとえば、ドストエフスキーやトルストイ、カフカだったりカミュだったり、デュラスやマルケスも、わたしは日本語で読んだ。日本語訳されたものを。
 こうした世界で翻訳されているような文学作品も、もしかしたら中国語で読んでいたのかもしれないと思うと、わたしはやっぱり、日本語という杖をぎゅっと握り締めたまま、ものを感じたり考えたり、し続けてきたのかと思う。
 こんなことを、思うようになったのは、最近、魯迅を読み始めたからだ。

魯迅は、わたしの場合、日本語で読む。日本語に訳されたものを。原語――魯迅にとって母語である中国語――を、苦労することなく直接読めた可能性もあったことを思えば、ちょっとだけ遠回り。
 莫言を読んだときには、何故か思わなかったのに、魯迅を読もうとなると、どうしてだか気になり始めた。

とはいえ(だからこそ?)、魯迅の遣っていた中国語と、現代中国語は、漱石の日本語と現代日本語ぐらい、違っているのを忘れてはいけない。

 いずれにしろ、読み手としての、幸福を…。

 まんまんと味わわせてくれる全ての文学作品がある限り、書き手となることを欲望することが畏れ多きこととなる。

 いいのかなぁ。いいんだよ。