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For family…
7月17日 木曜日
家族みんなで暮らしてた頃
がじゅまるの樹 窓から眺めてたわ
小さい頃は木登りしていた
ママが呼ぶのよ「ケーキが焼けたわよ」と
わたしは笑いながら手を振るの。
(がじゅまるの樹/
Cocco)
8歳のわたしは、ぼんやりと考えていた。ずっと2歳でいたかった。
橙色の電球がともる六畳の和室で、父、母、妹と並んで眠っていた。父のいびき、妹の寝息、母が寝返りを打つ音。
わたしは8歳だった。目を開けたくなかった。あけたら消えてしまう。瞼の裏には、がじゅまるの樹々が茂る南国。光は柔らかく、いとおしげだった。なにもかもが柔らかく、いとおしげだった。
瞼の中で、わたしは2歳だった。
8歳のわたしが最もないがしろにしていたものは家族だった。
家族は、わたしがそこにいることを疑わなかった。父も母も、そして、まだ3歳の妹も、わたしがそこにいるのは当たり前だと思っていた。
わたしは家族以外のひとたちに、そこにいていいよ、と思われるようにと必死だったので、家族をいちばん、ないがしろにしていた。
8歳のわたしにとって、2歳の頃の自分に降り注いでいた柔らかな光を瞼の裏に思い浮かべることは、しゃっちょこばっていた心をときほぐすためのささやかな行為だった。
2歳のわたしの日々が、8歳のわたしにとって安らかな夢だったのは、2歳だったわたしが、周囲から存分な栄養を与えられていた証だ。
わたしは家族を思う。いまだに、彼らにとって自分は、当たり前のように、ここにいてもいいことになっている。そのことが、ときどき、とても申し訳ない。
わたしが、機嫌よく笑っていれば喜んでくれる、だなんて赤ん坊と変わらない。父や母は、わたしが笑うのを、望んでいる。わたしが機嫌よくいると喜ぶ。
わたしが空想の中で、よからぬことを企みながら機嫌よくしているときだって、あのひとたちは喜ぶ。
それにしても、誰のおかげで、生きながらえているのだろう。
生きろ、とも、死ね、とも言われなかった。「とりあえず、なんとなく、生きてきた。」
もう、充分だ。わたしは、わたしが思うままに笑おう。泣こう。怒ろう。また笑おう。
生きよう。
それで、充分なのだ。家族に、わたしがしてあげられることといったら、もうそれしかないのだ。
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